2011年8月25日-1
イデオロギーの定義
「啓蒙主義的な意味でいう「批評」criticisimは、外部の、おそらくは「超越的な」視点から、状況のどこに歪みがあるかを解きあかすことで成立する。いっぼう「批判」critiqueは、内側から主体の経験にもぐりこみ、主体の現在の状況をこえたところにある「有意義な」経験を引きだそうとする言説形式である。たとえば、いまいる無数の男女に、数学の知識を身につけることは、すぐれた文化的目標であると、たかみにたって教示するのが「批評」クリティシズムである。これに対し、もし数学の知識が給料袋の厚みにすぐにはねかえってくるようなら、誰もが数学の知識を競って身につけようとするだろうと認識するのが「批判」クリティックである。」(13頁)。
「批評。物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること」(大辞泉)
「批判。物事に検討を加えて、判定・評価すること。」(大辞泉)
「批判的」という語感は良くないように思うが、「たかみにたって教示する」のは、「批判」よりは、「批評」という語が会うような気がする。critiqueに「論評」はどうだろうか? commentとはまた違うのだろうが。うーむ。
「意味の多様性を示唆するために、近年、いろいろなところで見受けられるイデオロギー定義のいくつかを、思いつくかぎり、ざっと列挙してみよう??
(a)社会生活における意味や記号や価値の生産過程。
(b)特定の社会集団もしくは社会階級に固有の観念の総体。
(c)支配的政治秩序を正当化するのに貢献する観念。
(d)支配的政治秩序を正当化するのに貢献する偽りの観念。
(e)体系的に歪曲されたコミュニケーション。
(f)主体に立場をさしだすもの。
(g)社会的利害に動機づけられた思考形式。
(h)同一化思考。
(i)社会的に必要なイリュージョン。
(j)ディスクールと権力の結合体。
(k)意識的社会行為者が、自分の世界を意味づけるときの媒体。
(l)行為へと促す信念の集合。
(m)言語的現実と現象的現実との混同。
(n)記号の閉域。
(0)個人が個人と社会構造との関係を生きるときに必要な媒体。
(p)社会生活を自然な現実に変換する手続き。」(18-19頁)。
(g)は、(c)と(d)とは、共存しない、と述べている。こんなにいろいろな意味があれば、あるいは使われ方をされているならば、「イデオロギー」の語は無意味であろう。少なくとも、しかじかの意味で使うとか言わなければならない。
「社会政治的イデオロギー」として限定して、その特徴づけをするのがよいだろう。
→Bungeの社会政治的イデオロギーの特徴づけを見よ。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3507629
[E]
イーグルトン,テリー.〔Terry Eagleton〕1991.(大橋洋一訳 1996.3).イデオロギーとは何か.423pp.平凡社.[B990604]
イデオロギーの定義
「啓蒙主義的な意味でいう「批評」criticisimは、外部の、おそらくは「超越的な」視点から、状況のどこに歪みがあるかを解きあかすことで成立する。いっぼう「批判」critiqueは、内側から主体の経験にもぐりこみ、主体の現在の状況をこえたところにある「有意義な」経験を引きだそうとする言説形式である。たとえば、いまいる無数の男女に、数学の知識を身につけることは、すぐれた文化的目標であると、たかみにたって教示するのが「批評」クリティシズムである。これに対し、もし数学の知識が給料袋の厚みにすぐにはねかえってくるようなら、誰もが数学の知識を競って身につけようとするだろうと認識するのが「批判」クリティックである。」(13頁)。
「批評。物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること」(大辞泉)
「批判。物事に検討を加えて、判定・評価すること。」(大辞泉)
「批判的」という語感は良くないように思うが、「たかみにたって教示する」のは、「批判」よりは、「批評」という語が会うような気がする。critiqueに「論評」はどうだろうか? commentとはまた違うのだろうが。うーむ。
「意味の多様性を示唆するために、近年、いろいろなところで見受けられるイデオロギー定義のいくつかを、思いつくかぎり、ざっと列挙してみよう??
(a)社会生活における意味や記号や価値の生産過程。
(b)特定の社会集団もしくは社会階級に固有の観念の総体。
(c)支配的政治秩序を正当化するのに貢献する観念。
(d)支配的政治秩序を正当化するのに貢献する偽りの観念。
(e)体系的に歪曲されたコミュニケーション。
(f)主体に立場をさしだすもの。
(g)社会的利害に動機づけられた思考形式。
(h)同一化思考。
(i)社会的に必要なイリュージョン。
(j)ディスクールと権力の結合体。
(k)意識的社会行為者が、自分の世界を意味づけるときの媒体。
(l)行為へと促す信念の集合。
(m)言語的現実と現象的現実との混同。
(n)記号の閉域。
(0)個人が個人と社会構造との関係を生きるときに必要な媒体。
(p)社会生活を自然な現実に変換する手続き。」(18-19頁)。
(g)は、(c)と(d)とは、共存しない、と述べている。こんなにいろいろな意味があれば、あるいは使われ方をされているならば、「イデオロギー」の語は無意味であろう。少なくとも、しかじかの意味で使うとか言わなければならない。
「社会政治的イデオロギー」として限定して、その特徴づけをするのがよいだろう。
→Bungeの社会政治的イデオロギーの特徴づけを見よ。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3507629
[E]
イーグルトン,テリー.〔Terry Eagleton〕1991.(大橋洋一訳 1996.3).イデオロギーとは何か.423pp.平凡社.[B990604]