2022年11月12日の朝日新聞を読んだ。
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病人、怪我人が、自分1人で孤独に闘うのではなく、
配偶者や親や兄弟が支えてくれるのなら、
たとえ、命が助からなくても、その人は1人じゃないから、
孤独を感じる事は少なかったのではないか?と思いました。
脳脊髄液減少症の大人の患者は、孤独を感じる人も多いのではないかと思う。
だって、
不定愁訴ばかり訴える人、
元気そうなのに働かない怠け者、
家事もやらずに寝てばかりいるだらしない妻、などと誤解されて、
そもそも、病人扱いされず、
配偶者や家族や親兄弟に、病気や怪我と闘っている人、という見方をされない事が多いと思う。
だから、こんな風に、余命僅かな人を家族で支えて、回復の道をさぐるなんて事は、
家族にしてもらえない人が多いと思う。
孤独に、脳脊髄液減少症と闘っている大人の患者は、
いったいどれくらいいるのでしょうか?
相当数、いると思います。
なかには、絶望して自ら命を絶った人もいるはず。
あの症状の苦しさ、
あの医療界の無理解、無支援、
あの、家族の無関心
を体験した私は、
そんな事を思った。
髄液漏れが再発しても、
症状が悪化しても、
なかなか治らなくても、
「治ることを、あきらめない。一緒に頑張ろう!」と言ってくれ、さまざまな情報を一緒に探してくれる家族がもし私のそばにもいてくれたなら、
どんなに嬉しく、心強く、心穏やかな人生になった事だろう。
悲しい。