もし、文中に写真を使うケースがあれば、その写真を、冒頭に置くことを慣例として、います。内容が暗いので、少しでも、ハナを添えるためです。今回は、28日の14時からおいていたオリーブオイルの瓶二つから、有名な画家の絵ハガキへ取り換えます。理由は下に書きます。
猫が三匹います。熊田千嘉穂というかたの絵です。しかし、表ではなくて裏が問題なのです。裏に記してあるのは、私の子供二人の、証券会社の、ID番号なのです。8月と9月に、それぞれに、生前贈与で、株を渡しました。で、その書類を、ファイルに入れて、私の寝室の本箱に挟んで置いたのですが、そのファイルから、いつの時点かに、この絵ハガキが、抜き取られて、数か月後の、最近に、居間の床に転がっていたと、主人が言いました。彼が、発見して、テーブルの上に置きなおしました。五時間以上夫婦そろって居ない日は、100%泥棒に狙われていると、言っていいでしょう。
また、本日は別の証券会社の件で、泥棒を発見しました。上の会社は、横浜駅まで行かないと、あれこれの手続きができません。で、老人になったので、鎌倉で、色々、書類をかいたりする仕事はやりたいなあと、思って、鎌倉に支店を持っていた、野村證券で、数件の取引をしたのです。しかし、そのはしごは外されて、野村證券が、鎌倉支店を閉鎖しました。で、メリットが無くなったので、野村證券の鎌倉支店で、買った株を売ろうと思ったら、野村が送ってくれている筈の書類がないのです。昨日27日にその仕事にトライしたのですが、みっともないったらありゃあしないです。「ところで、私って何を持っていましたっけ。島忠を持っていましたか?」と電話で聞く始末です。しかも午後、2時45分にね。
私の持ち株は、散々狙われていて、山田浩二が、寝屋川のアーケード街を、真夜中に徘徊していた、二児童を殺したと、されているのも、当時の私の持ち株【センコー】狙いです。女の子が、その下に置かれていた、という駐車場は、NHKは、高槻市だと、連呼しましたが、嘘です。その形と、トラックが、無印だったことから考えて、センコーという運送会社の車庫だったのです。
傾きマンション問題も、主人が持っている旭化成狙いです。事件を起こすと株価が下がるはずだと、彼等(=鎌倉エージェントと私が呼ぶ人たち)は思って居るらしくて、それで、狙われてああいう事件が起こされます。
今度は、そう言う株の株価を下げることから、進歩【❔】して、直接に、私の家から、その紙のデータファイルが、留守中にいじられていた・・・・・はっきり言うと、盗まれて居たのです。そういう事は、十分に予期しているので、お金を入れるのではなくて、書類を入れるために、銀行の金庫を三箱も借りているのですが、浜銀のもの二つが、既に、いじくりまわされているのは、ご報告してあると、思います。最近、みずほ銀行の金庫もおかしいのではないかと、思い始めています。証券会社がくれる書類は、三か月たつと、また、新しいのが送って来るので、銀行の金庫に入れるまでもないと、思っていたのですが、この27日には、本当に、みっともないなあと、自分でも思いましたよ。苦笑いを通り越して、哄笑してしまうほどです。
私は、1978年の青地騒動、1985年の、アジサイ畑欺罔事件、2018年の石春産業の工事と、三年続けて、土地を、使用不可能にされています。なんですか?それって。しかも、私に意地悪をした方の、角野栄子さんは、鎌倉市民栄誉賞鵜をもらって居ます。年金制度ですか? 名誉とお金をどっさりですね。NHKのあさイチに出る。家庭画報に出る。NHKの年末助け合いの顔となる(2018年末)などと、連続して、マスコミ露出が続いています。私に意地悪をしただけで、それだけのご褒美が来るのですよ。いいですねえ。
ただ、それを予習として、記憶をしているので、京アニ放火とナウシカ・歌舞伎公演が、結びついていると、いうことがわかるのです。大きな犠牲を払って居て、わかるのです。
ともかく、我が家の泥棒は、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントが過去に行った種々の忌まわしいことをすべて、正しい形で、書いている、私を脅かし、いじめるために入るのです。大変に、いやな精神の発露を見せて、泥棒していくのですが、最近は、以前盗んだものを返してくるという泥棒行為が、盛んです。2019年8月19日の夜に、鎌倉駅のロッカーから盗まれたパスポートが、外出から帰ってきた私の寝室の床に転がっていたことをはじめとして、最近は、特に、床に転がっているという形の、ものが多数あるのです。私は、お客が来るという電話があったりすると、居間の床には、何も置かずに、掃除機をかけます。こういうものを置いている筈もないのです。
他にもいっぱい、神経を煩わせさせようとする、泥棒行為は、発見をされています。其れは、ナウシカで、結びついている宮崎駿と、菊之助が、・・・・間接的であるが、・・・・京都アニメーション放火という謀略事件を起こしたと、今、書いていることが、鎌倉エージェントにとって、痛い限りだからです。真実だからです。最近のものは、すべて、そこを、ついています。それでも、25%ぐらいまでの、深度でしか書いていないのですよ。そういう写真を冒頭に置いて、本文に戻ります。
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副題1、『三月のライオン・実写版が、NHKBSプレミアムで、クリスマスに放映をされた』
急にNHKのBSプレミアムで、実写版【三月のライオン】が、放映をされました。その実写版の中で、タイトル付き、対局戦の一つに、白泉新聞社杯というのがありました。それで、・・・・・なーるほど、やはり、私が、書いていることが真実だ・・・・・と、なりました。
一般の方は、植松聖とは、大悪人だと、思っておられるでしょう? しかし、・彼の・行動も・発言も・すべて・教えられた・とおりの・演・技・で・し・か・ない・のです。
誰が、彼を教唆、誘導をしているかは、わからないところですが、私は事件が起きた直後には、北野武監督ではないかと、思ったのです。
しかし、北野武監督にしろ、違う、人物にしろ、植松聖に適性があると、見定めて、拾い上げる、人間が、前段階として、存在して居ないといけません。それが誰かは、なかなか、わかりませんでした。
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副題2、『小林カツ代という共産党系の、お料理研究家が、亡くなったときに、NHKは、大々的な追悼番組を作った。同じころに菅原文太が亡くなったが、一切の過去活動の、報道が、抑えられていた。比較して小林カツ代の方が、抜群に上である。どうしてそうなっているかも大問題だけれど、私には、植松聖の、見つけ出し方と、そのピックアップ方法について、その時に、相当な、パーセンテージで、気付きを得たのだった』
小林カツ代さんの逝去が、NHKで、大々的に、取り上げられたのは、一般の方は、NHKで、お料理番組を持っていたからだと、お思いでしょう。しかし、私は、ちがうと、思って居て、私の説の方が、真実に近いのです。彼女は、マガジン9条の会というのの、・・・・・特にそのサブサークルである・・・・・神楽坂女声合唱団を、運営管理して居ました。これは、井上ひさしの肝いりで、始まったもので、表むきは反戦団体です。しかし、そこでの、二次会等で、私に関する情報が流されて、私が、公的な出版ができない様に、わざと、されている、そういう目的を持つ組織だと、見ています。
一方で、鈴木紗綾ちゃんが、殺されたこと(=三鷹ストーカー事件)で、突然に、美術9条の会というものの存在もわかって来て、・・・・・なるほど、なるほど、これで、私は、渡辺豊重と、一ノ瀬智恵子さん(鈴木紗綾ちゃんの母)にいじめられる方向に変化してきたわけですね。・・・・・と、わかってきたのでした。二人とは、2005年より前には、喧嘩をしたことなどないのに、どうして、2005年に、急に、いじめられるのかが不思議だったのですが、突然に腑に落ちたのです。
私をいじめる事などが、論功行賞の一つとなって、渡辺豊重さんは、新横浜のサッカー場のエントランスホールの天井画を描く仕事を得ました。一ノ瀬さんは、私よりはるかにランクが上の画家として、銀座で、処遇をされています。で、美術9条の会の名簿ですが、委員25名と、会員については、ア行まで、公開をされていました。で、タ行の会員名簿は、知らないのですが、醍醐イサムも入っているのではないかなあ? かれから、2012年に、急にいじめられる様になって、どうしてなのだろうと、ずっと、納得が、できなかったのですが、三鷹ストーカー事件が起きて、美術9条の会の存在がわかって、なるほど、なるほど、こういう事だったのですねと、腑に落ちたのです。で、そこまでで、美術9条の会については、終わります。
また、小林カツ代の、マガジン9条の会へ戻ります。
私は、お茶大付属高校の関係者とか、そのほかの、ルートで、何人かの編集者を紹介してもらいましたが、そういう人物が、突然に、態度を変えて、意地悪になったりしていて、変だなあ?と、以前から思っていたのですが、小林カツ代さんが亡くなったときに、彼女が指揮を担当していたと、聞く、神楽坂女声合唱団を、グーグル検索をかけて、その、昔、紹介された編集者たちが、その神楽坂女声合唱団に入って居るのを発見したのでした。たぶんそこへの入会と、同時に、私に対して、冷たくなると、言う現象が起きたのです。そして、続いたので、私がここで言って居ることは思い過ごしではありません。で、そこから類推して、美術9条の会の役割にも、思い至ったわけです。
ところで、神楽坂女声合唱団という命名は、神楽坂に、旧筑摩書房がありました。その跡地が、出版を専門とする会社の、文化センターとなっているのです。たとえば、凸版ホールというのがあります。凸版は、出版社ではなくて、印刷会社ですが、立派なホールを持っています。でも、中小以下の出版社で、数百人が入るホールとか、会議室を作っていないところが、ここを使うのです。一般の人、無名の人が使う事はできないが、出版や、印刷に関連した会社の人が、使う事のできる、高級な会議室を、何室も持っています。絹張り猫足の、椅子が置いてある、瀟洒な会議室です。パイプ椅子ではないのよ。テーブルもデコラ張りの、組み立て式テーブルではありません。町の公民館ではないのです。出版社や、編集の仕事が、一時期どれほどに華やかだったかが、しのばれます。印刷という複製品で、世に出回るので、お金が大量に集まる世界なのです。
ひき比べると、美術の世界は、そうではありませんので、お金が、回りません。みんな、貧乏です。特別な人だけ、光が当たりますけれどね。
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副題4、『私がブログで、書いたことは、すべて否定をして置こうというのが、井上ひさしたちの、主義だから、神楽坂女声合唱団も、その会場から、代々木の、新国立劇場に、移動をして、指揮者も、コシノジュンコさんに代わった。コシノジュンコさんは、鎌倉の住民でもあるし、彼女が、私の目の前に現れたら、衣装の質の差と、価格の差で、私がぎゃふんとなるはずだと、みて、コシノジュンコさんが、鎌倉の東急・二階に現れたことがある。私は、「ああ、さいざあーますか」と、心の中で、つぶやいた。それだけで、やり過ごしておいた。
どうしてかというと、それよりも前に、新橋駅の、地下五階の、横須賀線ホームで、
事前に私の顔を教えられていたらしい角野栄子さんに、苛め抜かれたからだった。それ以降、私の方は、素敵な女性だと、思っても、有名人には、話しかけない様にしている。おしゃれに関心があるので、工夫をして、身ぎれいにしている女性は、話しかけて、ほめることにしている。みんな、喜んでくれる。一種の美術評論のつもりだ。
角野栄子さんに、話しかけたのは「その赤って、非常に素敵ですね。カドミウムレッドに何かを混ぜた色だと、思うけれど、名前を教えてもらえませんか?」と、質問をしたのだけれど、けんもほろろの扱いだった。で、私は続けて、「私は、美術の方の人間だから、その色の名前を知りたいのです。それに、あなたは、何か、お仕事をなさって居ますね。出版か、メディアの方ですか?」と、質問をした。すると、彼女は、その質問をも無視した。どうして、二つ目の質問をしたかだが、私は、結婚前には、友達に、「私服の時は、いいものを着ているのね」といわれるほど、母から、上等なものを買ってもらって居た。母は、ほかの章で、言って居る通り、戦前に、柳井商業の、校長をしていた人の娘だから、趣味の一種として、株式投資をしていた。配当金が入る季節になると、今のお金に直すと、200万円ぐらいをお財布に入れて、日本橋に一緒に行って、その季節の、好みのものを、買うように言われていたのだった。だから、私は素材の質とか価格については、相当に詳しい。今の私は、母の庇護は、無いので、つつましやかなものを着ているが、昔取った杵柄で、の縫時に関しては、すべてを、よくわかっている。
日本ペンクラブのお誘いで、青山ウィメンズプラザに、福島瑞穂 VS 雨宮処凛の対談を聞きに行ったことがあり、福島瑞穂さんから、にらみに、にらまれて、意地悪をされた。司会の松本侑子さんと雨宮処凛は、私の事を知らなかった模様だけれど。
その後、寺島しのぶには、国立劇場のロビーで、浅尾慶一郎には、鶴岡八幡宮の社務所前で、竹中直人には、鶴岡八幡宮の本殿前で、であっているが、全て話しかけない様にしている。角野栄子さんの対応には、懲りたからだ。
以下のケースは、銀座だけれど、きっと同じである。中島千波さんが、銀座の美術家連盟のオフィスにいたことがある。これも、指輪のリフォームの件で、その近辺を訪問をすることが(受け取りの指定日であって)、確かな日だったので、利用されたのだと、見ている。勿論、話しかけなかった。その時より前には、
大原光孝さんが、美大後輩の、本田和博さんと、そっくりな絵を、べニアの上という、超乱暴な手法で、50号に仕立て上げて、春季院展に、入選させていたけれど、それは、私の美術評論家としての、目の優秀さを、わざと、下手に、置こうとする人為的な、行為であって、院展側で、は、中島千波さんが、・・・・・・絶対に入選をさせる様に、待ち構えていた・・・・・・というのケースは、まだ書いていない時期だった。だけど、美術家連盟のオフィスで、であった中島さんの顔の中に、「知っている」というかすかな表情が浮かんだので、私は確信をもって、大原光孝さんの政治的剽窃を書いているのだった。
福島瑞穂さんの対応には明瞭な理由があった。その朝、初めて彼女のwikipedia を開いてみて、在日の出自があることを知った。其れを、書くなと、言う脅かしが、含められていた、にらみつけだと、思う。しかし、角野栄子さんには、事前に、何の因縁もないので、そうとうに、参った。
もし、彼女が、私が、彼女の事を知らなかったことで、起こっていたのだったら、こういう裏事情を語らせていただきたい。私は、1997年の夏までは、新聞は、隅から隅まで、読み、図書館の本は、借りに借りて、ドキュメンタリ―方面では、借りる本が亡くなったほどだったけれど、当時から、テレビは、あまり見なかった。子供たちが、視聴をしているのをながら視聴をするだけだった。子供たちの年齢が、既に、大学生以降、社会人になっていたので、角野栄子さんの、ほん、や、アニメが、我が家で、話題になる事なかったので、知らなかったのだ。
1998年以降は、逗子のアトリエで、一年の9か月を引きこもって、修行をしており、空きだけ、三か月を、パリ’1998年、ニューヨーク(1999年と、2000年の二回)版画修行に行く生活を続けていたので、テレビにも文にも一切触れていなかったので、知らなかったのだった。でも、本当に上等な人は、あれほど、説明をしながら、近づいてくる人に対して、何も答えないという事はないではないか? もしかすると、角野さんは、母親が早く亡くなっているので、ある種のきつさを、涵養したのかな?
わからない。
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副題5、『こういう事がなぜ起きるかというと、安西篤子さん、豊島屋の前社長さん、阿刀田高さんなどに、頭の良さと、文章のテーマの見出し方を、私の方が、ほめられている。阿刀田さんだけは、とてもとてもほめてくださったし、10年後ぐらいもまだ、覚えていてくださったので、却って、用心して、公開用文章に使って居ないのだが、電話は交わしている。
安西篤子さんと、豊島屋の前社長の場合は、まだ、パソコンへのハッキングとシステム破壊攻撃が、それほどには、ひどくなかった時代なので、私は何の用もをしないで、メルマガで、いきさつを書いた。すると、両人様から、ほめられているエピソードなので、・・・・・それは、私に権威を与えることになり、人気が高まると、いけない。それは、まずい・・・・・と、いう事になったらしくて、それ以降、角野栄子さんをはじめとして、有名人に私の顔写真が、渡され、この人には、対応をしない様にと命令をされたのだった。
どういう仕組みで、渡されたか?というと、ある会社(わたくしの、本を主に印刷してくれている会社)のホーム頁トップに「その会社への、推薦人として、川崎さんの写真を使いたい」といわれていた。そのホーム頁は、2009年当時は、凸版とか、大日本印刷よりも立派な作り上げ方で、そのトップ頁に、私の顔写真が、画面の、60%を占めるほどの、大きなサイズででているだった。
で、伊藤玄二郎は、しかるべき、知人たちに、印刷会社の名前を言えば、すぐ、私の顔に出くわすという事となり、『ああ、そうなのか、この人に出会ったら、不親切にして、王等をしない様にするのだ。わかったわ』という事になるのだろう。歌舞伎座には、ファンからの、プレゼントを受け付ける、秘書役が、座る、テーブルが設置されている。しかし、国立劇場は、もう少し、大人っぽいというかインテリっぽい、雰囲気があるので、ファン気質を満足させるためのテーブルは、設置されて居なかったり、されて居たり、まちまちで、ある。しかし、その月のカンパニートップの奥様は、たいてい、来ている。
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副題6、『寺島しのぶが、失礼で、そっけなかったという事実の裏側とか、因果関係は、ここで、詳述をして置きたい。というのも、このあたりから、伊藤玄二郎ら、鎌倉エージェントは、尾上菊五郎一家および、菊之助夫妻、及び、寺島忍、らと、大変親密になっていくからだ。そして、それがナウシカ公演、及び、京都アニメーション放火へ、つながっていく。ので、詳述をしたい』
そういう形で私は、梅玉の奥様とか、錦之助(浅草歌舞伎では、トップになるので)の奥様などを、見かけたことがある。で、この時も菊五郎の、奥様である、富司純子が、来ているのは、変ではない。しかし、長男のまほろ(真秀)君が、子役で出ているとしても、母足る、しのぶさんが、ファンから囲まれるほど、まほろ君は、まだ、スターには、なっていない。となると、母親としての自然な姿は、控室で、まほろちゃんの相手をしている方だ。そっちが自然である。
ロビーの真ん中で、待っているのは、私が話しかけてくるのを待っていて、きょひするためだと、すぐわかった。其れは、事前に、こういう流れがあるからだ。
2015年の2月神田祭の中で、現・彦三郎の、息子(当時は、名前がまだついていなかったが、現在は、六代目亀三郎)と、菊之助の、息子(当時は、名前がまだ、ついていなかったが、現在は、丑之助)と、まほろちゃんがミニチュアみたいに見える、羽織はかまみたいな、すがたで、現れた。大変かわいかったのだが、私は人ながら、まほろちゃんの将来を心配してしまった。
尾上菊五郎劇団の、正統な、継承者は、菊之助である。その立場に比べると、まほろちゃんは、圧倒的に弱い。父親が、歌舞伎役者ではないから。周辺が、丑之助を盛り立てて、盛り立てて、いずれ、菊五郎が、生きているうちに、菊之助が、菊五郎を襲名し、丑之助ちゃんが、菊之助を襲名する。菊五郎は、新しい名前を使う事になるだろう。今から10年以内にそうなる。その時、まほろちゃんに、どの名前を当てて、襲名をさせるのか? 歌舞伎の場合、役者の、名跡といって、襲名されるのは、当たり前のことではあるが、父親が、まほろ、ちゃんの様に、歌舞伎役者ではない場合は、どうするか、非常に難しくなる。いとこ同士で、丑之助の方圧倒的に光が当たり、まほろ、ちゃんの方に光が当たらないのは、かわいそうである。そこらあたりの将来を推察すると、頭がこんがらがって来るだろう。誰のといえば、祖父の菊五郎のである。
菊五郎は、確かに、病を得て、暫時休演をしたのだった。
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副題7、『菊五郎が、休演した後で、私は、自分の考えを、ブログで、書いた。すると、隅から、隅まで、このブログを読んでいて、その中から、対・私用攻撃の種子を見つけて行く、井上ひさしが、さっそくに飛びついた。・・・・・これは、まほろを、有名な歌舞伎役者にしていったら、この意見が間違っていたと、いう事となる。そうしていこうと。
で、鎌倉市内にある、旧・里見頓・邸(広い敷地があり、瀟洒な数寄屋造りの別棟が、渡り廊下を、通して、母屋とつながっている、どこか、東福寺を思わせる、豪邸(一般には、公開をされていない)。で、料亭にもなっていない。底を、NHKは、取材をして映像を流した。それを見た私は、伊藤玄二郎がありと、あらゆる、人間を自分の手下、として、動かしていく際に、このお屋敷は大いに利用をされたのだろうと、推察したん行が格別であり、そこに座ることは、一種特別なアッパークラス感を味わう事ができる装置だと、思って居る 谷垣禎一さんに、【興味津々】と、言う書物を伊藤玄二郎は、準備してあげるのだけれど、その中身は、谷垣禎一さんが、有名人と対談をすると、言う模様である。その対談が行われたのも、その邸宅だったと、考えている。
%%%%%%%%%%%%ここからは、2019年12月28日の午後零時に加筆する部分です。
同じ邸宅に、菊五郎一家、6人を招き、かつ、松竹の幹部を招き、伊藤玄二郎、山内静雄氏なども出席して松竹に、寺島まほろちゃんを、立派な歌舞伎役者にしていくことを約束をさせたと、推察して居ます。その手の特別待遇は、ほかの、歌舞伎俳優には、無いものだったと、考えられます。名門の生まれでも、襲名して、それから、段々、良い役が付いていく過程は、なかなか、の、時間がかかり、また、本人側の出費もただならないものでしょう。それについて、お父さんが、歌舞伎役者ではない上、どういう職業で、どの程度の富裕層であるかが、あまり公開をされていない、寺島しのぶでは、それだけの、資金を工面する可能性は、低いです。親である菊五郎、夫婦も、後継者たる、菊之助と、其の坊やである、丑之助を、育てていくことで、精いっぱいでしょう。で、鎌倉エージェントは、松竹に約束をさせたのです。寺島まほろを、立派な歌舞伎役者にするまで、松竹が面倒を見なさいねと。という事は、寺島しのぶ夫妻が、それほどの、お金を出さないでも、襲名ができたり、いい役が付いたりすると、いう保証を得たというわけです。
世間の人は、誰も、そのいきさつを知らないでしょう。だけど、私が、・・・・・菊五郎は、二人の孫の、差別について、気に病んでいたので、病気になった・・・・・と、書いたからこそ、寺島しのぶは、大儲けをしたというわけです。そして、国立劇場で、待ち構える様に、ロビーの真ん中に立っていて、後ろから声をかけた、私に対して、振り返りざまいやな顔をしたのでした。つまり、ご褒美と引き換えに、ダイレクトに、私をいじめたわけです。だって、まほろちゃんが、かわいいのでしょう。そうしたら、まほろちゃんが出ている舞台では、母親として、ファンのだれに対しても、にこにこしないといけないでしょう。それなのに、あのぞんざいで、小ばかにした様な態度。其れは、新橋駅構内での、角野栄子さんのそれと、全く同じだったからです。ただ、その直後には、このケースについては、何もブログには、書きませんでした。
ところが、何らかのエピソード内で、この件を書いたのです。今日の文章より、もっと、ずっと、単純にですが。すると、突然、寺島しのぶの周辺で、NHK露出が増えました。彼女が、バーのマダムをになって、そのバー内で、ミッツマングローブなどの、旬のタレントを招いて恋愛談義を交わす。これは、山本容子の為に、井上陽水を分析する座談会が、計画をされたのと、同工異曲の企画です。また、まほろちゃんの歌舞伎修行状態を、一時間のドキュメンタリーにするとか。
私は寺島忍が、行ったことを、京橋の画廊、村松画廊(今は、閉鎖されている)の川島オーナー、とか、鶴岡八幡宮の境内での、浅尾慶一郎とか、竹中直人とか、青山ウィメンズプラザの、中での、福島瑞穂さんとか間で、経験しているわけです。加藤登紀子さんも同じです。ご近所の陶芸家、石川和子さんが、私の猫が、私の方を好きだといっただけで、大騒ぎを起こしたのですが、その時、現在の夫として、寄り添って居たのが、柳沢昇でね。一般的な意味での、社会人としての素養がないのです。其れは、彼が、三里塚闘争を経験して居て、大学に、入学はしているものの卒業はしておらず、かつ、勉強もほとんどしていなかったであろうと、行っただけで、夫が三里塚闘争時代の、新左翼運動の指導者のひとりであった、加藤登紀子さんが、抜群の回数で、NHKテレビに、登場をするのでした。
さて、しかし、ここに、人智を超えた存在からの恵みというのが、私には、あるのですよ。そういう存在は、すべてをご覧になっています。そして、『お前は損をしているから、かわいそうだね』と思っておられます。だから、物理的に、8回から、9回、命を狙われていますが、助かっています。不死身の体を与えられたというわけです。この一週間も脅かし用の、泥棒の結果を、さまざま発見をしていますが、「あ、そう、警察は、まだ引き続いて、安野忠彦・智紗夫妻に、合いかぎを与え続け、大原光孝からも、合いかぎを取り上げていないのですね』と感じて、二人を、こ馬鹿にしているだけです。鎌倉エージェントは、老後は、今住んでいる家で、済み続けるのが、一番安上がりですよ」と、書いたがゆえに、その一文を打ち消すために、泥棒行為を、頻発させています。⇔
ここから下は、挿入として、私への最近の、攻撃の様子について語ります。:::::::::
26日と、27日の両日、外出したのですが、両方とも、行きも帰りも電車が、遅延しました。理由は、26日は、川崎駅構内で、人身事故があったそうです。東海道線を、横須賀線の線路を使って、走らせるので、横須賀線が、遅延をしたそうです。
27日の帰りのケースは、「強風のために、総武線内の架線にものがひっかかり、遅延をします」とのことでした。新橋駅で見ていると、目の前に来た、久里浜行きが、混んでいます。遅延をしたせいで、各駅の乗客が多いのです。でね、やり過ごしたところ、たった、五分で次の電車が来ました。しかし、それは、大船行だったので、鎌倉まで、行かないので、やり過ごしたのです。
この時、だれかが、私が、京浜東北か、東海道線に乗り換えるはずだと、監視していたらしいのです。其れは、わかっていますが、黙ってベンチで、動かないで、待っていました。すると、見破られたので、次の電車を遅らせようと、いう事で、三本目は、20分遅延とされて、かつ、久里浜行ではなくて、東京駅発の、逗子行が来るとのことでした。嘘ばっかりです。東京発だったら、それほど、混んでいるはずがないと、言うほどの、乗客でいっぱいでした。成岡康司君が、こういう発案をしているのか? それとも誰がやって居るのかわかりませんが、嘘ばっかりです。ともかく、三宅坂の国立劇場に、一月の切符を買いに行くといいう事は、推察されており、かつ、京橋の眼科に、行くことも推察されており、それらの、出入りの際に使うエレベーターが、すべて監視をされており、京橋のビルを出た後から、遅延が始まったのでした。
しかし、相手方の予測に反して、私は、薬局に拠ったり、画廊に寄ったり、MATSUYAのデパ地下に寄ったり、三省堂に寄ったりしたので、(順不同だが)、有楽町では、目の前で、京浜東北が待っているのに、乗ることができて、ラッキーと考えたのです。しかし、敵は、猿もので新橋駅の地下五階に下るエレベーターは、監視をしていたらしくて、新橋では、目の前で全く新しい、二度目の遅延現象が、起こされたのでした。で、仕方がなくて、三本目の逗子行に乗ったのですが、混んでいるので、西大井で、いったん降りたのです。すると、予想通り、五分以内(ほぼ、三分で)次の電車が来ていて、すいているので、一時間、安心して座って帰宅しました。26日の方は徹夜明けだったので、一時間立ったまま帰宅するのが無理だと、思い、グリーン車の切符を買ったのに、グリーン車でも座れなかったので、一台乗り過ごしたのですよ。27日は、もう、グリーン車の切符を買うのはやめました。で、三台にのったのに、それも、西大井で、やり過ごすと、次の電車は、すいています。それに座って帰り、鎌倉駅で降りて、東口(鎌倉の人間は、表口という)の、切符売り場で、チャージをしていたのです。
すると、三本目、(新橋で、一度目の遅延を発見してからは、五本目)の電車が、これまた、三分後に、くるのでした。そして、鎌倉駅構内では、大音響で、「総武線で、架線にものが引っ掛かりと、放送をしているのです。西大井駅はしーんとしていたのにですよ。笑っちゃうほどに、すべては、私狙いなのです。
ではどうして、そうなるかというと、最近書いている、ナウシカ問題で、・・・・・宮崎駿と、菊之助と、八田英明社長の間に、連絡があって、八田英明社長は、納得づくで、あの、井上ひさし考案の、謀略を飲み込んだのだ・・・・・という考察が、見事に正しいからなのです。井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ生きています。
で、私が遅くなると、玄関にチェーンをかけないママ、主人が寝ています。その間に、ベテランの泥棒が入りました。最近の傑作事案は、オリーブオイルのふたを盗んでいったケースです。ほかにもいっぱい泥棒行為は、発見をしていますが、まあ、からかいの程度としては、なかなか、傑作です。:::::::という挿入を入れて、元へ戻ります。
⇔の所から、下へ続きます。
しかし、これは、政治の論文ですよね。だから、政治に戻ります。この2015年、菊五郎が、いったん休演した時期と、其の数か月後に戻ります。その時に、私のブログを否定するために、菊五郎一家に近づいて、丑之助と、トントンぐらいに、まほろちゃんを出世させていくと、松竹に約束をさせたことで、菊五郎、一家は、深く、鎌倉エージェントと知り合い、その言う事を聞く様になっています。だって、まほろちゃんの歌舞伎修行を、一時間のドキュメンタリーにしてもらったら、その宣伝費換算額は、多大のものです。感謝して逆らわない様になるのは、必死です。
というわけで、それが、京都アニメーション放火事件へと、進展していくわけです。菊之助をがっちりと手中にした、伊藤玄二郎達は、次の段階として、菊之助と、宮崎駿が、近づくように仕向け、さらに次の段階として、宮崎駿氏と、八田英明氏の二人に、委細を飲み込ませたというわけでしょうて。後は、その席に、渡辺万由美」氏と、鈴木敏夫氏を同席させたかどうかですが、たぶん同席をさせていないです。
三宅坂の国立劇場の一階ロビーで寺島忍に、ぎろっとにらまれた日から、私には、京都アニメーションが、簿略であると、発言する、準備ができていたと、言うわけなのです。