銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

シーツをシロモで縫い付けている内に、16-7-2=ダッカ事件の日の海老蔵の母を思い出す△

2016-09-25 22:06:31 | 政治

この文章の、推敲と加筆が、夜の11時45分に終わりました。

で、恒例の△印を、総タイトル横に付けておきます。   

 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、鎌倉の呉服店でお借りした留めそでですが、本当にいいものでした。後ほど、横浜高島屋に行きましたが、これほどいいものは置いてありませんでした。どっしりとした重いちりめんで、一越という織り方のモノだと、思います。それは、総タイトルの中にれた、シロモと言う糸とは、真っ反対の種類の、糸を使っています。つまり、最高に手の込んだ、撚りの強い絹糸を使っている反物なのです。反対に、シロモとは、極端に、甘い撚りのしかも、木綿糸なのです。だから、糸の値段が圧倒的に違います。

 しかし、この一文はファッションの文章では無くて、政治の文章です。ここで、この写真を置いたのは、そのちりめんと、シロモの違いを語りたかったからでした。ただ、この写真そのものについて語れば、これは、本当は、左側の息子と一緒で美しい写真となって居るのですが、彼のプライヴァシーの問題から、そちらをトリミングで、削除をしてあります。

 特に大口病院の点滴へ、界面活性剤が混入されていて、殺人事件が起きています。それを分析しつつあった(後注1)ところ、猛烈な睡魔に襲われ、また、その睡魔の話を書いたところ、パソコンへ猛烈なシステム破壊を起こされました。で、今やっと直したところです。その破壊工作が今使って居るこのノートパソコンに受けているからこそ、脳への侵入もありだと、思われます。ノートパソコンとは、非常に簡素化した脳と言ってもいいものですから。特に睡魔に襲われるのは外部からの攻撃である可能性が高いです。

副題1、『大口病院、点滴殺人事件について書いていた(後注1)最中に、猛烈な睡魔に襲われる。何故かを分析しつつ、違う仕事に取り掛かると、目が覚めて来た』

 今朝は、6時間睡眠をとったのちに、午前4時に目覚めました。すると、夜の九時なら、通常の私は、まだ、眠くなっていない筈なのです。しかし、強烈な睡魔に襲われました。ブログを書いている最中です。しかも内容は、大口病院の、点滴液殺人事件についてです。

 で、私は、睡魔に襲われたのは、自分が、それを書くのが嫌だから睡魔に襲われたのか、それとも外部からの攻撃か、と、考え始めました。ともかく、どうしようもないので、寝入ろうとして、まず、布団を、敷こうとすると、昨日から、カバーを掛けるつもりで、それが、途中になって居ることを思い出しました。

 この作業ですが、一階の旧客間(12畳)で行います。別に16畳の客間を新たに作ったので、こちらの部屋は、絨毯も敷いておらず、家具も置いていないので、中心が、6畳程度、フローリングだけで空間として置いてあり、昔の感覚でいう和室として、作業用に使います。布団類に関する作業は、もっぱらここで行います。上の写真は、猫の最晩年の姿ですが、私が珍しい事をやっていると感じて飛んできて、できたばかりの布団にのっています。そして、気持ちがよかったのでしょう。毛づくろいを始めています。それで、なめるための、舌が出ています。が、これも、挿入的言葉ですが、もうやせておりますね。丸々としていて、非常に体重が重いのが、若いころの彼女の、一大・特徴でしたが・・・・・

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副題2、『シロモと言うのは、もっとも、撚りの甘い木綿糸で、ガス糸ともいう。私はそれを使って縫物をするのが大好きで、もう、一束使ってしまったし、二束目も、無くなりつつあるのだった』

  さて、上の写真は、私が持っている糸の内、ホンの少しを取り出して、フローリングの上に置いてみたものです。左側にオレンジ色の糸がありますが、これは、布団用の糸で、絹糸です。右上の小さな糸巻きの方も絹糸で、後は木綿糸です。真ん中にピンクの糸があります。これが、シロモで、既に、少量使ったところです。その隣の黄色い糸が、ほぼなくなりつつある二束目と言うわけです。この糸がたいへん安いもので、しかも弱いものなのですが、それで、しつけなどをしているときの何とも柔らかい感覚の、素晴らしさに打たれるのです。それをやっている部屋には、テレビもないし、ラジカセもないし、パソコンもないので、静寂そのものの中で、しつけ糸を駆使して、布団を作ったり、布団にカバーを掛けたりしていると、非常に平和で、落ち着きのある、生活が、よみがえってきます。そして、自らが再生するというか、柔らかく、美しいものへと、変化して行きます。

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副題3、『私には、自分の力と、神様の力によって、素晴らしいプレゼントもいただいており、したがって、いつも優雅に楽しく生きて、も、いるのだった・・・・・しかし、鎌倉エージェントは悪魔の発想と、力によって、攻め込んでくる。』

 私は自分の損害については、語らないのだと、言い続けておりました。が、やまゆり園事件と言うひどい謀略が起こされて、これは、たまらないとなって、損害のうち、相当に突っ込んだ話を始めております。

 そのうちの一つが、かどや製油と竹本油脂を舞台にした話であって、竹本油脂のCEOから、直接に、「うちは、界面活性剤を扱っているのですよ」と言う話を聞いていて、それをこのブログの世界で書いております。後で、リンク先を見つけておきます。そのCEO・館野ひろお君は、私の大学時代の、4年時の同級生です。たった、三人だけで、化学実験室に居た仲の男子です。

 かどや製油は、一部上場会社で、配当が、45円と言う好業績らしいのですが、非上場の竹本油脂の方が、五倍程度に大きくて、それは、界面活性剤のお陰らしいのです。ところで、大口病院で使われた界面活性剤ですが、竹本油脂が、提供をしたものではないことを信じたいし、提供はしていないことを、祈っております。既に館野ひろお君が、敵方に回ってしまっているのを知っていますが、館野君が、提供をしたのではないと言う事を信じたいです。別のメーカー(たとえば、韓国企業とか、アメリカ企業)から提供をして貰ったものを使ったと、信じています。

 で、この章も又また、政治の話に入って行こうとするのですが、また、また、睡魔に襲われると大変なので、ここでは、シロモと言う柔らかな糸を操っているうちに、とても柔らかい心になり、非常に幸せな感じとなり、悪魔の様な殺人事件を起こす連中とは、まったく一線を画す生活を行っているのだと、申しあげさせてくださいませ。

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副題4、『ところで、私は断捨離は嫌いです。ものがある処に、文化は生まれる。その上に、日本人って、些細な量の物を丁寧に使う国民性があったはずなのに、今、それを忘れている』

 だいたいの日本人と言うのは、終戦(実際は敗戦だった)時に、所有物としては、ほとんどゼロになったのです。しかし、戦後、急速に経済状態が回復して来ました。私も書籍の類、画材類、布類、糸や、毛糸類などに対して買う為に、2000万円ぐらい使った覚えがあるのです。しかし、本を作り始めると、手仕事を、している暇もないので、毛糸は、誰かに上げようと感じました。第一次フェイスブック時代に、織姫まきさんと言う女性と知り合いました。彼女に段ボール二つほど、毛糸を、送ってあげましたが、そう言うやり取りを即座に敵方に察知されて、最初は普通の人だった、織姫まきさんが、急に敵となってきたのです。どういう風に敵になったかと言うと、投稿が目立たない様に、する作業に、彼女の方が、協力をする様に、なりました。私の方ですが、大体、真夜中にフェイスブック投稿を行っておりましたが、彼女も真夜中に、投稿する様に成って来たのでした。

 2011年ごろのフェイスブックは、サーッと高速で、流れていくホーム頁であるという形だったので、400字ずつ、大体9節か10節に分けて、投稿する私の文章は、彼女とそれ以外の四人の人物の大量の投稿によって、ほとんど読めない形というか、意味をなさない形として雲散霧消して行くと言う事となるのでした。これは、彼女が教唆され命令されてやっていたか、それとも外部の人間が成り代わって、本人が再投稿したかのごとき、作業をやっていたかは、判りません。

 しかし、一部の攻撃に関しては、なんと、一学年の入学学生が、たった、270人しかいない、国際基督教大学の、10期としての同期生の、特にたった23人しかいない、一年時の同級生、古村浩三君がやっていたのは確かであり、そこから、片山祐輔君の事件は起こされました。古村君がやったと、決定すると、それは、道徳的にあまりに、恐ろしい事となりますので、

・・・・・誰かわからない人間がやっているのだ。そういう人間は多数いて、その中で、お茶の水女子大付属小学校他に、なりすましで、脅迫メールを送ったのは、片山祐輔だ・・・・・となって居るのですが、片山祐輔君は100%冤罪です。古村君の、身代わりとして、罪に服しています。

 そして、同期の270人のうちの一人である館野君が、敵となったのも、古村君からの依頼とか、差し金があったからでしょう。『覆水盆に返らず』ですが、私はただ、神様への貢物としてこれを書いております。

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副題5、『ところで、私は、彼等・鎌倉エージェントと呼ぶ人間たちを最初は、普通の日本人で、特にエリート階級だと、思っていた。ので、恥を知る人間たちだと、思っていた。で、そこに訴えようとしていたのだった。最初はだ。けれど・・・・・しかし、そう言う作業道程で、彼らが全く違う人種であることが分かった。日本人としての、文化的素養はない人間たちであるらしい。それとか、その他、どんどん、秘密が明らかになり、ミステリーが解けて行ったのだった』

 ところで、織姫まきさんに裏切られたころですが、今から五年は前だったので、私もナイーヴであって、織姫まきさん自身の、反省と、態度変更を願って、あれこれ工夫をしながら、アタックをして見たのですが、無理だったので、大元を絶つことを願いました。

 皆様もそうでしょうが、友達と言うのは、星雲状をなしているものです。たとえば、小学校時代の友達は、それなりの一群であり、中学校時代の友達は、エスカレーター式の私立ではない限り、別の星雲を形成します。特に大学となると、まったく新しい友達と出会い、そこに新しい星雲ができます。引っ越しをすれば、前の住所のご近所様も、それなりの一群となります。

 で、私の場合ですが、数多くの星雲をなしている友人たちのうち、それぞれの星雲に一人ぐらいずつ、頻繁に電話を交わす友達ができていて、継続をして居ました。今は、自分の方から、電話を掛けない様にしているので、絶えていますが、一時期は、友人が5000人を超えていると、思っていましたし。そのうちの各星雲を代表する20人ぐらいは、信頼して電話を交わせる相手だとみなしていました。

 でね、織姫まきさんに、反省を促すために或る措置を取りました。相手は、美術界の人物でもないし、フェイスブックもやっていない北久里浜時代の、友人です。で、織姫まきと言う名前を出さないで、そちらKIさんに、電話で、愚痴を言いました。KIさんと言う友達ですが、

 この措置は、ですね。同情をして貰う事が目的では無くて、「織姫まきさんが、敵方にリクルートをされてしまっていて、裏切っていると言う事を、こっちがすでに察知しているのですよ」と言う事を、電話が盗聴をされているからこそ、それを、盗聴している鎌倉エージェントたちに、知らせたいと、願って行ったことです。

 単純なレベルと、単純な発想で、愚痴を言ったわけではありません。

 しかし、その作業で、大きくわかったことが有りました。それは、すでに、その北久里浜時代の友人が、はっきりと、敵方であると言う事と、そう言う裏切りは、すでに、1985年には始まっていたと言う事と、そのKIさんをそう言う方向で、支配し、教唆し、命令しているのが、杉本正子、当時の、横須賀市副市長夫人であることと、そこの、いじめ連合軍に、北村充子さんと言う、1085年当時は、根岸小学校のPTAコーラス指導者だった女性なども、関与していて、ひどいいじめを、私に対して、行ってきていると言う事をです。

 そして、杉本夫人等の裏側には、益山智恵子夫人とか、瀬島龍三が居たと、思います。・・・・・これが、北久里浜の東側の丘の上に建っている、ルネ北久里浜と言う大マンション群の、居間に繋がって行くすごい事件なのですよ。そこから、すべてが始まっていると言ってよいほどの大事件でした。後で、リンク先を探しておきます。

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副題6、『瀬島隆三たちの方から、地籍変更届と言う、実質的には大詐欺であるものを仕掛けてきたので、私は一か月で、真実を見破ってしまった。のだけれど、それは、仕方がないでしょう。私の頭が、いいのだから。頭がいい私を、だますなどと言うのは、100年早いですよ・・・・と、今では死んでいる瀬島龍三と、益山重夫氏には、言っておこう。だが、この言葉は、いまだ生きている、仲野通巳吉とか、杉本夫妻とかに、聞かせたい言葉ではある・・・・・このブログを毎日読んでいるかどうかは、判らないが』

 ここにたくさんのリンク先をひっつけておかないと、皆様もわけがわからなくなるでしょうが、北久里浜の丘の上に在った横須賀市所有の、水道山を無償で、私有地にしたのが、仲野通巳吉と、瀬島龍三一派です。少年Aが土師淳君を殺したとされる事件も、これと関連して起きています。そして、いまだ実際には、生きている井上ひさしが【絶歌】を代筆しているでしょう。また、わが家の、東北の崖が無断で、破壊されたのも、これと関連しています。それを実際に一人で行った中谷共二氏は、瀬島龍三と、電話連絡等を行っていたと、推察されます。そして、それが、三井物産関連で、いまだに尾を引いています。

 青字で書いた部分は、何度も繰り返して、述べている、異常な事(たとえば、大口病院で起きた点滴に拠る殺人事件などをも含む)が起きる根本原因の一つです。

 で、1985年から、わが家の電話は盗聴をされていると思うので、その嫌がらせを逆手にとって、私は、KI夫人と言う、よく電話を掛ける夫人に、織姫まきさんの、失礼さを語ったですが、その真の目的は、『裏側を、こちらが判っていますよ』と、鎌倉エージェント側に、知らせることでした。それによって、美術界で、彼女を裏切らせる役目を果たしたのが、誰であるかを知りたかったのです。

 が、私側には在った、そう言う高度な、目的が、彼等鎌倉エージェントに、理解をされることはなかった模様です。私が望んだ方向で、推察をされることが無くて、まったく反対方向で、推察が進んだのでした。

 ここですが、どうして、そう言う事を書くかと言うと、本日、と言うのは、2016年9月26日に、鎌倉市の防災課、鶴岡八幡宮様の〇〇部署様、警察(鎌倉警察署の生活安全課?+警視庁・築地署の生活安全課?)、伊藤玄二郎、井上ひさし、前田祝一・清子夫妻、白井氏・小野寺夫人(夫婦別姓)、安野忠彦・智紗夫妻の、8者が、協働をして行った、新しい謀略を発見していて、それを、丁寧に、考案すると、また、また、彼等の脳味噌が、私とは、まったくレベルが違うのを発見するからです。でも、そちらは、別の日に語りますね。本日は、特に夜10時過ぎの今は、この文章を推敲している最中ですから、別の方向へ踏み込むと収拾がつかなくなりますので。

 ともかく、彼等の脳味噌の働きは、私から見ると、二段階、低いと、みなすことができます。それだけ、単純です。

 で、彼らが、結論として得た、アイテムと言うか、概念と言うか、手法は、『彼女の、どんな友達でも、裏切らせ様』と言う事です。『そうすると、彼女は、悲しんで、きっと、ノイローゼになるさ。そうなると、文章が書けないので、こっちが勝つ。

 そういう形で、抹殺をして行く為には、友人たちを次から次へと、裏切らせればいいのだ・・・・・』、

 と、判断をされてしまったみたいなのは、、今では、大失敗だったと、おもっております。でも、人間は、一人ひとり、違うものだから、常に、こういう祖語は、起きるのです。仕方がないですね。彼らは、数を頼んでいます。自分たちには、味方が大勢いると、みなしています。だからこそ、ゲーム感覚で、恐ろしい事をも案出し、それを正しいと主張し続けます。やまゆり園で、19人が殺されたと言う事を何度も何度も、ニュースで繰り返していますが、亡くなっていないでしょう。だからこそ、名前と顔写真が公表をされないのですよ。

 たとえばですね。最近、鎌倉市(立)中央図書館の館長が駅のプラットホームですれ違った時に、挨拶をしなかった。普通なら、する人なので、そこで、すぐ、変だと思ったと、書いたでしょう。その時に、書きながら、すぐ、・・・・・・この文章を解釈して、そこから、銀座の画廊のオーナーたちに、挨拶をしない様に命令が行き、その結果、銀座で、挨拶をしてこない画廊オーナーが出て来るだろう・・・・・と思いましたよ。彼等の考えることと言ったら、瞬時にわかるのです。このブログを書いている最中に将来起きることが予測をできるのでした。

 案の定、その通りの事が起こりました。それで、2016年9月22日の事でしたが、早速です。想定した通りに、挨拶をしてこない、画廊があって、私の方は、それは、想定内ですから、こっちも挨拶無しで、すっと通り過ぎておきました。そして、どの画廊が、誰からの連絡によって、そう言う動きをするのかを、推察する作業に入ります。そして、次の段階で、それを役立てます。で、美術評論家の名前等が、浮かんできて、それを、次の段階で使う事となります。

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副題7、『呉服屋さんと書店は、続々とつぶれているが、冒頭に掲げた、優美な留めそでを提供してくれていた呉服屋さんが閉店した陰には、伊藤玄二郎の魔手があった様な気がするのだ。大は、旭化成から、小さい方は、鎌倉の呉服屋とか、大口病院とか、どんどん、どんどん潰していって、どんどん、どんどん、無辜の人間たちを殺して行って、自分たちだけが助かろうとしているのが、鎌倉エージェントである。あの頭の良い呉服店の店主の居た呉服屋さんが、つぶれたのは、本当にお気の毒だった』

 今、鎌倉では、貸衣装を、二時間ぐらい貸す呉服店が増えているみたいです。着付けも含めて、5000円以内で、利用できるレンタル業の呉服屋さんが、増えているみたいです。それが、4、5軒ある感じがします。しかし、反対に、正規の呉服屋さんは、つぶれて行っています。正規の呉服屋さんで、レンタル業や、やっていないところで、生存しているのは、土地の賃貸料が入る形でもともとが大金持ちだと言われているお店です。

 ところで、本当の大金持ちは、鎌倉では、着物をあつらえないかもしれないので、着物を買う人そのものが、それほどの数では、居ないと仮定しても、三軒程度あった呉服店のうち、冒頭の留めそでを貸してくれた、呉服屋さんが、もっとも生き生きしていて、店主(女性)も、一番頭が良くて、粋な、また、上品な、センスの人でした。ショーウィンドーが、まことに適切でした。貸衣裳が専門では無くて、あの留めそでは、最初は売り物だったのだけれど、店主自身が使ったりして、その後、貸衣装化したものだと、思います。或る時に、その店主さんと、スタッフさんの二人が、郵便局前のベンチで座っていたのです。非常に不思議な感じがしました。お店があるのに、どうして、そう言う処に座っているのだろうと、思い、思わず、声を掛けたら、ベンチに座っているのは、具合が悪いからだそうでした。その不健康さの陰に、伊藤玄二郎の何らかの悪辣な手配というモノを感じて、非常に気の毒に思いました。詳しい事は話していないので、判りませんが、彼の悪辣な手配で、お店が潰されたのではないかしらと、想像をしてです。駅から離れたところにあった呉服店です。鎌倉に女性の友達が居る方なら、聞いてみてください。

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 ここで、午前、二時に成ってしまいましたし、疲れたので、これから先はメモだけでラフに書いていきます。お許しくださいませ。

副題8、『図書館の本が三冊も欠本だと、言われる。一週間前のパソコン画面では欠本ではなかったので、この一週間以内に欠本とされたのだと、思う。芸が細かいと言ってしまえば、その通りだが、私は彼等とは全く異なった解釈をしている。それは、私の前々報が、それだけ、深い真実を語っていると、みなされるのだった。最高レベルの真実だから、そう言う攻撃が起きて来る』

副題9、『2007年10月号を見ていると、海老蔵の母堂のスナップが、欧州公演の一コマとして、写っていた。その写真を見ていると、この2016年7月2日に、歌舞伎座の玄関わきに、地味目の小紋を着て、お客あしらいをしていたひとが、海老蔵母堂であることが、確認をされた。

 最近、小林麻央さんの、ブログが、MSNと言うサイトで、連続的に、紹介をされているが、本日、25日は、海老蔵・母堂が真央さんに与えた言葉の紹介だった。<あの地味目な母堂なら、確かに、そういう励ましの言葉が出て来るだろう。したがって、お嫁さんの真央さんが、号泣したというのもありだ>、と、推察した』

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副題10、『しかし、しかしなのだ。その日、ダッカ襲撃事件が起きていて、私は、それは、鎌倉エージェントを救済する為に起こされたと、見ているので、いささかに、感無量であった。小林麻央さんは、性善である。しかし、真央さんを助ける励ましの言葉を言う賢い姑さんの、姿を見たその日、は、<その日だけしか切符が無いのですよ>と、言われたのだった。だから、私は午前9時半には、自宅を出ていて、夜の11時に家に帰って来た。と言う事は、自宅には、14時間近くいなかったと言う事に成る。歌舞伎座に幽閉をされていたのだった。そして、鬼の居ぬ間の洗濯として、ダッカ、襲撃事件が起こされた。

 また、演劇界と言うアイテムが、図書館からだけでは無くて、BOOK OFF川崎店、および、横浜駅前店からは、全冊消えていた。それで、その雑誌が、対、私弾圧の、アイテムとして、機能しすぎているから、それも感無量だった、と言うことは、井上ひさしが生きていると言う事なのだ。彼は、歌舞伎の脚本も書いているので、テレビ界と、出版界だけでは無くて、歌舞伎界も支配している。

 で、彼からの提言だと、思われるが、・・・・・無論の事、公的には死んだことになって居るので、山内静雄さんなどを、間に入れていると、思われるが、・・・・・玉三郎は、現代ものをやらなくなったし、最後の演目に出る事が多くなった。最後の演目まで、見ていると、帰りが遅くなるので、主人が心配しているが、それを室内盗聴で、聞いているからこそ、玉三郎が、最終演目に出る様になったのであろう・・・・・』

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 こんなにも細かく、動いていただいたので、それゆえに、今、私が描いているものは、すべて、最上級の真実を語っているのだと、却って、ますますの自信と、誇りを深めたのだった』

尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3690000です。ぞろ目の二重唱です。

 そして、今は、2016年の9月の26日ですが、やっと、推敲も終わったので、書いた日付と、署名を入れます。

 2016年9月25日に初稿を書き、26日に、推敲加筆をする。

                 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

後注1、

四年後に建て替え、80億円で・・・・・と言うニュースが、こっそりと、鬼の居ぬ間に、だから無駄なお金です   2016-09-24 22:53:41 | 政治

後注2、 

横浜銀行・鎌倉支店の場合、借り主には無断で、裏側から店側が、貸金庫を自由に開閉できるのかな?   2016-09-23 15:41:23 | 政治

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