銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

理研・丹羽氏会見する。49日後まで、待つべきだったと、私は思うが+不眠症が敵さん達のお陰で治った話

2014-08-28 09:29:27 | Weblog

 今は、28日(木)の夜八時ですが、初稿を書き終わった下の文章を推敲加筆中です。その最先端は@@@@罫線で示します。

副題1、『理研の発表を聞いて』

27日に、理研の記者会見があって、丹羽仁史さんが、スタップ細胞は、現時点では出来ないと、発表をしました。『順当なところだ』と思います。ところで、その記者会見中、記者達は、笹井芳樹氏に対する、何らかの感想を、壇上に並んだ、三人に質問をしたのかしら。

まあ、そこは、なかったとしても、日本国民は納得をしたのでしょうね。『これは、芸能二ュースではないから』と思って。だけど、私は笹井さん謀殺論を展開しているので、笹井さんは天国で、『自分の死を、丹羽さん達は、最大限に、都合良く利用をしているな』と思って、切ない気持ちを抱いておられるでしょう。・・・・と、感じました。そして、『ご遺族も、同じ気持ちでしょう』とも、推察しています。

ただ、私としては、次の、四つは、ここで、述べて置きたいです。

タイミングについては、大いに疑義があるが、発表の、中身については、順当なところで、不満はないと。

小保方嬢が、沈黙をしているのも、よし。三木秀夫弁護士が、シャシャリ出て、何かを言ったら、私としては、「噛み付きどころが、できた」と喜ぶが、今回は、慎重でおとなしく構えていてくれて、それは、未だしもな、姿勢といえる。このまま、フェイドアウトして欲しい。二度とテレヴィカメラの前に現れないで、欲しい。彼女が、現れると、日本国民こぞってのアホ面(ヅラ)晒しになってしまうから。

タイミングとしては、笹井さんの死と、私のブログの両方が、寄与して、この時点が、選ばれたと思うが、<それを狙って、野依さんと、丹羽さんが、笹井さんの謀殺を企画したり、実行命令を出したのではない>と思いたい。

 ここで、「それ」とは、何を指すかという事を丁寧に解説させていただきたいと思います。それとは、・・・・・『スタップ細胞が嘘の発見である』と言うか、『嘘の研究であった事』を発表するためには、それの主役である、笹井さんが、いない方が、はっきり、そう、言えるわけですから、理研の総体又は、主体として、『スタップ細胞は再現不可能です』と、発表をする事が楽になった・・・・・と言う事です。

ただ、このタイミングは、理研側の意思で、決定をされたわけではなく、エージェントとして、野依さんより上の構造に所属している人間達の意思で、決定をされたのだと思います。でも、8月5日に自殺が発表された同じ月の間に、ひどいです。49日も済んでおらず、また、ひとのうわさも75日と言う、75日も済んでいない段階で、この会見があるとは、よほど、その上部構造のエージェントたちが、私のブログを恐れているのでしょう。

 と言う事は笹井さんは、やはり、他殺です。お気の毒に。理研側は、せめて、49日後まで、この発表を、待つべきだったと、私は、思いますよ。
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副題2、『長年の不眠症が、とうとう治った私ですが、それは、けがの功名であって、敵さん達のおかげです(苦笑)』

 さて、私のパソコンが、この1っ週間、次から、次へと、壊され、i-padで、当座をしのいでいたものの、滔々、秋葉原まで行くか?と、なって来ました。前回、同じ様な現象が起きたのが、6月12日であって、その時、ほとんど暗殺されかねないほどの、罠が、「ほどがや」の、ネットカフェ「げらげら」に、はられていたのでした。

 さすがの勇気凛々の人である私も、あれには、懲りてしまって、たどたどしい入力技能しか持っていないi-padで、我慢をし続けていたのです。秋葉原まで行くと、どうしても、夜遅くなり、ホテルに泊まるか、ネットカフェで過ごすかと言う事となりますし。

 しかし、三日も待てないのでした。i-padという慣れていない手法で、2万字程度書くのは無理であって、とうとう秋葉原まで出かけました。皆様もそれには、賛成をなさると思うのですが、i-padと言うのは、情報を外から取得するのには、スピードが速くて便利ですが、自分が発信者になって、発信をしようとすると、それはそれは、不便なのです。で、ウィンドーズ版を直そうとするのですが、今までは、自宅で、<<<<<プロパティをあけて、あれを、どうする、これをどうする>>>>>で、直せたのに、その部分が、無効になっていたから、直せませんでした。私も知識を増幅しますが、それに合わせて、攻撃側も、さらに利口になるみたいです。(苦笑い)

 で、秋葉原に行きます。その留守が、狙われます。それに気がついたのは、伊藤滋座長、次に、奥島氏が、委員長を引き継いだ、おお相撲壊滅作戦と、私が呼ぶ、賭博問題と、八百長疑惑問題の時です。その頃は、母の見舞いもあったので、月曜日と木曜日に、東京に出ると、ほぼ、11時間は帰って来ないので、ニュースがその間に、ねつ造されて行き、悪い方向へ、進展をするのでした。
 そのころは、まだ、3.11の前で、このブログもまだ、読者数が少なかったので、「私が、ニュースを左右する人だ」などと言っても、皆さんが、お笑いになるだけだとは、分っていて、何も言いませんでした。が、実際に、・・・・・私が、このブログと、メルマガ<=その頃は、まだ、活発に運営していた>で、『これは、ここが問題なのです。こういう風に考えると、それが嘘だと、わかります』と、解説する事が、10~12時間も、出来ないでいるうちに、悪い方の、ニュースを広範にばらまいてしまい、それを、事実として、確定してしまう・・・・・と言う手法が採られておりました。

 ともかく、それに対抗して、できる限りは、頑張りました。真実だと思う事を発信し続けました。今は、「おお相撲に、なんか、疑惑があったんだったっけ」というほど、静まっていますが、その程度の小さな事を、あれほど、おおげさにしたのは、これも、鎌倉エージェントなのです。しかし、預言者として、ニュースが大炎上をしている最中に、『それは、違いますよ』と言う私は、個人的にはひどい弾圧を受けているのでした。

 その頃は、今より元気であって、30時間ぐらい連続して起きているのは、しょっちゅうの事でした。そう言う体制で、生きながら、なおかつ、今より、はるかに多かった任務のすべてを、マネージングをしていくためには、『寝るチャンスがあるときは、すぐ寝る。昼間でも寝る。眠たくなくても寝る』と言うのが、一便法であり、睡眠導入剤を使ったものです。それで、乗りきって来ました。本の編集とその印刷機よう最終データ作り、時には個展、そして、フェイスブックへの大量の投稿と、自分でも五個ぐらいの仕事を、並行してやっていると、自覚していて、こういうところでも、それを述べておりましたので、メルマガの読者から、「躁病ではないの?」と、からかわれたほどです。

 こういう体制は、海外で、三カ月集中して修行をすると言う歳月の結果なのです。それで、自然に生まれたものです。56歳からそれを始めた私は、最初こそ、文化庁の在外研修生と言う資格を持っていたのですが、それでも、年齢ゆえに、3カ月のタイムリミットがありました。それなら、私費で、行く場合は、単に、「無資格で、観光ビザで行っても、もいいじゃあないか。期間が同じだから」と思って、どこの学校への所属も、どこの会社への所属も決めぬままに、渡航をして、自分一人で、ニューヨークへ渡航をしてしまい、そちらで、また、一人で、入学する大学とか、工房を見つけて、入るのでした。アパートも見つけました。

 それは、資格を取ってから行こうとすると、ビザがおりるまで、渡航できない無駄な期間ができるからです。<<<<<さっさと、能率的に行動する。既に、50代に入っているのだから、もっとも効率的に行動をする>>>>>と言う事を目指すと、何の就労ビザも、何の就学ビザも持たないで、渡航する方が、早いのです。

 そして、一回、二〇〇万円は使うその90日間の、ラッキーチャンスを生かすために、最大限の努力と、集中をしますので、一週間に、3日間は、3~4時間の睡眠だけで、目が覚めるのでした。体が自然にそうなるのですね。ただ、体重は、162cmでも、40キロ前後にまで減りますけれど。

 ナポレオンが、睡眠三時間だと言っています。大田光夫人が、同じだと言っています。それって、本当にそうなるのですよ。なにか、喜びに満ちた仕事をしている最中は、人間って、自然に、そうなるのです。ナポレオンは、フランス皇帝となったのですから、支配欲と言う意味では、これ以上は無い満足感があったでしょう。大田光夫人は、社長として、芸能プロダウション以外の仕事を次から次へと展開をしているので、アイデアが、湧いて、湧いて、眠たくないのだそうです。

 ただ、私の場合、4日目には、7~8時間ほど、自然に寝入って、体そのものは、回復させていきました。ニューヨークやパリでは、アモバンは使いませんでした。向こうで、お医者さんにかかるのが、面倒だったからです。アメリカで、それを、するのは、所属如何では、難しいと思います。

 それに、私のやっていたヘイター方式と言う版画制法は、重労働を伴うので、睡眠は、自然に訪れてくれるのです。が、それでも、睡眠時間が三時間だったというわけは、昼は、美術上の、アイデアが次から次へと湧くと言うのもありましたし、夜は、パソコンを利用して、日本の友人にエッセイ・メルマガを送っていましたので、常に脳が全開状態で、動いているので、なかなか脳内・電圧が下がらないと言う傾向に入ってしまっていたからです。
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副題2の2、『NHK総合チャンネル、お昼のスタジオパークにチターの演奏家が出たが、これは、偶然ではないでしょうね』

 ところが、睡眠導入剤アモバンをもらいに行くその筋道さえ、脅かしと、嫌がらせの連続に出会うのです。ただし、依存症ではなくて、6カ月に一回、2週間分をもらうだけで、大丈夫なのですが、半年に一回、出かける筋道で、JR横須賀線が、実態は無い工事で、ポスターだけが、大々的に、「逗子以南は、通りません」などと宣伝をするのです。これも井上ひさしが、発案をしたらしくて、常に、高架橋、工事が、テーマとして使われます。それは、彼が常にデスクにしがみついていて、実体験が不足している人なのに、常に、私の行動を追い続け、いじめ用のアイデアを生み出していた、公的にも、生きていたとされる2007年、7月の末に、偶然わかりました。

 その日、母の見舞いの帰りに、新宿で電車が止まってしまいました。台風が来たのです。私は主人に電話で断ったうえで、本作りの仕事を、夜っぴて徹夜で、新宿で、する事として、『それもまた、ラッキーだな』と、思い始めました。

 <<<本づくりのデータ制作が、自宅のパソコンが、壊され続けるので、外の貸しパソコンを利用して作り始めた>>>と既に、何度も、言っていると思います。一般の出版社では、大小を問わず、編集者はそこまでは、自分ではやりません。大手の出版社なら、大手印刷所のデザイナーを使いますし、表紙などは、有名なデザイナーに、個別に依頼する事もあるでしょう。中小の出版社なら、それは、それなりのデザイナーを確保しているはずです。

 しかし、私はそれらのすべてを、たった、一人でこなすのです。それで、誰も経験をした事のないほどの、複雑な仕事を常にやっています。だからこそ、私のパソコンを覗きこんでいる連中が、大音量には、弱いだろうと、考えたらしくて、本作りをしていると、我が家の周辺で、常に大騒音が、鳴り響いたのだと言っています。

 その一つが、安野忠彦氏が、毎日午後、行うチターの練習で、曲目がピアノで言うところのハノンと言うたぐいの音階練習で、つまらないものであって、音楽が大好き人間の私にとっては、一種の拷問であったと、たびたび、述べていると思います。ただ、その悪意ある目的はわかっていますから、いつも、心頭滅却すれば、火もまた涼し、で乗り切って、乗り切って、六冊の本を工業的に印刷し、別に、パイロット版を、オンデマンド方式で、5冊作り上げました。

 さて、2014年8月27日のスタジオパークだったと思います。今季の朝どら『花子とアン』の音楽担当・梶原由紀さんが出ました。私は意図してそれを見たわけではなくて、ただ、録画ニュースを点検中に、ちらっとそれが見えただけですが、チターの演奏が登場しました。柳原白蓮のテーマなのだそうです。

@@@@@@ここが、一つ目の書きかけ中の最先端です。ここから先、政治の項目として、非常に重要な話が展開して行くのですが、恐れ入りますが、それは、29日のあす展開をさせてくださいませ。ただ、メモだけを置いておきます。花子とアン野、隠れテーマは不倫略奪婚の美化なのだけれど、それには、政治的意味が大ありで・・・・・

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副題2-3、『JRが、高架橋工事を口実にして、私をいじめる時に、井上ひさしが、裏側にいて、アイデアを提供している事がわかったのだった』

@@@@@ここが、二つ目の加筆中の最先端です。メモだけ置いておきます。マ

サイト、まぐまぐ占い頁に、「膝下に下れよ」と言ういつもとは、100%違う様式の文章が現れた。まぐまぐから、日本ペンクラブのお知らせが来る。日本ペンクラブも、対私いじめに使われた事がある。それは、青山で分かった。ただし、福島みずほさんに、在日の出自が隠されている事も、そこでわかった。何事もマイナスばかりでは、ないのだ。

ここから先もさらに、重要な話が展開するのですが、どうか、29日に書く、と言う事で、お許しください。

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副題2-4、『と言うわけで、医者にかかる自由も奪われているのだった。それが真実を語るものの、宿命的、不幸である?かな。でも理不尽だぞ!』

 と言うわけで、間接的にも間接的ですが、『お前は、アモバンをもらいに行っているのではないか。こっちはそれを知っているぞ。だから、近々にノイローゼだと言う事で、精神病院に強制収用をしてやろうぜ。待ってな』と、言われているわけです。

 こういう口調は、エージェントと、私が普段呼ぶ、連中が、源氏物語の中の、『雨夜の品定め』よろしく、会合を持って私について、語るときの口調を想像して、再現しているのですが、ほとんど、当たらずとも言えず、遠からずでしょう。
 
 これは、激しい怒りの対象です。お医者さんにかかる自由さえ奪われているのです。私は不眠症ではなくて、仕事があまりにも多くて、ひとの五倍は働かなくてはならないので、それをマネージングして行くためのアモバンであって、しかも、半年に一回、14錠をもらうだけなのに、それが、妨害を受けるのです。
 
 お医者さんの前に、緊急配備用工事車と言うのが停まっていて、運転台で、運転手が寝ていました。

 茗荷谷、護国寺近辺、下北沢近辺、京橋、川越街道、ときわだい近辺、とうとう、私が、訪問する先ざきで、道路工事(又は、水道工事)が、急に設定をされ、実態は無い工事のために、赤白のだんだらコーンが点滅をしていたり、ガードマンが待機をしていたりするのでした。莫大に無駄な予算が使われていたのです。

 ご近所のわがまま主婦を助けるためにです。

 私は、よく、『35%で、書きとどめています』と言ったり、『これは、65%まで、開示した話です』と、申し上げておりますが、今回は、5年前の出来事を、ここで、65%まで、開示して語りました。

 でね、私は、アモバンをもらいに行くのをやめました。最終的に貰わないで済むように、立て続けに、三回行ってもらいましたが、実際には、最近の三年間、ほとんど使っていないのです。で、体質が変わってしまいました。例の、ハイレベルで、ずっと、緊張する体制から、ごく普通の人に、なってしまって、(苦笑)不眠症は、解消しました。

 布団に入って、電気を消せば、すっと寝入ります。睡眠導入剤が要らなくなったのです。が、能率は、落ちてしまって、フェイスブックをやっていないし、ツイッターはアカウントがあるがやっていない。「そういう体制で、今は、結構ざーますね」と言う始末です。

 しかし、休眠中のブログが、これ以外に、4つもあるので、そちらで、新たな展開をする事は、夢見ています。ヤフーでは、音楽に限って、とか、ライブドアーでは、過去に出版したエッセイ集を、一章ごと、展開して行くとか、AOLでは、鎌倉に限ったエッセイを展開するとか? このグーブログで、英語の美術評論頁も、他に持っているのですが、それを充実させるとか?

 ただね、72歳です。そして、秘書もお手伝いさんもいない身です。無論のこと、ひとり出版社なので、社員もいません。こういう立場では、今の体制は、『それで、よいんじゃあないかなあ』と言うものでもあります。晴耕雨読と言うのかな? 一日、7時間ぐらいの肉体労働、園芸とか、ペンキ塗りなどの古家の補修とか。

 その後、一日、8時間程度の、ブログを中心とした書く作業。これで、バランスが取れているなあと思います。しかも、それが、私の今の精神状態の、余裕の表れなのですが、昼間、先に肉体労働をします。これが、2009年ごろは違いました。起きたらすぐ、ブログを書き始めました。肉体・労働・方面は後回しでした。

 今は、順序が反対です。それでも、気、急がないと言うのは、それなりの精神の充実と、余裕の表れなのです。自分で、自分の進歩を感じます。仕事量は減っているのですが、『自分は一種の宗教家である』とか、『町の中の哲学者である』というスタンスから言うと、この種の余裕ある姿勢と言う方が、ランクが上だと、感じています。日々、ひとは変わって行きます。私も例外なくです。

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副題3、『一方で、国費や、地方税を多量に、使って、自分を守ってもらう人たちがいる』

  ここも、29日にふくらまして展開します。

副題4、『鬼の居ぬ間の洗濯が、いっぱい行われた、27日(水)』

 ここも、29日にさらに展開をします。と、お断りをして、さて、家事を始めます。いろいろ、残っていて、やらないといけません。皆様は、それをもうなさいました? 夏物をしまうとか?
 
 と、これから、先、書く事はいっぱいあるのですが、昨日、三台も、パソコンを秋葉原に持ち込んで、サポート業者を渡り歩いて、孤軍奮闘をしたので、すっかり疲労しています。ただ、ソフトバンクのサポートセンターでペッパー君と会話を交わしましたよ。私の願う仕事は、そこでは完遂しなかったのに、ペッパー君とは、遊べました。

 本日は、ここで、パソコンのそばを離れることを、お許しくださいませ。

 あとで、誤変換を直し、加筆を、すべて終えたら、日付と署名を入れます。
なお、このブログの2010年より、数え始めた延べ、訪問回数は、のべ2414123です。

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