生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

ぶらぶら病?

2011年08月30日 00時30分03秒 | 放射能
2011年8月30日-2
ぶらぶら病?

 岩上安見氏による一昨日の話では、放射線のせいか鼻血のでる子どもが多いというのはデマ(4月中旬あたり)ではなく、福島(県? 市?)では、実際に多くの子どもが、鼻血、発熱、下痢、体調不良になっているということだった。広島やチェルノブイリで起きた「ぶらぶら病」の症状なのか?

 さっき、「鼻血 放射能」で検索すると、6月16日に東京新聞が「子に体調異変じわり 大量の鼻血、下痢、倦怠感 「放射線と関係不明」 原発50キロ 福島・郡山は今」と題する記事が掲載されたようである。

 「上の子が一週間くらい毎日大量に鼻血が出続けていたので心配で…。下の子も、時期は違うけれど、やはり一週間くら鼻血が出て」。思い詰めた表情で母親(三九)が、医師に相談していた。
 NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」が十二日、福島県郡山市で開いた医師による無料問診会。放射線被害を心配する親子連れ計五十組が参加した。同市は福島第一原発から約五十キロ。
 この親子の場合、震災後いったん埼玉県内に避難したが、三月下旬に郡山市に戻った。すると小学校一年の長女(六つ)が、四月上旬から三週間、鼻血が出た。このうち一週間は両方の鼻から大量に出血。耳鼻科で診察を受けたが、「花粉症では」と言われた。「花粉症なんて初めて言われたし、普段は滅多に鼻血を出さないんですけど…」と母親は言う。長男(二つ)も四月下旬から五月に鼻血を出し続けた。〔略〕
 問診会場近くの植え込みで、放射線測定器をかざすと、毎時二・三三マイクロシーベルトの値を示した。地面から離すと一マイクロシーベルト台に下がる。郡山市内の十二日の最大値は一・三八マイクロシーベルト。東京都内で計測された同日の最大値が〇・〇六三五マイクロシーベルト。約二十二倍だ。市内の最大値は三月十五日の八・二六マイクロシーベルトで、五月中旬からは一・三マイクロシーベルト前後で推移している。
 文部科学省では三・八マイクロシーベルトが計測された学校では屋外活動を制限するとしているが、一方で年間の積算線量の子どもの上限値を一ミリシーベルトから二〇ミリシーベルトとしている。これは毎時一・三マイクロシーベルトの場所で一年間暮らせば十分に到達してしまう値でもある。」(東京新聞2011年6月16日)。


「リスク」って何だろう?

2011年08月30日 00時28分12秒 | 放射能
2011年8月30日-1
「リスク」って何だろう?


  「安井至・国連大学副学長(環境持続学)が興味深いデータを持っていた。生命を脅かす「リスク」を客観的に測る物差しを作ろうと、日本人に身近な三五の死因について一〇万人当たりの死者数を試算したところ、トップはたばこ、最下位はBSE(牛海綿状脳症)だった。
 上位集団はがん、肥満、心臓病、自殺などおなじみの死因が占め、マスコミをにぎわす原子力事故や食品添加物、電磁波などは、低リスク集団に集中していた。この「安井指標」を使うと、BSEのリスクはたばこの三六億分の一に過ぎない。」(元村 2007: 82頁)。

 死因というのは、個人の死についてのことである。原子力事故が個人の死に結びつくことは、低いということだろう。実際、福島第一原発事故でも、放射能による直接の死亡者は報道されていない。

  「原子力事故はどうだろう。これも、現場の作業員から原子炉メーカーまで、核物質を安全に制御するあらゆる手を打ったという前提で、このリスクの低さが保たれていることを考慮する必要がある。
 喫煙を禁止されている高血圧患者が、医者に隠れて「いいや一本ぐらい……」と煙草を吸っても、それは彼(女)個人の余命を縮める程度で済む。しかし、発電所で核燃料の管理をしている作業員が「いいや一本ぐらい……」と燃料棒を所外に持ち出せば、地域の人々が被曝の危機にさらされる。」(元村 2007: 84-85頁)。

 確かに、「核物質を安全に制御するあらゆる手を打った」のではないから、事故は起きたのであろう。そして、多くの人が外部被曝したし、内部被曝した。

 
[M]
元村有希子.2007.10.理系思考:分からないから面白い.349pp.毎日新聞社.[y1,500+] [B20071120]