エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#神様の約束通りに自由に #思い通りに自由に #エリクソンの神髄の要約 #日常生活を礼拝にする完璧な公式 #日常生活を礼拝にする完璧な祈祷文

2017-11-28 18:28:54 | エリクソンの発達臨床心理


 Identity and the life cycle  p.68の,第3パラグラフ。

 翻訳のし直し。

 

 

 

 

 

 この2番目の舞台が,全ての舞台,一生涯にわたって大事なのは,

1) 筋肉全体が発達する

からですし,

2) その結果,「我慢する」「思い通りに自由に出す」といった,様々にぶつかり合う活動パターンが共に働くことができるようになる「我慢する」と「思い通りに自由に出す」両方を一度に感じるなんてできない話でしょ)

からですし,

3) まだまだ人に頼りきりの子どもが,自分の思い通りに自由に≪私≫を生かして,自分から歓んで関わりを始めても善い,という意志には,常識外れの価値がある

 からです。

 

 

 

 ここはとてつもなく大事なところです。

 ここも,エリクソンの神髄を要約したところです。

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#心から自由な人 #新しい人

2017-11-28 15:56:02 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 「筋立てを作る」遊びに、子どもの「時間と空間」が出てきました。今日は、Seeing is Hoping. 「見ることは、望見ること」の第5段落、p.44の7行目です。組立遊びの話題に戻ります。翻訳です。





 「中心的な葛藤が一つ」あり、その子どもが経験した「発達的な危機」の特徴を示しています。ロバートの組立の場合、そのノッポな構造は、私どもが主張したように、感情転移した自己主張を示すダンスのしぐさを表しています。その感情転移した自己主張は、両端に暗示されている葛藤やトラウマを克服するのに役立ちます。中央には、成長しつつある一人の少年のイメージがあります。そのイメージは、体格が恵まれていることと元気を、理解力や学習能力と一体にする新たな方法を身に着けようとしています。しかし、すでに記しましたように、この少年が、身体表現と勉学とに折り合いがつけられるか不安でいることは、彼の文化的・歴史的状況にも大いに及びます。この「新しい少年」は、「新しい人」、すらわち、自由になった大人の生まれたてのイメージを含みます。もしそうなら、教師の言葉は、新しい仲間たちからの支援を予言するものとして、とにかく贈り物なのです。そういうわけで、全体の出来事は、小さな世界の中で、新たに自分を確かにする要素(新しいアイデンティティの要素)を、新しい仲間たちに対する感触を感じながら試した、一つの実験なのです。しかし、このような根源的な場のテーマは、過去のトラウマと、未来の希望の側面だけではなく恐れの側面に対する解決策とを関係付ける、時の座標軸を含んでいます。ここではじめて推測できることは、この少年がその教師に対してもともと不満に思っていたことには、ある恐れが含まれていただろうということです。たとえば、僕は、こだわっている(固着した)辛い過去に運命づけられていたらどうなるのだろう? 体と頭を一緒に働かせることができなかったらどうなるんだろう? という恐れ。さらには、僕は今、小さな、新しい人になろうとして、僕の力ではどうにもならない周りの状況が、僕を助けることにどうしてもらなかったら、どうなるだろうか? 僕はつまらない人物なのかな? つまらない人物のままなのかな? 結局、くだらない人物同然なのかな? という恐れ。 それにもかかわらず、両手を広げて、天使のような笑みを浮かべ、感情をあらわに踊る姿は、新しい、特別な天分を携えた人として、誰かに時には愛されてきた感じを表しています。そのような過去の体験なしには、未来はないも同然です。このように、繰り返し悲運になりそうだったことが、現在においては、楽しい自己コントロールを通して、天が約束してくれた再生へと変化するのです。多分、人は成長したら健全になるのでしょう。そうして、愛し愛される者となるチャンスがあるのです。このような目には見えない化学式によって、実に多くの子どこたちの顔に、忘れられないほど素敵な笑顔が浮かびます(私はこれを、心の奥底から輝く笑顔、と呼びたい)。その時、組立が「できた」と子どもたちはハッキリ言葉にします。





 子どもは、遊びながら、実に様々なことをイメージしていることが、ロバートの組立遊びの例を手掛かりに、エリクソンは具体的に示してくれています。ロバートのケースはこの論文の直前の論文The Toy Stage(遊びの舞台)で取り上げられています。以前の翻訳にも一度出てきましたね。ロバートは5歳の黒人の少年で、ダンスは得意だけれども、勉強に苦手意識がありました。
 エリクソンは、発達課題とは普通言いません。今回の翻訳の冒頭に「発達的な危機 developmental crisis」と出てきましたね。その危機とは、「自分はもうだめだ」と思わざるを得ない過去の経験、トラウマに負けてしまっている状態です。
 しかし、子どもは(組立遊びなどの)遊びの中で、イメージ、話し言葉、体験を結びつける実験をすることを通して、自分の辛かった体験が、「新しい人」へと再生させてくれる体験に変わります。そのときはじめて、子どもは、「できた」と言って、ニコッと笑います。その笑顔は、エリクソンによれば、心の奥底から輝く笑顔だと言います。
 この場面は、エリクソンのキリスト者としての面目が躍如している部分です。「新しい人」は、大江健三郎同様、「エフェソの信徒への手紙」第2章15節が連想されます。子どもの言葉の「できた all done」は、イエスが十字架上で言った最後の言葉「τετελεσται all done」と同じです。それに、再生≒復活は、「天が約束して」くれているものです。
 それではまた。
 

 

 

 

 

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#自由 #隠す必要はない #隠れているものもバレル

2017-11-28 10:35:04 | 間奏曲
 
笑い: 本物のクリスチャンの目印
   お客を騙すのも仕事の内  を卒業しようよ   鴨武彦教授  鴨武彦教授のお写真を、インターネット上に探したけれども、見つからないので、先生の岩波新......
 

 

 先ほどブログで,心の中のものは,すべて善,としました。

 でも,多くの人は疑問に感じたのではないでしょうか? その意味では,私の文章自体が非常識です。

 でも,『旧約聖書』の最初に出てくる「創世記」という創造物語の中で,神様が森羅万象を創造されたときに,創造されたものをご覧になるたびに,神様は「良しとされた」(新共同訳)。

 すべて善,ということではないですか?

 ですから,その神様の創造の秘密を信頼して,思うままに自由に関わりを始めることに,奇跡のような働きがある,ということですね。

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#聖書の言葉 #1人豊か #隠れた恵み

2017-11-28 09:48:47 | 聖書の言葉から
 
発達トラウマ障害(DTD)研究 : DSM編纂と、ヴァン・デ・コーク教授の関わり
  信頼も、不寛容と残忍さに落っこっちゃう   真理はあなた方を自由にしてくれます  子どもって、不思議な存在ですね p225の第2パラグラフ。      ......
 

 

 今朝も,Out of solitude,p.43から。

 

 

 

 心から人を大切にする大きな恵みが,深く隠されているんでしょうか?

 

 

 

 

 

 なぜでしょう?

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#マインドフルネス #あんたキモワリー

2017-11-28 07:58:22 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
陰口を言う人が、子どもっぽい訳
   受苦せし者は学びたり   上辺の付き合いが好きな日本人  何でもかんでも消費していると、問いを問うことを忘れちゃう。すると、自分の頭で考えることも......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は収入によっていろいろです。世帯所得によって,ワンセッション500円(家庭保護世帯,母親のひとり親世帯など)~30,000(年収1,000万以上)


 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?

 第16章。「自分の体の中に留まるようになること:ヨガ」です。p.266,5行目と。

 

 

 

 

 

 

 そのように気功をして,30分を過ごしました。時々,床についてる足の感触,胸が広がる感覚,呼吸とつながる感覚について,アニーに訊きました。アニーの呼吸が,しだいに,ゆっくり,深くなり,表情は柔らかくなり,背中はちょっと真っ直ぐに,視線は喉ぼとけまで上がってきました。私は,圧倒的な恐れを抱えた人を感じだしました。結局,アニーは幾分リラックスして,少し笑顔も見せました。部屋には我々2人だと気づきました。私は,今日はここまでにしてはどうですか,と何となく示しますと,というのも,これでもう十分だろうと思ったわけですが,1週間後にまたお出で下さいと言いました。アニーは頷いて,ぼそっとつぶやきました,「あんたキモワリー」と。

 

 

 

 

 

 アニーも,体感と言葉が非常にずれてますでしょ。エリクソンが言うように,体感と言葉がずれるのは,それだけ恥ずかしい思いをさせられてきたからに違いありません。

 「キモワリー」は,そのが出た言葉です。

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