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佐々木力(2000)『科学技術と現代政治』

2011年08月18日 17時58分06秒 | 生命生物生活哲学
2011年8月18日-1
佐々木力(2000)『科学技術と現代政治』

 佐々木力(2000)『科学技術と現代政治』は、まったくの積ん読状態のままだったが、昨日の夕方、一部を読んだ。

 この本についてのAmazonでのカスタマーレビューは1件あり、その評価段階は星一つで、「とてつもなくイデオロギー的に偏向した思想喧伝本で」、「2章以外は読むに堪える内容がありません」と評している。
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%A8%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%94%BF%E6%B2%BB-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8-%E5%8A%9B/dp/4480058524

 さて、

  「現代日本の原子力政策はより適切には「国策民営」体制(原子力委員会の藤家洋一委員長代理の言葉)として規定されえます。国家が政策の基本的枠組みを決め、実際に政策を遂行するのは、民間の巨大な電力産業各社および今回事故を起こしたJCOなどの原子力関連資本なのです。このことをとらえることなくして、現行政策策定の「無責任さ」の根源を理解することはできません。現代日本「原子力帝国」は、「国策民営」路線として実行されているのです。」(佐々木力 2000: 127-128頁)。

と、国策民営体制と捉えている。

 JCO事故を受けて、

  「核燃料サイクル開発機構の都甲泰正理事長は、十一月十五日に開かれた原子力長期計画策定会議の席上、「新エネルギーも含めてエネルギー政策全般を見直して、原子力なしで何とかなるのかという議論を深めてもらいたい」と発言し、出席者を驚かせたといいます(朝日新聞、十二月二日朝刊)。〔略〕そして、通産省の諮問機関である総合エネルギー調査会の茅陽一会長も「これからは原子力がない場合の絵も描いて、選択肢を示す必要はあると思う」と述べています(同前)。」(佐々木力 2000: 127-128頁)。

と、一時は(一部で?)見直し論が出たようである。

 第三章の第3節は、原発推進の問題点が明瞭に書かれており、また示唆的である。その前では、1999年9月30日に起きた東海村JCO事故に関連して、佐々木氏は「私はかねてより原子力推進論者の言い分が「原子力神話」と呼ぶべき虚構にすぎないことを明言しておりました」と述べている。
 
 佐々木力(2000)『科学技術と現代政治』の第三章は、「脱原子力への道と現代日本政治の技術政策」(113~170頁)である。その第3節(128~147頁)は、
  1 支配権力の政策の論理構成と方向
  2 脱原子力運動の岐路
となっている。
 
 佐々木力氏は『科学技術と現代政治』の130頁以降で、「現代日本の行政権力が原子力推進路線を走り続ける理由」を、「簡明に整理して点検して」いる。
  1. 近い将来の経済成長にとってエネルギーの右肩上がりの増大が必要であり、そのためには、原子力発電の継続のみならず、原発の増設も必須だと考えられていること。(130頁)
  2. 原子力は地球温暖化を抑止する「クリーン」なエネルギーだということ。(131頁)
  3. 放射線の人への悪影響はごく軽微であり、リスクは無視できるほどだということ。(132頁)

  「 第三に、原子力推進論者は、原子力の必要性を訴える際に、放射線の人への悪影響がごく軽微であり、リスクは無視できるほどだ、と主張いたします。たとえば、自動車事故や飛行機事故のことは無視し、原子力に伴う事故のことで大騒ぎをするのはおかしいではないか、というような議論を大まじめにいたします。統計上の数値を持ち出して〝科学性〟を装ったりもします。これは科学史上「統計の嘘」と言われる虚偽論法の一種ですが、素人はついだまされてしまいかねません。換言すれば、統計はさまざまなコンテクストを前提にして初めて十全な意味をもつからです〔なお、チェルノブイリ事故から十四年経過し、ロシア当局は、事故処理にあたった作業員のうち、五万五千人以上が死亡し、その多数が将来を悲観しての自殺であったという驚くべき事実を発表した。朝日新聞、二〇〇〇年四月二十一・二十七日朝刊〕。また、炭酸ガスを放置し、自然放射線を浴びて、原子力に伴う放射線についてだけうるさく言うのは問題だ、といった異論を立てたりもいたします。」(佐々木力 2000: 132頁)。

 また、

  「ゴフマンは、プルトニウムの発見者シーボーグらとマンハッタン計画にかかわった経験をもつ物理化学者でした。戦後は医学研究に転身しますが、放射線の影響に関しては、明確に〝ある〟という見解を打ち出していたポーリングらよりは楽天的にとらえておりました。それで、原子力推進論の当局者たちは彼におおいに期待していたのですが、ゴフマンが懸命の研究の末、出した結論は、低線量の放射線の影響は過小評価されすぎており、実際には従来の定説より二十倍ほど大きい、というものでした。この結論に対して、原子力推進機関は、ゴフマンヘの批判を執拗にやったり、研究予算を削減したりの報復行為に出ます。ゴフマンは、こうして自分の研究所の辞職を余儀なくされます。ゴフマン日く、「政府は真理を求めない。〔……〕誠実さは彼らの欲するところではない」。(佐々木力 2000: 134頁)。

 
[S]
佐々木力.2000.6.科学技術と現代政治.233+v pp.筑摩書房.[B001130, y660]