脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

戦争体験者、過去の歴史の被害者との共通点、脳脊髄液減少症

2020年08月18日 | 心の葛藤
脳脊髄液減少症の文字がこの世に存在しなかったころ、
交通事故に遭い、
脳脊髄液減少症を発症しながら誰にも症状を理解されず、生きてきた私。

私と同じ時代か、それ以前に脳脊髄液減少症を発症した患者たちは、
年々高齢化していく。

当時の医師からうけた、無理解によるハラスメント、無理解つらさは、

脳脊髄液減少症の、症状に勝るとも劣らない辛さだった。

当時の脳脊髄液減少症患者の実情を伝えられる年齢、体力、気力、能力、環境にある人はその時代の脳脊髄液減少症患者のごく一部にすぎないだろう。

その氷山の一角の人間も、年々高齢化し、伝えられなくなり、
やがて死に絶えて行く。

まるで国はそれを待っているかのようだ。

戦争中の事を知る人たちが死に絶えた時、どうやって当時の惨状を、次の世代に伝え、教訓を得てもらうのだろう。

それと同じで、当時の見過ごされた交通事故被害者としての脳脊髄液減少症患者が受け続けた理不尽な仕打ちを、
どうやって若い人たちに伝え、そこから教訓を得てもらえるんだろう。

私を含め、脳脊髄液減少症の、本当の意味での「医師にも理解されない恐ろしさ」を知る人たちは、

脳脊髄液減少症の病名すら存在しなかった時代に発症した人たち。

その人たちが、私を含め
いつか全員が死に絶えて行く。

私は、あとどれだけ書き残せるのだろう。

ここに書くだけじゃダメなんだと最近思う。

戦争を体験した人も、
原爆を体験した人も、
原爆投下後に降った黒い雨を浴びた人も、
旧優生保護法によって医者看護師に無理やり強制的に断種手術をされた人も、
脳脊髄液減少症の文字が存在しなかった時代の脳脊髄液減少症患者も

黙ってしまったら、
伝えられなくなったら、
過去に何があったか、若い人たちは知らないままになる。

すべて過去の人たちは、

「昔の事だからしかたないよね、あきらめな。」で済まされてしまうのか?

私がそうなだめられているように。

その人たちが死に絶えて、誰も何も言わなくなるのを
国も医療界も、世間も、皆が密かに待っているような気がしてならない。

みんなが死んでいなくなり、被害を訴えなくなる日を、心密かに待たれている気がしてならない。
私は、せめてもの反抗に、
脳脊髄液減少症の事を
書き残し続けてきた。

なるべく、ブレずに。

これからの若い医師たちが、同じ過ちを繰り返さないように。

でも、いまだに伝わらない。

絶望感がつのる。

書き残す手段を、このブログ以外に何年も前からずっと模索し続けている。

伝えようと試みると、現実の世界ではいやがられる。

きっと戦争体験者や旧優生保護法の被害者も、若い人たちに伝えようとすると、同じ思いをしているんだろうな、と想像する。

健康で元気で、幸せな時代に生きてる若い人たちは、過去の悲惨な話なんか聞きたくないんだよね。

それは、私もわかる。

私だって、過去の戦争の話は辛くてTVで流れると、目をそらし、逃げたくなるから。

戦争を扱ったドラマも、今年は見られなかった。

これじゃいけない。

過去から目をそらしちゃいけないと思う。





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