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原子力発電

2011年08月05日 23時50分51秒 | 生命生物生活哲学
2011年8月5日-1
原子力発電

  「フナムシが 生き生きと 原子力発電」

 30数年ほどの昔だったか、ラヂオから何回かこのような感じの俳句?を聞いて、この俳人はいったいなんじゃ?、と不愉快に思ったものである。電力会社の広告だったと思う。原子力発電所の近くでは、温排水のおかげでイキイキとしているのか? フナムシの生き生き度が、原子力発電所付近と離れたところでは異なることがどうやってわかるのか? この(著名な)俳人の直感なのか、あるいは注文に応じた創作なのか。

 核分裂型原子力発電は、放射性廃棄物の問題だけからでも、採用すべきものではない。私企業である東京電力は、放射性物質という有害物を大気中にまき散らし、海中にも故意に捨てて汚染するという公害を起こしたのである。

 さて、高木隆司(1992)『物理学:新世紀を生きる人達のために』という教科書に、「原子力発電の問題点」と題した一節がある。

  「原子力発電には,二つの大きな問題がある。一つは発電所の事故,もう一つは廃棄物の処理である。〔略〕
 発電所の設計時には,種々の事故を予想して,その対策をたててある(文
献5参照)。そのような,あまり深刻でない事故を設計基準事象とよぶ。一
方,この基準をこえる事故はシビアアクシデントとよばれる(まだ訳語がな
いようである)。ところで,シビアアクシデントは,過去に2回起きた。1
回はアメリカのスリーマイル島発電所の事故(1979年),もう1回はソビエ
トのチェルノブイリ発電所の事故(1986年)である。
 チェルノブイリ発電所事故以来,事故対策の基本的な考え方として,確率
論的安全基準を採用するようになった。これは,
 (1)人間の活動にはつねにリスクがともなう。
 (2)リスクの確率が公衆に受容される。
という二つの前提から出発している。ところで,リスクを評価するには,シ
ビアアクシデントのさいに,設備,燃料,核反応生成物がどのような挙動を
するかという問題を研究する必要がある。このような研究は,まだ発達して
いない。原子力技術は,まだ研究の初期段階といえるのである。
 一方,そもそも原子力は人間の能力で扱えるしろものではない,という指
摘をする研究者グループもある。
 原子力発電所の建設が推進される理由は,発電コストが低いことである。
ところで,発電コストという指標が,じつはあいまいなのである。実際,コ
ストの計算法は,アメリカと日本で次のように異なる。
 アメリカの統計の取り方は,過去1年間の実経費をもとにする。それによ
れば,1986年には,原子力発電のコストは3.77セント/kW,石炭火力発電
のコストは3.16セント/kWであり,石炭火力発電のほうが安かった。
 一方,日本の統計の取り方は,いま発電所を建設してとれる採算をもとに
する。この方法で,1988年の原子力発電のコストは9円/kW,石炭火力発
電のコストは10円/kWであり,原子力のほうが安く計算された。なお,石
油火力発電と石炭火力発電とは,ほぼ同じコストがかかる。
 ただし,上記の原子力発電のコスト計算には,廃棄物処理や取り壊しの費
用が入っていない。なぜなら,廃棄物処理や取り壊しの技術は,まだ確立さ
れていないので,コストの計算ができないのである。〔略〕
 本書は物理学の教科書であるということから,原子力発電の是非に対する
筆者の考えを述べることはさけたい。〔略〕
◆問3 原子力発電所が近所にできるとき,事故の確率がどの程度小さければ認
めてもよいと思うか。」(高木 1992: 152-153頁)。

 この問3での過酷事故の確率はゼロにしたい。事故が起きる可能性は、元から絶つのが一番心配が無く、ストレス原因となる可能性を絶てて、心の健康に良い。世代間倫理を持ち出すまでもない。

 
 核分裂による発電では、「同位元素の235Uに,中性子(記号nで表す)を当て」(高木 1992: 80頁)ると、
  「235U + n → 分裂核 + (235Uの1gあたり 8.36x10^10 J)」(高木 1992: 80頁)
となる。「そのさいの質量エネルギーの減少が、熱エネルギーに変換される」(高木 1992: 80頁)。

 核融合反応では、二重水素をDとし、三重水素をTとして、
  「D + D → 3He + n + (1 mol(4g)あたり3.16x10^11 J)
   T + D → 4He + n + (1 mol(5g)あたり17.0x10^11 J)」(高木 1992: 80頁)。

 
  「原子力発電の燃料である235Uは,
同じ質量の石油や石炭に比べて,桁違いに多くのエネルギーを出す。しか
し,そのエネルギーの内訳は,分裂した核がもつ熱エネルギーが84%,中
性子の熱エネルギーが2.5%,γ線のエネルギーが9%,β線(電子)のエネ
ルギーが3.5%,その他が1%である。すなわち,原子炉は,エネルギー源
であると同時に,γ線やβ線という放射線の源でもある。廃棄物処理の技
術は将来に先送りされ,事故の危険もあることが,しばしば議論の対象にな
っている。」(高木 1992: 87頁)。

 核廃棄物の問題を指摘している。

  「核融合は,〔略〕まだ成功していな
い。〔略〕原子核
は正の電荷をもっていて,互いに強く反発する。この反発力に逆らって多数
の原子核どうしを近づけるには,原子核にそれ以上の力を加えるか,あるい
は高いスピードを与えなければならない。これが難しくて,まだ成功してい
ないのである。しかし,核融合の生成物はクリーンであるし,燃料である重
水素は海水から生産されるので,地球上で遍在しないという大きなメリット
がある。これは,ぜひ実現させなければならない。」(高木 1992: 88頁)。

 上記での核融合は、熱核融合であろう。
 冷融合 cold fusion的な触媒技術で解決できるのではないか?
 そして(想像を逞しくすれば)生物体もまた、ナノメートルの大きさでの化学的制御をして元素転換をしているのかもしれない(この点について、どれほどの根拠または実験データがあるのか、検討せよ)。



[T]
高木隆司.1992.1.物理学:新世紀を生きる人達のために.iv+200pp.海遊舎.[B960419, y2060]