銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

宮本百合子(顕治夫人)の鶏の水炊き

2010-03-17 19:06:04 | Weblog
 私は宮本顕治共産党書記長(または、委員長)がご自分の近隣の土地を、一区画、一区画買っていって、最後には、二十数区画(この数字は確かではないが)買いあさったという週刊誌の記事を読んだときに、怒ったのも怒ったのですが、それとともに、宮本家の家庭の中まで想像ができるような気もしました。
 この土地の買いあさりですが、宮本書記長(または委員長)が第二夫人と結婚なさって、お子さんができたのかな? で、こどものために、私有財産が欲しくなって、もっとも着実な貯金のひとつである、不動産を買い占めたと、なったのではないかと。

 詳しい真実はまったく知りません。だけど、ある個人にとって、子供とは大切なもので、特に晩年に得た子供はかわいいでしょう。だから、散歩のついでに駅前不動産屋によっては「掘り出し物は無いかねえ」なんていう会話とともに、一つ一つ買い占めていった。または思索のための散歩中に、お葬式でもあれば、組織を利用して、うわさを集め、後継者が誰であるかを確かめて、その人に適宜な金額を示して、譲ってもらうとか?

 ただ、無産階級の味方であるはずの人が、これほどの蓄財をしているのなら、それは、言葉とは裏腹な行動ですから、奇妙に思った人間が、いて、週刊誌の記事となって行ったのでしょう。ところで、ちょっとした挿入ですが、今は週刊誌の記事が面白くありません。予想外の情報を提示してくれるような記事が余りありません。独自の取材が無いみたいですね。発表されたニュースとかありきたりの大企画(たとえば、オリンピックとか、野球とか)を追うニュースが多いです。

 で、元に戻れば、こんなことは前夫人が生きていらっしゃる内には起きなかったと思われます。前夫人は、お育ちのよい人で、したがってお金には恬淡だったはずです。蓄財を目指したりはしないはずです。それにお子様もいなかったはずです。だけど、夫人のほうが年上だったかもしれません。で、早くなくなったのです。

 そして、その結婚話そのものが、大きな話題になったはずです。お嫁さんになった中條百合子は、美人作家として有名でした。お雛様みたいなふっくらとしたタイプです。しかも建築家の令嬢ですから、共産党のトップと結婚するのは、世間の予想を大きく裏切ったわけです。
 これは、赤瀬川さんが
「芥川賞をもらって、それで環境が変わった。前科者から急に英雄になったようなものだ」とおっしゃっていますが、ちょっと似ていて、
 それ以前の闘争者(外へ対する戦いもあるが、内部でも相当凄惨なことがあったとうわさをされている)が一挙に洗浄されたわけです。

 私は、その結婚が、宮本顕治氏側からだけでなく、百合子さん側からも分析できるような気もして、理解できるような気がします。戦後で、女性の解放が叫ばれていた時代です。だから、革命家と結婚するのが格好よかったのです。それと、宮本顕治という人が、どちらかというと、野性味のある、クラーク・ゲーブルタイプですから、そういう男性を選んだ、中條百合子さんは、経済的な自立という意味でも、そのほかの面でも、女性として、大きな自信がある女性だったのです。流行作家というほど面白いものを書いた人ではないのですが、収入は高かったと思われます。

 当時の普通の女性は、ちゃんとした勤務をしていて、お給料が入る男性で無いと結婚しても駄目だというよう感性で生きていたと思いますから、とても変わった選択だとみなされていました。

 ところで、そのお育ちのよさをほめた文章があって、『ほー、そういうことなのか?』と感心したことがあります。出典は、たぶんですが、付録です。筑摩書房の日本文学全集(黄色い表紙のもの)のなかに、パンフレット状の付録が入っています。その中に書いてあったエピソードで、書いた人の名前を、私は覚えてはおりません。
 それは、宮本夫妻に招かれて『鶏の水炊き』をご馳走になった際の話です。百合子さんの育ちがいいので、さらしの袋に、もち米を入れて、なべの中に入れたので、それを見ていて感心したという話です。「スープにとろみが付いておいしい」のだそうです。

 今の若い方なら、「なに、それ?」っておっしゃるかもしれないが、戦後すぐのころは食べ物自体が無くて、鶏の水炊きだけでも大ごちそうなのですが、それにもち米が入っているということがすごい贅沢なのです。お米も自由に買えない時代に、もち米さえも、別に用意されていて、それを、ただ、とろみをつけるために、さらしの袋に入れて、なべの中に入れるという行為の示す贅沢さに、そのお客の方は仰天したわけです。

 その付録用のエピソードを書いた人間は、批判的な書き方ではなかったのですが、誰か裁判官が闇米を買わないから、餓死したなどと言うこともニュースになる時代だったのです。

 私の直感では、共産党にしろ、何にしろ、トップになったり有名になったりする人に善人が少ないということです。

 人間一人が、がめる(=占有できる)範囲というのは小さいものだと感じます。それが社会の中で、装置を利用すると、拡大されて広範囲の人々に認知されて有名人になるわけです。その装置とは会社とか、宗教団体とか、政治団体とか、ともかく、ピラミッドを形成していて、トップの人間がしたの人を使役できる体制にあるところです。それを利用すると、ある個人に、お金と、名誉が集中するわけです。
 だから、有名でないということは、他人を利用していないということになり、健やかな生活を送っていることを、逆説的にですが、証明しているともいえます。

 私は前から、共産党とは装置の一つである。日本に言論の自由があるかのごとく、装う装置の一つであると、言い続けてきたのですが、そのトップは、生活態度は相当いかがわしいです。でも、この発言とは矛盾する贅沢な私生活というポイントは、海外でも言えることです。スターリンとか、金一族とか、毛沢東の実際の生活が後で、明らかになってくると、完璧に証明されてきていますね。
 そして、その装置としての共産党の利用は、さらに広まっていて、深化していると私は考えますが、その実例は今日は挙げません。

 ところで、話は変わりますが、生きているうちに、大変ちやほやされた有名人が死後、トンと省みられなくなったり、生きているうちは零落のうちにすごし、無名の人として、死んでいったにもかかわらず、死後名声を確立している芸術家(モーツァルト、石川啄木、宮沢賢治、田中一村など)もいます。「文章は、時代とともに色あせて、寿命が短い」とおっしゃった方もあるけれど、・・・・・だから、美術のほうがよいらしい面もあるのだけれど・・・・・

 今ほとんど省みられなくなった、宮本顕治夫人、宮本百合子女史は、私がこどものころは大変有名な作家でした。特に高校の先輩に当たるので、私は図書室で、筑摩の日本文学全集を借りて、播州平野というのを読みましたが、何も感動しませんでした。夫の故郷へ旅行する話です。一種の私小説+紀行文でしょう。もちろんですが、こどもには分からない心の機微が投入されていたのかも知れません。でも、その当時評価が高かったのは、有名人の私生活を見たいという庶民の欲望が反映していたのではないかなあ?

 しかし、私がここで、こういう風に否定的な取り上げ方をすると、後に、すぐリヴァイバルとか、再評価の動きが出てくるかもしれません。それが私への間接的な言論弾圧に当たると、私は感じていますが、さてどうなるか? 私はこの初稿を、2010年の三月15日に書きましたが、その後どうなるかなあ?  
     2010年3月15日 早朝、4:10に書き、送るのは17日の夜21:00 雨宮舜 
コメント
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