ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

言葉に囚われる?

2019-04-26 06:45:43 | 病状
 “心の落ち着き” AAのミーティングでしばしばテーマに取り上げられる言葉です。先行きに不安のない心のありようを表し、精神的な回復もこの言葉に象徴されているからでしょうか。先日のミーティングでもこの言葉がテーマとなりました。

「随分長い間、この言葉に囚われていたのではないか?」ふとそんな思いが湧いてきました。過去記事を振り返ってみると、断酒して1年5ヵ月目の記事に早くもこの言葉が出ていました。それだけ “心の落ち着き” に恋い焦がれていたのだと思います。

 その後の記事を辿ってみると、この言葉の意味するところは “平常心”、と一旦結論づけていました。それはそれで正しいのですが、“心の落ち着き” は身体全体で感じる感覚です。一方の “平常心” は、どちらかと言えば頭で考えた理屈であって、体感を表してはいません。

 その後も模索は続き、最終的に辿り着いた言葉は “楽になった” でした。この言葉こそ “心の落ち着き” を感覚的に表現した言葉だろうと思います。断酒して4年後の記事にありました。

 ところで、言葉に囚われた例は他にもあります。「~でなければならない/~しなければならない」という “認知のゆがみ” を象徴する言葉のことです。

 正直に言えば、当初は行動を表す「~しなければならない」という方に重きを置いていました。「なるようにしかならない」という割り切った考え方がありますが、これも「なるようになる」と無理に言い換えていたほどで、バカみたいにこだわっていました。

 本来、用心すべきは「~でなければならない」という考え方であって、絵に描いたような理想像に雁字搦めになってしまうことです。

「家族とは~であるべき」、「夫/妻は~であるべき」という “べき論” がそれに当たります。こんな簡単なことに気づいたのもつい最近のことです。

 こんなふうに極端に走ってしまうこともありますが、言葉に囚われるのも悪くないとも思っています。とことん意識し続けて様々な場面に出会い、少しずつでも核心に近づければいいのです。その方が言葉の持つ意味の奥行きがわかって得した気分にもなれます。

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 患者が回復を恋い焦がれるのは当たり前のことです。その傾向は、アルコール依存症(アル症)者の場合、特に強いようです。

 断酒して3ヵ月ぐらいまでに体調は回復します。ところが脳の回復は遅いので、体調と脳の間にアンバランスが生じます。そのアンバランスがアル症者に回復を焦るよう煽るのだと思います。

 断酒して3ヵ月~3年ぐらいは、早く回復したいという思いが殊の外強いだけに、早くも回復したという勘違いに陥りがちです。特に1年ぐらいまではPAWS(⊇ドライドランク)がそれに拍車を掛けます。

 自信過剰・自己万能感、自己憐憫(なぜ自分だけがこんな目に・・・)、自我の肥大(人にお節介をやきたがる)などの気持ちが強く出るのがドライドランクです。念のためご用心を!



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