銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

巨大防潮堤問題と、アッキーの好ましい演説 + ICUのライバルは、上智か慶応か?△

2014-12-04 19:08:43 | 政治

  これは、前報

土木優先過ぎる日本 + 結果として、それが、戦後・復興に役立った朝鮮戦争(特需)

2014-12-02 21:16:20 | 政治
 の、続きです。で、副題が、9から始まります。前報では、・・・・・土木優先国家としての日本は、箱物(ビルなど)は、美しい。だが、日本人、一人一人の生活は、本当に豊かだろうか? 世界で、GDPが第二位だった頃はともかく、最近では、貧困層の、出来が大問題になっているみたいであって、国民一人一人は、貧しいのではないか・・・・・と、話しています。
 ところで、今、5日の午前二時ですが、推敲が終わりましたので、そのしるしに総タイトルの横に△印を入れ、文末に署名と日付を入れました。

副題9、『列島改造論は、日本をめちゃくちゃにした。今、巨大防潮堤が大問題になっているが、あれは、むろん、作るべきではない』

 南三陸町の、または、大槌町で、巨大防潮堤が、問題となっているそうです。津波は、地震発生後30分のちにやってきました。で、それを学習していたら、きちんと素早く逃げればいいのです。

 ところが、バンクーヴァー五輪の時に、浅田真央ちゃんの、エキジビションをライブでは、日本国民に、見せない様にするために、当時起きた軽い地震に対して、恐るべき長時間、NHK総合チャンネルが、津波情報を流したのでした。しかし、さしたる被害が起こらなかったので、東北の住民は、NHKの地震速報を信じなくなっていたのです。いわゆる、オオカミ少年の童話と同じです。

 で、逃げれば人命だけは助かります。そして、そのあとで、全力を尽くして、復興に向かえばいいのです。でも、今、無駄な、工事として、巨大防潮堤の建設があっちこっちで計画をされていて、それがもたらす弊害が大問題になっています。

 それは、それを実行する、小役人達に、その支配欲を満足させます。そういう仕組みこそ田中角栄が生み出したものでしょう。そしてうまみを吸った地方役人と、建設省(総務省という名前に変更をしたのだったかな?)と、土建業界が、結託して、その当時に引き続き、うまい汁を吸おうとしている、それが、巨大防潮堤だと思います。

 一方で、まともな住民とか、まともな、観察者が大反対をしています。ですから、それを受け入れて、物分かりよく、県、または、市町村が、それをあきらめればいいのに、どうも、中断されず、どんどん、進んでいるらしいのです。莫大に無駄なお金を投じて、それが、計画中らしいです。

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副題10、『アッキーがいい演説をニューヨークでしたらしい。・・・・・福岡伸一氏のコラムを読んだ、一種の伝聞だが、ここでも、語ろう』

 それは、有明海干拓事業の開門調査を、突然逆転させた主義と同程度のものであって、この日本と日本人が、どうして、これほどあほになってしまったかというほど、ひどいものです。それを少数の人は、疑問にして、ブログで書いたり、いろいろしています。

 それと同じ疑問を安倍総理夫人、アッキーは、ニューヨークのジャパンセンターか、どこかの、小さな会場の演説で、吐露したらしいのです。英語でです。考え方がとても正しいと思います。そして、人柄は純真です。また、平衡感覚にすぐれているとも、私は、思います。

 私は、現在は、ニューヨークに住んでいる人ではないので、実際には、それを聞いては、居ないのですが、今、現在ニューヨークにいる福岡伸一氏が、持っているコラム(アエラか、週刊文春のどちらかにあった)で書いていたので、それを読みました。

 で、それが効果があるかどうかは知りません。むしろ、焼け石に水ともならないでしょう。だけど、天の神様はご覧になっておられます。 

 安倍総理の姿勢(=施政)は、激しく批判をしたい私ですが、安倍総理大臣が無事なのは、天に、夫人がめでられていることが大きいと思っています。夫婦の個性や考えが違うのは、有りです。当たり前です。そして、最高の秘書とか、最高のマネージャーとは、主役の、反対路線を生き、主役の悪を軽減させてあげて、バランスをとることだから、これは、まことに立派な内助の功というべきでしょう。

 アッキーと愛称で呼ばれる、『あべ・あきえ』夫人は、而して、最高のマネージャーにして、最高の秘書です。が、彼女自身を個人として考えてみると、本当は、まだ、まだ、悩みも迷いも、多いところでしょう。あの年齢では、まだ、『もっと別の人生が、私にもあったのではないかしら?』と、悩む日もあると思います。『雅子さまと、同じレベルで、迷う日もあるでしょうね』と推察しています。

 だけど、彼女は、普通の人としての常識を持っているみたいなので、≪仕事とか、役柄に対しては、忠実であるべきだ≫と、覚悟をしているみたいです。それが、他者にもわかります。飛行機のタラップを、夫婦ふたりで、手をつないで降りるのは、私の様な年齢の者には、「クエスチョンあり」ですが、私が、それに文句を言える筋合いでもないし。ともかく、鳩山由紀夫夫人などより、数段上の人でしょう。

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副題11、『ここで、戦後の日本人総理大臣の、大変さを語りたい』

 田中角栄という総理大臣が、列島改造論で、日本中をコンクリートで固めてしまったのは、大問題です。しかし、彼、自身は、いわゆる愛国的な、政治家・・・・イコール、日本人としては、ごく、ごく、まともな政治家であり、独立国家、日本を堅持しようとした政治家・・・・・であったと、感じています。

 それ故に抹殺をされたわけでしょう。で、『自民党の総理大臣って、本当に大変ですね』と、同情におく能わずです。だから、私は、自分が政治に目覚め、政治を観察し始めたころからずっと、自民党の総理大臣を、同情し応援してきました。

 ところが、驚いたことに安倍総理大臣だけは、いささか違うのです。そこが、微妙にして絶妙に、CIAとか、フリーメーソンの関与をうかがわせる世界となっております。

 ところで、田中角栄氏がロッキード問題が発覚する前に、どういう心境だったかを、例の観てきたようなうそを言いの一つとして、彼の発言として再現してみましょう。ごくごく信頼する身内に向けて、例のしわがれ声で、『まあ、日本が米国の属国であるとは、分かっておりますよ。しかし、日本とアメリカは遠い。反対に中国と日本は近いです。一衣帯水の国として、中国と結びつかないといけません』・・・・・

 こういう心境だっただろうという私の推察は、間違っていないと思います。彼は、書道が、上手だったそうです。学歴としては、土木の専門学校卒だけです。しかし、永田町の選良になり、自民党の幹事長となっていく過程で、有能な秘書(金庫番、S女史)の存在も貴重だったでしょうが、彼本人もお勉強をしたはずです。そのお勉強の一つが、大臣としての捺印としての、花押などの、書体を工夫することなどから、書道に、集積していったのではないかと、推察されます。

 で、書道のお勉強とは、先人の筆跡をまねすることから始まります。蘭亭序などの、王羲之の筆とされる石碑の写し等から行書の勉強が始まって、女性は仮名へ向かいます。だが、男性は、篆書体とか、楷書とか、ともかく、漢詩文化になじんでいくこととなるでしょう。となると、田中角栄氏の中に、当然のごとく、大陸中国に対する、特に、その四千年にわたる文化への尊敬が生まれたと思われます。

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副題12、『周恩来首相と、田中角栄首相の握手は、とてもうれしかったことを、鮮明に、私は、覚えている』

 私は、2003年ごろから、大陸中国と、習近平氏が、国家主席を務める国を呼んで、その動向と施策を、嫌がっています。『やることなすこと、嫌な国だ』と、判断をしています。しかし、それ以前は親中派でした。

 南京大虐殺の事、731部隊の事など、大学の一年時には、すでに、自習で、全部学んでいて、英語で、リットン調査団の調査所の原文などを引用しながら、論文を書いていて、すでに、そのころに、アメリカ人教授に褒められました。『内容が、正確だと、おもわれるし、アメリカ人の私にとっては、知らないことがいっぱい入っていたし、たいへん優秀な論文です』と、言っていただいて。

 ここで、田中角栄氏と、周恩来首相の握手については、副題16へ飛びます。間に、社会学的な観察という挿入が挟まります。

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副題13、『挿入としての、慶応と、ICUの比較について、ここで語りたい』

 ちょっと、ここで、挿入ですが、急にICUについて語りたくなりました。それは、リットン調査団のリポートという項目で、突然にICU図書館についての、若い日の思い出が、よみがえったからです。今は増築されており、かつ旧・図書館も、その内部がだいぶ変化したICU図書館ですが、私が在学中は、全書物が開架式で陳列されており、非常に使いやすい、かつ蔵書も多い、図書館でした。後で、他大学のそれと比較をしますが、1960年代にしては、使いやすさという点では、相当に良い方の大学図書館だっただろうと、考えております。

 今般、佳子様がご入学になって、眞子さまがご入学になった時よりは、突然に知名度が上がったとみられるICUですが、そのライバル校と、みなされるのは、ここで、副題としてあげた慶応ではなくて、実際には、上智です。

 上智は、学長が長らくドイツ系であって、一種の付属高校として、神奈川県内の名門私立、栄光学園があります。かつ、カソリック系のミッションスクールだと、思います。一方で、ICUは、アメリカ系で、かつ、新教系のミッションスクールです。最近は、ICU高校という一種の付属高校もできました。

 上智は、四谷という交通至便のところにあり、ICUは、三鷹、もしくは武蔵境からバスで、20分以上離れていて、かつ、バス停から、本館まで、五分はかかるというほど、田舎っぽい(ただし、きれいはきれいですよ)場所にあります。

 そして、上智は母体は、イエズス会かな? だから、布教によって、その国を支配するという役目を持っていることも確かです。が、≪今のイエズス会は、ザビエルがいたころ=大航海時代ほどの、権勢を誇ってはいない≫と、私は思いますが、いかがかな? 本当のところはわかりません。

 一方で、ICUも、宗教ではなくて、別の側面(=語学)で、親米派を作り出し、アメリカの日本・統治を支えるという役目を担っていたでしょう。両方とも文化を隠れ蓑にした政治的使命のある大学です。昔は、日本が、上海に、東亜同文書院という似た形式の大学を開いていました。そこの卒業生は優秀な人材のはずです。

 ところで、1967年までは、圧倒的に、ICUの方が上でした。ところが、その後、学生運動のせいで、一回入試が行われなかったとか、いろいろあって、人気が急落した時期があります。そのほか、立地条件の有利さなどが重なって、上智がどんどん、レベルアップしていって、今では、上智が上となっています。マスコミの扱いなどがそうです。悔しいなあ。(苦笑)

 ここで、一般の方はそれを肯じないでしょうが、もう一つの真実を語りましょう。戦後日本の最大級のエージェントの一人となっている、井上ひさしが、上智出身なので、その傾向は、ますます強まっています。彼は、表向き、自分を死んだことにしています。で、遺産相続も済んではいますが、事実上は、いまだ生きていて、佐助(さすけと読む、鎌倉の一地名)の三方が、谷に囲まれて別世界というほどの、大木の中にある家で、地下潜行をして、種々様々な政治的諜略行為を案出しているでしょう。

 で、彼の、政治的、権勢の強さのおかげで、さらに上智は、上昇していくはずです。マスコミの力は大きいから。それは、私にとっては、とても嫌なことです。が、現状は、そう言う風に、なっています(苦笑)

 同じことは、私にはあまり関係がないですが、北野武監督がいるから井上真央ちゃんとか、向井理君は、NHKで、重要な役どころが果たせます。芸能界全体でいえば、北川景子さんも、大変大切にされています。そして、明治大学の評判はすこぶる良いです。

 ところで、お嬢様学校、または、お坊ちゃまの進学する学校としては、ICUのライバルは、慶応と、なっています。私は日吉で育ったので、日吉によく行くのですが、そこで、ICUという言葉を頻繁に聞きます。

 母が居なくなったので、お昼は外の食堂で食べます。その際、とらひげという食堂で、ランチをとるのが普通です。これは、慶応大学日吉校舎とは、10分以上は離れているのですが、おいしくてボリュームたっぷりなので、一種の学食扱いで、お昼時は、慶応の学生でいっぱいです。

 で、4か月に一度ぐらい、そこで、お昼を食べるのですが、その時、必ず、近所の席の学生が、ICUの名前を出しているのです。いつも、いつも、そこで、慶応の学生から、ICUの名前を聞きます。で、話の大体の流れが、「両方受かったのだけれど、慶応を選んだ」というものです。

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 で、それについて、過去に一文をすでに書いています。相手の学生四人は、一年生だったけれど、一時間か、二時間中、彼らが、話していたことが、くだらなすぎました。まだ、経験したことのない恋愛の話で、(というのも、受験勉強に没頭していた外部入学生の4人組だったので)どういう風に、女の子をひっかけたらいいかの話だけだったので、『バカみたいだなあ。これなら、ICUに入学した方が、ずっと、哲学的な深さを獲得できるのに』と思い、最後に別れ際に、「どうして、慶応を選んだの?」などと質問をして、学生四人をぎょっとさせたものです。

 それは、二年は前の話で、私の方が、本の試作品の編集を、自宅では妨害を受けるので、ノマド(浮き草的生活者)として、家の外でやっている時代だから、可能だったことでした。レストランは、すいている時間を利用して、一時間半は長居しているから、そういうことができたわけです。

 というのも、四人の学生のうち、だれかは、途中で、トイレに立ちます。そして、私の後ろを通りますので、私のパソコンの画面を見るでしょう。すると、私の画面は、文章の編集とデザインの二つを一緒にやっている画面なので、超が付くほど複雑です。イラストの挿入とか、イラストの大小を決定する画面などを行っていると、さらに複雑になります。で、後ろから、それを見ると、私が単なる≪そんじょそこらの、おばちゃんではないな≫とわかるからです。かれらは、お顔は、上品だったし、言葉遣いも紳士でした。そして体格も小さかったです。大切に育てられたことが解るお坊ちゃまばかりでした。

 が、四人のうちの二人もが、「ICUにも受かったのだけれど、慶応を選んだ」と自己紹介を兼ねて、発言をしていたのでした。その後で、目の前に、「私はICU卒ですが、どうして、慶応の方を選んだのですか?」と質問をする人間が現れては、ぎょっとするのも当たり前ですね。(笑い)

 ところが、それから、たった二年でも、今では、本の編集を外では、しておりません。したがって、パソコンを持ち歩いていません。体力が落ちたからです。あの過酷な仕事を、とくに外でするのは、今は無理です。で、レストランでは、ごく、短時間の食べるだけの、滞在なのに、日吉の「とらひげ」では、この2014年12月3日にも、ICUのうわさを聞くこととなったのです。

 男子五人、女子一人の組み合わせなので、さすがに恋愛テクニックの話は出ず、それは、助かりました。

A、「ICUって、今、佳子様ご入学で、人気沸騰中らしいよ。僕は、ICUへ行く可能性もあったのだけれど、親に反対をされたからね」

B、「ICUって何がウリなのさ。英語かなあ」

C、「うん、英語は、まあ、まあなのさ。上手になるらしいよ。だけど、それ以外は、どうかねえ。わからないねえ」

D、「僕も行く可能性があったのだけど、親に反対された口なのさ」

 などと、話し合っています。なんと、六人中、二人が、行く可能性があったほど、ICUに対して知識があるのに、実際には、慶応をえらのだのでした。全国的にはICUは、ほとんど知られていません。ただ、社会階層的に、慶応に進学させる家庭と、ICUに子供を進学させる家庭では、収入のレベルが似通っているので、ICUに関する知識が、慶応の学生の間に多いのです。

 私は口を挟みたくてむらむらします。

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副題13、『最新式の墓地って、トヨタの看板方式を利用していたって、知っていた? 皆様は』

 ところで、話題がどんどんそれていく様ですが、必ず、元へ戻りますので、安心して読んでやっていて、下さいませ。

 私はとらひげというレストラン内で、隣の慶応大学の学生たちの会話に、口を挟みたくて、ムラムラするわけですが、その理由は、たぶんですが、ICUとは入学した後では、日本一勉強をさせる大学なので、その点で、彼らの誤解を解きたいからです。英語だけを勉強している学校ではないのですよ。

 ただし、私は、1960年代にそこで学び、その13年後の、1979年に、もう一回、学士入学で、北久里浜から三鷹まで、通うのですが、教科書が、圧倒的に薄くなっていました。1960年代には、厚さ4cmのMITやハーヴァードと、同じ、英語原書で、勉強していた科目が、厚さ2cmの日本語教科書に変化していたのです。それ故に、現在のICUの学生が、どれほど、勉強家であるかどうかは、疑問でもあります。だけど、授業時間は、相変わらず、多くて長いと思いますよ。それに、出欠席も、明瞭に分かる少人数制ですから、勉強しないと卒業はできません。

 ただし、今でも、すごいのは、学生が、図書館から本を借り出す冊数が全国一だということです。それでも、一年に平均冊数が、50冊ですが、辺鄙な田舎(ただし、元は武蔵野の森だったものが、今では、ヨーロッパの森風に、しつらえてある)に図書館があるので、それは、それは、静かな環境で、本の頁をめくることができるのです。ほとんどの学生は、そういうお勉強一筋の、まじめな方でした。1960年代は。

 でもね、のちに大竹しのぶの略奪婚の対象になってしまった、もと、TBSのプロデューサー服部靖ジ(漢字を今失念をしている)さんの様に、いつも、ガールフレンドと、からだを引っ付けあいながら、学内を歩いている、結構、遊び人風なひとも、いましたけれどね。最近、このブログで、重要な人物として登場する、おなじくTBSの政治部記者・秋山豊寛氏は、服部さんと、大の仲良しでした。それは、余談でしたが。・・・・・

 ところで、2013年の6月に、学長ご招待のクラス会という特別な催しがありました。50周年記念ということで、(ただし、本当は、その三年後だったのですが、この年に開く必要が、事私に関してあった模様です)、各種の催しが、事前に企画をされており、そのうちの一つが、図書館の新システムの公開でした。パソコンの検索画面で、書物を選択すると、その本が、閉架書庫から自動的に出てくるというシステムの紹介がありました。

 日本ファイリングという会社が作ったもので、定価は、4億円だそうです。その内部構造、(すごい、機械です。ものすごく大きな機械ですよ、地下一階から、地下数階を、使っているはずです)を、特別に見せてもらいました。そして、ICU図書館と、日本ファイリングが共同開発したもので、日本で、最初にそこに出来たそうで、その次に、どこそこ大学へ納入されたとか、聞きました。2013年6月の、その時点で、まだ、日本に4台しかない機械だそうです。

 これは、なんと、トヨタ自動車と、日本ファイリングが、共同開発をした部品を調達するシステムの応用なのだそうです。

  でね、また、お葬式とお墓の話に入ります。NHKが、この間、合同墓の紹介をしていました。あるボタンをマンションの部屋番号風にクリックすると、目の前の扉が開いて、立派な自分専用の仏壇が、現れ、骨は、共同墓地に埋葬をされているというシステムです。私はすぐピーンと来ました。これも、その同じシステムの応用でしょう。制作が、同じ会社かどうかはわかりませんが、確実のあの図書館の、ファイリングシステムの応用でしょう。裏では、大きな歯車の連動しているなかを、適切な形で、選別され、適切な形で、固定をされた仏壇が、ぐるぐると、回ったり、横滑りしたりして、複雑な歯車の、経路を通って、正確に表舞台に出てくるのです。

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副題14、『異論があるときに、それを表明するのは有りだ。ただし、慶応の学生が相手なら、やぼったくならないことが肝要だ』

 さて、ここで、やっと、日吉のとらひげに戻ります。私は慶応と、早稲田の図書館というのは、まだ見たことがないのです。ただ、本郷の東大(それは、1960年代ですが)と、最近の芸大、および、2013年の一橋大学の図書館、および、2013年の多摩美・世田谷キャンパスの図書館を、見ただけです。が、学生数と蔵書の割合を、比較すると、ICU図書館って、抜群の蔵書数を誇っていると思います。

 昔は、全部開架式だったので、学術論文も各分野に応じて、一年間分を、皮装で3~4cm厚さで、表装し、同じ分野ごとに、ずらっと、相当の昔からの分が置かれていました。だから、リットン調査団の、報告書原文も、英語で、読むことができたのです。

 そして、スタップ細胞も、『これは、変だなあ』と、最初から思ったのは、NATUREという非・学術雑誌に発表をされていたからです。最初のうち、メディアでは、「その雑誌は、たいへん権威がある」と言われていましたが、あれは、日本のニュートンが、それを真似して作られている様な、雑誌で、純粋な学術誌ではありません。NATUREに発表をされたから、立派な論文だということ自体が、国民に対するだましだったのです。

 そういう直感が、磨かれるのも、ICU図書館で、日常的に学術雑誌に手を触れていたからでした。そういうお勉強第一主義の、ICUのまじめな側面が、日吉のとらひげ在席中の、6人の慶応大学生には、ちっとも、わかってもらえていないということに、ムラムラと、したのでした。

 しかし、2年前とは違います。二年前には、隣で、私が本の編集をしていました。 しかし、今般は、相手の学生たちは、私に対して何も注目をしていません。彼らは六人で、テーブルを囲み、仲間にしか注目をしていないのです。隣のカウンターで、彼らに背を向けて、ランチを食べている私なんか眼中にないのです。ただし、ここで、私が勝間和代さんレベルのマスコミ有名人だったら、別に何も気を使わないのですが、そうではないので、ひどく気を使いながら、それでも、質問したい概念の答えは、得たいです。

 幸いにして、さすが、慶応の大学生、思いやりがあって、見事な答えを用意してくれました。

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副題15、『社会学的調査を、現場で一つやったのと同じことだった」

 親が反対したのは、彼らが、15歳の時だったそうです。二人とも、中高一貫教育の有名校に、在学中でありました。それなのに、ICU高校にあこがれて、そこを受験したいと言ったそうです。ところが、それは、現在、在学中の学校を、一回退学しないと、できない事なので、それが、リスキーだと言われて、ICU高校への受験を、あきらめたそうです。なるほどねえ、よくわかりました。ですが、それなら、高校を卒業した後で、ICUを選んでもいいわけですね。(笑い)

 しかし、それを、質問をすると、相手も困るし、私も困ることになるだろうと、私の方が、気を使って、一つ目の質問に答えてもらっただけで、レストランを後にしました。

 私は、現実問題として、・・・・・佳子様がご入学なさっても、まだ、ICUって、一般世間における認知度が、低いなあ。そして、入学生の実家の社会階層を比較すると、大いに似通っている、慶応大学に比較しても、人気はいまだしなのだ。それは、結局のところ、アメリカの国家としての人気の凋落と、関係があるだろう・・・・・などと、考え到るのでした。アメリカの人気が落ちている事、それは、やはり、アメリカの一部が、ひどいことをやっているからです。

 12月2日も、GSユアサのバッテリーのニュースは蒸し返されていますね。そういう風にして、日本人が苛め抜かれると、そのうち、もしかするとですが、嫌韓、嫌中の動きに、引き続いて、日本人が、アメリカを嫌うという、現象が、起きる可能性があります。それは、私としては、ICUの人気がさらに低くなることだから、悲しいことですが・・・・・どうなりますか? そして、この対日いじめの問題ですが、日本社会の中に、積極的に協力している存在があると思いますよ。それが、大問題なのです。

 私が≪一の瀬智恵乎さんを母親としては、駄目だ≫と、批判するのも、瓜南直子さんんついては≪どうして、死の半年前まで、私をいじめることに躍起となるなどという、あほなことに専念をしていたのだろう≫というのも、その後ろにいるエージェントという、存在を深く嫌い、深く、憎むからです。しかし、表に現れて実際の行動を、とる人について、書くほかはないので、ああいう文章を書くこととなります。

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副題16、『今は、消え去っているニュースだが、周恩来首相と、田中角栄首相が握手した時ほど、日本人として嬉しかったことはなかった・・・・そのII』

 これは、副題12から、ここへ続く文章となります。日本国の首相ほど、きつくて、つらい任務はないと思いますよ。そして、幸いなことに、一応報道の自由が保障をされており、中国などよりはるかに金銭的には清潔であり、論理的であり、云々と続くのですが、それは、表面だけを言ったらそういえるのであって、

 中国の首相、または、中国の国家主席などと比較をすると、これほどはない、つらい立場であると言えましょう。ただ、オバマ大統領なども苦悩が深いみたいなのですけれどね。アメリカ本体に住んでいながら、政治家としての、権力をほとんど、行使できないオバマ大統領を見ていると、ホワイトハウス自体も、また、例の国際的軍産共同体の、傀儡だったと、分かってくるわけですが、・・・・・

 田中角栄がなぜ、つぶされたかですが、あの周恩来首相との握手が、あだとなったと、私は見ています。日本人がうれしく思ったからこそ、田中角栄首相は失墜せねばならなかったのです。直接の失墜は、アメリカ側がから、わいろが渡されたのが、公表をされたからです。その渡した人物に、「免責をするから、わいろを渡したことを証言しなさい」とは、この世も末の、出来事ですね。どれほど、田中角栄氏は、絶望をしたでしょうか? 脳梗塞だか、脳溢血だかを、患ったのも当たり前だと思います。

 私は今まで、田中角栄氏の、あの日中友好条約の締結を、アメリカを、通さないで行ったので、彼は、失墜をさせられたと、考え、それを表明してきました。

 ところが、本日は、まったくあたらしい考察を付け加えます。

 日本人を嬉しがらせたのも、いけなかったのです。日本人はうれしがってはいけないのです。被、植民地国家と、その国民を支配するためには、彼らを、生かさず、殺さず、どんよりと、通常状態として、メランコリックにさせておかないといけないのです。それを、支配するためには、その国の国民に、≪自らを、卑下せざるを得ない様な現象を、突き付けないといけない≫というのが彼らの、主是です。生き生きと嬉しがっていたら、支配ができないからです。

 従軍慰安婦問題など、それこそ、自らを卑下せよ。おまえは悪い人間だと、日本陣が思い込まさせられる条項です。それが、あれほどの大宣伝で行われ、かつ、朝日新聞が誤報でしたと言っているのに、安倍総理大臣は、韓国に謝罪を求めず、かつ、朴大統領は、この件で、進展を求めますと、まだ、この期に及んで言っています。

 国家としては、ぼんやりと、薄らバカに見えるほど、無表情でいて、感情を出さず、どんよりとしていないといけないなのが、現在の日本です。そうなっている限り、その支配が容易だからです。

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 ところで、本日も今また、疲れ切ってしまいました。最近、書いていることの内容が明るくないですね。それは、そういう攻撃をされているから、仕方がないのですが、ともかく暗いことを、書くのは疲れますので、ゆっくり進むのをお許しいただきたいです。で、これから先は明日、金曜日の夜に推敲やら、加筆をいたします。どうか、よろしく。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は2622732です。本日は、珍しく最後まで、推敲ができましたので、署名と日付を入れます。

 2014年12月5日の夕方から書き始め、5日の早朝に完成に至る。

                      雨宮舜 (本名、川崎 千恵子) 

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