きのう、とある方に久しぶりに会い、
「お元気そうで・・・」と言われました。
社交辞令だと思うし、
闘病中の私を励まし、気遣う言葉なのはわかります。
でも、とても複雑な気持ちになりました。
ちょうど、脱力が出始め、だるさや半身のシビレも感じていたからです。
この病になってから、
どんなに苦しい時でも、
「元気そう」と言われるたびに、
「なぜ?こんなにつらいのに、元気そうに見えるのか?」と
疑問が湧きました。
でもよく観察してくれる身近な人は、
本当に具合の悪い時の私は、老婆のように見えるといいます。
具合が悪くなってくると、目が泳いでくるらしいです
。
でも、そんな時でも、自分の顔を鑑で見ても、
とても自分が具合が悪いようには見えません。
この病はどんなにだるく、苦しくシビレていても、
「健康そう」・・・・
または、「元気な人が病を演じているように
」見えるのは、なぜなのでしょうね?
私もよく、健康で元気な人に
「お元気そうで何よりです。」と社交辞令で使います。
でも、その言葉は、病人ではない健康な人に使ってこそ、
意味があるように思っています。
私自身、
「脳脊髄液減少症」の見えない症状で、やっとの思いで生きている時に
「元気そう」と言われた時の、
なんともいえない、複雑な気持ちを体験してみて、
他の多くの病気と闘っている人には、何と声かけしたらいいのかと
考えてしまいました。
改めて考えると難しいです。
まさか、「具合悪そうですね。」という言葉が
患者に「苦しみを理解された。」と思わせるお見舞いの言葉とも
思えないし・・・。
。
「お元気そうに見えますが、その後体調はいかがですか?
」といえば
患者は「実はまだ、症状に波があって困ってます。
」とか言いやすいのかもしれません。
「元気そうね。」って決め付けられて言われるから、
反論の予知も与えられず、
「このつらさをわかってもらえない。
」と
複雑な思いを持ってしまうのかもしれません。
また、
「きっと見た目ではわからないつらさもあると思いますが、
少しは楽になられましたか?
」
という声かけなら、
患者は
「実は、まだ不調なんです。
」という、
本音の言葉言いやすいかもしれません。
「脳脊髄液減少症」の激しい症状や、
多彩で複雑で、ものすごい苦しさを体験している最中ですら、
見た目では周囲には「元気そう」と言われてしまう、つらさ悲しさ
。
この病の苦しさが理解されない、伝わりづらいことを、
改めて感じます。
きのう会った人には、
「昨年よりは、お元気そうに見えますが、調子はいかがですか?・・・
。」と言われていれば、
私も素直に、「そうなんです、昨年よりはずいぶん楽になり、回復しています。
」
とうれしい気持ちで返答できていたかもしれません。
言葉って難しいですね。
病気で心まで、ナイーブになっていたり、
傷つきやすい立場の、患者にかかわる医療関係者の方がたは、
充分な配慮ある言葉が必要だと思います。
まだ、病名もわからないころ、
当時は自力で病院まで行けたので、
具合が悪くなると、やっとの思いで受診して、
やっとの思いで待ち時間を耐え、
やっと順番が来て、医師に苦しい症状を訴えても、
「あなたの顔が笑っているから、・・そんな苦しいはずがない
。」と
医師に言われたことがあります。
当時、苦しみの原因も、病名もわかりませんでしたが、
(まさか髄液が漏れていたとは・・・)
当時も、つくづく、この苦しみは人にも医師にも
わかってもらえないのだなぁと思い、孤独に打ちひしがれました。
この病の苦しさを伝える難しさは、今も感じ続けています。
それにしても、医師たちは、
特に交通事故にかかわる医師たちは、
医学部で
「詐病患者に注意せよ
」とでも教育されているのでしょうか?
詐病患者
にだまされることを、警戒するより、
真の患者
を見逃さないことの方が、
大切
だと思うのですが・・・
つづく・・・・。
「お元気そうで・・・」と言われました。
社交辞令だと思うし、
闘病中の私を励まし、気遣う言葉なのはわかります。
でも、とても複雑な気持ちになりました。

ちょうど、脱力が出始め、だるさや半身のシビレも感じていたからです。
この病になってから、
どんなに苦しい時でも、
「元気そう」と言われるたびに、
「なぜ?こんなにつらいのに、元気そうに見えるのか?」と
疑問が湧きました。
でもよく観察してくれる身近な人は、
本当に具合の悪い時の私は、老婆のように見えるといいます。

具合が悪くなってくると、目が泳いでくるらしいです

でも、そんな時でも、自分の顔を鑑で見ても、
とても自分が具合が悪いようには見えません。
この病はどんなにだるく、苦しくシビレていても、
「健康そう」・・・・
または、「元気な人が病を演じているように


私もよく、健康で元気な人に
「お元気そうで何よりです。」と社交辞令で使います。
でも、その言葉は、病人ではない健康な人に使ってこそ、
意味があるように思っています。
私自身、
「脳脊髄液減少症」の見えない症状で、やっとの思いで生きている時に
「元気そう」と言われた時の、
なんともいえない、複雑な気持ちを体験してみて、
他の多くの病気と闘っている人には、何と声かけしたらいいのかと
考えてしまいました。
改めて考えると難しいです。
まさか、「具合悪そうですね。」という言葉が
患者に「苦しみを理解された。」と思わせるお見舞いの言葉とも
思えないし・・・。

「お元気そうに見えますが、その後体調はいかがですか?

患者は「実はまだ、症状に波があって困ってます。

「元気そうね。」って決め付けられて言われるから、
反論の予知も与えられず、
「このつらさをわかってもらえない。

複雑な思いを持ってしまうのかもしれません。
また、
「きっと見た目ではわからないつらさもあると思いますが、
少しは楽になられましたか?

という声かけなら、
患者は
「実は、まだ不調なんです。

本音の言葉言いやすいかもしれません。
「脳脊髄液減少症」の激しい症状や、
多彩で複雑で、ものすごい苦しさを体験している最中ですら、
見た目では周囲には「元気そう」と言われてしまう、つらさ悲しさ

この病の苦しさが理解されない、伝わりづらいことを、
改めて感じます。

きのう会った人には、
「昨年よりは、お元気そうに見えますが、調子はいかがですか?・・・

私も素直に、「そうなんです、昨年よりはずいぶん楽になり、回復しています。

とうれしい気持ちで返答できていたかもしれません。

言葉って難しいですね。
病気で心まで、ナイーブになっていたり、
傷つきやすい立場の、患者にかかわる医療関係者の方がたは、
充分な配慮ある言葉が必要だと思います。
まだ、病名もわからないころ、
当時は自力で病院まで行けたので、
具合が悪くなると、やっとの思いで受診して、
やっとの思いで待ち時間を耐え、
やっと順番が来て、医師に苦しい症状を訴えても、
「あなたの顔が笑っているから、・・そんな苦しいはずがない


医師に言われたことがあります。

当時、苦しみの原因も、病名もわかりませんでしたが、
(まさか髄液が漏れていたとは・・・)
当時も、つくづく、この苦しみは人にも医師にも
わかってもらえないのだなぁと思い、孤独に打ちひしがれました。
この病の苦しさを伝える難しさは、今も感じ続けています。

それにしても、医師たちは、
特に交通事故にかかわる医師たちは、
医学部で
「詐病患者に注意せよ


詐病患者

真の患者

大切


つづく・・・・。
みんな同じようなこと体験してるな~。
元気じゃないんだけど・・・
なぜ回りは・・・
ogaの仲の良い仲間は 以前調子悪かった時の目が怖かった!! 人を刺すんじゃないか?
なんか下手なこと言ったら殺されるんじゃないか? って目をしていたらしい。
今は、ダイブ目が優しくなって。笑ってる顔のほうが多くなったって言ってくれます。
そうですか・・・・
こうして他の方の体験コメント読んではじめて、
「やっぱり、脳の不調は目にでるのか~」と気づきます。
目がすわっている、目が泳いでいる、目がうつろ・・・脳が何かおかしな状態に置かれている時には、
やっぱり目が輝かなくなるんでしょうね。
意識の状態も目に現れる・・・
残念ながら、目の変化は、自分ではなかなか見えないのが残念です。
調子がいいとき
誰か、お顔に自信がある患者さん、
この研究に協力してみては・・・・
「顔色がいいけ、調子よくなったんやない?」
と言われたことがあって、
それは発熱してるからで、決して体調がいいわけじゃないから
「そう?調子よさそうに見える?顔色は多分熱のせいと思う」と言ったよ。
やっぱり見えない怪我はや認知度の低い病気は理解されにくいよね。
もし2回目があるとしたら診察風景・RIシンチ・EBPの様子ビデオカメラで撮って見せてみたいかも
なんだか・・・・
母に、何もしてあげる気が起きない私・・・
薄情な娘・・・
脳ってとこは、首より、全身に影響を与えますからねぇ・・・・・脳脊髄液減少症かも?
なんでも「脳脊髄液減少症」のせいにするって
叱られそうですが・・・
脳の不調はどんな症状を出現させたっておかしくないですから・・・・
MRIやトポグラフィーが出現した現代でさえ、
脳の神秘はまだまだ未解明な点がいっぱいあるのですから・・・
「じゃあ病人らしく暗く、辛そうにしていればいいのか~!」って思いますよね。 もちろん友人はなんの悪気もなく言っている言葉なのですが。やはり言われた瞬間はショックです。
私は外出は車椅子ですが家の中では普通に歩いているし、電話口での声も元気に対応しているので。本当は家の中で歩いているのだってかなり辛いのに・・
あ、私の病気はゆめさんとは違います。主な症状は手足の筋力低下です。むりに歩くので痛みもあります。其の他色々ありますが・・。5年近く解っていませんでした。でもここ最近ようやく「筋肉の病気の疑い」との事が判明し、先日「筋生検」の為入院していました。まだ結果は出ていませんが、ゆめさんと同じ様に「気のせい」とか「精神病」にさせられてきました。・・・・と話がズレました^_^;
本当に「言葉」というのは難しいですね。今の私はもう心の方は復活しているので、心はとても元気ですが病気になり始めた頃、友人がよく「頑張って!」と声を掛けてくれていました。
でもこの「頑張れ!」という言葉も時にはかなり残酷な言葉だと思いませんか?
「だって私頑張ってるもん。これ以上どうすればいいのよ?」って思ったりしました。(その頃は私の心が素直に受け止められない心だったのでしょう)
「頑張れ」という励ましの言葉。その言葉でよく傷ついていました(^_^;)
それ以来私も友人が落ち込んでいる時や体調の悪い時などには「頑張れ」という言葉は言わない様にしています。
「泣きたい時は泣いて・・駄目な時は休んで・・そして又前を向いて歩けばいいんだから」
「頑張らずに頑張ろう」・・・?とか
そんな言葉をかける様にしています。
でもそうやって自分が病気になり、たくさんの辛い事を経験してきたおかげで成長できて、他人の痛みが少しでも分かる様になれたのも事実ですよね。
病気になったのにも絶対意味があると思います。
ゆめさんの様にブログを書く事によって、このブログを見た人はきっと同じ痛みを分け合う仲間ができた事に喜んでいると思います。そうやって誰かの為になっている事。それがゆめさんが病気になった意味でもあるはずですから。
「頑張って!」・・?いや
「頑張らずに頑張って」・・・^_^;・・でした^_^;
ご自分の体験と思いを書いてくださり、
ありがとうございました。
私も、過去にゆうさんと同じ気持ちを書きました。
http://blog.goo.ne.jp/aino-yume75215/e/a1c037a7b75dfa6f1835e417bc88e2f3
http://blog.goo.ne.jp/aino-yume75215/e/2ccdbb6a97a6dc8942f6d7138d4ddbf2
約、2周。
散歩リハビリ41回目。
時々サングラス使いますが、
まぶしさは昨年とは比べものになりません。
楽になりました。
公園に行く前に干して、もう乾いてしまった洗濯ものをたたんでしまいます。
午後になると、動けなくなることが多いから・・・