銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

長瀬いづみの案内状の再投入・・・・・瀬木慎一の告訴・・・・・額田病院からの脅かし・・・・・

2019-12-28 20:52:34 | 政治

 この一文は、実際には、30日に書き始めています。しかし、公開日付だけを、28日へ、移行をさせてくださいませ。その方が、後で、探しやすいからです。

副題1、『大掃除のめっけもの。長瀬いずみの案内状』

 先ほど、大掃除をしていたら、寝室から、長瀬いづみの案内状が出てきました。私は彼女のお名前は、何度も使わせていただいていますが、時々、野口いづみと、誤記して居ます。すみませんでした。これが、美術評論だったら、平謝りしないと、いけないのですが、政治評論の種として、使わせていただいているだけですので、却って、よかったと、思って居るところでしょう。

 ただ、彼女の案内状が、今2019年の12月30日に見つかって、最初は、喜んだのです。というのも、ここで、修正が効きますので、天のお助けかと、おもったほどです。しかし、よく考えてみると、変ですね。2014年の、案内状が、今の時点で、そこから出て来るはずがないのです。例の泥棒が、一旦盗んで、再び、いれ込んだと、感じています。其れは、美術の分野のことではなくて、鎌倉のこととなります。

 本日も、実は、下書きとして、【お馬がパカパカ】と、言う鎌倉主体の、文章を書いています。2019年

カパカと、ひづめを鳴らして、トロット(速歩)で、追い抜いていきました。これも、無論のこと、私狙いです。しかし、本日ではなくて、将来詳述をします。藤沢の乗馬クラブから、呼ばれたと、見ています。

 まさかと思いますが、吉田茂穂宮司が、自宅(敷地は、ひろい)で、飼って居るなどという事はないでしょうね。そして、・・・・・馬上の人は、吉田宮司だった・・・・・という事もないと、信じますが、洋服姿の、後姿は、結構、吉田宮司様が、お馬に乗られる時に似ていました。ちがうと、しんじていいます

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副題2、『長瀬いずみと、中島三枝子さん(画廊るたんのオーナー)の二人は、私が、美術界の大物たちについて、ガッツ、ガッツと、本当のことを書き始める糸口をつけた、人物である。島田章三(国衙会の御大。愛知芸大の学長だった)についても、佐野ぬいさん(女子美の学長)についても、シロタ画廊のオーナー(版画協会展に、賞を出し続け、柄沢斉などの、有名な版画家を専売画廊として扱って居る、銀座では、おおものオーナーの一人)についても、そう言う流れになっている」

 長瀬いずみという人物は、2014年1月13日から画廊るたんで、個展をしています。初個展だそうです。その時は、まだ、北久里浜の大土地詐欺事件と、島田章三を結び付けてものを書いていない時期であって、私は、国画会準会員だという長瀬いずみに出会っても、何ら問題を感じずにいて、非常にのびのびと、ものを言って居ました。彼女の作品は、相当に独特であって、そこをほめておきました。

 2010年の一月の、山口みつ子さんの死以来、美術評論を書かない様になっている私ですが、画廊では、良い作品を作った人に対しては、その制作過程、とか、製作方法を質問をするという形で、励ましをしていた時代です。

 別の画廊で、後年(というのは、この五年後の、2019年に入ってからですが、)「エスパーかと思った」といわれるほど、ほとんどの人が、見抜けない作家特有の秘密をも、わかる人が、私なのです。時々いる、疑いの目で、見てくる人に対しては、自分の年齢(=70を過ぎている)を明かして、「この手法をまねして、作品を作ることはありませんので、安心してくださいね」と、言いながら。そう言う私の言葉は、非常に貴重なものであって、ある意味で、最も活発であった、2006年当時と同じくらいに、私の言葉を大切に思ってくれている作家もいるのでした。自分への貴重なオマージュとして受け取ってくれている居る作家も、居ることは、居るのでした。

 で、長瀬いずみは、私の言葉に、喜んで「どうか、名刺を受け取ってください」といいました。で、その後、芳名帳にサインをしている途中で、奥から、中島三枝子さんが出てきて、長瀬に向かって、「さっきの名刺を返してもらいなさい」といったのです。と、同時に目配せをしました。で、事前に、私に関するレクチュアー済みなのだと、理解しました。内心で、ものすごく怒りました。しかし、何も言わないで、去りました。

 其れは、逃げたわけではなくて、自分が強すぎるので、もし、私が何かをしゃべったら、まなこなどに、普段からヒステリー性格を、にじませている中島三枝子さんが、爆裂的な自壊現象を起こすだろうと、予測をしたからです。其れは、1999年、ニューヨークのプラットインスティテュートという美大に、学びに来ていた、当時25歳だった、やすこのケースから学んでいた事でした。やすこは、関西の私立美大せいあんの出身で、2019年の今なら、45歳ぐらいの女性です。私自身が、持っていた、塩化第二鉄、原液という猛毒を、床に二リットルもぶちまけて、結局は、白人女性教授が辞職をしなくてはならなくなった、そういうたぐいの日本人女性です。教授に媚びて、教授が嫉妬心を抱いている、私をいじめて、よいお成績をもらおうとしていた、女性でした。

 しかし、この長瀬いずみも、保坂航子(2007年当時は、涼子という本名で、活動をしていた)も、東北の出身、又は、在住の人であって、挙措動作、及び、その知識と、頭脳の働かせ方に於いて、やはり、田舎の人なのです。そして、井の中の蛙、大海を知らずの典型です。相手に対して無礼を働いても、一時のこととして済むと思って居るのです。特にあいてが、やり返してこない時には、全く、平安無事だと、思いこんでいるたちの人物です。しかし、実際には、私は後日、文章を書きます。この二人の人間の無礼から、紡ぎだしていくのです。大ミステリーをです。京都アニメーション放火が、嘘を含んでいる謀略であって、誰も、死んではいませんよ・・・・・と、言って居るのも、この二人から、紡ぎだし始めた、潮流の、下流にあたると、言ってよいほどです。

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副題3、『田舎の人というのは、その住まいに、流動性がないので、隣人については、わかっていると、はなから思って居て、そこから他人としての、人類全般を類推するので、目の前にいる未知のあいてが、本当は、どういう人であるかについて、その怖さを考えたことがないらしい』

 保坂涼子は、罵りの言葉をメールで、送って来て、90200字か90900字のどちらかを、私に読ませた人間です。どうしてそういう数字になるかというと、36行(当時、AOLのメールは、一行25文字で、構成されていた)を、101回か、または、101行を、36回、繰り返して、送信してきて、2007年当時は、まだ、元気だった私は、一晩、三時間をかけて、それを読んだからです。

 ただ、繰り返しについては、保坂本人ではなくて、古村浩三君などの、CIAエージェントが行った可能性も感じています。彼、もしくは、CIAのブルーカラー要員として、私のパソコンに、常に、へばりついている連中の事です。私は、その大量の罵りの言葉に、いやな感じを受けていますが、一方で、こういう事になるのは、・・・・・私が、ただで、高度な、美術評論を書いているから、既成の美術評論家たちに、「生活、上がったりだぞ」と、思われ、憎まれているからだ・・・・・とは、薄々感づいていました。

 でもね、山口みつ子さんも同じですが、東京圏の、裕福な家に育った人間としては、精神の分野である、芸術で、お金を稼ぐなどというのは、ちょっと、やりにくい事なのです。特にメルマガで、美術評論をしている私にとっては、『お金をそれで、いただきます』という発想は、全くなかったのです。悪気はまったくないのです。

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副題3、『瀬木慎一さんから、告訴すると、言う書状を、2010年4月に、もらったが、実際には、電話で話しあぅて、私の方が、その時、おとがいと、言う言葉を出しただけで、瀬木さんは、静かになって、縮んで行った』

 だが、やす子との、ニューヨークの事件の後の、2010年に、瀬木慎一さんから、「あんたを、告訴する」という驚くべき封書が来て、その時に上記のことが、わかったのでした。瀬木さんは、美術館や、大学に、勤務をしておらず。文字通りの売文業で生きている人でした。

 ただね、テレビの、なんでも鑑定団に出ていたので、

私と、2010年4月7日の夜に電話を交わしただけで、告訴など、実際には、致しませんでした。どういう内容で瀬木さんが、おとなしくなったかというと、「あんた、私を知っているの?」と質問をされたので、「無論知っています。(有名な画家が、紹介してくれたこともあるのです) おとがいの、ちいさなかたですよね」と、答えたら、「あんた、おとがいって、言う言葉を知っているの?」と、質問が、かえってきたので、「ええ、知っています。(お茶大の、付属高校では、国語については、かつて見たこともないほど、優秀だと、言われていましたから)」と答えたら、瀬木さんは、シュンとなって、そのまま、告訴の話は、消えたのでした。

 上のやり取りの中で、カッコ内に入れた文章は、声では、発音をして居ません。だけど、そう言う実態を裏側に秘めて、短い言葉を発している、私のセンテンスというのは、大変に、力が強いのです。で、瀬木さんは、しっぽをまいて逃げて行ったと、言うわけです。

 exibit Live and Morisでの、個展で、疲れ切っている私をさらに消耗をさせてやろうとして、伊藤玄二郎が、そそのかしたのです。二人は、中央大学法学部、政治学科卒の、先輩と、後輩の関係ですから。

:::::::::ここで、挿入ですが、瀬木慎一さんは、2011年の、三月15日に亡くなっていることとなっています。当時、私は、停電もあるし、ニュースを全部録画できていません。そして、ブログでは、原発について、書き続けています。だから、瀬木さんの逝去を知りませんでした。いつ、耳に入ったのだったろうか? でも、それが、耳に入った途端に、早すぎると、思いました。石川和子さんと、よく似ています。石川和子さんは、その死の三か月前には、ぴんぴんして、やせてもおらず、小町通りを歩いていました。瀬木さんて、小柄な人です。私は、ミュゼ浜口のオープニングパーティほかで、ご本人にお会いして居ます。テレビで、知っているだけではない。で、小柄ですが、病気もちとは、思えません。死因は、肺炎だそうです。別に解剖をしたわけでもないでしょうから、ご家族はそれを、信じておられるでしょうが、私には、「あの元気さで、(あの、伊藤玄二郎・教唆の、告訴という謀略以来)、一年以内に亡くなるのですか?」と、不思議でならない死です。まあ、近所に住んでいたわけでもないので、真相は、不明ですが、3.11の、おお騒ぎのさなかで、私が、NHKテレビの録画及び、ライブでの、ニュースを見られなかった時期の死なので、余計、おかしい、おかしいと、思って居る次第です。::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。

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副題4、『これは、初めて語る話だと、思うが、伊藤玄二郎は、額田病院へも、命令教唆した可能性がある』

 また、同じ四月五日の初日に、額田病院という病院から、「去年の、10月に受けた癌検診の結果が、出来上がりましたので、ご主人に、病院に来る様に伝言してください」と、言う電話がかかってきたのも、私の精神を消耗させてやろうとしている、極めつけの、いやがらせでした。

 次の日に、主人が額田病院に行って、結果を聞くと、癌には、かかっていませんでした。唯ね、その日は、私の方の、森さんの画廊での、個展の初日でした。これが、人生最後の個展になると、思っていたので、私の主人には、今度は、噛ませようと思って、「あなた、早めに出て、オーナーの森さんに挨拶してください」と頼んでいます。「私の方は、個展の初日なので、夜遅くまで、詰めていないといけません。我が家には、泥棒が入るので、すれ違いの形で、外出した方がいいですから」と言って居ます。

 その留守を狙って、心配させようとして、額田病院へ電話を、我が家へかけさせるのです。もう、見え透いた謀略で、頭脳の幼稚さをあざ笑うほどです。

 ただ、医事新報と、言う、広報を長らく編集してきた、伊藤玄二郎は、医者の世界に、コネを、確立して居て、お医者さまを、自分の、思い通りに、動かせるのでした。しかも、法学部出身で、立法の、仕組みも知っています。どこかで、薬事法を改正して、私が常用している薬を出させない様にしたのです。しかも、つかいかけの、ものを全部盗んだうえで、そうして居ます。誰が、泥棒に入りましたか?

 その伊藤玄二郎の、普段の、人間関係が、やまゆり園事件の時に、二つの病院で、それぞれ、三人のお医者様が出てきて、記者会見を行ったと、言う、謀略に結実をしています。そして、それも、嘘なんですが、そのやまゆり園事件、本体そのものに、膨大なウソが含まれていて・・・・・・京都アニメーション放火にも、嘘が含まれているが、19人を、本当に死んだことにするために、今度は、36人も死んだことにした。・・・・・というわけです。そして、今度は、加害者青葉真司が、入院した病院の医師も記者会見をせず、被害者が、入院した(と、されている、所の)ドクターも、記者会見をして居ません。失敗は、繰り返しませんと、言うところなのでしょう。ともかく、変ですね。

 お正月が近いので、忙しいので、この辺で、止めておきます。

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