銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

土木優先過ぎる日本 + 結果として、それが、戦後・復興に役立った朝鮮戦争(特需)

2014-12-02 21:16:20 | 政治

副題1、『日本は、土木と、建築で、GDPを稼ぎ出している。作りすぎでしょうが』

 前報の続きを書かないといけません。ただ、私は、睡眠スケデュールが、ここ一、二日、くるってしまって、重いものが書けない状況になっているので、短いものを、本日は挿入的に、書かせていただきます。

旧東ドイツ領、ライプチッヒを、NHKの世界街歩きが訪問をしました。月曜日の、夜八時から、BSプレミアムで放映をしていたのです。そこから、本日の一文を起草いたします。

 すると、旧工場街を占拠して、若者たちがアトリエを作っています。これは、欧米では、よくある形式ですね。廃墟というか、生産拠点としては古くなった工場用建物を、日本だったら、スクラップアンドビルトで、建て直すケースが多いのです。 ただ、さびれた観光地で、廃業した大小のホテルや、レストランが、廃屋となって残っているのには接しています。ただ、都会の中に、大きな廃屋を放っておくことがないですね。 でも、欧米では、日本ほど、土木建築にお金を使いません。

 日本が世界有数の金持ち国となっていると聞いていますが、土木建築に国家予算を莫大に投下したので、そういえるのなら、山の中の道路など、を建設する方向はグッと、やめないといけないのです。地震で、山崩れしようが何をしようが、「自然に帰りましたね」ということで、放っておけばいいと、思います。それに、より、国の借金が、アルとすれば、それが、減って行くでしょう。増税をする必要はありません。内閣の大臣閣下どもは、国家予算をまるで、自分のお小遣いの様に扱って、それによって、人々が、自分に対して、平身低頭してくれるという自己承認の欲求を満たすために、国家予算の大無駄遣いをしているのです。そういう趣はあります。確実に。

  都心の老朽化したビルなど、絶対に、改築を迫られると思う。ところが、パリでも、ニューヨークでも、日本と比較をすると、激しいレベルで、古いものを大切にしています。

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副題2、『催事場は、パリでもニューヨークでも、徹底的に小規模だった』

 日本には、大きな催し事が開かれるたびに、箱物として、また、地域エリアの再開発の対象として、コンベンションホールが開かれます。有楽町の東京フォーラムは、都庁の跡地です。旧都庁が廃墟ビルのまま残っているということはありませんでした。

 横浜のインターコンチネンタルホテルの近辺に、大きな国際会議場と、それに、併設されている見本市会場があります。これは、埋め立てた場所を利用していますので、新築はやむを得ないとしても、

 そのほかに、東京ビッグサイトと、幕張メッセがあります。つまり、四つもあるのです。無論すみわけができていますね。東京フォーラムでは、高級なものを扱っています。医療器具見本市とか。ラフォルジュネ(音楽祭)とか。で、それ以外では、東京ビッグサイトが、便利で、よく使われます。

 横浜は、すでに、二次的利用対象で、夏休みの子供たちへの、恐竜展などをやっていました。幕張メッセは、私にとっては、遠すぎるので、情報が入りません。

 パリの場合ですけれど、バスティーユのそばに、平屋建ての催事場があります。そこで、骨董市などが開かれる際には、スペースが足りないので、ほかのお店は、屋台を出して、そこに商品を並べています。パリには、土砂降りの雨というのは、ほとんどないので、それで、持つのです。

 むろん、東南を避けるためにエリア全体が、きっちりとした金網で囲まれていて、入場料を払って、入場するシステムにはなっています。

 ニューヨークの場合は、大きな赤レンガ造りの旧・弾薬庫が催事場として利用をされています。日本で赤レンガを使った建物というと、横浜の赤レンガ倉庫とか、東京駅が、思い浮かべられますが、もっと、ずっと、大きくて、寸胴な建物です。中は、天井は、10m以上の高さで、吹き抜けになっていて、そこに、仕切りを作って、ブースを設定していくので、中に入ると、東京有楽町の国際フォーラムと全く同じ近代的様式ですが、箱そのものは、非常に古いものを使っているのです。

 むろんの事、欧米には、高度に発達したオークションというシステムもあって、そこは、場所が、固定されていたり、また、別の豪華な会場(美術館内に、白テーブルを林立させて行ったりする)ので、催し物場の全部が、貧弱だというわけでもないのです。

 サザビーズとか、クリスティーズという催し物場が、豪華なのは、ニュース等で、ご存じの事でしょう。皆様も。

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副題3、『日本でも、敗戦直後は、建物の不法占拠があり、闇市が発展をしたはずだ』

 最近の新聞によれば、新橋駅西口が、再開発されるそうです。例のごとく、NHKのマイクが出て、庶民の声を拾っていました。「ごちゃごちゃしているのが、サラリーマンにとって、憩いの場所だったのに」と言っていました。

 この再開発ですが、確かに、再開発によって、繁栄するよりは、かえって、沈滞するケースがあります。川崎西口は、再開発されて、中心にラゾーナというショッピング街ができています。これが、単体の、ショッピング街としては、全国一、売り上げが多いのだそうです。経済分野の週刊誌が特集していた記事内で、読んでびっくりしました。駅から雨に濡れないで、歩いて行って、赤玉土を買うことができるのですから、驚きます。昔でいえば、金物屋(ユニディ)とか、電気屋(ビックカメラが)、小物や(一〇〇円ショップのダイソー)が入っていて、かつ、高級レストラン街から、庶民向けのフードコート、そして、豊富な生鮮食料品と、お土産用ブランド菓子類。上階には、ブティックなど+本(丸善)など、が、見て歩きやすい展示になっているショッピングタウンです。すごく便利で、横浜駅周辺よりも物を買いやすいですが、ただ、人が多くて喧騒がやかましく疲れます。で、そちらが繁栄している部分とすれば、再開発によって、沈滞した方が、飲み屋街です。

 このラゾーナの再開発と伴って、線路沿いの飲み屋街も整備されたのです。昔を知らないのですが、グッと、さびれていますね。新しいサッシの格子戸は、開けて入りにくいほど、冷たくて、一種のシャッター商店街になっています。こういう町は、古びて、壊れかかったぐらいの風情があった方がいいのでしょう。

 飲み屋街って、昔風のごちゃごちゃしている方がいいのです。昔のものを全部廃棄するのはよくないです。お気の毒なことですね。川崎西口で、線路沿いで、飲み屋を経営していたみなさん、と申し上げておきましょう。

 で、川崎から、新橋の話に戻ります。西口より東口について語りたいです。私は銀座へしょっちゅう行くわけですが、降車駅として、新橋を使い始めたのは、ここ、二〇年のことです。横須賀線が、貨物線を利用して新橋から地下五階に入ってしまうと、駅構内で、たくさん歩かないとならなくなり、乗り換えに時間がかかるので、『有楽町まで行かないで、新橋で降りて歩きましょう』となって、新橋を多用する様になりました。特に東側をです。

 去年までは、汐留の事務センターで、試作品の本を作っていたので、汐留付近の広大な地下街も、探索していますが、今年になって、北久里浜へ行くために、都営地下鉄浅草線新橋駅も使うこととなって、さらに新しい発見がありました。それは、新橋東口の、ニュー東京ビル第一というビルの地下一階は、飲み屋街になっているということでした。結構流行っているみたいです。死んではいない。

 『このビルは外観が相当古くはなっていますが、この地下街で生きている人たちを含めて、スクラップアンドビルドは、しない方がいいですね。ここは、これで、これから先、何十年も』と思ったことでした。ビルには入っていない酒屋さんで、七輪の煙をもうもうと立てて海産物を焼いている人気店もあります。ビル内の方は、それほどの冒険ができないので、お客が満杯ということもなさそうですが、それでも、まだ、シャッター商店街には、なっていません。

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副題4、『戦後、雨後の筍のようにできて駅前周辺の飲み屋街は、昔の闇市の発展したものだと思うけれど、その土地の所有者の、権利関係はどうなっているのだろう』

 終戦後、ぼんやりと打ちひしがれ、少ない配給のご飯だけを食べていて餓死した人もいると言われる中で、たくましく生活を切り開いていった人々がいて、第三国人と呼びならわされたていたものです。戦時中に、強制労働ではなくて、この国に、活路を求めて入ってきた在日の人が主役だったと聞いています。その中で、資金を集めた人が、投下資本が必要な、パチンコなどへ向かって行って、さらにお金を儲けて、駅近くに、雑居ビルを建て、一、二階、およびb1は、自分が経営する。もしくは他人に貸すという形で、レストランを入れ、三,四階は、オフィスビルとして貸し、そのビルの上階に、ネットカフェを開いているみたいです。ネットカフェの方が、パチンコ店より、お客をだます程度が低いので、二代目、三代目のお坊ちゃま育ちの人にとっては、経営するのに、気分が楽な職業なのでしょう。

 確かに、サラリーマンにとっての、エネルギー再生のための、避難所の役目を果たしている。ただし、ここで遊べる費用をねん出できるのは、結構な高給取りでしょうが。居酒屋によって、いっぱい飲むより、ここの方が、回復できると思っている若手サラリーマンは多いと思います。

 しかし、厳密に言って、駅前の繁華街の土地は、たいへん高いのに、その持ち主たちが、戦前から、そこを持っていたかどうかは、限らないのです。不法占拠で始まったのだけれど、戦後69年がたちました。それで、すっかり、きちんとした所有権になっているのだと思います。しかし、そういうことが可能なのは、彼ら、在日社会には、きちんとした名簿ができていて、非常によく協力し合うからです。

 プライバシーを尊重するために名簿を作らせないというのは、こういう風に、闇の形で、得をして日本を支配している人たちが、自分たちが得をしているルールを、一般の、日本人には使わせない様にしているだけなのです。

 で、日本人は、群盲象をなでるというバカ化に、一直線に進んでいて、さらに、収奪の対象となっており、中流階級が消えていくという憂き目にさらされています。

 『団結する。数が力である』ということは、在日に限らず、共産党とか、公明党などという政党に所属している人たちは、肝に銘じてわかっているはずです。

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副題5、『ヘイトデモとは、コアにCIAがいて、在日の人たち、または、ブルーカラーとしてのエージェントが、雇われ動員され、右翼を、装っているだろう。そこにおバカな不満分子が、くっついてしまう。となると、盛り上がる。・・・・・普通の日本人があんなことをするはずがない。・・・・・

 この仕組みはイスラム国も同じである。あれは、核に、CIAがいて、そこへ、おバカな、不満分子(欧米に移住したアフリカ系イスラム信者の親の元で、就職などの際に、差別に苦しんだ、二代目、三代目の若者)が、くっついて、洗脳され盛り上がり、残酷なことをしているだけなのだが、まるで、正当な政治運動みたいに見えるのだ』

 私が在日について語るとき、そこで、語っていることは、ほとんどが真実でしょう。で、それは、書かれては困るので、このブログをつぶしたいのです。だが、つぶれません。で、どうしたらいいかを考え出したのが、一つには、日本で行われているヘイトデモであり、イスラム圏で、起きて居る、イスラム国の問題です。

 ありとあらゆる政治運動のコアには、CIAがいます。そして、おびき寄せられた若者たちを、たきつけたり、あおったりしているうちに、その子たちは、極端な、洗脳をされて、本当にそれを信じて行う、過激派ができてきます。後は、計画した方の悪人は、『シメタ。よく、考えて、適切な時期に、彼らに関する、大きなニュースを流せばいい』と左団扇を決め込んでいるのです。

 その前に、ニュースになる様な、適切な行動を起こさせればよいのです。最近、欧米人の若者が、黒伏面のイスラム国人に、射殺、または、ナイフで、切り殺される映像が、逐一、NHKでも、放映をされていますが、これも≪アラブは、いかに悪い宗教なのかと、悪宣伝(=ネガティヴキャンペーン)を張りたいアメリカ在住のCIAが、脚本通りに、行動している結果だ≫とみてます。

 ヘイトデモの方ですが、コアには、複数の在日の人とか、ブルーカラーとして飼われているエージェントとかがいて、演技として、過激なシュプレッヒ・コールを続けているとみています。

 普通の日本人は、こういうことをいたしません。で、その結果、どういうことが起きているかというと、新大久保がさびれきっているそうです。自然に発生した、そして長い時間をかけて発達をして来た、特色ある繁華街が、つぶれかかっている。それは、鎌倉エージェントとか、それと、連動している成岡庸司君などが、計画している、裏社会の工夫の産物なのですから、仰向いて唾を吐くの典型です。

 国連まで動いているそうですから、まさしくそうでしょう。そして、自民党もヘイトデモ反対の動きを出したらしいですよ。

 さて、私がどうして、こういう独自の解釈に至っているかというと、映画コーブの試写会が、横浜の名画座であるというニュースが、新聞とNHKで流されました。その時にわかったのです。

 しかし、試写会にしては、その開催時期が変でした。

既に、映画コーブは、一般の劇場で、公開されて、そのニュースの時期では、随分と時間がたっており試写会が、横浜の小さな映画館で、開かれるというのが、とても変でした。

 が、そこに、田原総一郎、および、崔洋一監督が来ると聞いて、ますます、変だと思いました。こういう有名人は、公開前、半年ぐらいに、試写会には招かれるはずです。

 しかし、対、私としては、それに気がつけよ、それに気がつけよ」という形で、NHKニュースが頻繁に取り上げるものですから、その日に、気が付かざるを得ません。主人が、自動的というぐらいにつけている朝5時からのニュースから始まって、途中で、少し切りますが、11時からまた、ニュースをつけますので。

 何回も、横浜での試写会を、言うので、注目をしていると、なんと、田原総一郎と、崔洋一の姿は、映さず、(本当のところは、行っていなかったのではないかな? まあ、これは、言い過ぎだとしても、主役は、上の二人です。それをニュースでは見せず)反対に、入り口で、ふーら、ふーらと力なく両手を左右に振りながら、映画『コーブの上映反対ー』と叫ぶ、15人以内の、男性が映りました。

 右翼ではないです。すぐ、『共産党員か、エージェントたちで、動員されたのだろうなあ』と、分かりました。今、副題5を書いている最中にパソコンにシステム上の破壊が起こり、書きにくかったので、さらに、それを傍証として、これが、真実だと、申しあげておきましょう。

 このニュースのコンセプトは、映画コーブは、上映を反対している人がいるが、そういう人は右翼であるから、無視しましょうね。われわれインテリは、右翼などとは、別の人士なのですからと、気取ってる、スノビズム大衆を、こちらに引き寄せ、私のブログから読者を引っ剥がす、そういう脚色にのっとってわざと作り出された現象ですが、それの効果をさらに上げるために、NHKが協力をしているという図式です。

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副題6、『日本のやくざは、その85%が在日で、構成されていると聞くが?』

 本日、12月3日(水)の私は、元気でしたが、その分、懸案の用事を果たすために、ほぼ、12時間外出をしていました。それで、午後続きを書きますと言っていたお約束が、夜の9時になってしまったので、白熱灯の問題に入るのは、急きょやめにしておきます。そのかわり、土木と建設の問題を、さらに深めたいと、思います。

 戦後の復興は、駅前の闇市から始まったのだろうと、上の方で私が言っています。それは、第三国人と当時、呼ばれた、主に在日の人々の、≪法の順守などくそくらえ精神の発露があって成功した≫という趣もあると思います。日本のやくざとは、85%が在日の人たちで、構成されていると、聞いたことがありますが、そういうやくざ組織の保護も求めながら成長したのでしょう。

 そして、やくざと警察はある部分密接な互恵関係があるとも聞いたことがあります。それは、都会で、土地を不法占拠した、在日の人にとって、やくざ組織が、戦後戻ってきた元の地主を追い出してくれる、事などが役立つから、そういうことで、より発達をしたのだろうと、思います。

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副題7、『仁義なき戦いの、菅原文太さんが亡くなったが?・・・・私が心配しているのは飯干さんのお嬢さんの事だが?』

 今週の大きなニュースとして、菅原文太さんが亡くなりました。彼は、本音でものをいうところも多々あって、それゆえに、文化勲章などがもらえませんでした。でも、私は、様式美にこだわった高倉健より菅原文太という俳優の方が、好きですね。より大きな知性と、人間性と、それから、生活全体に余裕があると感じます。気の毒な事故で亡くなったらしいがお子さんもあったわけですし。

 で、彼の映画、『仁義なき戦いは、テレビで見て、面白かったという経験があります。たまたま、広島県の呉市と、広島市が、舞台かな? で、広島弁が出てきます。我が家では、主人が呉れ出身なので、「おんどりゃあ!」などと、実家では、少年時代には、使ったことのない言葉を使ったりします。が、ともかく、広島弁が、時々、笑いをとるのにつかわれます。それには、仁義なき戦いが、功を奏しているでしょう。

 ところで、これは、原作があって、飯干幸一という方が、ドキュメンタリーを出版しているわけですね。あの頃は、言論の弾圧も少なかったと思いますし、ジャーナリズム精神が健全だったと思います。ところで、そのお嬢様がきれいで知的なタレントです。

 私は、20年前、子供たちが、まだ、家にいたころは、ニュースショーもよく見ていたので、お嬢様の飯干恵子さんもよくその姿を、見ました。一時期何かが心配だったのですが、何だったか、私が忘れていました。それで、今、念のために、wikipedia を開くと統一教会への入信だったのですね。

 うーん、純真な人なのでしょう。前報を途中で終わっていて、続きを完成していませんが、ちょうど、そこで、統一教会にちらっと触れたところでした。あの新興宗教ですが、桜田淳子さんは、順調な私生活を続けているみたいだが、一般人で、韓国人と結婚をさせられた純真な女性は、ほぼ、実質的には奴隷状態だろうと、私が、言っています。救済をするべきだろうと思っていますが、棄民状態ですね。日本政府も、これは、安倍さんの時代の事ではないが、無責任なことをやっています。ドミニカ移民も、ほぼ、棄民状態だったとか言われていますし。

 景子さんは、父君によって救い出されたらしいけれど、引き続き大変でしょう。私がこうむっているパソコンへの被害など、同様に、あるのではないかしら? または、あった時期もあるのではないかしら?   そういう風に推察しています。がんばってください。

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副題8、『戦後日本の復興を助けたものは、闇市階層の奮闘、プラス、朝鮮戦争特需だったらしい』

 でね。闇市世代は、たくましかったのです。で、戦後の日本は、急速に復興をしました。そのたくましいエネルギーの高揚と、やくざを含めた無法・混沌の、カオスが、プラスの方向へ働いた例です。

 その次に、これは、後ろめたいことなので、あまり、公言をしたくないのですが、隣の国を舞台にした戦争によって、日本製品が売れに売れるという好景気が来たのです。朝鮮特需と言われています。私はね。これは、何とはない、気恥ずかしいことであると、思っていますよ。従軍慰安婦問題は、嫌なことだと、思います。それを、韓国側が声高に言うのは、おかしいと思っています。

 だが、朝鮮特需であんたは設けたのではないか。それで、助かったのだろう』と言われると、頭を掻きながら、『そうですね』と言わざるを得ないでしょう。

 ただ、その直後にオリンピック景気(まあ、一種の、特需と言っていいのかな?)が、来たので、日本は、良心の疚しさをあまり感じないで済んでいるというわけでしょう。『別に、朝鮮特需だけで、復興したわけでもないさ』と言えるから。

 この後で、田中角栄氏の列島改造論というものとか、土木を、いやがうえにももてはやす傾向が続きます。日本って、国民一人一人の生活は超貧しいのに、道路が過剰に、作られており、また、海や川の護岸工事が、過剰であり、 ・・・・・・

 うーん、この後で、

メモとしてあげたいのは、以下の副題、12までであり、それは、別のブログで、詳細を語ります。

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なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は2622732です。 

 

 

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