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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

山田浩二事件、あおり運転事件他を、解読する為の目玉商品となった、保坂涼子さんと長瀬いずみさん

2019-12-29 00:40:55 | 政治

 なお、この一文は、前報(28日付)と対をなす文章です。そちらの方が内容が豊かです。これは、些末な部分の、説明用文章です。普通なら、【蛇足】と、言って、文末に添える部分です。が、私は、ある人物たちに、深い怒りを覚えていて、それを説明するのに、以下の様な要素が必要なので、これを書きました。なお初期のタイトルは、【他人の褌で、相撲を取る事は、本当は、嫌いなのだけれど、今は、それをやるしかない・・・・・旧愛新覚羅邸】としておりました。しかし、令和二年の、1日の、午前二時に上のものへと、変更しました。ここで、他人の褌とは、実家のご近所の、40代にして、既に、日本社会を担う立場だったエリートさん達を指し、その人達の生きざまに、影響を受けた自分が、保坂涼子さんと長瀬いずみさんを、許容できないのだと、いう事を指します。

 ただ、すべての文章が表に出てくる様にするために、初期公開日を、29日とさせていただきたいと、存じます。

 私は、いつも長瀬いずみと、保坂涼子は、東北の出身で、田舎者の典型だと、言って居ます。それは、とうほく出身者の怒りを買っているかもしれません。充分に承知をしていますが、わざと、そう語っています。

 其れは、違いを明敏にするためです。私の実家の北隣は、既に、引っ越して行かれた上に、亡くなっているので、相当に詳しく語ることができますが、現在名、慶応大学(旧制度下名、大倉高専)卒です。たぶんですが、戦前は、中島飛行機勤務です。ゼロ戦等を作っていて、その後、プリンス自動車の、デザイナーと、して活動をした方です。「昭和天皇の御料車は、自分の設計です」と、私には、直接、教えてくださったのです。電車の中で。なお、プリンス自動車って、日産自動車と、合併をしています。しかし、それは、昭和天皇の御料車で会って、今の天皇御料車は、トヨタ製ですって。まあ、仕方がないか?

 その紳士はヴァイオリンも弾けました。大正生まれなのに、しかも男性なのに、ヴァイオリンを弾けました。非常に上手にね。私の勉強部屋は、北側にあったので、それが、よく聞こえて、楽しみでした。

 その東側の、お宅は、東大卒で、ある自動車会社勤務でした。奥様は、それこそ、野見山さんと、同じく、炭鉱の、持ち主(社長)のご令嬢だとか。皆様、ご生存なので、余り、丁寧には、書けません。

 その二軒は、道路一本隔てたお宅ですが、道路を隔てない東隣は、私の父よりも、10歳ぐらい年上だし、とても頭がいい方なので、卒業大学名をおっしゃいませんでした。たぶん、旧制度下の名前を言っても、今の人には通じないからです。東京高商(現・一橋大学)か、蔵前(現・東京工大)ぐらいではなかったかなあ?

 クラマエなんて言う言い方は、それこそ、今の人には、通じないでしょうねエ。(苦笑)

 そちらもすでに、引っ越して行かれているので、しかも、絶対に亡くなっているので、明瞭に語れますが、日軽金、勤務でした。日軽金って、飛行機の車体を作る金属、ジュラルミンを作っている会社です。その上、重役なので、お金持ちで、普通の人は、東急の分譲地、ひと区角(200~300平米、70坪から100坪)を買うところ、三区画を買って居ました。しかも、個人の住宅なのに、竹中工務店施行です。設計者は、知りませんが。今から、60年前の事で、日本経済に、ばぶるはまだ来ていない時期に、しかも、サラリーマンなのに、竹中工務店で、おうちを作った方です。それって、どれ程のお金持ちだか、わかりますか? 全然偉ぶらない方でしたけれどね。

 そのもう一つ、東側ですが、今、90歳を超えてお元気なので、あまり詳しい、事は言えません。しかし、こちらは、なんと、90歳を超えて、おうちを新築なさいました。ごくごく、最近のことです。こちらも、最初に、数区画買ってあったので、今では、珍しいぐらいに、敷地が、広かったので、一部をお売りになってね。新築資金をねん出なさったのです。こちらも東大卒です。でも、今も生きていらっしゃるので、勤務先は言えません。 

 でも、大企業中の大企業です。そちら様が福岡県内か、山口県内にある、工場の工場長として、日吉から転出されて、下関の社宅に住んでおられたことがあるのです。母は、下関で、女学校を卒業しているので、時々、日吉から下関へ遊びに行くのです。で、偶然路上で、その支社長夫人に、出会ったのだそうです。で、「寄っていらっしゃい」とさそわれたそうで、気軽について行ったそうです。日吉に住んでいると、そうはならないのですよ。お互いに、相手の時間と行動をコントロールすることは、できないと、知っているので、ご近所同士で、上げたり上がったりはしないのです。

 しかし、一種の旅先の気安さで、ついて行ってみて、びっくり。母の感想ですが、「現代のお殿様って、大企業の工場長をさすのよ。よく、企業城下町というけれど、それって当たっているわね」と。

 母は、呉造船所の所長夫人と女学校時代以来の、友達でした。私もそのお宅にあげてもらったことがあるけれど、呉市内を眼下に見下ろす、敷地五百坪以上の大邸宅です。が、社宅ではなくて、私邸です。しかし、大企業の社宅って、呉造船所の所長・私邸よりも、豪華なんだそうです。社宅なのに、所長(戦後は、社長でもある)私宅よりも豪華なのだそうです。なお、呉造船所って、旧所属は、海軍で、戦艦大和を作ったところです。

 その社宅の方に戻ります。眺望が、関門海峡を眼下に見るので、瀬戸内海よりも、比較にならないほどにスケールが大きいのだそうです。お手伝いさんとか、下働きの人は、昔のお殿様に、比べると少ないですよ。しかし、他の階層との差を言えば、まさしく、突出して居て、現代のお殿様と、言えるのだそうです。

 私は、母の説明を聞きながら、『あれ、それって、元、愛新覚羅溥傑氏の次女のお宅ではないかなあ?』と、思ったのです。愛新覚羅溥傑氏が、日本を訪れて、次女のお宅を訪問されたTVドキュメンタリーを見たことがあるのです。関門海峡を見下ろす、丘の上の広い芝生の庭に、平屋建ての、数寄屋造りが、廊下で、つながっている大邸宅です。今は、西宮に、引っ越しをされていて、そこは、誰も住んでいない筈で、その旧財閥系大企業が工場長用社宅として、買い取った可能性を感じています。しかし、エピソードが華々しすぎるので、外部の人には、旧持ち主については、言わない規定になっているのかなあ?

 元へ戻ります。私の実家のある地域ですが、そこは、松林を新規に開発した、分譲地でした。売り出した当時に、ちょうど、30代から40代になっている人達が、親元を離れて、自分自身の家を建てるために、あらたに、土地を買って、参入してきたのです。という事は、急に隣同士になった人が住む地域です。ほとんどの人が、サラリーマンで、合計60軒で、作り上げている町内会ですが、(正確に言えば、開発後、60年が経っているので今では、その後周辺が、開発されたり、一戸を二軒に分割したりするお宅があり、数が増えたので、全戸数は、100軒を超える町内会ではあるのですが)、ともかく、江戸時代から、住んでいる人が変わっていない田舎とは、相当に、違うのです。

 なお、弟が遊びに来てこういいました。弟が、今住んでいるその私の実家より、さらに、奥、日吉駅から、30分は歩く地域の住宅地では、カーポートが全部外車で、埋まっているそうです。ベンツ、アウディ、BMV,ボルボなどで。私はそれを聞いて、そこって、旧八幡製鉄所の研究所があった場所ではないかしら? と、内心で思いました。八幡製鉄所の、研究所が麦畑の中に、忽然と姿を現したのは、上皇后、美智子様のご婚約が発表をされた後だったと、思います。美智子様の叔父である、水島三一郎博士にして、東大名誉教授の為に、

 そういう環境で、暮らしていると、おのずから、自己抑制をするのです。それから、上下関係を作らないこと。だって、価値観って、多種多様な流れを持っています。単純に、・・・・・東大卒が、慶応卒より上です・・・・・などとは言えないのです。だって、奥様の方の、頭の良さとか、奥様の実家の財力とか、奥さまの社交性の、有無などで、その家が、輝くこともあるわけですからね。また、反対に、declineする可能性もあるからです。でも、子供や、孫の代で、また挽回するかもしれません。だから、油断なく、気を引き締めていて、ご近所とは、真実の平等主義で、生きないとだめなのです。

 どでーっと、反り返っていて「私は、伊藤玄二郎の元愛人だから、いろいろよくしてもらって月収200万円を超えます」と、威張っていた、石川和子さんなど、そういう平等主義が、被とっつも、わかっていないタイプでした。だからかなあ? とんでもない失敗をしましたね。ここで、彼女の言う「いろいろ、よくしてもらって」とは、「公民館などの、カルチュア―教室の先生を担当する様に、鎌倉市長に、働きかけてもらって居ること」を指します。そう言うところで、季節ごとに、新規のお弟子さんを募集すれば、カルチュアセンターの、もっとも、つらい部分である生徒募集が、楽々できます。

 有力者と知り合いです。といって威張ることも一つですが、他にも、「私は、いいとこ大学を出ていますから、とか、「私はね。女性でも、大学院を出ていますので、この地域では、一番です」などと思って居たら、5年か、10年後に大恥をかく可能性があるのです。

 だから、保坂涼子さんの、むき出しの、罵りの羅列メールなど、私にしてみたら、ただ、ただ、びっくり仰天する代物です。だって、保坂さんは、平等主義ではないわけです。自分が上だと、思っているので、乱暴極まりない文章を、しかも、私という非常に丁寧に、かつ冷静に文章をかきつづけている相手(このブログだけで、すでに、5000本を超えている)に、直接送りつけてくるわけでしょう。秋山祐徳太子は、そう言う文章を書く様に、彼女を教唆したのですか?

 保坂さんは、新富町で育った秋山祐徳太子さんの言葉を尊重して、ああいうメールを送って来たそうです。山口みつ子さんが、それを教えてくれました。「秋山祐徳太子が、力んでいたわよ。・・・・・・雨宮舜、何するものぞ・・・・って」と教えてくださったから、彼女は、殺されたのです。あの画廊に盗聴がかかっていたからです。そして、秋山祐徳太子が、ほぼ、CIAエージェントだからです。

 でもね。山口みつ子さんと、私は、東京圏の、ブランド住宅街の育ちです。雰囲気で、それは、お互いに、わかります。しかし、新富町って地図上では、日本の中央にありながら、一種の辺境の地なのですよ。

 旧色町だから特殊な地域なのです。サラリーマンが仕事や生活をする場所ではなくて、夜遊ぶ地域です。秋山祐徳太子が、子供のころは、特にそうでした。しかも、町としては、新橋とは、また、異なる狭さと、小ささという、特殊性があるでしょう? 閉鎖的なのです。オープンではない。江戸の雰囲気は、色濃く残しているでしょう。でも、日本を構成する、人間の主流は、サラリーマンですよ。そして、サラリーマンが、住む一帯とは、秋山祐徳太子さんが、子供から、大学に進む頃の時代(昭和40年代=1950年から、1969年ごろまで)だと、中央線なら、荻窪から、吉祥寺までかな? それから、小田急なら下北沢から、成城学園前までくらいと、各路線ごとに、サラリーマンが、終結して住む地域があるわけですが、そう言う地域と、新富町とは、全く違うのですよ。保坂涼子さんには、それが、わかっていない。視野が狭いというか、立脚点が、狭すぎるというか、何とも言いようがない、思考様式の人です。だから、田舎者だと、いうのです。

 保坂涼子さんは、芸術家だから、日本の主流派からずれていてもいいのですが、その作品(石で作った立体)は、公共的用地に飾られることを望んでいるのでしょう。公園とかね。それじゃあ、サラリーマン的感性と合わせた方がいいのではないですか? 繰り返します。日本の主流を構成している階層はサラリーマンです。秋山祐徳太子という人は、ふーら、フラ、遊んでいて、宮仕えをした事のない、我慢をした事のない人です。感性がまるで違う人です。東京の、中心部でも、サラリーマンが住んでいた町としては、港区の池田山とか、高輪とか、新宿区だったら、落合(下落合、西落合)が、上げられますね。いや、昭和三十年代の話ですよ。 

 保坂さんの近辺の人は、彼女に同情をして、「それって古いわね。2007年の話でしょう?」と、言うでしょう。しかし、この出来事は、きわめて政治的な出来事ですから、政治が続く限り、続いていく話なのです。以前の発表だと、2020年の1月19日に、やまゆり園事件の初審が、開廷するそうです。

 19人は、死んではいませんよ。しかし、それが、嘘だったとなると、鎌倉エージェントは、生きて行かれません。と、自分達でも思って居ます。だから、すさまじい、妨害工作をしてきています。29日に若宮大路で、お馬が、パカパカ、トロットで、走り去ったのもその一つです。

 本日、バナナマンと、東出昌大と、黒木華などが、若宮大路を、えびすやの、人力車で、通り抜ける番組がありました。TV朝日午後4時から5時半まで。その中で、彼等は、若宮大路の、西側の車道を南から、北へ向かったのですが、お馬さんは、この同じ12月の29日に、反対側東側の、車道を、北から南へ向かったのです。これも、また、すこぶるつきの政治問題なのですが、今ではなくて、将来語ります。というわけで、政治が、現実にある限り、私は、保坂涼子と、長瀬いずみに、は、触れ続けるはずです。

 目の前で、「さっき渡した名刺を返してください」と、言う長瀬いずみにも、『ああ、田舎者だなあ』と、感じさせられたものです。でもね。それによって、私は島田章三さんに、横須賀市から、税金が大量に流れた裏側の秘密を書く権利を得たと、考えております。だから、そっちも、こちらをこ馬鹿にしたかもしれませんが、私も長瀬いずみと中島三枝子さんを、馬鹿にしました。・・・・・何にも知らないくせに、威張りまくっている、おバカさんだこと・・・・・と。そして、政治を分析する得難い、ルートをつけてくれましたね。大喜びをしています事よと。

 私は、彼女たちには、面と向かっては何も言いません。だけど、政治論文の、傍証づけとして、この二人の、行為や、言動は、繰り返して使わせてもらいます。そして、それを、神様への、奉納品としてささげます。

 でもね、何にも言わないで、去ったことで、CIA連中は買ったと、思うらしいのです。で、安藤輝夫子さんと言う、女性刑事が、2012年の2月11日以来、また、目の前に現れて、私は、手ひどいだまし討ちを受けて、【トカゲか、鰐か?】というシリーズを書くこととなります。彼女は、私と全く同じ被害に出会って居て困っていると、いい、2011年の5月から、2012年の2月11日まで、私にまとわりつくのですが、その時の大被害については、私がフェイスブックを追い出されたころと、言うシリーズで書いています。同じ人物が、二度目の前に現れるのです。其れは、長瀬いずみの部例に対して、何も言わないで、帰る私を、中島三枝子さんが、「彼女ったら、すごすごと、帰りましたよ」と、森さんか、そのほかの、彼女を教唆命令している、人物に報告をしたので、鎌倉エージェントが、これは、チャンスだ。あの女を一気にここで、殺そうと、考えたからでした。

 其れは、6月4日に始まり、13日まで、続く大問題となるのです。が、途中の、9日の日曜日に、雪ノ下の山の方で、白井・小野寺夫妻が、安野忠彦・智紗夫妻を訪問をして、家に上がり込んで、お寿司を取って、6時間も一緒に過ごすという現象が起こります。其れは、きわめて、大きな政治的問題でした。だって、13日に私は、保土ヶ谷のげらげらと、いうネットカフェ内で、拉致寸前の、状態になるのですから。しかし、私は、すべての物事が、わかっているので、救われます。

 で、そう言う恐ろしい事態が、次に起きるので、そう言う意味で、長瀬いずみの行動も、きわめて、政治的なものとなってきます。したがって、絶えず繰り返す問題と、なってきます。

 なお、安藤てる子って、刑事が変装している、刺客です。そして、ほかの事件でも、活躍している可能性を、私は、感じています。寝屋川で、中一児童、二人を殺したとされる、山田浩二は、その事件の前は、福島第一で、働いていました。そこから、車で、大阪へ帰る途中、秋葉原で、職務質問を受けていて、その時、車内で、スタンガンが、発見をされたと、いう事になっています。其れを証言したのが、その同乗をしていると、されている女性です。

 あおり運転で、BMVが、やり玉に挙がったのですが、その時も同乗の女性がいたと、されています。それも、安藤てる子さんだったかもしれません。私達夫婦が、持っている北久里浜の家の駐車場を、一時期、借りていた青年が、居て、その青年の愛車が、BMVだったから、あれも、私を脅かして、いやがらせをする事件だったと、思って居ます。ただし事件が起きた当時は、ブログには、何も書いていませんが。でも、BMVをやり玉に挙げる、ニュース報道だと、書いている車評論家が居ました。だから、なるほどねえ。みんなわかっているのだわと、思った次第です。

 中一2児童の内、まず、女子生徒が先に遺体で、発見をされました。その駐車場ですが、NHKは、高槻市にあると、連呼しました。しかし、形状と、トラックが、全部、無印だったことの特徴から考えると、センコーという会社が、ねやがわに持っている駐車場でした。センコーの下部を持っている私を脅かしたり、株価を下げて、経済的損失を与えようとした事件でした。でもね。未だ、背も高くなっていない、二児童が殺されました。例の連中(=鎌倉エージェント)って、そういう事も気軽にやるのですよ。そして、同じ手のひらを、返して、松尾崇鎌倉市長に、命令教唆をして、角野栄子さんに、鎌倉市民名誉賞を授与させるのです。

 山田浩二に戻ります。初審で、死刑判決を受けた後で、二審が受けられないと、言う報道が出ました。で、私が、「保見の時と、比較して、端折りましたね。どうせ、実際には、殺していないから、死刑執行はないと、本人には告げているのでしょう」と書いたら、どこかで、山田浩二の二審を、再開すると、言うニュースが出てきました。ものすごくご都合主義です。

 だから、最初から、徹頭徹尾、嘘の連続の事件です。その山田浩二の大阪への帰省の時、東北から、同じ車で、帰ってきた女性が居ます。それが、安藤てる子さんであろうと私は、見ています。犯人に、委細を飲み込ませて、いう事を利かせる人物が居るはずだと、思って居ましたが、もし彼女だったら、ぴったりです。

 というわけで、謀略的殺人事件とか、お馬がパカパカという、殺人と関係のない、謀略まで引き続いて起こりますので、保坂涼子さんと、長瀬いずみは、大切な存在となります。ずっと、目玉商品として、私のお手持ちキーワードとなっていくはずです。

 我が家にしょっちゅう侵入する泥棒が、長瀬いずみの2014年1月13日から始まる案内状を、わざと最近、私の寝室に入れこんだのだと、したら、却って、損だったのではないですか? 

 ともかく、この二人の女性は、お手持ち、人物の内、最大の目玉商品となった・・・・・というのは、自いつです。其れって、結構、シビアで、しんどい事ですよ。わかっているかなあ? あの二人は? わからないでしょうね。上に書いた通り、サラリーマンが密集して住んでいる地域で、しかも、それらの人達が、ひどく、優秀であったという、環境に育っていないと。

 田舎には、そう言う優秀者の、密集・地域はないと、思います。それで、わからないのです。平等主義を貫かないと、とんでもないことになるという事が。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5792823です。

    2019-12-30 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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