生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

大本営発表、良質の情報を探し出す

2011年08月20日 23時33分29秒 | 生命生物生活哲学
2011年8月20日-3
大本営発表、良質の情報を探し出す

 今回の福島第一原発事故をきっかけとして、日本社会の様々な欠陥または不具合が明らかになった。
 マスコミによる報道はその一つである。

  「「大本営発表」体質とは、情報の意図的な隠蔽や歪曲や操作のことです。うそ、ごまかしのことです。〔略〕情報の隠蔽や歪曲をされたら、情報の有効活用どころの話ではないのです。〔略〕
 わが国では、今なお政治家や官僚、大企業を中心に「大本営発表」体質が色濃く残っています。彼らは都合の悪い情報は平気で隠したり、うそをついて知らん顔です。
 そうでなければ、薬害エイズ事件など起こりません。金融機関が倒産してはじめて、不良債権の額は公表された数字の十倍あっただの、巨額の簿外債務があっただの、粉飾決算だっただのといったうそが次から次へと明らかになる様は、敗戦後に「大本営発表」がいかに大うそであったかが明らかとなった構図と同じです。
 人は誰でも都合の悪いことはなんとかそれを隠蔽したいと思うものです。これは洋の東西を問わず変わりません。ですから、隠蔽がしにくいように、それが割に合わないように、厳しい監視と罰則のシステムが社会には必要なのです。またこれが確立してはじめて民主主義社会と言えるのです。〔略〕
 本来ならマスコミも重要な監視役なのですが、これが意外に当てにならないのです。記者クラブで公的機関から流された情報をうのみにして流すだけで、情報の歪曲や操作に一役買っているだけ、ということも少なくありません。
 また、いろいろな思惑から報道が差し控えられることもあります。」(中山治 1999『「ひとり勝ち社会」を生きぬく勉強法』: 35-36頁)。

 では、そのような日本社会で、どうすれば質の良い情報を得ることができるのか。

  「日本社会の「大本営発表」体質を打ち破って、活用度の高い良質の情報を探し出すにはどうしたらよいでしょうか。それには、非公式なメディアと外国メディアを上手に活用することです。これは公式メディアを活用するなということではなく、わが国の公式メディアの発表する情報を外国メディアや非公式メディアからの情報で厳しくチェックしろ、ということです。
 私が公式メディアと呼んでいるものは、記者クラブに所属するメディアのことであり、新聞とテレビのことです。非公式メディアとは、記者クラブからは締め出されているメディアであり、週刊誌や月刊誌がその主なものです。それ以外に、書物や口コミ、インターネットもそれに入ります。」(中山治 1999『「ひとり勝ち社会」を生きぬく勉強法』: 37頁)。


 
[N]
中山治.1999.「ひとり勝ち社会」を生きぬく勉強法:勝ちぬくためにどう知力をつけるか.227pp.洋泉社.[B000124, y1,500]


リスク論、科学社会学・科学技術社会学[本]

2011年08月20日 11時31分49秒 | 放射能
2011年8月20日-2
リスク論、科学社会学・科学技術社会学[本]

 立石裕二『環境問題の科学社会学』は、リスク論に触れているようだ。

 
[H]
*平川秀幸.2010.8.科学は誰のものか:社会の側から問い直す.256pp.日本放送出版協会.[生活人新書328][y777]


[M]
*松本三和夫.1998.7.科学技術社会学の理論.365pp.木鐸社.[y4,200]

*松本三和夫.2009.9.テクノサイエンス・リスクと社会学:科学社会学の新たな展開.378pp.東京大学出版会.[y5,250]

[T]
*立石裕二.2011.4.環境問題の科学社会学.312pp.世界思想社.[y3,360]

[Y]
*若松征男.2010.7.科学技術政策に市民の声をどう届けるか[科学コミュニケーション叢書].256pp.東京電機大学出版局.[y2,940]


養老孟司『バカの壁』

2011年08月20日 10時39分43秒 | 生命生物生活哲学
2011年8月20日-1
養老孟司『バカの壁』

 昨日読んだ、養老孟司『バカの壁』の個体は、奥付けに「2004年4月10日 54刷」とあり、丁度一年前の「2003年4月10日 発行」とあった。かなりの発行部数になるだろう。
 当方の解釈装置あるいは感性が、著者とはだいぶ異なるからだろうか、感銘を受けた箇所は無かった。
 下記の『武士に二言はない』の箇所については、皆目理解できなかった。

  「もし、現代人に、「人は変わる」ということだけをたたき込んだら何が起るかというと、「きのう金を借りたのは俺じゃない」と、都合のいい解釈をするだけです。〔略〕
 人間は変わるが、言葉は変わらない。情報は不変だから、約束は絶対の存在のはずです。」

 約束とか情報は、AさんとBさんが取り交わしたものである。
 情報を不変だとみなすのは、それに関わる人どうしでの了解事項である。
 ところが、万物流転(少なくともそのような定式化は、人の作りもの)ゆえに、人という物は変わるのならば、

  約束(t1)=約束(A(t1)、B(t1))
 [時点t1での約束は、時点時点t1でのAと、時点時点t1でのBとの間に取り交わされた約束である]

  約束(t2)=約束(A(t2)、B(t2))
 [時点t2での約束は、時点t2でのAと、時点t2でのBとの間に取り交わされた約束である]

 ところが、「人は変わる」を、たとえばわれわれの物質的構成は変化しているから、たとえば身体を構成している細胞たちは、異なっていっているから、人としても異なっているとすると、

  A(t1) = A(t2) ではなく、かつ、
  B(t1) = B(t2) ではない

となるとすると、昨日のBが、昨日のAに1兆円貸したとしても、現在のBは昨日のBではなく、かつ、現在のAは昨日のAではないのだから、たとえ貸したまたは借りたとかの記憶が現在のAとBに残っているとしても、別人に借りたまたは貸したということになるから、債務関係は無いことになる。
 情報を担っているのは、人であるから、人の(なんらかの)同一性が無ければ、情報の同一性も保証されない。「違う人に貸したんじゃないの?」と言われて、証文を見せても、「それは<昔のわたし>で今のわたしじゃない、<昔のわたし>と<今のわたし>は人として違います。<昔のわたし>に金を返してもらってください。」と言われるかもしれない。また、貸した方自身も変化しているから、今は貸している者ではなくなるが、請求者の資格が無いとするのが妥当だろう。
 これが会社間での貸し借りでも同等である。社長などの構成員が変わっても、会社の同一性を保っているのは、そのように見なすことを定めている法律などを保証している人どうしでの契約や契約の有効性を担保している制度である。
 情報とは、物体の模様 patternが、それは情報だ(という種類に属する)とみなされてその内容が解読されて(解読が可能なのは、人の二者どうしで共通する取り決めが存在するからである。たとえば古代文字についての解読では、間接的だが、そのような仮定があるから、可能である。)、具体的な情報内容となる。
 結局、力は人の同一性とその意思に帰着する。
 
 ところで、

  「温暖化でいえば、事実として言えるのは、近年、地球の平均気温が年々上昇している、ということです。」(養老 2003.4.『バカの壁』24頁)。

とあるが、はたして、「年々上昇」したであろうか? 「年々上昇」を、「地球各地の平均気温の値が毎年増加した」と解釈すると、そうとは限らないだろう。
 しかしそもそも、「平均気温」とは統計的な作りものであるから、事実 factというよりは、

  「全球平均気温は、上昇傾向にある」

という命題は本当 trueである、とするべきことである(「上昇傾向」としておけば、或る年に下がってもよい。たとえば5年移動平均で単調増加していればよい。こうすれば、反確証されにくくて良い)。すると、気温とはなにか、特に「地球平均気温」とは、実際の計算では何をもとにしているのか、が問題となる。
 ところで、IPCC第4報告で採用された模擬計算の元となった各地の気温測定値(と測定条件)や使われた(いくつの?)モデルは、公表されたのであろうか?


 
[Y]
養老孟司.2003.4.バカの壁.204pp.新潮新書.