銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ワシオ・トシヒコ氏の駿河台大学への就職の際、週刊朝日が、経営者一族を恫喝していなかっただろうか?△

2015-03-16 21:32:27 | 政治

 さて、今、18日の夜の夜9時半ですが、以下の文章の、二度目の推敲が終わりました。また、3000字ほど増えております。推敲が終わったので、そのしるしに、恒例の△印を、総タイトル横につけておきます。

副題1、『野見山暁次さんが、わたくしへの弾圧のために利用をされているのは、知ってはいるが、だれが、その依頼をしたかが問題だ』

 これは、五年以上前のことですが、ランドマークタワーの、レストラン・シリウスに、お昼のバイキングを食べに行ったことがあるのです。夫婦で。

 その時、エレベーターホール側に、壁画が、あって、それが、野見山暁次のものだと、直感をしました。非常に嫌な感じを受けました。なぜかと言うと、それを、注文した側に親戚の人間が、勤務していたからです。

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 ここで、二日目の挿入をいたします。一日目はそれを、書くのを躊躇していましたが、この親戚というのは、前報(あと注1)に登場する従兄弟です。≪いとこが突然に、心変わりをしてしまって、わたくしが鎌倉エージェントと呼ぶ連中に、寄り添ってしまったのは、なぜだ≫と、考え始めたのが、このシリウスで、野見山さんの壁画を発見した時なのです。いとこが実際に不親切だったのは、2015年3月1日の夜だったので、時制的にずれがあります。

 だが、別の親せきで、大企業に勤務している人が、これもまた、不親切になっていました。それは、1995年ぐらいから、始まっていて、特にNHKの朝ドラを見ていると、分かるのでした。ソニーの一部門の所属なので、朝ドラで、使用される、ミュージックで、それが、分かるのでした。で、その人が、例の連中にリクルートをされてしまっているのには、すでに気が付いている時点がシリウスで、野見山さんの壁画を見つけた時だったので、≪こちらの京都大学出身のいとこのほうも、いずれそうなるだろう。その際の、キーパーソンは、野見山暁次氏になるのだろうか?≫と、いぶかしんで、ぞっとしたのです。:::::::: で、挿入から原文へ戻ります。

 私の親戚(=従兄弟)は、証券会社の、サラリーマンでしたが、ランドマークタワーが計画をされたころから、ロイヤルパークホテルに出向というか、転勤になっています。そこの重役で、財務担当だったから、野見山さんにお金を渡す側です。それで、野見山さんのルートで、親戚に手を出されたのではないかと、考えてぞっとしたのです。そこは、今、開業の時期を確認して、計画段階が1980年代とあったので、自分の推理は、この場合は、当たって・い・な・い・ぞ、と思い、ひとまず、ほっとしたのですが。・・・・・それでも、野見山さんが、私の敵として美術界で、機能している事には変わりはなくて、

 その発端が、この壁画を、依頼されたことから始まっているのではないかと、推察しています。もちろんのこと、100%の事実として、これが当たっているとも思いませんが、それでも、15%ぐらいの率で、それは、当たっているでしょう。というのも、ロイヤルパークホテルの内部では、関係者、および、セレブだけをご招待して、開業記念パーティが開かれると思います。そこに野見山さんが、招かれていて、いとこも招かれていたら、五周年記念、10周年記念、20周年記念と、同席する機会が3度もあります。しかも、20周年記念パーティは、2013年に開かれたはずです。それは、もっとも、わたくしが、弾圧をされていたころだから、あり得る事態です。

 わたくしがたびたび、取り上げているエピソードがありますね。洋画家で、三越で、たびたび個展をする馬越陽子さんが、突然に、京橋の画廊・・・(そこには、馬越さんは、何もコネクションがないところだったが、わたくしがよく訪問をするので、狙われたと、推察される)・・・に現れて、いじめようとしては、「効果がないわね」と、気づいた日というのは、このロイヤルパークホテルの壁画を、見つけるよりも前のことでした。で、何故、馬越陽子さんが、使役されたかというと、誰かに依頼をされたからですが、その依頼主が、美術出版社の編集者程度のレベルの人間だったら、馬越さんは、言うことを聞かなかったはずです。

 ただ、京橋で、タイミングよく現れるためには、彼女を、車の中で、待たせていた人物がいるはずで、その人物は、美術系出版社の社長(または、編集長)のはずです。3人ほど、馬越さんと特別に深い知遇がある紳士が居ますが、そのうちの一人でしょう。だが、言うことを利かせる元の役目を果たしたのは、野見山さんのはずです。

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副題2、『2010年に、美術評論家の、瀬木慎一氏から、脅迫を受けていた私だが、皆様には黙っていましたよ。そのうち彼が死にました(苦笑)』

 ここで、また、スピンオフ的な推察に入ります。その同じ人物、または、その三人のうちの一人が、最近でも、いろいろな画策をしていると感じています。もちろん、本人の意思と言うよりは、伊藤玄二郎 → 酒井忠康氏 → 銀座の画廊のオーナー、または、野見山暁次氏→、その社長、という形ですが、彼こそが、斎藤里香(若手の優秀な美術家)さん、または、他の画廊数件を、この2015年の3月10日には、動かしていたと推察しています。だから、斎藤里香さんがあり得ない形で、エチケット知らずだったのです。が、他の画廊で、すでに、経験済みの仕掛けだったから、すぐ見抜くことができて、あっさりと、仕掛けを無視して帰宅をしました。他の画廊については、言及していないのは、そちらでは、斎藤里香さんよりも、もっと、深く私の事を知っている人物だったので、私が見破ったと、彼女たちが、感じた途端に、そういういじめを捨てたので、そちらについては、何も言及しておりません。

 また、同じ人物(仕掛けを斎藤さんに命令的に依頼をした)が、この2015年の3月19日には、赤津侃さんと、一の瀬智恵乎さんを、私の目の前に現れる様に手配をしたとみています。

 この二週の、対、私への弾圧用の現象は、以前のそういう類のものと比較をすると、それほど、どぎつくはないのです。たとえば、同じ京橋で、「もうすぐ7時ですね。なびす画廊に間に合うかなあ」と、私が声をかけた、人物である田代大士氏に、成り済ましたらしい人物からの、恐ろしくも下品なメール・・・・・(お前、それほど、男がほしいのかよう。あんなところで、声をかけてきやがって)・・・・・というもの等とか、2010年の四月に、瀬木慎一さんから、脅迫状、

 が、連続して、数通送られてきたり、した、そういう現象に比較をすると、ずっと、お上品になっています。

 2010年のころは、わたくしがまだ、5つの仕事を並行してやろうとしていた時期なので、消耗が全体に激しい所へ持ってきて、瀬木さんの手ひどい脅迫は、さらに、疲労感を増させられた事案ではありました。ただ、天を信じて、じっと待っていましたね。瀬木慎一さんは、中央大学の法学部、政治学科の出身ですから、もろ、伊藤玄二郎とは同窓です。だから、そこからの路線で、こういうひどいことをやってきたのでしょう。私は本人との電話の中で、それを指摘したりしましたが、無論の事否定をしていました。だから、これは、彼らの常とう手段です。

 しかし、そのうちに彼が死んでくれました。どういう原因かは知りませんが、死んでくださいました。

 それも、また、≪この世には、神様が統べる世界がある≫と、わたくしが言明していることの傍証の一つです。わたくしにひどい事をやってくる人物たちが、次から次へと、死んでくださるのですね。それもまた、私がほっとできる、オアシスみたいなものです。特にやり方が乱暴で、恐ろしいやり方だった人間ほど、早く死んでくださいます。そして、相反する分析ですが、本人がいい人だと、これもまた、早死にをします。本人が最悪の性格の人間だと、長生きをします。

 もし、井上ひさしが、本当に死んでいるのなら、それもまた、この傍証の中に加えられる人物名となりますが、彼だけは、死を装っているだけで、本当はまだ生きていると、推察しています。

 また、成田豊氏、瀬島龍三氏などが、このころ、軒並み死んでいますが、鎌倉住まいではないので、その死が、本当かどうかが、わたくしには、わかりません。鎌倉市内に住んでいると、井上ひさしが、まだ、生きている事は音でピーンときます。彼の発想では、音で、苦しめたいというのが大きくて、鶴岡八幡宮様の異様な音の発生、防災無線の放送、救急車の発動、消防自動車の発動、湘南爆走族の走行音、などで、推察が可能です。

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副題3、『ワシオ・トシヒコ氏の駿河台大学への就職の際、週刊朝日が、悪利用をされていなかっただろうか?』

 ここで、新しい副題を立てておりますが、内容的には上の続きです。総括としては、鎌倉エージェントとわたくしがふだん呼ぶ、連中がどれほど、あくどいかを語っている文章なのですが、その代表例が、伊藤玄二郎です。その伊藤玄二郎か、その一派かが、週刊朝日を、動かして、ワシオトシヒコという男性の、洗浄と、格上げを行った可能性について、これから語ります。 

 ワシオトシヒコ氏から、リアルな世界(=銀座井上画廊のロビー内)で、身の毛のよだつようなセリフを浴びせられたことが、あって、(あと注2の副題3の中に、軽く、そのエピソードが出ているが)その時に、これから語ることは、理解し、把握をしていたのですが、なかなか、語る機会がありませんでした。

 しかし、その時、以前にも、ワシオ・トシヒコという人間が、わたくしをいじめる為に、起用をされているのには気が付いていましたよ。たとえば、わたくしの月刊ギャラリーでの連載は、非常に評判が高かったのに、何も理由も説明されずに、たった、一年で終わりました。その時に、後継者が、ワシオ・トシヒコ氏だったので、誰かが、または、ワシオ氏自身が、自分を売り込んできて、それで、編集長が、乗り換えたのだと、推察しています。

 ただ、放っておきました。が、リアルな世界で、心臓も凍る様ないじめを受けては、放ってはおけませんね。それで、グーグル検索を仕掛けてみると、駿河台大学に、籍を持っていることがわかりました。

 今グーグル検索をかけてみましたが、不思議なことに、その当時に確認した頁が一切出てきませんでした。グーグル検索頁の4頁めまで、行きましたが、ワシオトシヒコ氏が、駿河台大学の教職部門に在籍しているという記事は、ないのです。

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副題4、『グーグル検索に大量の情報が出てきたり、または、急に消滅したりするのが、裏に、CIAがいる証拠です。鎌倉エージェントに利用される悪人たちには、共通してみられる現象です』

 ワシオトシヒコ氏に関する情報が急に少なくなっているので、やはりというほど、はっきりと、彼が、悪利用をされている人物であることが、確認できました。しかも、この一文を書く間、盛んに、パソコンへのシステム的破壊現象が起こりましたので、余計に、かれは、CIAというか、鎌倉エージェントたちに、大きく、利用をされた人間だということが解ります。だからこそ、銀座井上画廊で、ひどいことをやってきたのです。

 仕事とお金をもらって、言うことを聞く人物の典型です。または、私をいじめるから、仕事と名誉が舞い込むのか?

 ところで、その銀座での嫌な経験の直後に、グーグル検索をした時には、≪駿河台大学の講師だった≫のですが、今は、もっと上に上がっていて、教授になっているのではないかと、思って、調べたのです。しかし、グーグル検索では、情報が無いのです。書物の広告は出てきます。一杯著書があるみたいです。

 でも、大学の評判を網羅する、別の頁から、間接的にですが、駿河台大学に入ることができて、彼が、教授に既になっていることを知りました。そして、その授業は、もっとも、容易なレベルで、単位が取りやすいのだそうです。駿河台大学中、一位だそうです。自分に自信がないので、やさしい内容にしているのでしょう。または、追い出されると、困ると思っていて、絶対に追い出されない様に、するために、学生の評判をよくしたくて、若者たちを、甘く、甘く扱っているみたいです。甘やかしきっているみたいです。(苦笑)

 でも、ここで、ピーンと来ました。・・・・・あれが、急所で、彼は、駿河台大学の教授になれたのでしょうね。そして、それは、北野武氏が、芸大教授にしてもらったり、伊藤玄二郎が、関東学院の教授にしてもらったり、桜井万理子さんが、学芸大学の教授から東大教授へピックアップされたのと、全く同じ伝でしょう・・・・・と、わかってくるのです。

 だけど、それらの中で、ワシオ氏のケースほど、あくどいものはないでしょうね。彼は、いわゆる、朝日新聞系列の、CIA御用達システムを利用して、大学教授の地位を得たと、推察していますが、そのもとの記事ほど、ひどいものはないのです。週刊朝日が、こういうものを掲載するなんて、ほとんど、驚天動地というほど、ひどい記事でした。

 週刊大衆とか、あさひ芸能などという週刊誌だったらありだけれど、週刊朝日では、ありえないという内容の記事です。今は、新聞を読まない様になっているので、同様なケースがあるやもしれず、ただ、それに気が付かないだけなのかもしれませんが、その記事に気が付いたのは、たぶんですが、2004年から、2008年の間で、(それは、後で、図書館で確認すれば、時期については、特定できますが)、駿河台大学の理事一族の、内情を描いたものです。経済的事案ではなくて、恋愛模様です。ひどい記事でした。ドキドキしましたよ。ひどい。ひどいです。

今、似たようなケースで、大塚家具の一族の親子関係が、取りざたされていますが、これは、経済的な事案です。そして、かぐや姫と称される久美子さんの側が、午前二時に電話を掛けるとか出ていましたが、独身だと、そういうことになりがちであって、それは、決して、恥辱的なことでも、破廉恥なことでもありません。処が駿河台大学の理事一族の恋愛模様の話は、破廉恥な記事の一つです。でも、お金持ちの一族にはありがちなことですが、それを、探偵でもない週刊朝日が記事にするとは、ほとんど、驚天動地の出来事です。しかも、訴訟も殺人事件も起きていない段階ですよ。ひどいです。

 だけど、それで、成岡庸司君が、日本のトップエージェントとなっているのを知り、しかも、彼が、すでに、鎌倉エージェントと、固く、結びついているのを知りはじめます。

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副題5、「駿台予備校は、お茶大付属高校の卒業生にとっては、支援をしてくれるお財布だったのだ。特に戦争未亡人になってしまった人々にとっては」

 あのね、私が新聞で、目次の広告を見た途端に、衝撃を受けたのには、わけがあります。駿台予備校の理事さんの一族には、非常に良い評判が、OPCという会の中にはありました。だからこそ、怒り心頭だったわけですが、OPCという会をまず、説明をさせてくださいませ。Oは、御茶ノ水で、Pは、プロフェッショナルで、Cは、コミッティ-です。つまり、お茶大付属高校の卒業生の中で、職業をもって働いている女性たちが作っている会です。

 今では、この高校の卒業生もほとんどが、大学へ進学し、大学を卒業した直後は、就職をします。だから、全部がこの会に所属する資格があるのですが、時間的な余裕がない人もいるので、現在、このOPCに所属をしている人たちは、成功者が多いのですって。だから、勝ち組で、お金持ちの人が多いのだそうです。社会的に特別な有名人、例えば、女優の、山口果林さんなどは、それなりに忙しいので、入っていないのですが、ともかく、年収が、女性でも、500万円を超えるだろう人が、入っていると、みなすことができます。または、夫が、年収一千万円を超えるだろう人たちとか、その本人自身も、若い日の実際に名誉と地位のある職業を持っていた時期には、年収が、700万円を超える人たちです。(この貨幣価値は、2015年のもの)

 しかし、この会の草創期には、そうではありませんでした。その頃、戦争が敗戦で終わってしまい、戦争未亡人が、生まれたのです。お茶大の付属高校は戦前も戦後も、よいところのお嬢さんが集まっているところですが、そういうところだからこそ、大学へ進学するのは、戦前には、忌避されていて、したがって、手に職のない女性が、世の中に突然に、放り出されたのでした。無論のこと、遺族年金と言うのは入ると思いますよ。だけど、夫が生きていて、きちんとした給料をとってくる上流婦人の生活とは、まるで、ことなってくるのです。で、戦争未亡人が、お互いに助け合う組織を作ろうとしたのが、OPCです。

 戦後も、・・・・・今でさえも、・・・・・日本は男性優位社会ですから、女性は屈辱を味わわされる事はいっぱいあり、したがって、お互いに助け合う事に、意味があったのでした。

 自分自身の就職の際にも助け合う。また、子供の就職の際にも、助け合う。また、子供の結婚の際にも、助け合う。こういうことは、日本では、親戚同士で、助け合うものでしたが、お茶大付属高校の卒業生とは、親の代からの都会人が多くて、したがって、東京市(戦前は、都ではなくて、市だった)民として、親戚づきあいが薄い人もいたでしょう。だから、この互助組織は、たいへん大きな力を発したと思われます。

 その中で、駿台予備校の理事さんご一族は、大いに頼りにされていたのです。それは、働き場所を提供することができるからでした。駿台予備校とは、日本一の予備校であり、通学生は、日本全国から、多数集まっていたのです。で、寮のお世話をする女性とか、いろいろ、働き場所を提供できたからでした。年齢に関係がなく、また、資格に関係がなく、人を雇ってあげることができたのです。

 援助ということは、一時金を貸したり、与えたりすることでは、助けにはなりません。キャッシュフローの場を与えることが、一番いいのです。たとえ、お金持ちでも、大会社のサラリーマン社長や、重役だったら、こうはいきません。また、中小企業の社長さんでも、会社となれば、かっこいい、若い人を雇いたいでしょう。でも、予備校の裏方なら、しっかりした人であるなら、やとう側さえ、見栄を張らず、カッコウをつけなかったら、中年の女性が働く場所となることができます。

 これは、ちょっと横にそれますが、親戚同士でも、できることとして救済が、機能をしていたのが、戦前でした。しかし、核家族の推奨と、相続税の過酷な取り立てのせいで、会社組織にしている人以外は、財産を守ることができなくなり、したがって、弱者の立場に置かれた人が、ますます、不幸を背負わされているという形になっています。遼太君のママも、その典型のひとつでしたが、畠山鈴香被告もそういう一人でした。昔だったら、娘が、未亡人になったり、離婚をしたりしたら、出戻りとしてでも、大家族主義の中に、吸収をしたでしょう。で、そのうちに「私たちが、孫を引き受けるから、再婚をしなさい」などとなって、やがて再び、女性の、生きる場所が見つかったのです。その時に、以前の家庭で生まれた子は、おいて行ったので、新しい父に虐待をされるなどということが少なかったのでした。

 ともかく、戦後の日本社会には、余裕が無くなりました。一部の人、特に税金を、自分が使う立場に、いられる人は、楽々お金を手に入れられるみたいですが、一般的には、≪自分の子供の面倒さえ、十分には、見られないのに、他人の面倒など、とても見られません≫と言う人ばかりです。

 そういう際に、大規模に事業を運営している駿台予備校には、働く場所を提供できる力がありました。だから、理事さん一家は、たいへん尊敬をされ、感謝されていたのです。そして、そういう誇り高い人特有の親切心(=ノブレスオブリッジ)もいっぱいある女性でした。私自身は、金銭的援助をしてもらったわけではないのですが、その温かい人柄に触れて、薫陶を受けたものです。

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副題6、『本家の朝日新聞が、従軍慰安婦問題で、謝罪をしていた。私はそれについては、何も言っていないが、無論の事、朝日新聞が、この現代日本に、もたらした悪については、数度、メルマガでは、述べているのだった』

 私は、自分自身の知遇の中に、朝日新聞関係者が五人もいるのだけれど、朝日新聞がもたらす弊害については、何度も、文章を書いて来ました。目に余るということがあるわけです。だけど、従軍慰安婦が、ねつ造記事だったという報告には、驚きました。そして、あまり驚いたので、取り上げないこととしたのです。そして、何も言わないことと決めております。それに≪私以外の大勢の人が、すでに、あれこれ、書いているので、それで、結構でしょう≫と思っています。

 また、そんなウソを告白した朝日新聞を、それでも、とり続けているのは、単に、自分たち夫婦が、ものぐさだからでもありますし、日経新聞から取り換えて、数年もたっていないからでもあります。

 だけど、誰も取り上げてはいない、悪である、こちらの週刊朝日の、記事の方には、震撼すべきほどの、怒りを感じました。だが、語るのが、難しかったのです。駿台予備校の理事さん一族が気の毒なので。寝た子を起こすという言葉があります。それから、人のうわさも75日という言葉がありますしね。

 だけど、今般(2015年3月16日)に、ある一定の脚本のもとに、赤津侃さんが、私の目の前に現れました。だから、この週刊朝日が行った悪というものをしっかりと、取り上げることといたしました。つまり、週刊朝日は、まず、やくざチックなボディブローを、理事さん一族に与えた上で、別の人間が、週刊朝日に、これ以上の記事をかかせない様にしてあげますと、甘言を弄し、そのバーター取引として、ワシオトシヒコさんを、講師に採用することを了承をさせたのだと思います。

 で、その頃から、6年は過ぎていると思うので、ざっと2000万円の給料を、ワシオトシヒコさんは、自分を利用しようと企画した人間たち(=鎌倉エージェントの一人だろう)の恫喝によって、手に入れたのです。しかも、記事の内容は単に恋愛の話です。現在の日本では、ほぼ、2000万人の人が恋愛中だと思います。不倫の恋愛も横行しているでしょう。だけど、ストーカー事件で死者が出たとでもいうのなら、名家の家族の恋愛事情を、書くのも仕方がないかもしれないけれど、どこにも、訴訟も使者も出ていない段階です。そして、学園経営者にとっては、破廉恥なことを書かれるのが最も困るのです。そこの相乗効果を最大限に利用した、脅かしでした。週刊大衆より、アサヒ芸能よりひどい記事でした。

 私は常に、天がみそなわすと、言っています。もし、ワシオトシヒコさんが、月刊ギャラリーで。わたくしの後釜に座っていなければ、こういうことには気が付かなかったと思います。しかも、銀座井上画廊で、彼がいじめてこなかったら、まだ、遠慮が残っていたかな? だけど、斎藤里香さんという、まじめで、繊細そうな、芸術家まで、使ってきましたね。それも、石川和子さんという、伊藤玄二郎の元愛人とか・・・・・前田祝一・清子夫妻とか、安野忠彦夫妻・・・・・・を守るためですが、斎藤里香さんの、違和感をこちらに抱かせる行動がなかったら、ここまでは、書かなかったかもしれません。そして、とどめを刺したのが、赤津侃さんと、一の瀬智恵乎さんの現れ方です。私は、自分がこの男性と、この女性について文章を書いてから、何度も二人に銀座で出会っていますよ。それは、お互いに、出没しているのだからあり得ることです。だけど、市売っ気たっぷりに、脚本に基づいて、あらわれて、いろいろ、お芝居をするのと、自然な現象として出くわすのでは、意味が違いますから。あ、さいざんすか。却ってこちらにとっては、好都合ざんすよ。今まで、我慢をして、秘密を守ってあげていたことを、書くことができますから・・・・・と、そう思う事ができます。それが、天の統べるところというところです。

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 ところで、18日になってから入れる、挿入ですが、週刊朝日って、公称実売数は、40万部です。だが、全国津々浦々の図書館においてあるので、合計で、300万人から、500万人の人が読むところだと思い益す。ネットで、実名をさらすのはよくないとか言われていますけれど、この記事は、6年も前のことです。しかも、紙の方が、歴史に残りますよね。特に目次も広告は、縮刷版で、半永久に残ります。そういう事さえ反省をしないで、あれこれを、別の言い方で、言い募るのが、鎌倉エージェントたちです。マッチポンプの極まりです。

 この2週連続の銀座での、やや上品な形でのいじめですが、それと、現況の政治分析とは、ぴったりと連動をしています。つまり、私が最近書いていることがすべて正しいので、ご近所ではなくて、銀座の画廊街が使役をされるという形で、弾圧が行われているのです。

 それは、2010年の出来事の繰り返しであります。波動がまた、同じ所へ廻って来たのでした。特に16日の月曜日には、帰宅した途端の、8時45分にワンギリの電話がかかってきたので、ますます、その感を強くしました。

 そして、メディアを表向きと、は、違う目的のために用いるという手法は、NHKにも応用をされたのです。NHKの日曜特集は、今は、番組そのものが消えてしまったみたいですが、そして、土曜日の夕方に放映をされていた、『こどもニュース』では、池上さんの後の後釜だった鎌田解説委員も、今は、露出が少なくなっているみたいですが、それは、番組を利用して、個人をいじめるという事をやったからです。その点では、このワシオトシヒコ氏を、持ち上げる手法と、90%同じだということです。

 ただ、お金の分配については、異なっています。・・・・・NHKの番組の方では、動員されて悪い事へ協力をした人は、薄謝としての、一時金をもらっただけでしょうね。月給には結びつかなかったでしょう・・・・・と、いう違いはあります。

 どの番組かというと、杉並区のある家を、特に取り上げて問題とした空き家特集というものです。一見すると社会派ドキュメンタリーを装っていますが、実態はまるで違っていて、ある天才的な女流画家をいじめるためのものでした。その人はすでに、精神病院へ入院をしている人らしいのです。だから空き家になっているわけです。そして、みんな知っているくせに、名前が解りませんと言って、北側順一郎さんと、名前と顔を私が知らなかった若手女流学芸員を利用していますが、番組内でも、うっすらとそれが解る様に、精神病院へ入院したと言っているのに、坊ちゃんに取材をしているのですよ。残酷無比なやり方です。もちろん、坊ちゃんの顔には、モザイクがかかっていましたが、杉並区の、昔からご近所だった人たちは、やはり、震撼をしたのではないかなあ? NHKのあまりにも冷酷なやり方に。

 一方で、ご近所の安野忠彦家の、坊ちゃんなど、御成中学時代には、おいちに、おいちにのあひるさんと、みんなから囃されているほどのお成績だった(通信簿に、1と、2しかない)の二、国立大学の付属高校にご入学なさったそうです。東京都内のそれではなくて、舞鶴の海上保安学校ですけれどね。で、退職後の年金も入れれば、お坊ちゃまは、1憶五千万円ぐらいをもらえるのです。下は安野忠彦家の門前についている看板です。だから、私は、日本の警察って、CIAの支配下にあると、いつも言うのです。このふた家族の差って、何なのだというほど、恐ろしいものです。

特にNHKは、安野家を補強します。常に、そういうニュースを流します。今回気が付いたのは、3月6日のニュースです。

3月6日、夜の7時・・・・・海保と、日石が提携、新協定を結ぶ。映像として、一種のスーツ姿、(ネクタイ姿、ただし、ポケットのところに海保の階級を表す印つきで、佐藤雄二海保長官が登場する。

 これと、双璧をなす、恐ろしいたくらみが、上記の週刊朝日の記事でした。それを、用いて、ワシオさんは、駿河台大学へ、押し込んでもらって、ロンダリングと格上げをさせてもらえたのではないかしら? ここで、疑問符を用いていますが、ほぼ、正しいと感じています。と言うのも、この問題を書き始めてからは、私のパソコンが、例のごとく、異常なシステム破壊に陥りそうに、何度もなりましたので、そうだろうと、見ています。

 その手の妨害をあまりに何度(数万回だと思う)受け続けたので、防衛策をマスターしています。システム破壊への、緩和策とか、それから、文章の救済策とか、言う事を、それなどなりにマスターしています。だから、未完成な段階で、アップすることとなります。ただ、それは、読者の、皆様にとっては、読みにくいと思われ、申し訳なくは思っていますが、それが、妨害を潜り抜けて、真実を開示する、唯一の、方法なので、お許しくださいませ。

 なお、本日は、今まで、語ったことのないエピソードをさらしました。で、このエピソードにご注目をいただきたいので、これ以下の、初稿内での文章は次回送りとさせていただきます。しかし、ワシヲ・トシヒコ本人に対する感想(または、人物の分析)は、ここに付け加えさせてくださいませ。

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副題7、『ワシオトシヒコって、恐ろしいほど、悪い顔の人間です(苦笑)』

 私は、銀座井上画廊で、ワシオ氏にひどいことをされた当日には、まだ、ワシオトシヒコ氏の顔と名前が一致していませんでした。非常に恐ろしい罵倒を受けながらも、さりげない調子で、画廊を出ました。私は何度も言っている様に、リアルな喧嘩はしない方なのです。だけど、ワシオ氏が「勝った、勝った」などと、雄たけびを上げているのなら違うかもしれないです。この文章を、理事さん一家には、送りませんが、世の中には駿台予備校に学んだ人も多いはずですから、誰かが読んで、理事さん一家に、送る人もいるでしょう。グー側から私に知らせが来ている人数以上の人が、読んでいると、信じています。

 だから、ある意味では、結構なレベルで、恐ろしい人間なのですよ。というか、真のインテリだから、リアルな世界では、喧嘩をしないけれど、それで、忘れてしまったり、許してしまったわけでもないですから。シャルリーエブド事件が起きた今、ここに、・・・・・ワシオトシヒコって、CIAの手先だったのだ。・・・・・と、はっきり記しますからね。・・・・・鎌倉エージェントの手先となって、正しい、事を言う人間を弾圧する側に立ったのだ・・・・・と。

 ・・・・・だって、人品骨柄を見ても、ワシオトシヒコ氏って、非常に低劣な感じがする人間ですから、そういって構わないでしょう。数十年たったら、また、数百年たったら、こちらの方が勝つでしょう・・・・・と、内心で思っておりました。

 ただ、リアルな世界では、その当該の日の午後には、彼に圧倒的な負けを喫して、去ったのです。でも、修業を積んだ筈の、私にも、許せないほどの、攻撃だったから、『これは、何とかしようね』とは、思いました。で、すべての画廊の、チェックが終わった後で、もう一回訪問をしたのです。芳名帳をチェックするためにです。

 最初の訪問の時に、出る際に、軽くチェックしましたが、男性の名前がなかったので、その激しい攻撃をしてくる男性が、誰であるかを、知りませんでした。彼の方ですが、私がその日、絵を見る前に、署名をしたその名前を見てから、入ってきたので、私だとわかったのでしょう。

 しかし、この初稿を書いてから、30時間程度、時間が経過した今では、別の考えも持っています。・・・・・もしかしたら、今般(2015年3月16日、意図的なタイミングで、赤津侃さんと、一ノ瀬智恵乎さんが目の前に現れた)の様に、意図的にいじめるために待っていた? 尾行がついていて、何時に、井上画廊に入るか、尾行が、知らせて、タイミングよく入って来て、いじめた?・・・・・と。

 非常にでかい面をしていて、かつふてぶてしい態度なので、ある程度以上の有名人だとは思いましたが、顔を全く知りません。今まで、相当数の美術界の有名人と、直接顔を見合わせていますが、今まで、見たこともない顔でした。

 芳名帳の中で、同じ頁と、前の頁に署名をしている、7人程度の中には、美術界の有名人の名前は、一つもありませんでした。特に男性の署名は、ありませんでした。で、仕方がないので、全部の画廊を回ってから、もう一度訪問をすることにしました。だけど、銀座井上画廊のスタッフさんが、こちらの味方をしてくれるとは想像ができないので、作品を買うことにしました。幸いにその週は、小品展であって、しかも、私の好きな作家が展示をしている週でした。だから、買いたい作品は、確実に、存在していたのです。将来の夢として、この鎌倉の自宅を、現代アートの美術館にするつもりがあります。それがかなったら、確実に展示作品となるレベルの一品でした。だけど、10万円以上の作品です。それを買うのだから、画廊にとっても、ちゃんとしたお客の一人となります。それなら、芳名帳を見せてくれるでしょう。

 で、受付で、その購入の、申し込みをしながら所定の用紙に記入をしていました。銀座井上画廊は、私の住所氏名を知っておられるとは思いますが、税務対策としても、伝票を切る必要はあって、美術品の場合、その伝票は、A4サイズなのでした。それが、一般的な形です。

 それを私の方が書いて、受け取った相手が、印鑑を押してくれるなど、作業をしている間、私は、「すみませんが、ちょっと芳名帳を見せて」と、言ってみました。すると、ここのオーナーにして、画家でもある、井上秀子さんが、「ああ、あの人は、ワシオトシヒコさんですよ。今、月刊ギャラリーで連載をしている」と、言ってくれました。井上秀子さんは、二時間前には、決して、助けてはくれませんでした。しかし、私がなぜ、二度目として同じ日に訪問をしたのかは、確実に分かっていらしたのです。

 つまり、私が何も抗議をしなかったいじめは、相当にひどいものであって、画廊にいる誰もが、震撼をしたであろう程度のものだったのです。しかし、乱暴者と、対立するのは、誰もが嫌なことですね。特に銀座に出没する女性たちは、作家にしろ、そのお客さんにしろ、経済的には、恵まれた立場の人たちです。育ちもいいはずです。だから、人間としての基本的なエチケットは身に着けている人たちです。

 でも、ワシオトシヒコの顔の現物を見たら、誰も抗議をしようとは思わないでしょう。それほど、ひどい顔をした人間です。で、今ワシオトシヒコに関する画像検索という頁があったので、それを見てみました。別にそこからコピペしようというのではないのですよ。ただ、皆様にも説明をしやすいと思って。ところが、400枚以上の写真が置いてあるのに、なんと、私の頁から移動をした猫が三枚入っていて、それから、深見東州も三枚ぐらい入っていて、あとは、彼の実像とは無関係な写真ばかりでした。ただ、一点、画廊で、撮影したのだろう、集合写真がありました。が、小さいサイズのもので、拡大も、効かなかったので、よくわかりません。

 だが、行動が悪い人は、顔も悪いの典型でした。今時の東京圏で、こういう顔をした人はかつて、見たこともないという種類の顔です。40過ぎた男の顔は、自分の責任だと言います。彼はありとあらゆるところで、ひどいことをやり続けてきたのでしょう。

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副題8、『ワシオトシヒコさん、あなたが誰から何を聞いたとしても、天は、真実を見抜いていらっしゃるのですよ。常に』

 ワシオさん、あなたが、誰に何を聞いて、ああいう乱暴狼藉をなさったのか、その裏側は、ここには書きません。ただ、大体は、想像ができますが。だけど、あなたではなくて、このブログの読者様には申し上げます。この件は、・・・・・北久里浜の京急駅の東側に建っている、4棟の大マンション(ルネ北久里浜、または、そらヒルズ)の立っている場所が、旧、横須賀市の水道山を、瀬島龍三一派がただで、自分のものにした、地籍変更届の件を、巻き込まれた私が、正しく、知っていることから始まっているのです・・・・・よと。

 瀬島龍三は、自分の悪事がばれないために、鎌倉へ引っ越した私の近所に、手を伸ばし、近所の主婦たちに、私をいじめる様に、手配をいたしました。そして、今度は、私の土地を盗んだり、崖を無断で、崩すなどの恐ろしいことを、こちら鎌倉の町内会名で、行いました。 どうして、そういうことが起きてしまったかというと、たった、20軒しかない、地域なので、一種の閉鎖社会であって、中学校のいじめ社会(または、川崎市で、起きた遼太君殺害事件の精神版)みたいな支配、被支配の状況が容易に起きるからです。 そして、強者側に立った人間に、ヒステリーの要素があると、必然的に、ナチズムと同じ現象が起きてきます。それを、利用しきったのが、瀬島隆三であり、その瀬島隆三は、鎌倉市の顔役である、伊藤玄二郎(鎌倉春秋社社長)を取り立てて、彼に莫大な権力を与えました。NHKや永田町、また、テレビ朝日系列と、朝日新聞系列を支配できる権力を与えました。また、伊藤玄二郎の個人の努力が合いまったのか、鎌倉市役所も、神奈川県庁も支配下に置かれています。 私は彼らに、本当にひどいことをやられっぱなしです。でもね、仕方がないので、すべてを受け入れています。が、ただ、書きますよ。委細を。それは、致します。そして、こういう悪がもろもろ重なって、彼らのあくどさを、国民全体に、知らせるために、天は、鶴岡八幡宮境内の、大銀杏を倒壊させました。

 それでも、八幡宮様あ、正しい理解には到達せず、いまだに、私を音で弾圧することをおやりになっておられるので、次の段階として、表参道にあたる、段葛の桜が、2013年度までは、普通だったのに、2014年度から、急にしょぼしょぼと衰えて、行ったのです。弱ってきました。有志が朝早く、水をまいているそうで、それが、加湿を招いたのかもしれません。だが、科学的な理由はどうであれ、現象としては、衰えてきたので、それには変わりはありません。

 鶴岡八幡宮様は、このブログを逐一丁寧に、お読みにならないといけないのに、いまだに、お読みになっていないみたいです。無論、ワシオ氏も読んではいないでしょう。最後に付け加えます。なぜ、一時期は五千人の、顔名前、作品を知っていると豪語した、私がなぜ、ワシオ氏の顔を知らなかったかですが、彼はお金を取れる(または、はっきり言うと、相手がお金を払う可能性のある)画家とか画廊しか、訪問をしていないと、見えるからです。私は違う姿勢で生きていますので、今まで、ほとんど、顔を合わせることがなかったのです。

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 これ以降の文章は、後ろへ回します。それは、【週刊朝日のあくどい記事】という項目が、このブログでは、初発だからです。初めて書いたエピソードだから、それが、目立つ様にしたいです。朝日新聞社は、アエラを作ったので、週刊朝日は、もうどっちでもいいんでしょうね。何も読者には、期待をしていないし、作る方の、自分たちにも何も期待をしていないのでしょう。そう考えでも、しないと、どうしても解せない記事の持って行き方でした。

 4600字だった初稿の特に前半の2000字部分が、10倍近くに増えておりますが。2015年3月16日~17日にかけて書く 雨宮舜(=本名、川崎千恵子) なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2797789です。

後注1 

事業主勘定という、術語が、分からなくて、結局は、青色申告ができなかったのだが。△△△ 

2015-03-15 10:57:31 | 政治

 後注2、

醍醐イサム、秋山祐徳太子、北側順一郎、ワシオトシヒコ

2012-05-07 08:39:12 | Weblog

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