インターメッツォ: レクティオ・ディヴィナ : 素直で、新発見に感動するスピリット
2人の子どもを大事にしましょ 基礎と臨床、2つの視点 宇沢弘文教授がなくなりました。86才。「行動する経済学者」と言われていたそうです。いく......
新聞,テレビなど,マスメディアは,座間市の殺人事件でもちきりです。
なんでこんな事件が起きたのか,よく理解できないものだから,やれ「SNSの自殺サイトがいけない」,「容疑者がやっぱり異常だ」,「行方不明の人って,こんなにたくさんいるんだ」…など,私に言わせれば,的外れな,話を小さくする議論が目立った感じがします。それは,自分が一応理解した範囲でしか,事の次第を整理することができないからだと感じましたね。
それに対して,ヴァン・デ・コーク教授が次のように言っていることは,非常示唆的だと感じましたので,訳語を若干訂正して,再掲し,もう少し議論をしたいと考えました。
「
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第12章。「思い出すのが,耐えられないほどの重荷」です。p.188,第5パラグラフ から。
トラウマがもたらす結果を認めなければ、社会の仕組みが台無しになります。戦争や「弱い立場の人,自分の弱さ」に対する不寛容がもたらす被害に正面から向き合わなかったことが、1930年代に世界中でファシズムと軍国主義の台頭をもたらすことに繋がっていましたね。ヴェルサイユ条約が科した法外な戦争賠償金のせいで、既に苦しかったドイツが、さらに屈辱を味わわされることになりました。、ドイツ社会がドイツの、戦争でトラウマを負わされた退役軍人に対して、容赦ないヒドイ取り扱いをすることになりました。戦争でトラウマを負わされた退役軍人たちは、どうしようもない奴等だ、ということにされました。力がない弱くされた人たちに、屈辱を垂れ流しにしたことが、ナチ体制下で人間らしい正義(人権)を蹂躙する舞台を作った訳です。また,強者が弱者に支配することを道徳的に正当化し、それに続く戦争の根拠までを作ったんです。
」
これを今のニッポンに当てはめると,次のようになります。
「 発達トラウマがもたらす結果を認めなければ,ウソとゴマカシが社会に溢れ,訳の分からない猟奇的事件が続きます。弱い立場の人を蔑ろにしたり,罪を犯した弱い立場の人を厳罰化すれば,悪魔の安倍政治が戦争準備をする手助けをすることになります。それは,「生活保護は許せねー」,「非正規労働者はごまかして非正規労働者のままにして,給料は上げませんから」,「原発や水害の避難民のことは忘れましょう,いまは,オリンピックでしょ」,「沖縄は日常生活と関係ないから,遠巻きしときましょう」,「発達トラウマ障害DTDの子どもがパンデミックして,心の病や猟奇的事件の温床になってても,見て見ぬフリをしてきましょう」,「学校が子供を虐めていても,見て見ぬフリをしときましょう」「会社で製品偽装してても,見て見ぬフリをしときましょうよ」…と人間らしい正義(人権)を蹂躙する舞台を作り,強者が弱者を虐めることを道徳的に正当化し,戦争の根拠まで作ることになります」
低賃金長時間労働のために,赤ちゃんが母親を失っていることが,発達トラウマ障害DTDのパンデミックをもたらし,学校が「お馬鹿なルールを子供に強制」することで,発達トラウマ障害DTDの子どもを一層いじめて,病態を悪化させていることを,見て見ぬフリをした結果が,社会にウソとゴマカシを溢れさせ,酒鬼薔薇聖人,秋葉原無差別殺傷事件,津久井やまゆり園事件,座間の殺人事件などの猟奇的事件を次々ともらたしている現実を直視し,発達トラウマ障害DTDの子どもを丁寧にケアできる社会に作り直さなければいけない,今です。