あきしの風~波多之國めぐり

四国西南端に位置する幡多周辺の情報を発信&日記など発信
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竜串の名の由来は?

2018年01月06日 | 幡多のミステリー

土佐清水市(三崎)竜串という地区名は、戦後の町村合併を機に改名されたもので

それ以前は幡多郡三崎町当麻という地区名だった

その当麻に古くから語り伝えられている事として

この地が「中将姫」の終焉の地でありその墓地があるということ

また奈良県北葛城郡当麻町には「中将姫」の菩提寺として当麻寺があるといい

土佐の最果ての地・当麻が中将姫ゆかりの地としての因縁浅さからずといえる

以上は「に伝わる昔話1」著者・山中正義さんの本からの引用である

さて、本題の「竜串(たつくし)」の名の由来だが、私自身も「竜串」の名の意味は

「竜が串に刺された姿に見えるから」「櫛をさしているように見えるから」とか聞かされてきた

しかし、「に伝わる昔話1」の中で「竜」というものは架空のもので

見たことがなければ、竜が串刺しにされたものがどういうものか?わかるはずもなく

語源はアイヌ語から来ているのではないかと書かれている

周辺の地名で小筑紫(こづくし)、竜串(たつくし)、以布利(いぶり)という所がある

アイヌ語で「イブリ」は洞窟のたくさんある所、穴のあいた岩が集まっている場所

小筑紫から「こ」、竜串から「た」を除くと残るのは「つくし」

そして、「ツクシ」はアイヌ語で「美しい」という意味だと書かれている

「小筑紫」は小さな箱庭のような景色のいい所、「竜串」は美しい岩や海が景色のいい所だと

だから、「竜串」ではなく本当は「多筑紫」ではなかったかと書かれている

しかしながら「イブリ」も「ツクシ」もアイヌ語で探してみたが見つからなかった

「美しい」はアイヌ語で「ピリカ」ということはわかったが・・

アイヌ民族は縄文人の末裔であるが「琉球語」と「アイヌ語」は抱合語、「日本語」は膠着語で文法形態が違う

千尋崎は「見残し海岸」と呼ばれ弘法大師・空海が見残したからだと語り継がれている

その時代に「竜串」という言葉も残っていたのだろうか?

戦後に改名されるまでは「当麻」と呼ばれていたばずなのだが・・

引用した本は1986年7月20日第1刷発行で、32年が経過するので今とは多少異なるかもしれない

田宮虎彦の小説「足摺岬」で足摺岬の名前が全国区となり

足摺岬にないにもかかわらず名前にあやかろうと命名した土佐清水市養老にある「あしずり港」(現在の「海の駅」)

竜串(三崎)にある「足摺海洋館」「足摺海底館」等々

今はナビがあり間違うこともないが、他県から来た人は足摺岬にすべてあると勘違いしていた

全国区の坂本龍馬の龍(竜)と奇岩が串のように見える事から安易に「竜」と「串」をつなげただけだったりして(笑)

「竜串」の由来を自分なりに調べてみたが、数日では何が本当なのか結論に至らなかった

どうでもいいと言えばそれまでだが(笑)時をさかのぼってみるのも面白いと感じた数日でした

最後までお付き合いいただき有難うございました



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