脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

五月病?

2009年05月29日 | 心の葛藤
(リンク先はパソコンでご覧ください。)

もうすぐ5月が終わります。

5月は精神的にとてもつらい月でした。

1ヶ月がとても長く感じました。

4月に環境が変わった社会人や新入生たちが、
今までの緊張やがんばりが一段落して、どっと疲れが出て
うつになりやすい5月。

5月は、人にとって精神的な疲れが出る月のようです。

それは新入生でも新社会人でもない
病人でしかない私にとっても、同じようです。

5月は世間はゴールデンウィークでウキウキする月だというのに、

私の気分は沈んでばかりでした。

いろいろなことが重なって、気持ちがいったんブルーになると、
なかなか気分が回復してきませんでした・・・。


体調や天気の悪化も加わると、それは自分のせいではないのに、
自分を責めて最悪な気分になります。

過去のことを思い出したり、
健康で楽しそうな親子づれや、
幼い子を連れた若いお母さんを見ると、
なぜか、とてもとてもつらくなり泣きたい気分になりました。

テレビで活躍する自分にはない健康と成功を、
若くして手にいれている人の姿は、
見ていてどうしてもつらくなりました。

人と自分を比べても仕方がないことは頭ではわかっていても、
どうしようもありませんでした。

石川遼選手や、浅田真央選手を見ると、
つらくてたまらなくなり、見続けることができず、
チャンネルを変えてしまうほどでした。

以前はオリンピックがつらくて見ていられなかったことがありました。

その時は軽やかに動く選手を見るだけで、落ち込んで涙がでましたが、
その時ほどひどくはないのですが、やはり健康な精神状態ではないようです。

脳脊髄液減少症になりながら正しく診断もされず、
病名もなく、治療もされてこなかった月日は

「患者として生きる」ことさえ許されず、
「病人としてさえ」認めてもらえず、

ましてや「被害者として救済の対象としても」認めてもらえず、

昔の事故での脳脊髄液減少症患者は
人としての、あらゆる権利を奪われ続けていたのです。

いまさら、病名をもらったところで
今ごろブラッドパッチという治療に出会ったところで、

私の貴重な人生の時間は戻ってきません。

私以外にも、長期間病名ももらえず、医師にまともにむきあってもらえず、
助けてもらえなかったことで
体の苦しみのみならず、心にも深い傷を負っている患者様もいると思われます。


5月は
私も過去を思い出したり、
いろいろあって後半泣いてばかりでした。

かなり精神的にうつになっていると自分でも感じましたが、
自分ではどうすることもできませんでした。

思えば今年になってから、いろいろとつらいことが重なり、
なんとかそれを乗り越えようとがんばり続けてきました。

それらが峠を越えたところで、

季節の変わり目も重なり、いろいろ現実の世界での出来事が
新たに起こり、

今までの張り詰めていた心の糸がプツンと切れて、
がんばりと忍耐の精神的な疲れが、一気に出てしまったのかもしれません。

今週の25日になって、気持ちが少し明るくなりましたが、
気分の波はまだまだです。

こんな時は精神科医を受診して
少し抗うつ剤でもためしてみれば、元気がでるのかもしれないけれど、

医師に相談するにも受診するにも時間もお金もかかり、
待ち時間も考えると受診する気さえ、おきません。

気持ちが自然に回復するのを待つしかないと思います。

季節の変化も無関係ではなさそうです。

数人の知人がこの季節にいっぺんに亡くなりました。

病人には季節の変わり目は心も体も何かと危険なようです。
私を今支えてくれている人たちも、いつかは死んでしまうのかと考えてしまい、
ました。

こんな5月、心を癒し支えてくれたのは、
自然界の植物、動物たち、そして、
ネット上の同病の患者さんたちの存在でした。

闘病中の病人にも容赦なく押し寄せる
大人としてこなさなければならない日常の数々の事、
大人としてやらなければならない、さまざまな役割と与えられる課題。

それを、目に見えない本人しかわからない障害をかかえつつ、
こなしていくことの困難さ。

それが思うようにできない自分。
そのできない自分、人に迷惑をかけている自分が自覚できるから、よけいにつらいのです。

決して怠けているわけではない。
決してさぼっているわけではない。
わがままなわけじゃない。

決して依存心が強いわけではない。
決して不真面目なわけでも、
ふざけているわけでもない。

「できない」のです。

しかし、そうは見てもらえない。

脳脊髄液減少症は
他の病に比べて、残酷な病態だとつくづく思います。

脳脊髄液減少症で悪化する前は、
こんな私ではありませんでした。

人を待たせたり、迷惑かけたり、義理を欠いたり、
なんでも人の助けを必要とするような、そんな人間ではありませんでした。

子供のころから、人の気持ちを先まわりして読んで、
必要以上のことまでこなし、なおかつ人の面倒も見るような
人を困らせることのほどんどない子でした。

ほめられることはあっても、叱られるような、非難されるようなことはほとんどないまじめな子でした。

大人になってからも、
こんなに悪化する以前は、がんばりやのまじめな義理がたい人間でした。

症状を抱え人生を翻弄されながらも、必死で人生を立て直そうと
努力してきました。

それが、この病になってから、時間も守れず、約束も守れず、
がんばろうと思ってもがんばれず、
やらなければならないことがわかっていても、なかなかとりくめず、
優先してこなすべき問題も後まわしになり、

片付けもできず、整理整頓もできず、オシャレもできず、
服のコーディネートもできず、

お歳暮もお中元も年賀状も苦痛になり、社会一般のおつきあいもできず、

着替えも、歯磨きも、洗髪も、
疲れと気力がなく、まともにできないこともあり、
自分の世話が満足にできないこともあり、

はたからみれば、
日常生活も労働も、大人としての義務も、常識も、
冠婚葬祭の人間関係のおつきあいも、
満足にできない、

「ただのだらしがないひきこもり人間」にみられるようになってしまいました。

脳脊髄液減少症とわかるまでは、
なぜ自分がこんなにも「ダメ人間のように」なりさがってしまったのかわかりませんでした。

でも、病名が判明して、
私をそうさせた脳脊髄液減少症という原因がわかり、少し気が楽になりました。

でも、今も、この知られざる「脳脊髄液減少症」という真犯人に気づかないまま、
周囲から責められ続け、叱られ続け、ダメ人間扱いされ続け、
自分も自分を責め続けている患者さんたちがこの世にいるかもしれないと思うと
いたたまれません。

自分のこともきちんとできなくなり、
大人として周囲から、ダメな人間。
礼儀しらず。
付き合いが悪い。
自分勝手。
調子がいい。
怒りっぽい。
感情に波がある気分屋。
大人として常識がなっていない人。
忘れっぽい人。
だらしがない人間。

時間を守れない人間。
約束を守れない人間。と

病の症状のせいで私と同じように、
ダメ人間と誤解され続けている患者さんが
この日本にどれだけいることでしょう?。

できないことは本人のせいではなく、症状のせいなのに、
しかも本人に落ち度のない交通事故によるものなら、
なおさら本人のせいではないのに、

人からも自分自分からも、「ダメ人間のレッテルを貼られ」責められ続けることは
あまりに悲しいことです。

私も、あの交通事故にさえ遭わなければ、
こんな見えない理解されにくい、
脳脊髄液減少症という障害を負うこともなく、

私という人間の評価もこれほど下がっていなかったでしょう。

悔しさと悲しさとでやりきれなさで、心も体も固まってしまい
動けなくなります。

過去は変えることはできない、
未来は変えることができる、
悩んでもしかたがない。そう自分に言い聞かせても、心の葛藤はなかなか消えないのです。

ただ、泣いて泣いて、気のすむまで泣いて、
自分で自分の心が自然に立ち直るのを待つしかないのです。

自分の意思ではどうしてもできないことを、
健康な人から理解されず責められることは本当につらいのです。

できない自分、人に迷惑をかけている自分が自覚できるから
よけいつらいのです。

患者はどんな世界に住んでいて、
どんな風に日常生活を障害されているのか?といった、
ひとつひとつを詳しく説明しなければ、世間の健康な人たちにはわかってもらえないと思います。

でも、説明するには多大なエネルギーがいるし、言葉にするのは非常に難しいのです。
今は書く気も説明する気も起きません。

でも、後に続く患者さんのためにも、
大人以上に表現できないと思われる、子供の患者さんの誤解を解くためにも、
いつか、詳しく書かなければと思います。

ただ、
脳外傷の高次脳機能障害ほどではありませんが「発動性の低下」があることや「成人ADHDにみられるような、常識では理解しにくい、できることとできないことの落差」に似た状態
似た状態があることは私自身が自覚しています。

ですからこれらの障害について学んでいただければ、
脳脊髄液減少症患者の置かれている状況が、少しは理解していただけるかもしれないと思っています。

脳脊髄液減少症でこれらの誤解を体験した患者様だけは、
うまく言葉で表せなくても、
私の言っている意味がわかっていただけるかもしれません。

でも、自分のそういう異変に気づいているのは、ごく一部の患者だけかもしれません。

本人すらもこれらの症状は、激しいからだの症状に隠れて
なかなか自覚できないと思います。

体の症状も精神症状のダブルパンチ、しかも
どちらも理解されにくく、表現しづらいものばかり。

おそるべき病態です。

しかも、ブラッドパッチしたからといって、
これらの見えにくい脳機能障害が、一気に改善するわけではありません。

私の経験だと、体の症状同様、改善にはかなり時間がかかり、
数ヶ月単位、年単位でよくなる感じがします。

でも、その間、

患者は、
見た目普通の人に見えるから、
患者だからといっても、
大人は大人としての当たり前の対応を常に求められます。

子供はこどもで、治療したのだからもう大丈夫でしょう?と
普通の子供達と同様のことを求められるかもしれません。

しかし、脳脊髄液減少症患者は見た目に反してすべてが
健常者のようにスムーズに運ばないことが多いのです。

日によっても、時間によっても、お天気によっても、
まるでパーキンソン病の患者さんのように、症状が変化します。

周囲の理解と支援が絶対必要なのです。

物事をするにも、
自分が気が向いた時に調子の良いときに自分の体調に合わせてすることと、
自分の調子とは関係なくきめられた予定をこなすこととは
できる内容も量も全然違ってくるのです。

自分の好きなことと、嫌いなことをするにも、
健常者以上に意欲や発動性に差が出てしまうのを自覚しています。

精神状態にも体調にも波があります。
それは自分でコントロールすることはできません。

天候や生理周期などに翻弄され、
患者個人の努力や自己管理でとうなるものでもありません。

思うようにできない自分が自覚できるから、よけいつらいのです。

いくら病のせいだと頭でわかっていても、
かつての自分と今の自分を比べて
なんて自分はダメなやつなんだって・・・・自分をさらに追い詰めます。

「ブログは書けるくせに!」
「書いている病状とやっていることが一致しない。」などと
かつてコメントで批判されたこともありますが、

健康な人から見たら、そう思われてもしかたがないと思います。

私が逆の立ち場だったら、同じように疑問に思うと思います。

「関心のあることはできるくせに。」
そういう言葉が自分の中からも、
「他のことがまともにできない自分」を責めたてます。

そういう思いがいったん起こりだすと、
唯一の私の逃げ道である、このブログすら、
書くことに、罪悪感を感じてしまいます。

他のことが満足にできないのに、
こんなことをしていてはいけない、

「書いてはいけない」、と思うと余計にストレスがたまり、
さらに精神的につらくなります。

書いてはいけないと思いつつも、
ここしか自分の思いを吐き出すところがないから書き続けていますが、

こんなことばっかりやって、他がまともにできないダメ人間、優先順位が違うだろう、という自分の中からの声は止まりません。

自分で自分を責め続けて、自己嫌悪に陥ります。

この、悪循環に陥ると這い上がるのがかなり難しくなります。


こんな私から
世の中の皆様にお願いがあります。

脳脊髄液減少症の患者ができないことがあったら、

それがまるで好きなことはできて、都合の悪いことはできないような、
常識的に理解できない怠け者のような、
依存心が強い人間の甘えのように見えても、

もしかしたら脳脊髄液減少症患者が
脳外傷ほどの低下ではないくても
「健常者よりは意欲や発動性が低下しているような状況」や
「成人ADHDでおこりがちな、できることとできないことに差があるような」ことと似た状態にあるせいかもしれませんから、

どうか、頭ごなしに叱らないで、怒らないで、
さりげなく、フォローして手助けして、できる方向へ導いてあげてほしいのです。

患者の好きなこと、関心のあることはできているように見えて、
都合の悪いことはできない患者が自分勝手なように見えても、
すぐさまあきれたり、軽蔑したり、叱ったりせずに、
なかなかとりかかれない、できないように見受けられることは
さりげなく助けてあげてほしいのです。

グズグズしていると思えることは、もしかしたら、
「なかなかとりかかれない障害」かもしれないですから、

「手伝うよ。」「一緒にやろう」と声かけして
やる「きっかけ」をつくって、患者を励ましながら
患者の自尊心を傷つけないようにしながら、
手伝いながら一緒にやってあげてほしいのです。

脳脊髄液減少症の脳機能障害は
いつか、治療効果がじわじわ出てきて脳機能が回復する可能性があるのですから、

いつか年齢相当に、自分一人ですべてテキパキ物事をこなせる日がくることを信じて、

その日まで
寛大な気持ちで、脳脊髄液減少症患者を見守って助けてあげてほしいのです。

長年放置された後に、脳脊髄液減少症とわかり、さまざまな経験を通して、

他の病にはない脳脊髄液減少症の
誤解されやすい特異な特徴にいろいろ気づきつつある患者の私からの お願いです。




こんなうつうつとした5月でしたが、

お天気が晴れるのを待つように、
自然に気持ちが晴れてくるのをひたすら待とうと思います。

でもまもなく、
脳脊髄液減少症患者には試練の
低気圧ばかりの毎日の梅雨時なんですよね・・・・・


追加

きのうの朝日新聞にまた、「患者を生きる」へのご意見の募集記事がのっていました。
締め切りは5月末日だそうです。

詳しいあて先はこちらの記事内に書いてあります。
脳脊髄液減少症患者様の、この機会にマスコミへのご意見の投稿を、
再度この場でお願いさせていただきます。

どうかひとりでも多くの脳脊髄液減少症患者たちの声が、朝日の「患者を生きる」担当記者様に
伝わりますように・・・・。
コメント (11)
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