「希望がない」と感じる日の希望 と 開かれた心やり取りがあると当時に、イキイキ・ピチピチ生きる現実 セルゲイ・ナルイシキン さん セルゲイ・ナルイシキン さん 。ご存じですか? 私は知り......
今宵も,Young man Luther P.219,下から2番目のパラグラフからです。昨日のところから少し飛びます。
エリクソンは,ルターが宗教改革で行った神学上の革命が,実は,人間の心の習慣の革命に繋がっている,と主張します。その部分はあえて飛ばして,その後からです。まぁ,いずれ公開できる日も近いとおもいますけど。
こういった,善意の暴力で他者を支配する繋がりのある心の習慣に反対して,ルターは,全うな一新された心の習慣に従って,自分がまず関わって,相手のために,1つのことを全うするスピリット,魂を,繰り返し強調したんです。良いことをしたからと言って,人が正しい人(義人)になるわけではありません,とルターはいいましたでしょ。人間がいろいろやることが,正しいのは,ご当人が正しい人(義人)である場合です,quia justus, opera justa ラテン語で「正しい人だから,やることも正しい」。ルターは,聖書の一つの言葉をゲルマン風に言い換えて,次のように言います,「もしも,皆さんが実際に奇跡を起して,あのトルコ人たちすべてを絞殺し(alle Turcken erwugkist),ドイツ語で「すべてのトルコ人を絞め殺せ」,大切に思う気持ちに対して罪を犯したら,皆さんにお役に立つでしょうか? 役に立つはずないでしょ」と。
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ルターの仕事に対する言い換えには,1つの心の真実が隠れています。「うまく働く意識」のある人々が良い仕事をするのは,やらねばならぬことを,その人が「本気で」した時です(理由や目的のいかんに関わりません)。これは,いかなる手段を用いたとしても,簡単に相手と話がつくことじゃありませんね。私どもは,「強い意識」という言葉にあまりとらわれすぎるない方がいいでしょう。心から納得できないなら,いま手を染めているその仕事をすべきではありませんね。良い仕事は,効率面から,そういう場合もありますよ,しかしながら,効率的に良い仕事は,悪しき仕事です。大切なのは,効率的に仕事をしたか,ではなくて,その仕事をする人が,腑に落ちるくらい納得できるヴィジョンの中に,自分は生かされている観点から,良い,ということです。(訳注:その時には)働く人本人の良さが,仕事上の技術的な良さに生かされていることでしょう。それは,熟練した作業過程すべてをひっくるめたもの以上のものがありますからね。仕事のスピリット,仕事の魂,が大事だ,とルターが言ったときに,ルターは,マルクスの先を行ったことになります。しかし,もちろん,政治的な意味でも,経済的な意味でも,腑に落ちるくらい納得できる新しいヴィジョンの新たな地平が展開する,とルターが見通していた,ということではありません。ルターは,皆が心から納得できるヴィジョンが新たな地平を展開するのを求める,心からの自由を人々が手に入れるのに役立った,と言いたいだけです。ルターの視点は,プロの仕事人の視点です。ルターは,1つの手塩にかけた,良い仕事は,自発的に自ら仕事に取り掛かり,人様のためになる仕事を,最初から最後まで全うできる,自分にとっても,人様にとっても,お互いに善い生き方だ,と考えました。しかし,また,質の悪い仕事とは,(訳注:悪いと分かっているのに)仕事を止められない,無期懲役の牢獄になる,自分にとっても,人様のとっても,お互いに,質の悪い生き方だと考えました。
いまの不信と激怒に満ちたニッポン人が,牢獄につながれた奴隷であることが,魂の抜け殻であることが,質の悪い仕事に飲み込まれていることが,痛いほど示されたところです。