2011年8月24日-10
絵画の魅力、愛、美
2008年11月15日~12月13日に北網圏北見文化センター美術館で開催された、「N.P.blood21 Vol.3 岡田卓也展」(600円)のA4版6頁の冊子の2頁目に、作者の岡田卓也氏による文章がある。
「いくら斬新な料理でも不味ければ意味が無いように、作品も魅力的でなければ意味は無い。それを左右するのは、時代性とか社会性にもよるけれど、テクニックなどの初歩的問題を別にすれば最終的に人の主観的美意識だろう。
魅力的であること、つまり愛されること。アートの本質とは、愛されるべきものを創造することだと僕は思う。愛するものは美しい。野に咲く花や抜けるような青空、恋人や家族のように。そして人生のように。」(岡田卓也 2008.11 〔文章の表題無し〕、「N.P.blood21 Vol.3 岡田卓也展」2頁)。
端的に主張を述べている。最後の段落は詩的でさえある。
或る対象を愛していなくても(上記引用文での「愛する」とはどういう意味なのだろう?)、「それは、魅力的ですね」と感じることはあると思う。「魅力的であることによって、愛されるようになること」が主張であろうか。なんらかの魅力があれば、愛されるようになる可能性は高いかもしれないが、魅力がなくても愛されることもあるかしれない。
あるいは、美しい作品だから愛されるのか。
あるいは、美しくなくとも、何らかの評価次元で秀でていれば、(供された絵画と観者との相互作用の結果、観者にとって)魅力を生じるのか。
この文の前にほうには、
「1913年はマルセル・デュシャンがレディーメイドという画期的な概念を発明した年である。以降、多くのアーティストが既成の概念を離れ、あらゆる材料、ジャンル、時代の先端テクノロジーなどを取り込みながら、新しい表現方法を追求することで、アートの本質を模索することになる。これが現代美術と呼ばれるものだ。〔略〕
人間がその五感のいずれかで知覚することさえできれば、アートとして体験する作品や空間を作り出すのに十分だということを雄弁に物語っている。」
とあり、現代美術の一つの流れを概括している。
或る概念(群)を提示することが概念芸術だとすれば、概念の提示や加工に便利な言語(広義。絵画的言語といったものが考えられるかもしれない。この場合は、『言語』の定義が問題になる)を用いて、作品を作ればよいだろう。(広義の)文芸作品になるだろう。
では、概念的作品と物体としての美術作品とはどういう関係になるのか。
絵画の魅力、愛、美
2008年11月15日~12月13日に北網圏北見文化センター美術館で開催された、「N.P.blood21 Vol.3 岡田卓也展」(600円)のA4版6頁の冊子の2頁目に、作者の岡田卓也氏による文章がある。
「いくら斬新な料理でも不味ければ意味が無いように、作品も魅力的でなければ意味は無い。それを左右するのは、時代性とか社会性にもよるけれど、テクニックなどの初歩的問題を別にすれば最終的に人の主観的美意識だろう。
魅力的であること、つまり愛されること。アートの本質とは、愛されるべきものを創造することだと僕は思う。愛するものは美しい。野に咲く花や抜けるような青空、恋人や家族のように。そして人生のように。」(岡田卓也 2008.11 〔文章の表題無し〕、「N.P.blood21 Vol.3 岡田卓也展」2頁)。
端的に主張を述べている。最後の段落は詩的でさえある。
或る対象を愛していなくても(上記引用文での「愛する」とはどういう意味なのだろう?)、「それは、魅力的ですね」と感じることはあると思う。「魅力的であることによって、愛されるようになること」が主張であろうか。なんらかの魅力があれば、愛されるようになる可能性は高いかもしれないが、魅力がなくても愛されることもあるかしれない。
あるいは、美しい作品だから愛されるのか。
あるいは、美しくなくとも、何らかの評価次元で秀でていれば、(供された絵画と観者との相互作用の結果、観者にとって)魅力を生じるのか。
この文の前にほうには、
「1913年はマルセル・デュシャンがレディーメイドという画期的な概念を発明した年である。以降、多くのアーティストが既成の概念を離れ、あらゆる材料、ジャンル、時代の先端テクノロジーなどを取り込みながら、新しい表現方法を追求することで、アートの本質を模索することになる。これが現代美術と呼ばれるものだ。〔略〕
人間がその五感のいずれかで知覚することさえできれば、アートとして体験する作品や空間を作り出すのに十分だということを雄弁に物語っている。」
とあり、現代美術の一つの流れを概括している。
或る概念(群)を提示することが概念芸術だとすれば、概念の提示や加工に便利な言語(広義。絵画的言語といったものが考えられるかもしれない。この場合は、『言語』の定義が問題になる)を用いて、作品を作ればよいだろう。(広義の)文芸作品になるだろう。
では、概念的作品と物体としての美術作品とはどういう関係になるのか。