桑田真澄氏が修士論文を提出したそうです。ほとんど、合格でしょうから、修士になられます。マスター取得、おめでとうございます。
「桑田本人はとてもよい子なのよ」と、彼を直接知るひとから、25年前に聞きました。こちらのエピソードの詳細は後段に述べましょう。若い方はご存じないかもしれないが、桑田選手の巨人入団の時には、一種の黒い霧が頭上を覆いました。その当時の巨人軍とは、すごい力を持つ存在で、それゆえに、自軍補強のためには手段を選ばないところがあって、江川卓氏の入団の際にも世間から大いにたたかれたのに、性懲りもなく、こちらでも、似たような何かがあったと、世間では噂をされました。
そのことは、桑田真澄氏を、どことなく、傷つけたと思います。一種の挽回と言うか、贖罪の気持ちを込めた勉学と、修士号取得だったと感じます。
その悪い噂の対立者として上げられるのが、清原選手です。巨人軍が、清原と契約すると言っておいて、桑田は早稲田かな(?)大学へ入学をする予定であると、事前に宣伝をされていたのに、実際は異なっていたと言うことで、清原選手は、一気に人気を得ました。
強者、巨人軍のサポートを得た、桑田選手がどことはない批判にさらされたのに、清原選手は、庶民の人気を得たのです。清原選手が西武の、一員として、巨人と日本一を争った際に、ベース上で、思わず落涙したエピソードも彼の人気を高めたでしょう。しかし、ちょっと軸がぶれてしまいました。後年、巨人軍へ入団するのです。これは、巨人サイドの、ロンダリングだったような気がしますが、断りきれなかった清原選手は、
今の身を隠すような姿勢を、自ら招いたともいえます。
桑田選手のほうが、ご自分の努力で、どんどん、澄んで来て、明快になってきた。
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同じく、当時の大・権力者・巨人軍にかわいがられた人として、有名な江川卓氏は、まだ、ご自分の浄化が済んでいないうちに、対立者たる(と言うか、自分のために犠牲を払って損をした)、小林繁投手が、心臓の病(?)で、急死されてしまいました。だから、真実の人気回復が出来ていないです。
桑田選手は引き比べて、よかったですね。ご自分の努力が間に合ったケースです。
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さて、くどいでしょうが、話を浅田真央、キム・ヨナ対決に戻ります。キム選手側に意図した不正はありません。上の二人と同じく、自分の方は何も知らないうちにおきた現象です。金メダル取得に関して、ご自分には罪の意識はないでしょう。
だけど、冷静になって録画等を見れば、何らかの罪悪寒にさいなまれるはずです。ご自分の実力だけではないものが味方をして、この金メダルが、生まれたということには気がつかざるを得ないでしょう。それに対してどうするか。
頭のよい人で、実力のある人なら、贖罪の行動が生まれるはずです。ただし、相当な未来の話です。桑田真澄氏が、現在○○才ですから、その位の将来であるかもしれない。
だから、真央ちゃんは、この件で、一見すると、不幸せそうになったように見えますが、実際には、そうでもないのです。この銀メダルによって、信じがたいものを得ました。知名度、というか、人気度です。これを粗末になさらないように、どうか、人生を大切に生きていってほしい。別に金メダルだけが、人生ではないです。勝つことだけが、立派なことでもないですよ。
お勉強をなさりたいそうです。周りの人はそれを、サポートして上げてほしい。お母さんだけのサポートと、接触だけではだめだと思います。他人も真央ちゃんに影響を与えるべきです。すでに、19歳なのだから。自由な時間を与えてあげてほしいです。
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さて、前半にあげた、「桑田選手はよい子なのよ」と言う発言は、25年くらい前にスポーツ新聞の記者をしている人から聞きました。
この人は非常に勇敢な人で、後楽園の裏側の通路に入って、当時入団したばかりだった(?)長島茂雄選手の肩をぽんとたたいて、「おい、長島君」と呼びかけたそうです。
そのころ、まだ、卒業前の女子・高校生だったので、それを、聞いた人は、みんな仰天しました。そして、大学の卒業後、新聞社に入り、スポーツ担当で、スポーツ紙に回ったのか、それとも、最初からスポーツ紙部門に入社されたのかは、聞き漏らしましたが、ともかく好きなことを仕事にした人です。そして、その人が日常的に桑田選手を取材して、『ほんとうによい子だ』と感じたそうです。親孝行で、まじめだと。
ここで、ちょっとした余談に入らせていただきますが、立花隆氏は、週刊文春の記者二年目にしてプロ野球の取材を命じられたので、退社したそうですね。プロ野球が大嫌いなのだそうです。世の中いろいろです。
ここで、第二の余談に入らせていただきますと、このスポーツ紙の記者を、鎌倉地域の同窓会支部の講演者として招いた事があります。そのときの準備会や、打ち上げの際に話し合ったりしのですが、10人ぐらいの出席者の誰も「スポーツ紙は読んでいない」との、発言がありました。鎌倉夫人(?)には、スポーツ紙は縁遠い存在のようでした。
私は違っていて、図書館が主ですが、すでに読んでいました。大宅荘一氏ではないが、こういう部分に、意外と面白い真実が載っていることがあるのには気がついていて、第一次資料として、有意義です。
今では、タブロイド紙として、日刊現代と、夕刊フジが出来ました。それは、同じ趣旨で、大切です。毎日は買わないけれど、駅のキオスクで、その宣伝文はよく目にして、記憶しておくほうです。では、 2010年3月10日 雨宮 舜
「桑田本人はとてもよい子なのよ」と、彼を直接知るひとから、25年前に聞きました。こちらのエピソードの詳細は後段に述べましょう。若い方はご存じないかもしれないが、桑田選手の巨人入団の時には、一種の黒い霧が頭上を覆いました。その当時の巨人軍とは、すごい力を持つ存在で、それゆえに、自軍補強のためには手段を選ばないところがあって、江川卓氏の入団の際にも世間から大いにたたかれたのに、性懲りもなく、こちらでも、似たような何かがあったと、世間では噂をされました。
そのことは、桑田真澄氏を、どことなく、傷つけたと思います。一種の挽回と言うか、贖罪の気持ちを込めた勉学と、修士号取得だったと感じます。
その悪い噂の対立者として上げられるのが、清原選手です。巨人軍が、清原と契約すると言っておいて、桑田は早稲田かな(?)大学へ入学をする予定であると、事前に宣伝をされていたのに、実際は異なっていたと言うことで、清原選手は、一気に人気を得ました。
強者、巨人軍のサポートを得た、桑田選手がどことはない批判にさらされたのに、清原選手は、庶民の人気を得たのです。清原選手が西武の、一員として、巨人と日本一を争った際に、ベース上で、思わず落涙したエピソードも彼の人気を高めたでしょう。しかし、ちょっと軸がぶれてしまいました。後年、巨人軍へ入団するのです。これは、巨人サイドの、ロンダリングだったような気がしますが、断りきれなかった清原選手は、
今の身を隠すような姿勢を、自ら招いたともいえます。
桑田選手のほうが、ご自分の努力で、どんどん、澄んで来て、明快になってきた。
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同じく、当時の大・権力者・巨人軍にかわいがられた人として、有名な江川卓氏は、まだ、ご自分の浄化が済んでいないうちに、対立者たる(と言うか、自分のために犠牲を払って損をした)、小林繁投手が、心臓の病(?)で、急死されてしまいました。だから、真実の人気回復が出来ていないです。
桑田選手は引き比べて、よかったですね。ご自分の努力が間に合ったケースです。
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さて、くどいでしょうが、話を浅田真央、キム・ヨナ対決に戻ります。キム選手側に意図した不正はありません。上の二人と同じく、自分の方は何も知らないうちにおきた現象です。金メダル取得に関して、ご自分には罪の意識はないでしょう。
だけど、冷静になって録画等を見れば、何らかの罪悪寒にさいなまれるはずです。ご自分の実力だけではないものが味方をして、この金メダルが、生まれたということには気がつかざるを得ないでしょう。それに対してどうするか。
頭のよい人で、実力のある人なら、贖罪の行動が生まれるはずです。ただし、相当な未来の話です。桑田真澄氏が、現在○○才ですから、その位の将来であるかもしれない。
だから、真央ちゃんは、この件で、一見すると、不幸せそうになったように見えますが、実際には、そうでもないのです。この銀メダルによって、信じがたいものを得ました。知名度、というか、人気度です。これを粗末になさらないように、どうか、人生を大切に生きていってほしい。別に金メダルだけが、人生ではないです。勝つことだけが、立派なことでもないですよ。
お勉強をなさりたいそうです。周りの人はそれを、サポートして上げてほしい。お母さんだけのサポートと、接触だけではだめだと思います。他人も真央ちゃんに影響を与えるべきです。すでに、19歳なのだから。自由な時間を与えてあげてほしいです。
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さて、前半にあげた、「桑田選手はよい子なのよ」と言う発言は、25年くらい前にスポーツ新聞の記者をしている人から聞きました。
この人は非常に勇敢な人で、後楽園の裏側の通路に入って、当時入団したばかりだった(?)長島茂雄選手の肩をぽんとたたいて、「おい、長島君」と呼びかけたそうです。
そのころ、まだ、卒業前の女子・高校生だったので、それを、聞いた人は、みんな仰天しました。そして、大学の卒業後、新聞社に入り、スポーツ担当で、スポーツ紙に回ったのか、それとも、最初からスポーツ紙部門に入社されたのかは、聞き漏らしましたが、ともかく好きなことを仕事にした人です。そして、その人が日常的に桑田選手を取材して、『ほんとうによい子だ』と感じたそうです。親孝行で、まじめだと。
ここで、ちょっとした余談に入らせていただきますが、立花隆氏は、週刊文春の記者二年目にしてプロ野球の取材を命じられたので、退社したそうですね。プロ野球が大嫌いなのだそうです。世の中いろいろです。
ここで、第二の余談に入らせていただきますと、このスポーツ紙の記者を、鎌倉地域の同窓会支部の講演者として招いた事があります。そのときの準備会や、打ち上げの際に話し合ったりしのですが、10人ぐらいの出席者の誰も「スポーツ紙は読んでいない」との、発言がありました。鎌倉夫人(?)には、スポーツ紙は縁遠い存在のようでした。
私は違っていて、図書館が主ですが、すでに読んでいました。大宅荘一氏ではないが、こういう部分に、意外と面白い真実が載っていることがあるのには気がついていて、第一次資料として、有意義です。
今では、タブロイド紙として、日刊現代と、夕刊フジが出来ました。それは、同じ趣旨で、大切です。毎日は買わないけれど、駅のキオスクで、その宣伝文はよく目にして、記憶しておくほうです。では、 2010年3月10日 雨宮 舜