副題1、『最初に、大沼映夫さんについて、短く解説をしておきたい・・・・美術界以外に、生活の主たる側面を置いている人のために』
ところで、・・・・・国画会の実質的トップである島田章三さんが、大権力を握っているのは、もう一方の雄であり、有名画家にして、元芸大教授の、大沼映夫(てるおと、読む)さんと、実質的な兄弟であり、その上、島田章三さんの妻の鮎子さんが芸大出身者なので、そこから、芸大卒業生を、特に、優先する流れが起きて居て、国画会を支配しているのだ。しかも、島田さんの性格の中に、汚い部分があるので、国画会内部の、精神が濁り切っている・・・・・と言うのが最近、私が書いている主旨を短くまとめたものなのですが、この二人が義兄弟であることは、国画会内部では、相当数の人が、知っていることだと、思っています。
しかし、表には出て居ません。wikipedia 等には、書いてありません。歌舞伎俳優だと、こういうことが、表に出て居ますが、画家の系図なんて、あまり、表に出てこないからです。ただ、島田章三、大沼映夫が、本当は、義兄弟であるという状況こそ、島田章三さんが、実質的な政治権力を握るのに最も適した形なのです。で、大沼映夫さんが、嶋田章三さんの大きな支えでもあるのですが、しかし、私は大沼映夫さんの方には、ほとんど問題を感じたことがありません。1990年代には、銀座の画廊で、短い会話を交わしたことがありますが、下品だとか、威張り屋さんだとか言う、面で問題を感じたことは、皆無です。だからこそ、このブログ内では、何も注釈を加えなかったのですが、元芸大教授で上品な方です。豊川市の出身らしくて、そちらでは、自治体から支援をされている方でしょう。でも、横須賀市から、島田さんが、もらった金額は、それとは、桁が数段、違うものだったと、推察しています。
ところで、1970年代以降は、その隠された義兄弟システムが大きく機能をしていると、見ているのですが、私が、それを、知ったのは、銀座や上野で、お茶飲みをしたから、うわさ話として、知ったのではなくて、横須賀市で、PTAの・平・広報委員をしたからでした。
広報委員と言うものは、1000時間以上束縛される、PTAの中では、最も奉仕度が高い役職なのです。が、その時の委員長が、大沼嘉津江さんと言って、公的会議中に、実兄島田章三さんの、自慢を、たらたらするので、上にあげた事情に、気が付いてしまったというわけです。それは、1970年代であって35年以上は前の事です。
大沼嘉津江さんは、画家でもない(=芸能界の言葉でいえば、一般人な)ので、実名をさらすのは、ある意味で、躊躇する事でしたが、横須賀市北久里浜に在る大マンション群の裏に在る政治的秘密を明らかにするためには、嶋田章三さんに、横須賀市からわたった大金の事を説明する必要があり、そのためには、杉本正子(元・横須賀市・副市長)さん、私、大沼嘉津江さんの、三者の関係を説明しないとならないので、実名で大沼嘉津江さんが登場することになったというわけです。
しかも、その政治的、金額とは、例のCIAさんたちが絡んでいる金額だから、この三人の女性の名前は、政治の分析には欠かせないものだったのです。
で、大沼嘉津江さんとは、きわめて大きな政治的存在となっており、現代における、政略結婚の、典型例となっているのですが、それでも、最初期の段階では、嘉津江さんと、大沼さんの弟君が結びついたのは、とても自然な、流れにのっとっていたかもしれません。
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副題2、『私をスキーに連れて行っての、世界こそ、若き日の島田章三さんが、生きていた世界だと、推察される』
私は、前報の最終章で、「例の見てきた様な嘘を言います」と、お断りをしたうえで、私のある推察を書いています。今日の文章も同じ手法で始めます。島田章三さんの妻である鮎子さんですが、相当なお金持ちの生まれだと推察されます。で、彼女のご両親が、別荘を持っていたと仮定をします。そこで、合宿をしましょうと、鮎子さんが、提案をしたとします。それは、今の言葉でいえば、ワークショップと言う物に当たり、一ノ瀬智恵乎さんが、娘の沙彩ちゃんが、殺される、一か月前にモルジブのワークショップに参加していたと言う事を、事件の数か月後に、私が偶然に知り、突然に、一ノ瀬さんについて公開する文章(このブログ)を書き始め、結局は、美術9条の会の存在を知ることになるのですが、
それと同じものを、1950年代に、鮎子さんがすでに、主宰をしていたと、仮定をしましょう。そこに、妹である、嘉津江さんが参加して居たりしたら、大沼家との、結婚が、自然な恋愛として、始まった可能性も感じるのです。嘉津江さんは章三さんより、7つ以上、年下だと、思われるので、とてもかわいく見えたと思います。目は一重だし、体は、章三さんと、似ていてタンクみたいではあるが、大人になっていても、ある部分で、かわいい雰囲気はある人ですから、少女時代は、かわいかったと、思います。だから、政略結婚ではなくて、自然な、形で、付き合いが始まったとも考えられます。その世界は、鎌倉在住の作家、が、作っている脚本によって原田知世が主演した、『私をスキーに連れて行って』の世界だと、言えましょう。
しかし、読者の皆様にお願いしたいのだけれど「あなたは、大沼嘉津江さんを、上げたり下げたりしていますね。本当は良心がやましいのでしょう?」などとは言わないでください。私は、前に書いたことを訂正するつもりは、まったくありません。そして、これから、説明をしたいのですが、ひとつだけ、大沼嘉津江さんに対して、怒っていることがあります。だけど、当時には、彼女には何も説明をしていませんので、まるで、気が付いていないと思いますが、
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副題3、『1991年か、92年に、国展の、神奈川支部展が、開かれた。が、それを、裏から、島田章三さんが、破壊しようとした可能性がある。島田さんの性格の中に、・・・けち・・・・と、言う部分が有る。つまり、<<<特権を、独り占めしたい>>>と、言う計算高い部分があるのだ。その展覧会でも、それが、判明したのだが、大沼嘉津江さんとの、付き合いでも、既に、私には、それが、分かっていたのだった』
神奈川県内の美術団体が、展覧会を催す場所としては、JR京浜東北線・関内駅そばの【市民ギャラリー】と言うのが、長らく、大きな役割を、果たしておりました。これが、上野の、都美館の神奈川支部みたいな機能を果たしておりました。
その後、山下公園そばに、【県民ギャラリー】と言うのができました。しかし、長らく、交通の便が悪いと言う事で、関内駅・傍の市民ギャラリーの方が、人が集まる、多数の展覧会が催されていたのです。それは、ちょっと、上野の都美館と、六本木の新国立美術館との関係に似ています。ただ、東横線が延伸をして、【みなとみらい線】と言うのができました。その終点の、【元街中華街駅】から、県民ギャラリーは、徒歩10分圏内になったので、利用される頻度が増しています。が、2000年ごろまでは、市民ギャラリーを利用する団体の方が圧倒的に多かったのです。
で、上野で、行われている、公募団体展の、神奈川支部展が、おおく催されており、新制作協会の、支部展などは、私も見に行ったことが有る展覧会です。
で、新制作展は、上野の本展が秋に催されるので、季節を、春に移して、神奈川支部展が催されていました。現在の事情を知りませんが、会員、協友、一般入選者、応募したのだが審査に落ちた人で、会員のお弟子さん筋にあたる人などが、出品をして、それなりに、大きな展覧会にしていたと、覚えております。これは、25年以上前の事なので、今、どうなっているかは、知りませんが、1990年代までは、そうだったのです。
で、春に本展が催される国画会の、支部展として、秋に神奈川国展を、催すことになり、偉い人が奔走して、実際に開かれました。その時に、搬入や搬出、飾りつけを手伝ったりしている最中に小耳にはさんだのですが、本部から、「国展と言う名前を使うな」と、言われたそうです。で、偉い人が、憤慨していました。仕方がないので、【鵠(こく)展】と、銘打って開かれ、ポスターや、チケットや、案内状もすべて、鵠の字が使われました。鵠とは、鵠沼と言う地名に使われている漢字ですが、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや (えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)と言うことわざにも使われている、大きな鳥を指します。
しかし、これは、ひどい話です。鵠展と、銘打たれてしまったら、国画会の神奈川支部展だとは、外部の人には、判りません。その上、美術界に住む人々へも、恥ずかしいという物です。新制作協会の神奈川支部展の人などに、案内状すら出せません。きっと、「何か、内部紛争があるのだろう」と、みなされてしまうからです。
で、一回限りで、それ以降は、開かれませんでした。
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副題4、『ここで、山寺重子女史が、意味のある重要人物として、このブログに初登場する。美術界で出会った悪女の最先端を行く女性だが・・・・・』
山寺重子さんと言う国画会会員がいます。美女です。よく、美形好みの川崎さんと、私は呼ばれたりしますが、その私が文句なしに、認める、しかも、好みのタイプの美女です。知的な顔。しかし、この人が恐るべき悪女です。ご主人はいい人なのです。が、彼女は、政治的ボス気質を持っており、強い支配欲と、名誉欲を持っており、ただならぬ、いじめを、行います。
彼女が支配力を行使できるのは、必ず、スケープゴートを作って、集団の中で、他の人の目に見える様に、苛め抜くという手法をまず、取るからです。それから、時の人、旬の人、または、人気のある人に、べったりとくっついて、虎の威を借りることです。それで、自分が、あたかも、本当の、時の人、旬の人、または、人気のある人みたいに、見せています。良く物事を見抜けない、人間、または、美術界参入初心者に対して、自分が偉い人物であると、示すことが目的です。
ある時期など、銀座の画廊のソファーで、「あの人・・・・・が、うんうん、かんぬん」と他の作家が、言って居ましたが、それだけで、山寺さんの事を指しているのだと、同じソファーに座っているグループのみんなが、了承をしているという現場を見ました。そして、わざと山寺重子と発音しないのも、どれほどに、いじめがひどいかを、みんなが知っているからだと、推察しました。
私はその頃、すでに、国画会に、絵や版画を出品をしていなくて、そのグループの人間ではなくて、壁にかかっている絵を見ている間の、2分程度しか、その場に居なかったのですが、すぐ誰の事を指しているのかが、私にもわかりました。
ところで、前の節で、言って居る、国画会の支部展に、国と言う字を使わせなかったと、言う残酷無比にして、失礼な措置ですが、私は、現場では、何も、口には出さないものの、本部とは、島田章三さんを指していることが判りました。
しかし、島田章三さんは、自分が傷つかない様に、動くのが好きでしょうから、自分が表に立たず、山寺さんを使ったとみています。特に、多大なお金が横須賀市から注がれている島田さんですが、当時の住所は、名古屋市なので、自分が、関係していないと見せるのは、可能です。
今、当時の、カタログを見ると、神奈川県在住であって、このお誘いに乗るはずの画家が、10人以上不参加でした。(といっても、主人が捨てろとよく言うので、3年後の、1994年のモノしか今は、手元に、ないのですが)
そのうち五人は、山寺さんが、直接「不参加にしなさい」と、命令した可能性が強いのですが、そのほかの五人は、芸大ラインで、誰かから、「不参加にしなさい」と、命令された可能性が強いのです。
で、ここまでくると急に鮎子さんが、加害者と言うか、悪人の一人として、登場してしまいます。山寺さんは、島田鮎子さんに、べったりと言うほどに近づいています。自分より、弱い者には居丈高になり、強いものには、過剰にへいこらする人物は、皆様も、よく見かけられるでしょう? 山寺さんもそういうタイプです。
そして、鮎子さんと、山寺さんは、一歳違いで、山寺さんの方が、上だと思います。となるとですが、二人が国画会の新人として登場したころには、とても、さわやかな美人画家として、目立ったと思いますから、仲良くなったと、思いますよ。1960年代の初めとは、二人が、20代の頃ですから、おばさんではないので、純真でしょうし。ただ、鮎子さんの方が、数段階上の美人です。が、天は二物を与えずの典型で、しっかりしたところが無いのだと、思います。で、利用をするために近づいてくる人間に対する潔癖性が足りない人です。その潔癖性が足りないことで、この神奈川支部展のケースでは、鮎子さんは、加害者になってしまっている可能性が高いです。この鮎子さんを、中保者として、結び付いた、章三さんと重子さんが、お互いに、共通に、敵だと思っている今関一馬さんの、足を引っ張る目的で、国展の、国と言う文字を使わせないと、言い出したのでしょう。
使わせないと言う前に、まず、参加人数が足りないと、言う事にしないといけないので、事前に、不参加命令を発したのだと、思います。・・・・・神奈川県に住んでいる国画会関係者の、半数以上が、その会には、参加していないのだから、国展の、国の字を使わせません・・・・・と、言い得ることとなるわけですから、参加しない様に、裏工作を重ねたと、推察しています。
でないと、蛯名協子さんとか、佐々木豊さんなどの、芸大卒業者であり、かつ、神奈川県在住の人物が、参加していないのが、変です。基本を重んじれば、派閥重視など、恥ずかしいふるまいです。特に芸大卒の矜持にかけて、国画会の中で、芸大卒の派閥を作り、それを誇示することは恥ずかしい事です。で、「神奈川支部展を作るのですか。それには、協力をしましょう」と言うのが、普通であり、かつ、本筋ですよね。
山寺さんと鮎子さんを比較すると、山寺さんの方が、数段上で悪女ですが、彼女が、支配欲が強いのは、予備校時代の、友達に対するライバル心が、根底に、あるそうです。それの、効果を上げる為に、相手A女史を、長期間、国画会の会員にさせないという措置を取ったそうです。そこで、A女史を、苦しめたことが、復讐の成功例として、彼女に色濃くしみ込んでいるらしいです。
その予備校時代の同級生A女史は、芸大に、入学できました。山寺さんの方は、不合格だったみたいです。今から、56年前の事で、女性が数年にわたり芸大受験のために浪人をすることは、許されない事だったでしょうから、山寺さんは女子美へ進みました。しかし、芸術家の能力なんて、芸大卒か、女子美卒かによって、そう大きな差があるモノでもないから、山寺さんは、頑張りに頑張って、先に国画会会員にもなったし、個展の開催頻度も、ライバルより、高いです。この山寺さんのライバルとされているA女史については、関係者は、判ると思いますが、ここでは、実名は曝しません。一種の被害者ですから。
しかし、そういう状況をわきから見ていた、今関一馬さんは、正義漢ですから、A女史を、国画会の会員にしてあげたそうです。今関さんは、芸大卒ではなくて、芸大派閥の人ではないのに、芸大卒の人のために、骨を折ってあげたのです。
このエピソードですが、今関さんから聞いたわけでも、A女史から聞いたわけでもありません。私には、不思議な形で、重要な情報は、すべて手に入ってくるのです。山寺さんからは、いじめにいじめられていたので、天が助けてくださったと、おもっております。
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副題5、『ここで、より深めた形での、今関一馬と、島田章三が、敵対関係に陥ったかを語りたい』
私は、すでに、何度か、島田章三さんについて触れてきていて、島田さんと、今関さんが、ライバル関係にあって・・・・・と言う事は書いてきていると、思います。だが、これもまた、常に言って居るスパイラルに深めていく問題として、考えると、今までとはまるで違った形で、書くことができるでしょう。
どうしてかと言うと、今関一馬さんが、すでに、亡くなっていると言う事があります。それと、島田章三さんが、莫大な金額のお金を横須賀市から注がれている裏側について、書いていますね。とうとうですが、そこまで、書いています。それで、ぐっと、書きやすくなっているのです。二人のライバルの両方について、タブーと言うか、垣根が取れてきているからです。
しかし、午前零時から書き始めて、すでに、6時間なので、この部分については、22日に書き進めるとさせてくださいませ。
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で、特に外出をしないといけないので、ここで、書き止めて中断をしますが、この章内で、他にも書かないといけないテーマがあるので、それを下書きとして、置いておきます。
副題6、『私は内部告発者ではない。実名で書くのは、弾圧が激しいから出会って、私が目指すものは、哲学的人間の分析である。島田章三 VS 今関一馬は、カッコウの素材として、考えたい・・・・・テーマなのだ』
内部告発と言うのは、国画会の内部に居て、文句を外へ向かって、公にする、人間だと、思います。私は、今、ここで、批判をしている絵画部には、2002年まで出品をして、2003年からは、出品をしていないと、思います。で、すでに、去ってから13年経っています。
だから、内部の物ではありません。
ちょっと、抜けるのが大変でした。いわゆる、やくざの世界のしきたりと、同じものが公募団体展の世界を支配しているからです。でも、『そう言うしきたりを守っている人物が得をするとして、この場合、具体的名前としては、誰が得をするのかな?』と考えると、組織のトップが得をするのでした。
ひとりだけが得をするのが、いわゆるねずみ講です。ただし、ねずみ講だって大規模に行う場合は、一人では運営できませんので、社員として、10人から20人は、利益を得るでしょう。で、国画会の場合、会員となると、それを、信用手形として、美術界を渡って行かれると、言う事となると思います。
しかし、会員の中でも、より得をする人間と、それほど、得をしない人間とに、二手に分かれていて、この章に名前が出てきた人たちのうち、島田章三、今関一馬、島田鮎子、蛯名協子、佐々木豊、山寺重子、の順番で、国画会会員であることのメリットを享受したと、思います。
トップから三人目までは、大びきゅつ館とか大画廊で、個展ができた人たちです。私は、2002年まで鹿国画会の、詳細情報を知らないので、その後、佐々木豊さんが、どこで、個展をされているかを知らないのですが、氏もすでに、大美術館(または、高島屋か、日動画廊)で、個展ができる位階に達しているかもしれません。
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副題7、『国画会剽窃事件、和田義彦氏が、イタリアの画家の作品を真似していた事件だが、あれが、どうして、あれほどの大事件となったのかが不思議であり、私は、むしろ、私に陰口をたたく為ではないかと、想像をしたほどだった』
私は最近では、国画会への批判を間欠泉のごとく、繰り返して描いているわけですが、2006年に、和田義彦氏の、剽窃問題が、大きくメディアの取り上げられたときは、いささか以上にぞっとしました。
と言うのも島田章三さんが、鮎子さんの、本歌取りみたいな作品を作り続けている問題も、厳密にいえば、剽窃なのですよ。だけど、それは問題にならず、しかも、ずっと以前から同じ、剽窃をやっていただろう和田義彦氏が、突然に、2006年に、大きく、事件かしたわけですね。
で、私は、もしかすると、これは、私を貶めるための策謀ではないかと、思ったほどです。新聞や、テレビでは、告発者の名前が出ませんでした。イタリア側の作家が、名乗りを上げて、動く映像も出ました。
しかし、日本側でも、告発者が居るはずなのです。それがいったい誰なのかがわからないのです。それは、報道をされていません。無論の事、ニュースソースを秘匿するという暗黙のルールがあるから、その名前が明らかになっていないと、言えます。
が、イタリアの作家が、急にその年に名乗りを上げるというのも、変だし、和田義彦と言う当該する画家は、どう考えても、島田章三さんとは、強い関係があるのですね。
それで、ここから先ですが、報道をされているのとは、まったく異なった、二つの、疑惑、または、考察に達しているのです。それを、Aと、Bと、分けて考えたいです。A案には、神の存在を感じていて、B案には、悪魔の存在を感じます。
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A案と言う考察、・・・・・告発者は、島田章三を批判する国画会内部の画家で、この前年などに、イタリア旅行、もしくは、インターネットなどの情報で、この剽窃を把握して、島田章三さんを、批判する為に、情報を外へ漏らした・・・・・と、考える方向です。こちらでは、神様の存在を感じます。
私は、鎌倉エージェント(この呼称は、CIA側に立つ、日本と、日本人に対する裏切り者の、温和な表現形式であり、横須賀にもいるのだ。そして、特権者のサークルを形成している)に、協力した人材には、必ず、不幸とか不運が訪れることを、実感をしているのです。だからこそ、耐えられているというほどの、損害が、自分側には、あるのですが、復讐と言う事は致しません。『大丈夫よ。待っていれば、必ず、神様が、悪人たちを、御成敗をしてくださるわ』と言うのが、本心です。
で、この和田義彦と言う存在は、国画会内部が、どれほど、汚い状況に陥っているかを示すものなので、したがって、国画会の、評判とレベルが落ちるでしょう。と言う事は、同時に、実質的トップの責任であるので、島田章三さんの、不徳の致すところだと、なるし、・・・・・と言う事は、やっと、鉄槌が彼の頭上に落とされたと言う事になる。ああ、よかった。やはり、神様は、いらっしゃるのだ・・・・・となります。
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B案と言う思考形式
しかし、まったく異なった考え方である、B案と言う思考形態もあるのです。こちらは悪魔が活躍している方です。たいへん複雑ですが、旭化成疑惑とか、シャルリーエブド事件とか、後藤健二殺害事件とか・・・・・あの手の、CIAとか、闇の勢力が裏側に居る事件が起きた後ではあり得る、思考形式だと、思われてきているのです。
つまり、2006年と言うタイミングが重要なのです。その3月まで、私は月刊ギャラリーの連載をやっていました。ところが、編集長から、何の御断りも説明もなく、四月から、送っている原稿が表に出ないと言う事となりました。急に連載が終わってしまったのです。と、同時にすさまじい弾圧が始まりました。
と、同時に各方向から、飛んでくる刃の数は、ものすごく、おおかったです。
で、この和田義彦の、剽窃問題も、私を貶めるために、起こされた事案であって、和田義彦は納得をして、剽窃事案を公開をされることを引き受けたのではないかと、言う、そう言う考え方です。
そして、新聞や、テレビで、大々的に、報道をしたうえで、