このブログは写真を最初に置くことを通例としています。
上は、私が京橋の、相鉄フレッサインのロビーの、小さな丸テーブルの上で、手書きで、書いたものに、港区在住の社長さんが、同意了承をしてくれた、示談書です。ここに書いてある、取り決めは、私にとっては、不利なものですが、それを受け入れる代わりに、ブログで、この事故の件を書くことを了承してもらっています。この示談書は、私が大量出血後、4時間目なので、頭もフラフラで、しかも、机も狭すぎる中で、書いているので、字が汚いですが、こういう緊急時にも、私が冷静で、後日の法的紛争を防ぐ措置をとっていることを、読者の皆様には、ご承知していただきたくて、これを開示します。どうか、ご検討くださいませ。
最近、誹謗中傷を、攻める法律ができたそうですが、そういう後付けの法律を作って、私を脅かす、えせ法律家、伊藤玄二郎よりも、私の方がずっと慎重で、かつ、法律をわかっていると言う事を、読者の皆様にお伝えしたくて、この示談書を開示します。
しかし、本日も、もう一つの図版は、用いないといけません。ただ、差別化を図るために、上の示談書を最初に置いただけであって、本日もより重要な文書としては、下記のものを上げておきましょう。
副題1、『私は、このブログで、有名人でもない、渡辺賢司という人物をたびたび取り上げている。彼が、なぜ、重要なのかというと、この鎌倉市側が、一般市民に、日常的に開示をしている文書を、手に入れたのも、そもそもの、原初は、2014-4-8の午前10時の、彼の行動にあるからだ・・・・・そしてその行為こそ、日本の警察が、CIAの家来であることを証明したのだから、非常に重要な人物となる』
上の図版において、川崎英二家の真北にあるのが、渡辺賢司家です。高さが、我が家より低い手前の二軒よりも、この家は、我が家と、同程度の海抜にあるので、良く見えるのです。特に二階がよく見えます。そのベランダで、2014-4-8日、お布団を午前10時に大音響で叩いて、午前八時半にやっと寝入った私を、起こして眠らせない様にいたしました。それを、私が目撃しています。つまり、緩慢な、殺人事件に手を貸した人物です。
その前日、私は三原橋交差点で、交通事故に出会いました。しかし救急車で、担ぎ込まれた聖路加病院で、傷の洗浄以外には、なにも手当をしてもらえなかった(しかし、6万5千円をとられた)うえに、次に来る様に言われていた築地警察署の、宿直室の中で、梅林と、言う警官の指図で、「示談にしましょう」と、提案をされています。
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副題2、『なぜ、築地警察署は、聖路加にも手当てをするなと、命令をして、かつ、私をバカに仕切って、宿直室で、「示談にせよ」と、一警官に命令をさせたのか。それは、鎌倉雪の下の、イシカワカズコ、ヤナギサワノボル夫婦に、初因があった』
その異様な提案の原因は、何が原因だったかというと、上の図版でいえば、我が家の、西側に、一軒白紙の、家を置いて、イシカワカズコ、ヤナギサワノボルが住む、鎌倉春秋窯があるからです。その住人は、この文章の冒頭にも登場する伊藤玄二郎の、愛人を自称していて、したがって、CIAエージェントたる伊藤玄二郎の特権を・・かさ・・に着て、わがままなこと際限もないという人物です。
その夫婦が、2005年7月26日に警察官を呼んで、その二人に「あそこの妻(=私=川崎千恵子=雨宮舜の本名)が生意気だから、あそこの旦那に、奥さんを叱ってもらう様に、旦那に命令をしてください」と、依頼をして、しかも「あそこは、夫婦別居ですよ」などという嘘まで、ついたのでした。以来というよりも命令でしょうね。だって、やすやすと、警官がやってきて、乱暴狼藉の限りを尽くしたからです。
それほどに、異様なことをあの夫婦が、したのは、私の猫に、「あなた方夫婦より、私は本当にお母さんである、川崎千恵子の方が好きなんですよ」と、言われたから頭にきたらしいのです。
自分の方が【我が家のねこさびちゃん】の窃盗を繰り返していて、こちらは、正常な方法で、何度も「やめてください」と言っているのにもかかわらず、その日も同じことをやっていて、挙句の果ては、肝心の我が家の猫に、嫌われたのです。それが頭にきたのだそうです。
しかも、こんなバカげたことに警官は、協力をしたのですよ。ほかの警察署においては、ストーカー被害さえ防衛することができない警察が、私の猫のことで、泥棒さんの方に味方をしたのです。たぶん、ヤナギサワノボルと、イシカワカズコが、自分たちと伊藤玄二郎の、特別な、関係を誇示したからでしょう。この日以来、私は、日本の警察とは、CIAの家来であると、はっきりと認識する様になりました。伊藤玄二郎は、平沼高校時代には、陸上部の、後輩である、石川和子さんをかわいがっていて、肉体関係を伴うぐらいの、恋愛関係に入っていたのではないかなあ。しかし、正式な結婚は別の女性といたしました。石川和子さんは、一種の【私が、捨てた女】となったわけですが、その負い目ゆえに、甘やかしに次ぐ甘やかしをして、増長マンの限りの女に仕立て上げたわけです。
みずほ銀行鎌倉支店が、一月に異様なことをして、それが、みずほのシステム異常にまで発展をして、次期銀行協会トップが、みずほを抜かして、SMBCにわたってしまったのも、鎌倉支店の支店長が、その日来訪をしていた鎌倉警察署生活安全課の課長の言う事を聞いたからです。
なぜ、鎌倉警察署の生活安全課の課長がそういうことをするかというと、この時(石川和子さんの命令によって)、やってきた警官のうち、若い方が、交通事故の調書をとって、私を、脅かしたからです。私が住んでいる家の玄関は、平地である、鎌倉街道から、150段ぐらいの石段を登らないと、到達できません。車は、絶対に入ってこられません。
それなのに、交通事故の調書を取って、まるで、私を犯人扱いをしたのです。私は、彼の様子を見て、内心で、深く怒りましたが、十分に書かせたうえで、「弁護士に見せますから、くださいね」と言って取り上げました。すると突然に二人とも目が覚めたみたいになって、自分たちが徹底的に間違えていることに気が付いた模様で、その紙をとりもどそうとひっぱりました。それで、三角形に切れましたが、
どれほどに、ひどい扱いを受けたかの証拠になります。だから、鎌倉警察署に電話をかけて、「謝罪をしてください」と言ってあるのですが、謝罪はしないで、「あいつ(=私)の方を殺してしまえ」となったみたいです。
しかし、私は絶対に納得ができません。日本が法治国家なら、こういうことは、許されるべきではないです。しかし、伊藤玄二郎がCIAのエージェントなので、自分の愛人とその現在の夫・柳沢昇の大失敗を隠ぺいするために、「その通りです。彼女を殺しましょう」となって、銀座でも、ものすごいいじめが起きて、鎌倉雪の下でも、恐ろしいことが数多く、生起しています。
この鎌倉雪の下と、銀座での、いじめ(または、言論弾圧)が合体したのが、三原橋交差点での、交通事故だったのです。で、治療はしてもらえないし、交通事故にもしてもらえなかったのでした。
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副題3、『ある意味で、示談にされても仕方がないと、私は納得をした』
納得をしてあきらめた・・・・・というのも、交差点ではない場所で、渡っていたし、私自身が、三原橋交差点の横断歩道の方(左側=歌舞伎座側)だけを見ていて四丁目の和光側から走ってくる車を見ていなかったからです。
しかし、車を運転していた人は、ある企業の社長さんだそうで、「申し訳ない」と、言って、ずっと、四時間ほど、ついていてくれたのだった。事故は、6時45分ごろ起きています。京橋の方から歩いて来て、後、5丁目から、7丁目まである、いつも訪問をしている画廊を、すべて見てしまいたいと、思ったのが、横断歩道ではないところで、横断をしてしまった理由だったから。つまり、横断歩道まで、回っていくと、青信号が赤になり、そこで、三分はロスすると、思った、自分が悪い部分もあります。
しかし、車を運転していた人が、「交通事故にしてくださっていいです。僕は保険に入っていますから」と言ってくれています。普通なら、交通事故の履歴が付かないので、警官の言い分の方をありがたがって、聞くと思うけれど、その人は、宿直室には、招じ入れられなかったので、警官との交渉の実際を見ていません。密室の密談として、「示談にしておきなさい」と言われたのです。
私は、二段ベッドが見える様な部屋で、梅林と名乗る警官から、ちゃらちゃらとした態度で、「示談にしましょうね」というのを見聞きしながら、『これは、絶対にまともではない』と思って、憤慨をしましたよ。つまり、石川和子さんの招へいで、やってきた、雪の下の山の中で、交通事故の調書を書いた警官たちのことを、ブログで、取り上げたことが、ここで、復讐的に、使われて、交通事故をもみ消されたわけですから。
何と言う事でしょう。石川和子さんのわがままに、わたくしどもは、一家中が三年ほど、悩まされた挙句に、交通事故の手当ても、洗浄だけしかしてもらえないで・・・・・ただ、脳のCTスキャンは、取ってもらいましたけれど・・・・・費用の方も6万円を私費で、支払わないといけなかったのです。保険証を持っていなかったから。
ただ、私も銀座の画廊が、7時に閉まってしまうことで、常に急いでいて、銀座で、事故に出会うのは二回目であって一回目の時に、クレジットカードを持っていなくて、とても困った記憶があったので、それ以来、クレジットカードを帯同する様になりました。で、6万円をクレジットで支払って、聖路加を出て、かつ、「来い」と言われていた築地警察署に寄ったのです。
中央区の地理に詳しい方なら、ご存じでしょうが、聖路加病院と、築地警察署って、相当に離れています。私の足なら15分はかかるでしょう。それで、その社長さんは、私を警察署に送り、その後、自宅まで送ってくれるつもりだったみたいです。といっても、私の自宅は、鎌倉なので、「今日は、京橋のホテルに泊まります。普通ホテルって、インターネットで、申し込まないといけないのだけれど、相鉄の、株主優待券を持っているので、【フレッサイン、京橋】なら泊まれると、思います」と、その紳士に言っています。それで、その人は、ホテルまで、送ってくれるつもりでした。私は「ビジネスホテルには、レストランがないし、しかも、すでに、時計は、11時を過ぎているので、どこもレストランが開いていないので、コンビニで何かを買ってホテルに行きたいのですが」というと、その紳士は、「僕が買ってきます」と言って、地下鉄・宝町駅近辺の、コンビニで、おにぎりと、飲み物を買ってきてくれました。「ごめんなさい。こんなものしか、もう、売っていなかったのですよ」と、その人は、言いました。その人が、夕方の7時15分前から、夜の、12時近くまで、ずっと親切だったのは、私の事故が相当に、大きかったからでしょう。
私は、バーンとぶっ飛ばされて、しかも、気絶をして、気が付いた時には、血だらけでしたから。でもね、神様は、個々でも、温見方をしてくださったのです。ぶっ飛ばされて、道路の上に横たわっている私の上を、もう一回、同じ車が、通過したのですよ。しかし、私は、重傷には至りませんでした。私が自分の足で、立って歩いていて、言葉もなにもおかしくない形で、しゃべれることに、その人は、きっと奇跡だと、思ってくれたのでしょう。それで、それを天に感謝したのだと、思います。それで、ずっと、親切を尽くしてくれたのです。
あの時、もし、タイヤが、自分の体に乗り上げていたら、100%死んでいますが、なんと、右のタイヤと、左の、タイヤの真ん中に、車の向きと、並行に横たわったので、重いタイヤは、私の肉や骨を傷つけず、したがって、命に別条がなかったのです。
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ここまで、推敲を果たしました、これ以降は明日、23日にいたします。お待ちいただきたく存じます。
副題4,『私は、相鉄のフレッサイン京橋の小さなロビーで、その人と示談書を交換したのだった。もちろん、私主導で、である。これ以降、もし、私の脳に異常が出たら、連絡を取るが、それが、無かったら、お互いに、関係がなかったことにいたしましょうと、言う内容で。それで、その人は、あまりに自分側の条件がいいので、びっくりしていたみたいだったが、私は、その夜のうちに、石川和子さんの、迷惑の、かけ様のすさまじさを書くつもりだったので、彼と無関係にしておきたかったのだった。親切な人だったので、この忌まわしい、いじめ問題の被害者には、したくなかった。で、警察も彼の名前は把握していないと思う。事故の調書を作っていないのだから』
以下の写真は、その時の示談書です。紙もないし、筆記具もないし、私は、貧血気味だしで、不細工なものですが。ところで、実物が、今、見当たらないので、もしかすると、白内障手術の際に、夫婦そろって、武蔵小杉のホテルに泊まっていて、その間に、泥棒が入っていますので、その時に盗まれたのかもしれません。
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副題5,『私は、貧血気味の体力のない中で、相鉄フレッサインの、貸しパソコンを使って、必死で、ブログを書いた(後注1)。この時の徹夜は、体をむしばむもので、朝五時、人っ子一人通っていない、鍜治橋通りを、八重洲口に向かって歩くのも、やっとという感じだった。とても苦しかった。そして、鎌倉駅に到着すると、タクシーがいない。本当に体力を絞り切って、自宅まで到着した。そして、朝ご飯を食べて、寝入ったのが、午前8時半だった。
しかし、交通事故で体力が弱っているから、ここがチャンスだ。殺していくチャンスだと、思われて、たぶんだが、いつも通りに、前田清子さんが、ベランダのある家に、連絡を取り、「ベランダのある方には、お願いをします。まず、布団を干してください。それからね。10時から、それを大音響で、たたき始めましょう。全部の家が、一遍に、同時に叩くのではなくて、順番に、やっていきましょう。その方が、長時間かけて、彼女を寝させない様に、できますからね」と、言ったのだと、推察しています。安野家にもベランダがあり、柳沢家にも、ベランダがあり、平木家にもベランダがあり、大原家にもベランダがあります。しかし、我が家の窓から見えたのは、渡辺賢司の姿だけでした。
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副題6、『こういう忌まわしいことが起きている、根本的原因を語らないといけない。それは、中谷知二氏が、CIAエージェントの一人であり、北久里浜の大事件の主役、瀬島龍三の言う事を聞いたからだ。それが、原初である』
私は、北久里浜で、瀬島龍三の親友だと、本人がいっている、益山重夫の大悪事(水道山を中心に、ほぼ、2千坪をただで、自分のものにした)を、把握してしまいました。地境地主として、巻き込まれたからです。瀬島龍三とは、戦後最大の、CIエージェントです。彼らは、真実を知る私を、殺したいと思っていて、まず、1985年に、この山の中谷知二氏に、我が家の東北の崖を無断で、崩すと、言う荒行を命じて、それを中谷氏は、実行をしてしまいました。中谷氏は、気米二世で、カリフォルニア大学の卒業なので、戦時中、戦後ともに、CIAエージェントであった可能性が高いです。特に羽田空港の、航空燃料を一手に、販売する権利を持っていたので、ほとんどのレベルで、CIAエージェントだったと、思っています。しかし、この件は、どこからも、証明をされないでしょう。ただ、私側の異様な被害を思うと、この山では、子供の学業成績がいい人の順番で、階級が決まるところがあって、中谷家は、長男が東大で、次男が、慶応で、長男は、東大教授になって、次男は、三井物産勤務です。で、日本社会全般を見渡しても、エリートですから、この山の連中は、そちらを立てる方が、正しいと、思いがちです。
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副題7,『ここで、軽くだが、前田祝一・清子夫妻に、言及しないといけなくなった。本当に軽くだが、清子さんの特殊性について、触れておこう』
そして、その方向で、この山の住人を洗脳支配しているのが、前田祝一氏です。実は、彼の家は、違法建築です。それをついたのが、藤本悌子夫人です。どうしてかというと、前田清子さんが本当に嫌な女だからです。藤本家のすぐそばで、開かれている安野夫人主催の、井戸端会議で、もっとも大声を出して、かつくだらない内容の話をするのが、前田清子さんだからです。
しかも他人をいじめるのが大好きだし、復讐をするのも大好きです。非常に単純で、中学生並みの神経と考え方の人間です。しかしながら、これもまた、CIAのご援助でしょうが、國學院大學の講師になっていますので、威張りかえっていて、自分自身で、その大声をやめる気配がありません。驚くべき存在です。しかし、本章の主役は渡辺賢司です。そこから、平木家の、ご長男の、推薦入学(東大)の謎も、ひも解けるからです。
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副題8、『前田家の東隣が、長嶋さんである。この人は東京在住の、大金持ちで、ここを別荘として使っている。だから、本当なら青いブラシで、名前を、隠してもいいぐらいの人だ。しかし、前田家と中谷家を擁護する人なので、この人も政治的に大きな役割を担っていると、言うこととなる』
私が引っ越してきて、最初期の立ち話で、この長嶋さんが、下の駐車場の持ち主について、所有者の、履歴を話し始めたので、びっくりした顔をしたところ、彼が、「法務局で調べたのですよ」と言ったので、二度びっくりした。こういうときに、私はぶっちゃけた会話にはもっていかない。「長嶋さん、どうしたんですか? こんな平和な場所で、法務局に行ってまで、調べるなんて」とは、言わない。だけど、後程、彼が、早稲田の、政経卒だと、わかってきて、『それじゃあ、法務局に行って、大型(千坪を超す)土地の所有者を調べるのもありですね』と納得をした。早稲田の政経卒なら、法務局に行くなんて、趣味の一種だと思う。
一方、私の方は、北久里浜の地積変更届という悪事に巻き込まれた際に、財務局とか、法務局に行って、調べて、詳細な仕組みが分かったのだった。
大変な悪事に直面したら、法務局に行って調べる必要はある。しかし、平和な時代には、必要がない。
で、長らく『長嶋さんて、おとなしそうだし、上品だし、親切そうなのに、恐ろしいところもあるのね』と、不思議に思っていた。
しかし、10年ぐらい前だっただろうか? 「前田さんねえ。あれ、地声だそうですよ。だから治らないみたいですよ。大声なのはね」と、道路での立ち話で言われた。私は、この時、三度目のこととして、びっくりした。というのもその立ち話において、前田清子さんは、話題に上っていなかった。特に彼女の大声については話題にしていなかった。
しかし、政治論文としては、前田清子さんの大声は、取り上げていた。・・・・・彼女の大声のために、藤本悌子夫人が彼女を通らせまいとして、当時は、幅一メートルしかなかった、道路の真ん中に自分宅のフェンスを作ると言い出したので、私の土地が盗まれ、東北の崖が、無断で、削り取られる事態に陥った・・・・・と。それは、政治論文としての、このブログには、何度も書いた。しかし、このブログをインテリとして、丁寧に、かつ真面目に読んでいたら、長嶋さんが、私の目の前で、前田清子さんの大声を、容認すべきだと、言うことは、言うべきではない。そんなことをしたら、・・・・・長嶋さんは、大勢の犠牲者を出した、謀略事件を次から次へと編み出す・・・・・例の連中側ですよ・・・・・と、私が書くではないか? それは、損でしょうに、と、私は思った。
私は、・・・・・長嶋さんは、ここを別荘として使っているから、私のブログは読んでおらず、したがって、今の言葉は、前田夫妻に頼まれて、私にぶつけましたねと・・・・・、考え、私の記憶の引き出しにはしっかりと、入れ込んでおいた。
次に不思議なことがあった。長嶋さんが、「遊びにおいでよ」と言ったのだ。私はすぐさま、『これは罠ですねえ。何かを説得されるのでしょう』と、思い至ったが、一方で、長嶋さんの家の中を見てみたい気持ちも沸いた。というのも、その家を長嶋さんは、長らく町内会総会用の、会場として、提供をしていたのだった。しかし、引っ越してきて以来早々に、土地を盗まれ、崖を無断で、壊されてしまった私は、その張本人である中谷氏が、主役である【鶯会】という町内会など、出たくもなくて、一度も出たことがなかった。その家に、持ち主から招待を受けたのだった。これは、建物と、その内部を見るだけでも、いい話だと、考えてお誘いに乗った。
しかし、おうちに入ったものの、二人の会話は、まったく楽しくなかった。道路で、立ち話をしている方が、ずっと楽しかった。二人とも明るい性格だと思う。しかし、長嶋さんの方に、或る任務があった。そして私の方もそれを予期しているがゆえに、ぎこちなさがあった。
@@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
ところで、私には、長男が苦難に出会った時期がある。9年ぐらい前だっただろうか?その際に、息子は何も言わないのだけれど、何か胸騒ぎがして、息子が留守の家に訪問をした。お嫁さんが「四国のお客が大クレームをかけてきて、彼は、飛行機代も出ないし、ホテル代も出ないという形で、四国へ明日出発するのです」といった。で、私は法務局を訪ねて、この雪の下の、下の方の、無住の土地の住人がだれかを調べたときがある。どうしてそうしたかというと、前田祝一氏が、その土地の持ち主は四国の人間で、連絡を取るのに苦労をしたといったからだ。しかし、法務局では、この雪の下の山の持ち主として、四国の住人は、見つからなかった。前田祝一氏が、私の悩みを深めるために嘘を言った可能性が高い。
この山では、おいちに、おいちにのあひるさんと、おなり中学では、呼ばれていて、通信簿に、1と2しかないことで、有名な安野家の次男がいるが、その子は、高校入学の際に、国立大学の付属高校にご入学なさったそうである。
なんという偏波、偏りだろう。
ところで、私は、わが長男が、三国屋善五郎で、恐るべき罠に、引っ掛けられたときに、「クレームを、言ってきた四国の住民とは誰だろう?」と、長期間悩みぬいた。本当は西原理恵子だった。彼女は、その年に、33年ぶりに、法事をやりに高知へ、帰郷したのだった。その時に法事用のお茶を大量に、息子が店長をしている三国屋善五郎、横浜ポルタ店で、買ったのだけれど、包み紙を、わざと、店員が慶事用のものを使ったのだった。社長命令でそうしたのだと思う。恐ろしい会社だ。きれいな包装紙で、包んだお茶を売っているが、社長の心は鬼である。すべて、息子の知らない場所で、行われたことだった。西原理恵子は、実質婚の相手である高須院長が、フリーメーソンだから、とても使いやすいタマではある。その上、三国屋善五郎の社長は(たぶん、金沢大学の卒業生なのだが)、一時期マッキンゼーのレッスンを受けている。その縁で、大前研一氏と面識がある。
それが、自然にわかったのは秋葉原で、パソコンの修理を頼んでいる間、立ち寄ったブックオフで、さいばら茸・第八巻を買ったからだった。しかし、それが、わかる前までは、息子が何も言わないので、悩みに悩んで、(というのもCIAエージェントたちが、私を苦しめるためにやっているのが確かだったので、はっきりと文章化しておかないと、何度も同じ目に息子が合うからだった。
まだ、未熟です。本当は署名を入れたくないのですが、とりあげている人たちとの対等性を重んじて、自分の実名を記します。
雨宮舜 (本名、川崎千恵子)