震災から一年が経った。
あの日、私は博多に居た。
事務所で東北の客と電話で話をしている同僚が
「東北で大変な地震があってますよ」
と言っていた。
仕事は夕方に終わり、ダイア改正でラストランを迎える「リレーつばめ」に乗り込んだ。
リレーつばめのラストランの列車に乗り込んで家に帰るとテレビで津波が家を飲み込んでいく悲惨な光景を目にした。
午後の8時頃だったと思う。
あの痛ましい光景に唖然となったものだ。
なんでこんな事が起こるのか・・・。
そして福島第一原発の事故。
報道は乱れ、いったい原発がどうなっているのか一時は不明だった。
一夜が明け津波に飲み込まれた無残な街の光景が映し出された。
テレビ番組はすべて報道番組に編成されCMもすべて中止された。
テレビでは原発に詳しい専門家たちが安全性について議論していた。
そして20km管内の非難が出された。
専門家たちや政治家たちは、なぜ20km範囲なのかに議論に議論が集中していた。
テレビに映し出される自衛隊ヘリによる炉心への冷却放水、特殊放水車による放水が始められた。
そんな映像を見て、なんて人類は無力なのだろうと思った。
電力を作る原子力発電所が電源喪失したわけだ。
想定外などと言葉が出てくるが、そんな言い訳は通用しないだろう。
東電の社長はその後入院。
当時の首相は現場にも何度も口を出し、具体的な解決法は無かった。
震災から1年が経ったわけだが、被災に合われた方々には大変な一年だったと思う。
気持ちを同じにしてという言葉がよく出てくるが、そんな事できるわけるわけ無いわけだし、震災にあわれた方々を救うことも出来ないわけだ。
「さあ、一歩一歩、前に進もう!」としか私には言えない。