実は前報が途中です。それは、よくわかっているのですが、ちょっと、違う方向で、モノを書きます。ただし、副題3と、副題4は、前報の続きです。
私はどこかで、「時間がないのです」と、たびたび書いています。その中で、「料理に8時間ぐらい割いている」と、書いたでしょうか? いや、書いたにせよ。書かなかったにせよ。実際にそうなのです。80歳ですからね。すべてが遅くなっています。だから、片付けと準備を入れると(もし買い物も入れれば、確実に、)8時間は使っているでしょう。
敵さんたちは、あらゆる攻撃の種を、私のブログからも取り出します。で、その・・・・・料理に毎日8時間はかけている・・・・・と、言う部分がさっそく利用されました。
NHK+を、常時利用してご覧になって居る方は、23-7-3 17:00~18:00、までの、ニュースLIVE!ゆう5時という番組を開けて、5時20分ごろから、御覧を頂くと、今から私が言う動画が出てきます。
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副題1、『内館牧子さんは、以前、
【食べるのが好き飲むのも好き料理は嫌い 日本放送出版協会 2004.12 のち講談社文庫】という本を出版したそうです。初版はNHKからですから、そのニュースショーでも、その本は、取りあげていました。
でも、今は違うそうです。
NHK画面に登場した彼女は、大病をした時に、モノを嚥下できなくなり、先生に、「もう、点滴にしてください」とお願いすると、お医者さんが、「点滴よりも、いっぱいのおさじですよ」と、おっしゃったので、
急に目覚めて、食べることが大切だと思い、・・・・・どうせなら、自分で作ろうと考えたそうです。
グーグル検索で、【内館牧子】と、検索すると、まず、書物の頁が出てきて、左から、5冊目ぐらいにその、急に自分で料理を作ることに成った時期を描いた書物 【牧子、還暦過ぎてチューボーに入る 主婦の友社, 2018】が出てきます。中古の本を案内する頁には、潮文庫として、2023年3月に出たその文庫版が、たくさん出品されています。
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副題2、『さて、私は朝青龍が、やめたころに内館牧子さんを激しく批判をしています。そのころのリンク先は殺人事件とは関係がないので、今は、見つけられませんが、内館さんは、私が批判をしたからこそ、たいそう持ち上げられていて、大作家として扱われており、大ヒットを連作している模様です。
CIAエージェントは私を弾圧する手法の一つとして、私が批判をした対象こそ、最高のライバルだから、持ち上げる・・・・もち上げると、言う方向で動きます。
で、本屋に行くと平台に彼女の本がずらっと並んでいます。しかし、一旦捨てると覚悟をすると、忙しいこともあって、一切無関心になりますので、彼女の顔など、13年間か、14年間か見ていないわけです。ものすごく痩せていて顔貌が全く違うのです。
まあ、今の顔の方が、彼女の精神が、以前より、きれいなので、顔もきれいになったというべきかな? ただし、あまりのやせすぎなので、ある程度太っていないと老人はまずいと思って、彼女の年齢を見る為に、wikipedia を、引いたのです。2010年の朝青竜問題のころも、内館牧子の wikiを、引いたと思うのですが、まったく覚えておりません。ここで、ちょっと、内館牧子から離れて、メインのCIA-じぇんとに、行きます。川名昭宣という、前報で、部分的に触れた人物は、日本の文化人とかライターを、取捨選別する、大きな力を持っている人物です。彼は、内館牧子より、もう、ちょっと、品格の高いライター、たとえば、池内紀とか、須賀敦子を扱う編集者ですが・・・・・
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副題3、『川名昭宣氏は、ワインの蒐集家です。rareな分野の蒐集家なので、わいん通の間では、有名な人かもしれませんが、本業は編集者です。河出書房勤務。伊藤玄二郎が、その書物故に、ポルトガル国の、エンリケ航海王子勲章をもらった【びょんぶ】は、川名君が編集したと、推察しています。で、その奥付に謝意が、述べられており、従って、二人が仲良しであることが、私にわかるといけないとなって、
彼女に比べれば、前報で田園調布カトリック教会のところまで、やっと到達している川名昭宣君など、圧倒的な大物なので、彼のことは片時も忘れたことはないのですが、・・・・・・そうですね。ビートたけしに、カンヌ映画祭で、賞を取らせたのは大島孝康氏か、川名昭宣君か どっちだろうと、思っているほどの大物なのです。しかも、1995年ごろから、その力の強大さを私に見せつけている存在です。正式な職業としては、河出書房新社の編集者・・・・・だけど、むれようこが、お正月休みには、必ず、台湾でマージャンをすると、言っていますが、そのめんつの一人ではないかなあと、思うほど、まあ、文筆家の間では、有名人でしょう。
彼は奥さまが、AFP通信社勤務だったから、お金はうんとある人で、ワインの蒐集が楽しみだと、伝聞で聞いています。でも、彼について書く事によって、私は身体へ攻撃を受けています。足の痙攣や、睡魔に襲われること・・・・・で、それに負けたわけではなくて、
少し、すそ野を、開墾してから、頂上を目指しましょうと、心構えを変えたのです。
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副題4,『その編集費用は、300万円ではなかったのかなあ? その【びょんぶ】は、高野悦子岩波ホール支配人と共著です。だから、神保町の冨山房インターナショナルから出版してもいいし、コネを使って、岩波書店から出してもいいし、むろん自社(=かまくら春秋社から)出してもいいし、東京の春秋社から出してもいいし、晶文社から出してもいいし白水社から出してもいいでしょう。
でも、河出から出したのは、川名昭宣・・・・・伊藤玄二郎 間のお互いにCIAエージェントであることを暗喩する強い紐帯を示すとともに、
1967年当時、経営が悪化して破産に向かおうとしていた(漫画を出版していなかったせいでもあるでしょうが)、河出書房を、たった、一年で、辞職した、伊藤玄二郎の、「後ろ足で、砂をひっかけて出て行った」という昔の行為を、玄二郎自身が洗浄化したかったからでしょう。
妨害を受けることを、忌避するために、「どうか、自宅で編集してほしい」と、頼まれていたので謝礼が丸々、川名君の手元に残ったので、川名君は、それで、旧満州へ調査旅行に行っています。以前は、彼は、満州で生まれたのかと、推察していました。が、違うらしい。ある文化人の足跡を調査しに行っているみたいでした。
中国共産党に、調査旅行を許可されるとは、中国のトップもまた、フリーメーソン組織などで、CIAと、通じていることを示しています。
ただ、川名君に関しては、この程度で、本日はやめておきます。肉体への外部からの攻撃がすさまじいからです。それに負けたというよりも、明日も、世田谷パブリックシアターに行かないといけなくて、丸まる、つぶれるので、済みませんが、軽く、かつ短く書けるものを書きたいからです。
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副題5、『2013年、ICUは、学長、理事長を含めて、1962年組の、卒業後50周年記念同窓会を開いた。実は、期日が違っている。しかし、そう言うウソを強行したのは、対私狙いの出来事だから、私は、自分の、力と存在感が、大きいのを自覚し、この余裕ある時期に、関西旅行をしようと考えた。特に子供が二人共独立していること、および、主人が料理をできることが、安心感を呼んでいた。で、金沢、京都、大阪、倉敷、名古屋を、訪問をしたと思うが、名古屋と、大阪は、二度目か三度目だった可能性がある。ただ、2013年度の、メインの目的は大原美術館への訪問だった。
だが、ついでに、金沢の21世紀美術館、京都の府立美術館、国立美術館、大阪の陶磁器美術館(これは、二度目安宅コレクションを見たかったのだった)などを訪問している。
最近、北斎美術館の学芸員が、素晴らしい人だったと、書いているが、すべての美術館には、図書室があったので、びょんぶを探した。尾行が付いていて、銀座で、行われる嫌がらせが、京都でも、大阪でもあった。だが、その嫌がらせのうち、一つだけを、本日は取りあげよう。
大阪府立図書館を訪問をした時だった。安宅コレクションを1990年代に主人と一緒に訪問をしているが、その2013年は、二度目として、訪問をしているが、すぐそばに、立派な図書館があったので入ってみた。2013年は、橋本徹・大阪市長、松井一郎氏が、ブームを巻き起こしていた時だった。
2011年
11月27日 - 大阪府知事選挙・大阪市長選挙のダブル選挙(大阪維新の会の呼称は「大阪秋の陣」)では党幹事長の松井一郎が大阪府知事に、党代表の橋下徹が大阪市長に、それぞれ初当選した。
で、府立図書館は、産業関係の書物が多いなあと、言う感想を持った。で、びょんぶを探すのは、もうあきらめていた。
ただ、梅田のホテルに帰り、NHK総合チャンネルの、5時からの地方ニュースを見ていたら、なんと、府立図書館に市長が、その日、訪問をしていた。当時のブログを探し出せば、正確な記録がわかるが、市立図書館に、松井府知事が訪問をしていたのかもしれない。
ただし、府と市が、図書館という現場で、入れ替わっているので、これは、私狙いだと確信をした。で、このニュースを写真に撮ろうと考えた。ところが、スマホの、GPS機能を嫌って、スマホは自宅に置きっぱなしなので、(猫を撮影するのが、唯一の仕事である)カメラがない。それで、当時、常に持ち歩いていたソニーのビデオカメラで、NHK大阪地方ニュース映像をうつそうとすると、ビデオカメラが無い。それで、すぐさま取って返し、夜九時まで、中之島・・・・・大阪城北詰駅周辺を、探しに捜し歩いた。
なぜかというと醍醐イサムの醜態を、記録してあったからだ。そのビデオカメラらしきものが最近我が家に戻っている。ただし、充電器がないので、(そちらは、我が家から盗まれている?)中身を見ることができないが・・・・・
なお、思い出をたどって、地図を検索し続けているのだけれど、太閤閣が消えていて、旧大阪市長公邸が結婚式場になって居た。民と、公の区別って何だろうと思うが、大阪は商都で、府立図書館も、住友が建物を寄贈したと、読んだので、おおらかなのだろうか?
ところで、地下鉄=市電の駅が汚い。それには参った。東京の地下鉄は銀座を中心として、まあ、まあ、きれいなので。築地だけが移転問題もあって、掃除が行き届いていなかったけれど・・・・・でも、大阪の地下鉄の汚さはもう直っているのだろうか?
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副題6、『ところで、ここで、CIAのかわいこちゃんだった、内館牧子に戻る。彼女が心臓を悪くして、まったく食べられない時期があり、やせ細ってしまったので、その後、・・・・・命を守るのは、食であると、考えて料理を自分でする様になった・・・・・と、書いているのは、今の私と同じなので、ちょっと、批判の矛先が鈍っているところだ』
主人が、2016年に心筋梗塞で、危ないところだったのです。普通は後遺症が残るのですが、幸い、自分一人で、お風呂に入れるし、自分一人で外出できるし、自分一人で、ご飯も食べられます。これは、本当に幸運ですが、やせています。それは、入れ歯が悪いのかもしれないと、思っていて、一緒に歯医者に行った方がいいと思うんですが、あまりに泥棒の被害が激しくて、夫婦一緒に外出ができません。これは、大きな不自由です。人権侵害の最たるものです。
でもね、主人の心臓に血栓ができるとは、思いもよらなくて、ずっと、任せていたのです。彼は、子供っぽいところがあって、私の専科である、料理という分野でも、自分の方が上だと主張したいのですから、「ああ、お願いします」という形です。男ってメイン料理はできます。確かに焼きものなど、上手です。だが、栄養学はわかっていないし、野菜料理は作りません。だから、油で、どろどろの血が、心臓を流れていたのです。脂ぎったものが大好きです。鶏の皮を、ポテトチップス状にしたものなど、24cmの洋皿に山盛りにして、一人で、食べていました。一週間に二度は、作っていましたね。主人は、東洋医学を57歳でマスターしていて、国家資格も取って辻の薬師治療院というのを経営していて、かまくらでは名医だと、評判をとっていたので、『自分は、食道がんにかかったのだろう。自分一人で治そう』と、考えていた模様で、それで、三年ぐらい無駄にしてしまったのです。
どうして、私に血栓ができなかったかですが、私はね。小さい時から、自分に合わないものは知っていて、(鯖類は食べない。生のミルクは飲まない。魚の皮は食べない。肉の脂身も食べない。それから、外食するときもできるだけサラダを一緒に取る)などの工夫をしているので、自分には血栓ができないので、主人の異変に気が付かなかったのでした。
私はシェーキーズというピッツァ食べ放題店で、ふとった青年が、お皿に、ピッツァだけ20枚ぐらい乗せて、テーブルで、むしゃむしゃと食べ、食べ終わったら、また、20枚ぐらい乗せてきたので、「あなた、野菜をとらないとだめよ」と思わず、言いました。が、ちっとも、言う事を聞いてくれない感じでした。あれは10年後には、病気が発生しているでしょう。心臓病か?、糖尿病か? 腎臓病か? 私が料理を作ればだれも、病気にはさせないのですが、それでも、子供が、「お母さんの料理はまずい」と言っていたのは、タイミングが悪くて、熱々のものを提供できなかったからだと、判断をして、いまでは、主人には配膳を手伝ってもらっています。ごはんとみそ汁類は、わかりやすいので、彼に、よそってもらって、メインの料理ふた皿を、私がタイミングよく出します。保存食とか、漬物類は、保存容器からお皿に移して、保存容器は、冷蔵庫に戻すようにしています。
ところで、冷蔵庫の中身も泥棒が盗んでいくのですよ。いちいち書かないので、この一か月でも被害があります。白井達雄夫妻ですが、今、横浜一高い、鶴屋町のタワーマンションを設計した、松田平田設計事務所の重役にして、横浜支店長なのに、こういう泥棒さんと仲良しです。
驚きます。本当に驚きます。「あなたの人間観察能力って、東大入学時の偏差値の高さとは、比例しないのですね」と、言っておこう。
平木伸明さんって、おぼっちゃまが東大へ推薦入学で、ご入学遊ばされました。でもね。奥様は、こういう泥棒連中と仲良しです。坊ちゃまが、ノーベル賞をとった時には、「こういう泥棒とお母さんが仲良しだから、あなた、ノーベル賞をとれましたね」と、書かなくちゃあ、ならないと、考えています。(苦笑) だから、長生きしなくちゃあ。(苦笑)
今、21歳のお坊ちゃまが、40代で、ノーベル賞を取ると仮定すると、100歳まで、私は、生きなくちゃあ。(苦笑)
ところで、また、その連中の一味である、白井夫人が、いじめる(挨拶をしないで、置く。無視する)ために目の前に現れたのです。で、私は、そういう姿を見せた人は、振り返って、後ろ姿を、観察することにしています。すると前から、それには、気が付いていましたが、腰のあたりが変です。上半身が、少し(=5度から、10度)右に曲がっています。猫背というのではないのです。猫背とは前に湾曲する形で、長年、机仕事をしているとなります。でも、白井夫人の曲がり方は、前というよりも横なのです。これは、背骨。腰骨、股関節のどこかに、何かがあるのです。痛くないのでしょう。でも、猫背も居たくないのです。だから、あれ、あれと、思ってみています。
私より、20歳も若いのに、この姿勢では、先が思いやられますね。銀座の画廊ガレリアグラフィカで、個展をしていた、渡辺幸子さん(2019年頃)は、上半身が、30度ぐらい右。斜め前にかしいでいました。なおったと、風の便りに聞いていますが、本当?
内館牧子さんに戻ります。お顔の中で、骨格がゆがんだと、言う印象を受けます。癌の末期になる雄ソクラテス顔貌というのになるらしいです。痩せて、骨格に、皮膚が付いているぐらいの感じ。でも、そういうのともちょっと違うのです。上にあげた文庫本表紙の絵を描いた、イラストレーターは、牧子さんと相談して描いたのでしょうが、唇が斜めになって居るのです。ああ、こういう絵を許すのだったら、林真理子よりも大物ですねと、考えました。
ところで、女性で大物化するのは、どういう経歴が過去にあると、大物化するのかという、質問設定をした場合、彼女は、両親にかわいがられて育っているはずだと、思いますよ。
それと、バブル期という時代が幸いして、武蔵野美大への入学が、許されています。うちの実家って、実は、納税者のうちうえから、6%以内だったらしいのです。ICUの事務室で、そういわれました。だから、入学試験優秀者に対してでる奨学金は、あなたには、あげません。と言われています。soreでも、文学部とか、芸術学部はだめといわれていました。戦争になった時に、食べられないからと、言われていて、理工学部ではないとだめだと言われていました。
彼女は都立田園調布工高卒です。これは、名前は立派だけど、別に、いい高校とは言えないでしょう。というのも、太田区とか世田谷区って、都心に近いので、女の子で、家が裕福だったら、小学校から、私立へ入学させるのです。中学からでもいいけれど、ともかく、私立優先です。
だけど、都立高校までは、自信がなかった彼女は、武蔵野美大で、自信をつけたのだと思いますよ。優秀だったはずです。デザイン専攻で、三菱重工、横浜ドックにお勤めですって。これは、お父さんが、ニチレイで、部長ぐらいになって居たからという趣もあるだろうけれど、大変な自信が付いたと思います。ところが、大企業の三菱重工では、女性は、職場の花程度の仕事しか与えられないと思いますよ。でも、社内恋愛が実れば、オッケーという感じだったでしょう。ところが、相手から選ばれなかった。
これは、屈辱だったと思います。そこで、つぶれてしまう女の人もいるが、なにくそっと、思う強い意志があったので、まあ、見事に大物化しました。屈辱と誇りのないまぜが、彼女を作ったのでしょう。
これから先は、どうして彼女が政治的に意味があるかを語りたいのですが、明日は、世田谷パブリックシアターで、或る馬の物語を見ないと、いけないので、ここで、留めとさせてくださいませ。まだ、家事も残っていて、後、2時間は、起きていないといけないので、午前五時になってしまうので、お許しくださいませ。
奥島孝康氏 と、川名氏は、どっちが上か❓ 対フランス影響力という点で。
結局、川名君について文章を書かせるのは 平木伸明さんなのである。彼は、自分は大した事をーやっていないと考えているだろう。が重積と言うことがある。異常にたくさんの回数やられていると、そのエネルギーの重量は多大なものである。そういう圧迫を受ける私が、バランスを取るためには 平木さんを動かしている伊藤玄二郎のの悪を描くしかないのだ。その伊藤に大きなサポートと力を与えている 川名明之宣君について書くのも当然の話である。