副題1、『飛行機、もしくは、ジェット機の事故は、外部から、起こされている可能性が大だと、前から、いっている私の目の前に、それを、証明するニュースが現れた』
以下のニュースを、MSNというサイトの、二番目の項目として見つけました。MSNとは、私がパソコンを起動すると、最初に現れる、画面です。其れは、項目だけのお報せなので、画面を開いた結果を、*****罫線以下に置きます。
私としては、我が意を得たりというニュースです。これは藤村修(注&へ)氏が、官房長官を務めていたころ、・・・・・世界中でオスプレイが、墜落すると、言う事故報告がなされて、その事例は、一部だけ(特に最初の内の、事故)は、真実かもしれないが、多発する、後続の事故は、人為的なものであり、衛星を通じた遠隔操作によるものであると私は、言明して居ます。どうして、そこまで、確信をしたかというと、当時のニュースを、見て書いた、当時のブログに詳細に書いてありますが、今、見つけている暇がないので、当時のニュースも無論、関連があるが、例のごとく、私が関連しているとの、確信があったからです。(注&、ウィキペディアより::::藤村修 野田内閣 2011年9月2日 2012年12月26日 民主党 野田内閣第1次改造内閣
しかし、そういう風に書くと、さらに、大型の、事故がオスプレイ以外で、発生する様になりました。
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副題2、『ドイツ格安航空機、アルプス激突事故、150人死亡、は、確定的に、謀略であった・・・・・だが、その前に、保坂航子と、山口みつ子さんの死について述べないといけない』
ドイツ格安航空機が、スペインの飛行場を発してから、たった、8分で、アルプスに激突して、お客と乗員全員が、死亡しました。日本人も演奏家と、それ以外、2人か、3人が亡くなったと、覚えております。これは、人為的に起こされた航空機事故としては、もっとも、被害者数が、大きくて、かつ、私のブログへ、反対方向をなす、追、記事が多数出ているので、もっとも、議論の対象としたい事故です。
私が語っている方向が真実です。しかし、それに入る前に、この2019年12月18日の午後3時ごろ、京橋の画廊、ユマニテに入ったら、保坂航子さんの個展を見つけたことを言わないといけません。それが、IT関連技術を利用して、各種の謀略を行う策謀の一つとして、もっとも、最初に確信をした、事案だからです。
保坂さんが、山口さんの住む、ビルに事前に侵入して居て、薬で、山口みつ子さんを眠らせて、ビルの窓から、突き落としたと、言って居るのではないのですよ。実際に殺したのは、闇の勢力です。しかし、保坂さんが、引き金を引きました。
私は最近、山口みつ子さん以外の、知人、8人から、9人の死亡に、言及しようと、覚悟を決めています。彼、彼女らの死亡の、私への知らされ方に疑問点があり、だから、こそ、・・・・・間接的な、他殺ではなかったのか?・・・・・と、思って居て、論考を、そこへ移動をしていこうとしているところです。そのために、、こそ、いまだに、山口みつ子さんの死にこだわっているのだと、言って居ます。そのもっとも、激しいキーパーソンが、保坂航子さんなのですす。
年末と年始は、画廊にとっても、大切暗シーズンです。で、二つ目の部屋がある画廊だったら、もっとも、大切にしている画家の個展をします。ユマニテが、保坂航子を年末の、作家として選ぶとは、本当にびっくりしました。しかし、その日は、深く取り上げないと、言って居ます。そして、森邦夫(?)さんへ移動をし始めました。その人物こそ、もう一人の、証拠的、人物であり、私が、山口みつ子さんが他殺であると、確信をする人物だからです。
で、触れない筈の保坂さんに、本日は、触れ始める、本当の理由こそ、今日、ネットで、。それが、知らされた、中国機の、新千歳空港へ、入る直前の、コックピット画面の異常事故です。私は、自分のパソコンへは、外部から、激しい攻撃を受けておりました。それが、一部は、古村浩三君が行って居ると、いう事が、2011年の暮に第一次フェイスブック紙上で、わかって、それを、2013年からブログで、書き始めています。それで、大部、静かになってきました。
そういう自分の、IT環境の中で、この保坂さんからの個人メールの来襲こそ、最も初期に、IT関連技術を利用して、CIA側が、攻撃を行うのだと、確信をした出来事なのです。それで、今回が、最初かもしれないのですが、保坂さんの私へ向けての、個人的、メールの、どこが、問題だったかを詳細に語ります。
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副題3、『保坂航子(当時の名前は、涼子)の、激烈な、口調の罵りメール101行が、36回、繰り返し着信したことが、
裏に、古村浩三君、もしくは、CIA側エージェントが、居て、これを、悪い方向で、利用をしていると、感じた最初の機会だった。そして、こういう風に重要な証拠が、残っているパソコンは、彼ら悪人によって、必ず、壊されていく。したがって、私は、合計28台以上のパソコンを壊されてきているのだ。この20年間に。そのもっとも、大きな、発端が、保坂涼子さんである。これが、山口みつ子さんへの他殺に、結びついていると、思うので、私は、既にあれこれ、文章を書いている。ので、保坂さんは、そこから、逃げる為に、秋山祐徳太子などの、忠告を受け入れて、今は航子と名前を変えている。これは、その7年前に、赤津侃氏から、逗子のアトリエによる来信した恐るべき罵りファックスと、次に、2007年に、主人の、鎌倉大町の、診療所に、来診した、針生一郎氏からの、恐るべき、罵りメール、および、開保津千絵さんからの、これまた、恐ろしい罵りメール、7通などに、引き続いていくのです。封書で、もらったのが、瀬木慎一さんからの、告訴するぞというお手紙でした。
こういう攻撃の根源は、どこに在るかというと、4つぐらいあるのですが、その一つは、鎌倉雪ノ下の、住人である、安野智紗夫人が、1984年から、2005年ごろまで、毎日午後に開いていて、井戸端会議の原因があり、そのせいで、我が家の私有地が、30年間、コンクリート打ちをされている、土地盗み問題があります。本日、2019年12月23日の、午前10時ごろ、山の道で、急に電気工事が行われ、また、その場で、安野智紗夫人が、意味ありげ、かつ、威張ったらしい様子で、東電の職員と話していたので、世界中のニュースが、CIAの最高の攻撃手となっている安野夫人の行動からも、なるほどと、理解ができてくるのです。
ただし、中国機のコックピットが、着陸直前に、真っ白になったことは、もし、日本の警察庁内部にあるその種の部隊とか、古村浩三君が、養っている一派が、行ったと、なると、甚大な、外交問題に発展をしているので、世界のどこにいるかは、わからないもの雄、CIAの本部の攻撃であって、ルビッツ副操縦士の、自殺願望説が、後追い記事として出てきた、ドイツ格安航空機のアルプス激突を起こした手合いと、同じであると、言っておきましょう。
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副題4、『今、ギャルリーユマニテが、使って居る画廊は、山口みつ子さんが、2010年1月まで、20年間ぐらい画廊を開いていて、野見山暁次、篠原有司男などを、有名人に育て上げて行った、華やかな場所の、一つであった。そこで、保坂涼子が、初個展を開いたのには、相当に驚いたが、その内容は、刮目すべき美しさがあった。
この初個展は、彼女が、武蔵野美大を卒業するときに、特に優秀な成績だったと、いう事で、そちらからの推薦があったことも、うかがえるが、その後の経過を見ると、秋山祐徳太子(同窓の先輩である)の推薦があったことも、推察される。ともかく、壁の、紙作品が、美しかった。床には、彼女が、専攻する立体(主に、石を使う、抽象的彫刻)よりも、私には、才能が、感じられる、傑作だったと、思って居る。まあ、・・・・私には、立体を勉強している時間は、無かったので、それを、判断する目は、無いのだが・・・・・
彼女は、東北の育ちである。その彼女が、初めてのこととして、南の島を訪れている。沖縄諸島か、西表島か、ともかく、繁華街ではない、海岸を、訪問をしている。そこで見た景色を、白黒写真(ゼラチンプリントか? または、シルヴァープリントと呼ばれる類であろう)で、表現をしている。そこに、良質の紙を用いて、詩が文字で、描かれたものも、額装をされて、一緒に展示をされていた。全部で、8~10の額が、壁を飾っていたのである。
それに対して、私は、一文を書いて、メルマガで、配信をした。其れを、たぶん、2007年の二月号の、月刊ギャラリーに転載をした。で、私の美術評論は、すこぶる、人気が高かった。実は英語でも、やって居て、それを捨てなければよかったなあとも思って居るが?!?!? 捨てたのは、山口みつ子さんが、殺されたからでもある。
まあ、東大に勤務していた時代に、上司から、「寿退職をしなければ、必ず、将来は、東大教授になれるよ。東大卒ではないけれど、成れるよ。それだけ頭がいいからね。あんたには、ほかの東大卒業生には、無い、統合していく能力がある。演繹をしていく能力がある。今の東大は入試があまりにも難しくなったので、分析ができる学生は、多いが、統合、演繹をできる学生が少ない。それにあんたには、いくばくかの、政治的、才覚もあるからね。東大は、全国の学者を統率していく立場だから、ある程度の政治力を持っていないと務まらない」と、言われています。私は、東大へ、勤務する前には、本当は、ICUの助手になる予定でした。しかし、1965年代ICUで、与えられた課題実験があまりにも難しくて、結局は合成できないものだったので、ICUで、スタッフになっていくことに恐怖を感じてしまったのです。私は、死ぬわと、思って。で、欲をかいたというわけではなくて、東大へ、勤務をすることになったわけですが・・・・・ともかく、保坂さんとトラブった、2007年に戻ります。
その時に、私は、65歳です。東大は、たぶんですが、63歳・定年退官ではないかなあ。今は、伸びて、65歳にになっていますか? ともかく、その時に、そういう過去の経歴があれば、保坂涼子もあれ程の、恐ろしい罵りメールを書かなかったとは、思いますけれど、実物は、本当に、驚くべき内容でした。しかし、ここで、数値の記憶はあいまいだと、言わせてくださいませ。
その彼女のメールは、当時は、AOLで、やり取りをしていたので、パソコンが壊れると、同時に取り出せません。クラウドではない形式だったからです。で、36行の本文と同じものが、101回だったか、101行の罵りメールが、36回だったか、そのどちらだったかは、今は、覚えていないのです。特に其の時期は、まだ、ブログは、始めていませんでしたし。
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副題5、『しかし、この罵りの文章の大量さこそ、のちに、山口みつ子さんが、殺されることになった原因であるし、また、ルビッツ副操縦士が、えん罪を被って、アルプスへ、ドイツ格安航空機を、ぶつけた、事件と、発展をしていくのだった』
私は夜、その罵りメールを発見した時に、繰り返される、現象を、保坂涼子自身が、行ったのか?それとも当時、既に、頻繁していた後ろ側のハッカーからの攻撃かは、危ぶみました。保坂涼子自身が、それほどの、爆発的ヒステリー性格なのか? それとも原文だけ、一回書いて(まあ、その内容も、ヒステリー性格爆裂でしたが?)後は、ハッカーが、やって居ると考えるべきか? 相当迷いました。
2019年になった今なら、その違いを見分けることはできると、思います。其れは、機械的に、見つけると、いう事ではなくて、NHKニュースのあれこ等、勘案すると、わかるのです。裏側にいた連中が、保坂涼子を利用して、私をノイローゼにさせようとして、盛り上げたか? それとも、保坂涼子自身が、強烈なヒステリー性格の持ち主なのか? そこは、ペンディングにしたまま次の週に、銀座へ行ったときに、この件を山口みつ子さんに相談をしました。すると、みつ子さんは、「それは、キチガイですね」といったのです。
ほかの画廊と同じく、みつ子さんにも、私を弾圧する様に、手配は入っていたのですよ。其れは、彼女が死の直前に、4冊の『伝説のプレス』(=私が、自分で、工業的印刷製本をして、製作した、ほんノ一種類です。中身は、銀座の画廊街に関するエピソード集)を、配れなくてごめんなさいと、スタッフを通じて、返してくださったことでもわかる様に、私を弾圧しましょうと、言う風潮は、銀座の画廊街で、満ち満ちていたのです。
で、そういう風潮を、知っている人達は、そんなはっきりした、私をたすける言葉など、発しません。あいまいに、口を濁すか、又は、保坂涼子さんをほめまくるはずです。私は、余りにもはっきりと、自分を味方する言葉が、みつ子さんの口から出たので、驚いて、みつ子さんを見つめました。すると、彼女は、補足説明として、こういったのです。保坂さんはね、この人(=ペンネーム雨宮舜)に、どういうお礼をしたらいいでしょうと、秋山祐徳太子に、相談をしていたわよ。そしたら、秋山祐徳太子が、「雨宮舜 何するものぞ」と、力んでいたわよと、答えてくれたのです。
この日の会話が、盗聴をされていたので、みつ子さんが、殺されたのです。私は、直観として、2010年の、2月から既に、みつ子さんは他殺であると、言明をしていますが、この節で、書いているほどのはっきりした、理由や、真相を述べ恥笑めたのには、7年間がかかっています。ひどくつらかったからです。その後、どうして、ここまで書くかというと、ユマニテ、そのものも、強烈に意地悪をしてきましたね。目の前で、わざと、ビル側の共同トイレの鍵を閉めるとか、引っ越しを、一か月前まで、教えてくれないとか? 私は、現場では、抗議をしません。また、喧嘩にももっていきません。
しかし、結局は書きます。この山口みつ子さん他殺の件は、
ほかに、森邦夫(?)とか、大勢の人の存在で、他殺であることを確信していますので、書きます。ただ、時間は、かかりました。そして、真相を書くと同時に、私は、美術評論をやめることとなりました。そこは、敵方が勝ったという事になるのでしょう。しかし、大原光孝が、創形びじゅつがっこうの後輩の、本田和博君の、特殊なテーマと、そっくりな画題で、べニア板に雑な、手法と道具(アクリルかポスター絵の具を使ったと、思われる)で、作品50~70号程度を作って、春季院展に入選させた、問題なども、十年以上の後日ですが、すっと書く様になります。特に中島千波氏に、審査を、楽にする様に、依頼済だったでしょうね。そういう事も、冷静にして、平静に書く様になります。
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副題6、『大蔵省が、財務省になり、ヒステリーという言葉が、使ってはいけないことになり、かつ、きちがいという言葉も使ってはいけないこととなった。これらの方策は、すべて、私のブログ・つぶし用・である。したがって、文部科学省とは、相当なレベルで、政治の中枢となっているのだ。
特に、保坂航子(元の実名は、涼子)が、この二つの語彙を、この世界から、葬った。山口みつ子さんも殺したのだけれど、語彙も葬った、詩人になっていく要素があったと、思うけれど、一方で、民衆社会から、生まれた語彙をつぶしていく、独裁者風(ヒットラー)風の、焚書坑儒の、人物である。
ここで、渡辺豊重という人物を、再び取り上げましょう。彼は、父親が、早く死んだそうで、貧乏で、育ちました。しかし、才能があるので、新横浜の、サッカー場のエントランスホールの天井画を描くまでになりました。上り詰めたのです。しかし、組織的いじめ集団である、美術9条の会の委員に推薦されるなどの、ご褒美を与えられることへの見返りとして、私をいじめる様に、洗脳をされていきました、一方で、如才ない、世間知の人でもあるから、美大を出ていない自分が、他の、画家や、関係者から、いじめられない様にするために、必ず、女性と二人連れで歩くことにしています。其の種のコンパニオン役を果たしている場合ではないでしょうと、逗子の先、葉山の美術館へ向かうバス停で、既に思ったのですが、何と、帰りの横須賀線の車中で、二人そろって、いじめてきましたね。驚きました。世間知及び、処世術の人である渡辺豊重さんが、あれこれ、悪い洗脳を受けて、それをするのは、あの事件以降、美術9条の会の存在を知ったので、なるほどですが、一ノ瀬さんは、母親であることがすでに、有名な画家ですから、『他人をいじめてはいけませんよ』と心の中で、考えました。そして、こういう母親像を続け射ていたら、将来お子さんの事で、苦労をすることとなるだろうと、思って居たら、その通りになりました。鈴木紗綾ちゃんとは、彼女のお子様です。一ノ瀬さんは、作家として、結婚前の姓を使って居るのではないですか?
私は二人に抗議をしません。たいていの場合、喧嘩にはもっていかないのです。
其れは、弱いからではないのですよ。むしろ、強い事を知ったからです。1999年のニューヨークの美大にいたころですが、日本で、成安という美大を卒業してきたやす子という女性が、同じクラスにいました。その教室の教授は、実力がないと、いう事で、学生には既に、知られた存在だったのですが、彼女は、私に対して、激しく意識をして、嫉妬していたのです。どうしてかというと、私は、学部事務室で、小品を数点見せただけで、「大学院への入学を許可します」と、言われるほどに美的才能は高くて、それが、噂になっていたので、恐怖心を、持って迎えたらしいのです。その白人女性教授の、嫉妬心と警戒心を見抜いたやすこは、自分が千恵子をいじめれば、先生の受けがいいと、思ったらしくて、いじめまくってきたのです。講義以外の時間帯でも、工房で、邪魔されまくって、本当に、困った存在でした。今、その名前、・な・ん・と・か・や・す・こ・っていう女流作家が、まだ、有名になっていないので、やす子は、狂ったうえで、つぶれたのではないですか?
狂ったといっても、ぎゃあ、ぎゃあ、わめいたわけではないのですよ。私の持っている塩化第二鉄原液という、一種の猛毒を、二リットルも床にばらまいたのです。これは、一千倍か、八百倍に薄めて、銅版画を制作するために使う薬品です。一般の人は硫酸や、硝酸が劇薬だと知って居ますよね。普通だと、これらを買うのは大変なのです。ただ、学校の先生方は、特殊なルートで、手に入れやすいでしょうね。塩化第二鉄は、日本でも手に入れにくくて、東京だったら文房堂と、萩原商店でしか手に入らないのではないかなあ? ニューヨークでも、レンブラント(美術材料の、おろし専売の会社、本社は、巨大な倉庫を六棟も、持っている。ネット通販で、買うのが主になる)か、ニューヨークセントラルでしか手に入らないでしょう? 日本でも、世界堂とか、他、一般の画材店では手に入らないのではないですか?
教授が無能なので、その薄・溶液が、無効になってきたのにとりかえないのです。で、やす子は、私が、個人的に持っているそれを使いたいのです。しかし、今まで、自分が上に立って、いじめてきたので、さすがに貸してとは、言えないわけです。で、こういう風に鎌をかけてきました。「千恵子、教えて、どうして、銅板を硝酸につけては駄目なの?」と。で、私はさらさらさらっと、化学方程式を書いて、「こういう事で、だめなのよ。私はね、(今、59歳だけど)東大に勤めていたから、今でも、こういう風に書けるの。(あなた、書けますか?)」と、言ったのです。そうしたら狂ったのですよ。勿論、目の前で、狂ったわけではないが、私がお昼を食べている間に狂ったのです。上で、カッコ内に入れている部分は、無論、発音をして居ません。だけど、私の方は、二か月一緒にいて、人格がわかりきっているので、・・・・・どうして、「今までの、ことは、ごめんなさい。もう、宿題ができないから、貴方の持っている、塩化第二鉄を少し使わせて」と、言えないのですか? 馬鹿め。私にあなたの本心が、見えないとでも思って居るのですか?・・・・・と、思うので、彼女のもっとも弱そうな部分をついたのです。だって頭がいい子なら,その化学方程式は、言葉で、だけでも理解をしているでしょうから、「どうして、硝酸に銅板をつけては駄目なの?」と質問をしてくるはずもないからです。だから、声には、実際には出さないものの、本当の意味としては、「貴方って、自分が思って居るよりも、ずっと、頭が悪いのよ。私には、それが見えていますよ」といったのです。で、結果として狂ったわけです。そのやす子の不始末で、処理が大変だったのですが、ここで、布の文化にちょっと、寄り道をさせてくださいませ。
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副題7、『日本には、布、繊維、糸、染め、紐の技術が、千二百年以上にわたって、伝達をされている。庶民が、布を大切にする文化がある。アメリカにはない。フランスも庶民には、無い』
この間、令和天皇様(幼名徳仁様)が、即位式に用いられた衣装(束帯姿)の色が、話題となりました。黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という色が問題になりました。布地もハリのある絹地だそうです。ヨーロッパって、羊毛と、絹地の文化圏ですよね。アメリカって、木綿と、羊毛の文化ですか? 日本は麻と、絹地の文化圏です。どうも、木綿は、貴重品だったらしい。気候のせいですね。
織物とか染の技術ですが、それは、どうかわからないものの、紐の技術は、日本はすごいと思いますよ。組みひもの、丁寧さは、驚くべきです。工業生産的に、作られた其の種のひもで、日本では、絵の額を吊るしますが、ニューヨークでは、針金で、吊るすのでした。
其れと、洗濯ですね。それが、違う。日本って、湿度が高いので、カビが生えやすいし腐敗が、始まりやすいです。だからこそ、人々は、洗濯やら、掃除をする、技術が高くなったと、思います。洗濯機を使う前から、丁寧に、洗濯をしていたでしょう。この前、何かのドキュメンタリーで、大切な湿気を古い布地を継ぎ合わせて、使って貯蔵している昔の知恵に感心した主婦たちが、収納の博物館を作って、運営をしている映像が出ました。細かい布切れを長方形につなぎ合わせて、それで、お椀などを包んで、島って、或るのです。洗いさらして、くたくたになっているからこそ、柔らかくて、漆器を傷つけないと、推察されているのでした。
其れを見ているうちに、日本には、上―巣文化というのがあることを知りました。版画専門店には、一キロ、500円ぐらいで、四角く固めた、ぼろ布を売っています。しかし、ほとんどの、布地が、メリヤスの下着を用いてあるので、ぼろ切れといっても、真っ白です。しかも洗ってあるので、清潔です。また、古い布地なので、却って、液体を吸収しやすいのです。
それが、版画を制作する場合は、大変便利なのです。ただ、スペースが狭い美大の購買室には、それが、売っていないのは、仕方がないとしても、ほかの時間帯で、誰か、ほかの人が、使って居るのを見たことがないので、パリにも、ニューヨークにもないのだと、思います。私は、このいさかいが起きた、1999年の次の年は、ニューヨーク一古い、もっと年齢が高い人がかよっている版画工房で、製作しましたが、だれも、うぇーすは、使って居ませんでした。
で、キッチンペーパーで処理するのです。皆様は、二リットルというと、ペットボトル、背の高い方、四本ですね。其れを床から、拭きあげるなんて、軽い仕事でしょうと、おっしゃるかしら? しかし、塩化第二鉄って、もともと、鉄分を含んでいるので、重い液体なのです。そこへ、銅が溶け込んでいるので、大変重くなります。そのころ、その建物は、改築中で、お掃除もされていなかったので、床には、泥や、誇りが、いっぱい落ちていて、それを含むので、70リットル(ただし、アメリカでは、ガロン表記だと、思うけれど、)が12袋にもなりました。午後五時に、これは、大変だと、思って、購買部で、キッチンペーパーを買っておいて、よかったです。ゴム手袋も三個ぐらい買っておきました。ブルックリンハイツというのは、高級住宅街で、周辺には、お店は、無いのですから。午後、三時ごろから、始まって、夜の12時まで、かかりました。ニューヨークには、1999年には、ネットカフェなど、無いので、絶対に、自宅へ帰らないといけないのですが、地下鉄が、終夜営業なので、助かりました。
この経験から、めったなことでは、喧嘩をしないで、置こうと、思い知ったのです。一見買ったみたいに見えても、重労働をさせられるし、その床にたまった猛毒の液体は、ほどんど、血液のごとくで、形も、人間が寝ている様に見えました。もう、やす子が、怖くてね。講義は、3回ぐらいオミットしました。工房にも、行きませんでした。その結果、教授は、職を失ったらしいです。別に私が誰かに、そうせよと、頼んだわけではないですよ。しかし、次の学期に、その講座をだれも、もうしこまなかったそうです。狼藉を果たしたのは、やす子です。しかし、彼女が、どういう行動をどっていたかは、受講生、25人がぜんぶしっていたのです。この様にして、教授が一番偉いのですが、偉い人が、勝つというわけでもないのです。
今般、保坂航子さんが、ユマニテという大画廊で、12月の最終週で、個展をすると、言う晴れ舞台に臨んだわけですが、彼女一人が、申し込んで、そうなったのではないと、思います。秋山祐徳太子他が、押し込んだのだと、思います。
ここで、やっと、本日の主題へ、入りましょう。彼女が送った大量のあの罵りメールが、彼女本人だけで、届けられたのではないのではないかと、最初の日から思ってきたことでした。
其れは、日本を逃げ出して、新しい道で、勝とうとしたやす子より、保坂航子さんの方が、上等でしょうよと、思う気持ちがあるからです。はっきり言って、成安より、武蔵野美大に、入学する方が、難しいと思います。しかも、保坂さんは、優秀者として、卒業して居ます。一回負け組になったので、アメリカに逃げてきて、そこで、逆転を狙ったやすことは、違うと、思うのですね。
だからあの大量の繰り返しは、彼女がやったことではないと、思いたいのですよね。悪人は別にいると、思うのです。
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副題8、『秋山祐徳太子は、どういうルートで、ああいう人になったのかと、考える。其れには、ブリキ男(晶文社)が、役に立った』
秋山祐徳太子という人は、私が、高三の時の、樺美智子さんが、亡くなった、国会議事堂内、大デモ(安保敗退闘争)の時に、国会議事堂の、庭にいたと、書いています。そうすると新左翼です。新左翼とは、実は、CIAに許容された、学生運動です。しかし、彼等が敵視していた、共産党も今ではトップは、裏で、CIAとつながっています。
つまり、もっとも、おおきな権力者に、こびる人達です。自分達は、反逆者で、若者の味方ですと、言いながら、本当は違うのです。秋山祐徳太子は、恵比寿に住んでいるそうです。大金持ちが、住んでいる、青山の、裏ですよね。そして、今では、青山よりも、高級になったかもしれないのです。工場の跡地が、恵比寿ガーデンスクエアになっていますので。
そして、カメラライカを通じて、尾辻克彦(赤瀬川原平)と親しいです。その赤瀬川は、日傘雅水さんと親しいです。日傘さんは、アンアンの常連です。だから、林真理子から、依頼が入れば動くでしょう。一方で、赤瀬川さんは、婦人公論で、長らく連載をしています。
そちらの編集長は、湯川有紀子さんです。湯川さんは、1980年には、すでに、瀬島龍三に取り込まれていたでしょう。そして、石塚雅彦さんと、仲良しです。特に石塚夫人と親しいはずです。
それから、この当時の連載で、中央公論社では、村松友視さんが、特に尾辻克彦を、支援して、好きで、芥川賞を取らせたいと、思って居たそうです。
その村松友視が、かまくら春秋で連載をしていた事があります。それに偶然気が付いたのは、よかったことでした。毎月買ったりしないので、普通だったら気が付かないでいたでしょう。
こういう人間関係は、強固なのでしょうね。私は、お金の収入がないので、何もかも、自分一人でやるので、付き合いをしている暇がありません。特に、渋谷、新宿、青山、表参道、六本木、銀座などで、他人と飲んだりしていません。
だから、人的コネがないのです。だから、負けます。だけど、気が付いたことは、書きます。でね、2019年12月23日に気が付いたことは、
あれ、ここで、中国機が、新千歳空港に着陸寸前に、計器類が、真っ白になったと、言うニュースが出てきたので、それは、保坂航子さんのあの、涼子名、時代の、大量の罵りメールが、この手のIT技術を使ったものではないかと、言う話を語るべきだと、思い始めたのですね。
そして、ルビッツ、副操縦士が、自殺願望を持っていたので、機長が、トイレに行った隙にコックピットに鍵をかけて、入れない様にして、自殺をするための、操縦をしたと、言う説の、
嘘も語るべきだと、考え始めたわけです。それは、すでに書いているので、後で、リンク先を探します。
【蛇足】今、外で、町内会の掃除(石段を掃く)をしてきたら、脳内が活性化したので、続きを捕捉します。
下の写真は、私の父ですが、昭和八年だと、後ろに書いてあります。父は、明治43年生まれです。ほかの写真が全部盗まれているので、仕方がなくて、これを使います。ひどいことをされている私が、其れをやった保坂涼子(現在は、航子という名前で、活動ちゅう)さんに、聞きたいのですが、貴方は、貴方をそそのかした、秋山祐徳太子氏が、新富町の育ちであって、母一人、子一人の家庭だったという事を知っているのですか? 新富町って、元色街ですよ。秋山祐徳太子氏の育ちを押して知るべしです。
うちの父の最初の勤務先は、早山石油(のちに丸善石油と名乗る)で、次の勤務先は、満鉄調査部、中央試験所でした。それって、現在で言う、理研みたいなもので、しかも、国家経営だから、日本一のシンクタンクでしたよ。そこで、研究をしていたのが、今で言うオイルシェール(昔の言葉で言うと頁油岩)のです。
彼女は、私の文章はよまないタイプでしょう。だから、こそ、はっきり言うが、貴方の明治生まれの曽祖父世代は、旧制帝大、もしくは、旧制専門学校を出ていますか? それから、旧来の、大名家の上士でしたか? 秋山祐徳太子という人は、父親が、有名人かもしれません。でも、親子の名乗りはできませんね。だから、
一部上場企業などには、勤務した過去はないでしょう。そういう人を、私より上に立てて、居ますね。いい文章を私に書いてもらっても、ほかの美術評論家とは、違って、彼女には、お金は、払わないでいいのだと、考えるだけで、済まなかったのですか? ののしってくる必要があったのですか。今冷静に計算をしてみると、貴方は、9万字以上の字数で、ののしってきたのですよ。
母方の曽祖父が、明治生まれなのに、現在で言う大卒で、旧制商業中学の校長を何十年もしています。その上、私自身の、大卒後の新卒としての、勤務先は、東大だったのですよ。そういう、私より、新富町育ちの、彼を、上に立てて、私に膨大な文字数(繰り返しを全部数えると、九万字以上であった)を送ってきたのです。
当時の形式のAOLは、一行に25文字入る形式でした。36行が、101回だとしても、一晩で、90900文字の罵りを私は読まされたこととなるのです。反対に、101行を、36回送信してきたとしても、そちらでも、90200文字です。
これを文字通りあなた一人でやったとしたら、山口みつ子さんが言う通り、貴方って、・き・ち・が・い・です。今、きちがいという言葉は、使ってはいけないという事になっています。其れはですね。秋山祐徳太子が、所属しているCIAエージェント達が、勝手に決めたことです。古い時代の、文化を、若者がわからなくする、仕組みの一つです。日本が、被・植民地国家なので、そういう事になっています。で、彼等は、無辜の国民を大量に殺しています。保坂さん、貴方って、そういう方面の人間のひとりなのですよ。
そして、山口みつ子さんは、貴方を・きちがい・だと、言ったから、殺されました。画廊が盗聴をされているからです。それも、あきやまゆうとくたいしや野見山暁次が、CIAのエージェントから、かわいがられている人物だからです。
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離陸直前に操縦室表示消失、新千歳 中国籍ジェット機
23日午後0時25分ごろ、香港発札幌行きの中国籍のジェット機「エンブラエルERJ190」で、着陸間際に操縦室の画面表示が消えるトラブルがあった。機体はそのまま新千歳空港に着陸し、乗っていた24人にけがはなかった。国土交通省は、事故につながりかねない重大インシデントに認定し、運輸安全委員会が航空事故調査官2人を派遣する。
国交省によると、旅客機にも使われる機体だが、個人が運航。同日午前8時15分ごろに香港国際空港を出発していた。操縦室内の表示の電源は、2基のエンジンにそれぞれ装備されている発電機から供給される仕組みになっている。
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