ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

死の現実を突きつける荼毘

2017-11-28 06:51:53 | 雑感
 田舎の姉が冥土に旅立ちました。私の田舎では荼毘を告別式前に済ますのが通例ですが、告別式前に荼毘に付すという流れは、近親者に故人の死を現実と受け容れるよう強く促す儀式なのではと考えさせられました。

 実は、火葬場で行われる儀式に参列したのは今回が初めてです。不謹慎と思われるかもしれませんが、参列したとき私に去来した感慨をありのままに述べてみます。

 まず、葬儀の前夜のことから始めます。泊った先は実家で、今は甥が一人で住んでいます。家督を継いだ姉が、古くなった家を自力で建て替えたものです。姉はパーキンソンを患っていて、自分の意志で半年前からその家を出て老人ホームに入所していました。

 それから半年経っても、家財道具は姉の生前そっくりそのままに残されています。姉のお気に入りだった広い台所も、自炊をしない甥はほとんど使っていません。その台所に立つと、今にも姉が笑顔でガラス戸を開け、元気な姿を現わすのではと何度も思わされました。そういう意味で、姉は私の中ではまだ生きたままで、生前の感傷に強く囚われるのも仕方のないことでした。

 翌日の葬儀の日、棺に入っている姉の亡骸に会いました。死に化粧のつもりでしょうか、唇が少し開いて前歯が覗いていました。業者がよかれと思ってやったことでしょうが、どう見ても違和感があり、生前の微笑みとはほど遠いものでした。やはり亡骸は亡骸で、生前とは似ても似つかないものだと思い知らされました。

 火葬場で初めて焼き上がったばかりの人骨を見ました。原形を何とか保っていたのは頭蓋骨、骨盤、大腿骨など大きな骨だけでした。当たり前ですが、故人の面影はどこにもなく、生き物が物質界に帰るとはこのことかと腑に落ちた気分でした。

 遺体の焼却を担当している人々は日々同じ光景を目にしているのです。彼らにしてみたら、死というものに対する特別な感傷など自然に失せるものだろうと思わざるを得ませんでした。

 こうした現実の出来事は、私の姉に対する感傷を見事に断ち切ってしまいました。荼毘に付された遺骨はそれだけ強烈なものでした。そのせいか、遺骨を前にして執り行われた告別式では、いつになく淡々とした感覚に囚われてしまいました。

 甥は、姉の建てた家をそのうちたたむつもりと言っています。一人住まいには広すぎるというのが表向きの理由ですが、どうやら本音は他にあるようです。

 姉と甥の間には軋轢があったようで、そのことを生前の姉はいつも電話で溢していました。親離れ・子離れできない母子関係によくあることで、甥の方もその葛藤には長いこと悩んで来たようなのです。そんな辛い想い出もあって決めたことなのでしょう。

 姉の建てた家を取り壊してしまったら、最も大切な形見が無くなってしまうのです。姉が人生を賭けて建てた家なのですが、そんな姉の思いを知っているだけに、主のいなくなった家は虚しく哀れを誘うばかりでした。

 恐らく故人の思い出というものは、遺された者の思惑如何で否応なしに遠ざけられるものなのでしょう。
 偲ぶよすがの無くなれば 故人の面影 夢幻の如くなり・・・です。



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