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インターメッツォ: 信頼のベクトル安全と安心のはじめ ガリラヤの言い伝えと「≪私≫という感じ」 最終回 とうとう、この論文の最終回。ここまでお付き合いいただきました皆様、あり......
今宵も,Young man Luther P.216,下から2行目途中からです。昨日の心の習慣のところから少し飛びます。ルターが身に着けた心の習慣について,さらに話が展開します。クリスチャンにとっても,宗教とは無関係な人にとっても,1人の人間として独立して生きていきたいと願う人ならば,必須のところといっていいところです。
自我,意識にとって,永遠とは常に今,です。
ルターが,いまここにスピリットがある点と,いつでも初め(始まり)に立つ点(semper incipere ラテン語で,「いつでも,始まりに」)を強力に強調したことは,単に,信頼の舞台,というだけではなくて,精神分析が「自我の強さ」と呼んだ心の状態を支配する質の高い1つの心の習慣にもなります。質の高い心の習慣を心得た自我・意識にとって,過去は,もはや差し迫った悲しき運命へと至る準備として経験された過去ではなくなり,変えられない過去でもなくなり,むしろ,過去は,忘れ,偽り,理想化することを便利にゴチャマゼにすることによって,過去を現在にとつてなくてはならないものになる,いつも今ここにある心から自由な勝利の一部になります。ただし,知らぬ間に,思い込みに流されることもありませんし,わざとウソをつくこともありません,高い質の心の習慣を身に着けた自我,意識は,過去の失敗も過去の失態も,甘んじて受け入れる場合もありますし,将来に無理は求めないようになります。高い質の心の習慣を体得した自我,意識は,今どきの,間違った物の見方に対しても鷹揚な構えをなくしませんし,疑いや心配事に抗して考えてみても,なかなか確かなことが思いつかない不確かさに対しても,いまここが無傷の場であることに似た,今ここにある繋がりが一番確実な絆である(訳注:毎日の)経験が一番確かなことを(訳注:過去を思い出すときに)思い出すによって,防ぐことができます。質の高い心の習慣を心底理解した健全な自我,健全な意識にとって,時間の流れは,そのまま,自分が確かにされる時の流れになります。ですから,質の高い心の習慣を体現した健全な自我の人,全うな自覚のある人は,そのようにして,死ぬことが怖くなくなります。(フロイトが熱心に,そう指摘してますでしょ) 質の高い心の習慣が腑に落ちた健全な自我の人,全うな自覚のある人は,死ぬことを考えません。しかし,質の高い心の習慣を実現した健全な自我の人,全うな自覚の人は,悪い良心,いろんな本能的衝動,現実に対する,「いまここで心から自由な勝利」をなくすことを恐れますね。この3つに対する戦いに敗れますとね,負けた自我の人,負けた意識の人は,生きる屍,生きてても魂の抜け殻です。逆に,この戦いに繰り返し勝つことは,自我,意識が,「自分は,いつでも自分自身の人生を始めることができるぞ」と思う天にも昇る心の習慣になります。神学的に言ったら,creaturae procedunt ex deo liberere et voluntarie et non naturalier. (ラテン語で「生き物は神様から,自由意志によって生まれるのであって,自然に生まれるわけじゃない」) 生きているものは,神様から自由に,自由意志によって,生まれるのであって,自然に生まれるわけではありません。つまり,生きているものは,生物学的には説明しつくせるものじゃあないんです。
人は,今ここで心から自由な勝利を味わいながら生きると,自分自身の人生をいつでも始めることができます。自分の中で,魂,スピリットがいつも生きているからです。今ここで心から自由な勝利の,元の英語は,a present masteryですが,これは,「いまここを生きているイエス・キリスト」とも訳せる多義的な言葉です。それは,聖書の神様が「いまここを生きている存在」という,お名前とも関係します。言葉の魔術師,エリクソンのなせる業ですね。
エリクソンは,もともとドイツ語を話していましたし,英語もマスターしましたでしょ。それに,ここにも登場しますけれども,ラテン語も勉強していますし,ギリシャ語も教養人として学んでいたんですね。ですから,一つの言葉を掛詞にして,重層的につかいますから,翻訳者泣かせのところがあります。
また,英語で奇妙な言い回しをすることがありますけれども,それは,ラテン語やギリシャ語で表現することを,英語で表現しようと苦心した跡である場合が多いです。ですから,一層翻訳者泣かせです。その辺の事情が分からない西平直さんらが,チンプンカンプンな翻訳しかできないのは,こういった事情が背景にありますね。
いつも今ここにある心からの自由な勝利を味わいながら生かされている人は,いつでも自分の人生を始めることができる,という天国に上るような質の高い心の習慣を身に着けて,イキイキ,ぴちぴち人生を陽気で楽しく生きられます。
いつも今ここにある心から自由な勝利ができず,悪い良心,いろんな本能の衝動,現実の3つとの戦いに敗れると,生きる屍,生きているのに,魂の抜け殻でしかありません。
企業不正に手を染める人も,お馬鹿なルールを子どもに押し付ける教員も,猟奇的事件の容疑者も,悪魔の安倍詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちも,魂の抜け殻である点で,共通しています。皆,ご親戚筋です。