今日の話題は、馬鹿馬鹿しげに始まります。すんだことを蒸し返すわけですし。しかし、本当の目的は、『ニュースは、作られてはいないだろうか?』という疑問をただすところにあります。
私たちは本音のところ、雅子様の最初の記者会見に仰天したわけですが、それを、なんとはなく見逃して、批判がマスコミ界(および、国民の間)で起きなかったのは何故かと、再考したいのです。実は国民はそのとき、すでに洗脳されていました。つまり、『皇太子様には、お嫁のくる人がないのだ』と。『そんな状況の中で、こんなに、立派な経歴のお嬢様が、妃殿下になった。よかった。よかった。皇太子様も、皇室も万々歳だ。まあ、記者会見で雅子様がおっしゃったことは、ちょっと変だったけれど、きっと、疲れていらっしゃるのでしょう』と。
お若い方はご存じないかもしれませんが、当時はフォーカスとか、フライデーというグラビア専門の週刊誌が勢いを持っていて、見開き、左右に四人のお嬢様が、縦長で、連なって掲載されたときもありました。すべて、望遠レンズの盗撮だと思われますが、細身の美女たちで、なんとか家のご令嬢というしかるべき存在の方々です。しかし、それらのお嬢様は次々と皇太子様ではない男性と結婚をされて、お后候補を降りたと、週刊誌は伝えました。
しかし、ここに、別の情報が後からひそやかにもたらされました。『皇太子様は、実はロンドン留学中に雅子様と、お見合いをなさっていた』と。これはご成婚後の、週刊文春、週刊朝日、サンデー毎日、週刊新潮のどれかに出ていた情報ですが、多分最初の二誌のどちらかの掲載だったと思います。
今、現在の皇太子さまの様子から拝察するに、雅子様へ、一途な思いをささげておられるので、途中で、あれこれ、迷われたことはないと、考えられます。そうなると、あれほどの、パパラッチぶりは、本命を隠すための、がせネタだったということとなります。つまり、宮内庁から、何らかの打診が、それらのお嬢様へ行ったかどうかは疑わしいとなるわけです。
で、雅子様以外のお后候補は、実際にどうお考えだったかですが、『まあ、お后候補とみなされるのは、悪いことではないけれど、そのことがマイナスになって、結婚に差し支えたら困る』ということで、それぞれ、ご自分の本命とのお話を、さっさとお決めになったと思われます。
~~~~~~~~~~
お見合いのお世話をしたことがある人なら、誰でもわかっていると思いますが、設定は大変難しいです。だけど、ルールがあって、社会階層的に上の人が、最初の写真段階での決定権があります。釣りかき(経歴書)と、上半身のポートレートを見て、この人と会いたいと、最初におっしゃるのは、皇太子様の方です。
皇太子様は、最初のお見合い相手として、雅子様をお選びになり、即座に、『この人で、よい』とお決めになったと、私は想像します。これから、先は例の私固有の見てきたようなうそを言いの類ですが、ロンドンからヨーロッパのどこかの大都市へ、皇太子様は単身、もしくは、外国人の友人を伴って、移動をされたと仮定をします。たとえばパリなら、その大使館で、大使館員の私物の車が用意されており、
雅子様が、ご案内するという形で、オーヴェール等にお出かけだったら、日本人はまったくいない場所で、くつろいでお二人で歓談することができます。これは、皇太子様にとっても、人生ではじめての体験であらせられると思うし、当時の雅子様は、はちきれんばかりの美貌の人でした。
~~~~~~~~~~~~~~
ただ、問題がひとつあります。このときに、父の小和田氏は雅子様に「これが、お見合いである」と言うことを黙っていらっしゃったような気がするのです。単に仕事の一種であると、雅子様に思わせて対応をさせられた、と、推察されるのです。
もし、それが、お見合いであると事前に言ってしまえば、雅子様は、その年代の女性に特有のはしゃいだ様子で、『うわあ、いやだ。私、皇室なんていう束縛の多いところに入るのはいやよ』とおっしゃるでしょう。だから、外交官・令嬢としての任務のひとつとして、それを、受けるように仰った。特に皇太子様が、雅子様をお気にいるかどうか、わからない段階では、それは。親心としても十分にありえる発想です。
これから先は、雅子様の心の変遷と、成長、もしくは成長の停止、が、始まるわけですが、それは、教育心理学的に、分析できる問題ですが、今ここで、書くのは止めましょう。雅子様が、優等生であること、あらゆることで、ご自分を抑止なさるようになったことは、伺えますが、その裏にお母様のご実家の問題も影をさしているでしょう。
もっと、無邪気に、不十分な達成でも、普通の家なら許されるのに、完璧な、優等生で、過ごさねばならなかったことが、心理学的に大問題なのであって、皇太子様に非があるわけでもなく、雅子様が、ほかの男性を好きなわけでもないのです。でも、不適合が見られて、雅子様が不幸せそうな仏頂面をお見せになる。それがなぜなのか?を、考えていくために、上のエピソードをとらえなおしました。
それから先のことは、書くことが大変に難しいので、今日はそれには触れません。
2010年3月26日 書く。雨宮 舜
私たちは本音のところ、雅子様の最初の記者会見に仰天したわけですが、それを、なんとはなく見逃して、批判がマスコミ界(および、国民の間)で起きなかったのは何故かと、再考したいのです。実は国民はそのとき、すでに洗脳されていました。つまり、『皇太子様には、お嫁のくる人がないのだ』と。『そんな状況の中で、こんなに、立派な経歴のお嬢様が、妃殿下になった。よかった。よかった。皇太子様も、皇室も万々歳だ。まあ、記者会見で雅子様がおっしゃったことは、ちょっと変だったけれど、きっと、疲れていらっしゃるのでしょう』と。
お若い方はご存じないかもしれませんが、当時はフォーカスとか、フライデーというグラビア専門の週刊誌が勢いを持っていて、見開き、左右に四人のお嬢様が、縦長で、連なって掲載されたときもありました。すべて、望遠レンズの盗撮だと思われますが、細身の美女たちで、なんとか家のご令嬢というしかるべき存在の方々です。しかし、それらのお嬢様は次々と皇太子様ではない男性と結婚をされて、お后候補を降りたと、週刊誌は伝えました。
しかし、ここに、別の情報が後からひそやかにもたらされました。『皇太子様は、実はロンドン留学中に雅子様と、お見合いをなさっていた』と。これはご成婚後の、週刊文春、週刊朝日、サンデー毎日、週刊新潮のどれかに出ていた情報ですが、多分最初の二誌のどちらかの掲載だったと思います。
今、現在の皇太子さまの様子から拝察するに、雅子様へ、一途な思いをささげておられるので、途中で、あれこれ、迷われたことはないと、考えられます。そうなると、あれほどの、パパラッチぶりは、本命を隠すための、がせネタだったということとなります。つまり、宮内庁から、何らかの打診が、それらのお嬢様へ行ったかどうかは疑わしいとなるわけです。
で、雅子様以外のお后候補は、実際にどうお考えだったかですが、『まあ、お后候補とみなされるのは、悪いことではないけれど、そのことがマイナスになって、結婚に差し支えたら困る』ということで、それぞれ、ご自分の本命とのお話を、さっさとお決めになったと思われます。
~~~~~~~~~~
お見合いのお世話をしたことがある人なら、誰でもわかっていると思いますが、設定は大変難しいです。だけど、ルールがあって、社会階層的に上の人が、最初の写真段階での決定権があります。釣りかき(経歴書)と、上半身のポートレートを見て、この人と会いたいと、最初におっしゃるのは、皇太子様の方です。
皇太子様は、最初のお見合い相手として、雅子様をお選びになり、即座に、『この人で、よい』とお決めになったと、私は想像します。これから、先は例の私固有の見てきたようなうそを言いの類ですが、ロンドンからヨーロッパのどこかの大都市へ、皇太子様は単身、もしくは、外国人の友人を伴って、移動をされたと仮定をします。たとえばパリなら、その大使館で、大使館員の私物の車が用意されており、
雅子様が、ご案内するという形で、オーヴェール等にお出かけだったら、日本人はまったくいない場所で、くつろいでお二人で歓談することができます。これは、皇太子様にとっても、人生ではじめての体験であらせられると思うし、当時の雅子様は、はちきれんばかりの美貌の人でした。
~~~~~~~~~~~~~~
ただ、問題がひとつあります。このときに、父の小和田氏は雅子様に「これが、お見合いである」と言うことを黙っていらっしゃったような気がするのです。単に仕事の一種であると、雅子様に思わせて対応をさせられた、と、推察されるのです。
もし、それが、お見合いであると事前に言ってしまえば、雅子様は、その年代の女性に特有のはしゃいだ様子で、『うわあ、いやだ。私、皇室なんていう束縛の多いところに入るのはいやよ』とおっしゃるでしょう。だから、外交官・令嬢としての任務のひとつとして、それを、受けるように仰った。特に皇太子様が、雅子様をお気にいるかどうか、わからない段階では、それは。親心としても十分にありえる発想です。
これから先は、雅子様の心の変遷と、成長、もしくは成長の停止、が、始まるわけですが、それは、教育心理学的に、分析できる問題ですが、今ここで、書くのは止めましょう。雅子様が、優等生であること、あらゆることで、ご自分を抑止なさるようになったことは、伺えますが、その裏にお母様のご実家の問題も影をさしているでしょう。
もっと、無邪気に、不十分な達成でも、普通の家なら許されるのに、完璧な、優等生で、過ごさねばならなかったことが、心理学的に大問題なのであって、皇太子様に非があるわけでもなく、雅子様が、ほかの男性を好きなわけでもないのです。でも、不適合が見られて、雅子様が不幸せそうな仏頂面をお見せになる。それがなぜなのか?を、考えていくために、上のエピソードをとらえなおしました。
それから先のことは、書くことが大変に難しいので、今日はそれには触れません。
2010年3月26日 書く。雨宮 舜