かれこれ4週間前の話です。私は、JR三宮駅前のロータリー南側、元 そごう、 今は阪急の北側を通る2号線をミント神戸方向に歩いていました。さすがに日陰は寒いものの、ロータリーに面した南側の歩道は日当たりがよく、冬の日差しが暖かく感じられる日でした。
ここの歩道にはバス停が3つばかり並んでいて、バス待ちの人が数人佇んでいました。その中で一人、ロータリーの塀に凭れている老人が妙に目を引きました。
なぜかその老人、とてもバスを待っているふうには見えませんでした。ボサボサ髪が肩まで掛かって身なりも粗末でしたが、そんな人はどこのバス停にもいます。ところが、のんびり塀に凭れていた彼には、日向ぼっこを誰にも邪魔されたくないという雰囲気が漂っていたのです。
目を合わせないようその老人の前を通り過ぎ、その先にあるロータリーの出入り口の信号が赤になったので、怖い物見たさに後ろを振り返って見ました。
すると、何と彼の老人、ズボンの左側が膝までずり落ちていて、赤いパンツが丸見えになっていました。しかも本人には、それを気にする素振りなどまったくなかったのです。
彼の老人の姿を見て、かれこれ20数年前、同じ冬の寒い日に見かけたある光景を思い出しました。私がまだ40代の現役時代だった頃のことです。
大阪の会社近くに東横堀川が流れていて、その東側に一方通行の狭い通りがありました。昼休みにその道を歩いていると、北の方から一人の人物が歩いて来るのが見えました。
脂ぎってボサボサの長い髪に伸び放題のヒゲ、垢まみれでボロボロに破れた服の上に広げたダンボールを羽織り、左右それぞれの足に靴かサンダルの片方を引っかけ、それらをズルズル引きずって歩いていました。
彼は真っ直ぐ前を向いていたものの、その目はどこか虚ろでした。食べる物にもこと欠いた低栄養のせいでしょうか、生きる意欲もすっかり萎えてしまっていたようでした。
髪と髭が黒々としていたことからまだ若いとわかるぐらいで、まぁ歳の頃は30代末だったのでは? 見るからに浮浪者そのものという外見で、まさしく貧乏神の囚われ人、まぁ贔屓目で見ても死に損ないの仙人といった風貌でした。
余りに悲惨な姿形は人の目を背けさせ、周りに何も言わせない雰囲気があります。見ていた私はと言えば、アルコールで頭のイカレた自分の将来を見せつけられたようで、思わず腰が引け唯々黙って彼を見送るだけでした。その後も2、3回、彼を見かけたのですが、そのうちパッタリ姿が見えなくなりました。
さて、三宮で見かけた老人ですが、大阪でかつて見かけた人物ほど酷くはなかったものの、同じように他人を拒む雰囲気がありました。ただし彼の老人には、験担ぎの赤パンツを穿くだけまだ与しやすさもありました。私が少し勇気を振り絞りさえすれば、声をかけるなど何かできそうとは思ったのですが、私はそのままその場を後にしました。
かくも今の私には、人にお節介するのも悪くないという気持ちがあります。当てのない浮浪者を見かけたときどう手を差し伸べるか、それがこれからの課題になりそうです。
現に、行政関係や教会関係などに慈善団体があります。そこにどう彼らを繋げたらいいのか、そのルートが私にはわかりません。目出度く年が明けたことですし、今年はそのルート探しでもしてみましょうか、ネ?
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なぜかその老人、とてもバスを待っているふうには見えませんでした。ボサボサ髪が肩まで掛かって身なりも粗末でしたが、そんな人はどこのバス停にもいます。ところが、のんびり塀に凭れていた彼には、日向ぼっこを誰にも邪魔されたくないという雰囲気が漂っていたのです。
目を合わせないようその老人の前を通り過ぎ、その先にあるロータリーの出入り口の信号が赤になったので、怖い物見たさに後ろを振り返って見ました。
すると、何と彼の老人、ズボンの左側が膝までずり落ちていて、赤いパンツが丸見えになっていました。しかも本人には、それを気にする素振りなどまったくなかったのです。
彼の老人の姿を見て、かれこれ20数年前、同じ冬の寒い日に見かけたある光景を思い出しました。私がまだ40代の現役時代だった頃のことです。
大阪の会社近くに東横堀川が流れていて、その東側に一方通行の狭い通りがありました。昼休みにその道を歩いていると、北の方から一人の人物が歩いて来るのが見えました。
脂ぎってボサボサの長い髪に伸び放題のヒゲ、垢まみれでボロボロに破れた服の上に広げたダンボールを羽織り、左右それぞれの足に靴かサンダルの片方を引っかけ、それらをズルズル引きずって歩いていました。
彼は真っ直ぐ前を向いていたものの、その目はどこか虚ろでした。食べる物にもこと欠いた低栄養のせいでしょうか、生きる意欲もすっかり萎えてしまっていたようでした。
髪と髭が黒々としていたことからまだ若いとわかるぐらいで、まぁ歳の頃は30代末だったのでは? 見るからに浮浪者そのものという外見で、まさしく貧乏神の囚われ人、まぁ贔屓目で見ても死に損ないの仙人といった風貌でした。
余りに悲惨な姿形は人の目を背けさせ、周りに何も言わせない雰囲気があります。見ていた私はと言えば、アルコールで頭のイカレた自分の将来を見せつけられたようで、思わず腰が引け唯々黙って彼を見送るだけでした。その後も2、3回、彼を見かけたのですが、そのうちパッタリ姿が見えなくなりました。
さて、三宮で見かけた老人ですが、大阪でかつて見かけた人物ほど酷くはなかったものの、同じように他人を拒む雰囲気がありました。ただし彼の老人には、験担ぎの赤パンツを穿くだけまだ与しやすさもありました。私が少し勇気を振り絞りさえすれば、声をかけるなど何かできそうとは思ったのですが、私はそのままその場を後にしました。
かくも今の私には、人にお節介するのも悪くないという気持ちがあります。当てのない浮浪者を見かけたときどう手を差し伸べるか、それがこれからの課題になりそうです。
現に、行政関係や教会関係などに慈善団体があります。そこにどう彼らを繋げたらいいのか、そのルートが私にはわかりません。目出度く年が明けたことですし、今年はそのルート探しでもしてみましょうか、ネ?
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