このブログは時々、冒頭に写真を置くことにしています。今日の写真は、前田家の築土です。
奥に赤い、消火栓という箱が見えます。その右側に太い下水管があります。その下水管は、下から大谷石五本目で、横に侵入しています。たぶん、前田家のトイレの水を下水道に流し込むものだと思いますが、その突っ込んでいる場所自体が、違法なものなのです。つまり、前田家は、消火栓のある所まで、自宅を引っ込めないといけないのです。
ただね。前田家は、中古の家を買って引っ越してきたのだから、自分が作ったのではないと、いうのでしょう? だけどね。藤本悌子さんが、1985年から、道路に電動のこぎりで、切れ目を入れて、こういう風に主張をし始めたのです。それは、表向きは別の理由がつけられていました。が、本当の目的は前田清子さんに、道路を通させないという目的があったのです。どうしてかというと前田清子さんって、どうして、ああも幼稚なのだろうか?と、驚くほど、人をいじめることが大好きなのです。都立大学の大学院を出ていて、しかも國學院大學の講師ですって。だけど、どうして、そんな身分を得たの? 博士号持っていないでしょう? ご主人だって、持っていないのだから、当然、奥様はもっていないでしょう。それなのに、国学院の講師で、ご主人は駒澤大学の教授です。
で、藤本夫人が直接、私に嘆いていましたが、前田清子さんが音頭を取って、みんなが、彼女を、いじめるのですって。挨拶を返してくれるのは、井上さん(岸田淳平というペンネームでも活動する銀座では有名な人。ヌードを描くので、こういうペンネームを使っていると私は推察している。お嬢様もいることだし)だけなのよと、嘆いていました。
今は、私が彼女の、いじめ用ターゲットになっていて、その手下として動く、渡辺賢司夫妻など、本当にひどい態度ですが、1984年から数十年間、藤本夫人が
・・・・(駅傍の昔の自宅=小児科医院、鳩ノ巣屋敷と呼ばれて有名だった、廃屋に近い洋館。昔使っていた看護婦さんでも、住み着いていたので、追い出せなかったのだと思う)・・・・・
跡地に新居を建てて、引っ越していくまでは、藤本夫人がターゲットだったと思います。
こちらの写真では、マンホールが見えますね。その左に、下に向かって真っすぐな切れ目があります。それは、藤本夫人が切れ目を入れた跡です。藤本夫人宅と、我が家の間の道は、五度ぐらいの傾斜がありました。今は、白井さんの手によって、(そして、石春産業の手によって、町内会費を使って)、この大切な証拠は消されてしまいました。
しかし、本当の事情を分かっていない白井氏も石春産業も大切な証拠を残しているのです。だから、裁判になったら、私はそれを使います。で、ここでの、説明には使いませんが、ともかく、私の方が圧倒的に正しいのですよ。
白井さんは、とんでもないことをやっているのですが、北久里浜の、ルネ北久里浜(売り出し時の命名、そらヒルズ)の設計をしていて、その時に瀬島隆三と縁ができて、100%洗脳をされているらしくて、ひどいことを連続的にやってくるのです。平気でね。鉄面皮でね。が、特に奥様がひどいです。でもね。ちゃあーんと神様に罰せられているのですよ。だって白井さんが設計した、川崎市の文化ホール、ミューザの天井が、3.11の時に落ちたでしょう。もちろん、川崎市が投下した資金が、不足していて、施行業社が手抜きをした可能性はあります。
しかし、それが、白井達雄さんの会社の設計ですから、白井さんを天がおしかりになったというわけです。だってね。今、歌舞伎座から理不尽な理由で、私は入場拒否を受けていますが、その代わりに、音楽会に行くことにして、特に美術が専門なので、東京圏の、有名ホール全制覇を目指しているのです。建築として、音楽ホールを見るつもりです。で、この2024年9月15日は、目が痛かったので、ドアを開けて、内部をちらっと見ただけで、即帰宅したのですが、武蔵野市民文化会館に行ってきました。小ホール、まるで、紀尾井ホールみたいにきれいで、しかも、細身で背の高いパイプオルガンがあります。いや、なるほど、NHKがここから、しょっちゅう、クラシック俱楽部(主に室内楽)の録画放映をするはずだと思いました。上野の文化会館小ホールよりも、放映の回数は、ここの方が多いくらいです。でね。ほぼ、有名ホールは全制覇していて、残るは、文京シビックホールぐらいだというところですが、3.11の時に天井が落っこちたのは、ミューザだけでしたよね。ほかはどこも聞いたことがないです。
それがどうしてわかったかというと、敵さんが、私を負かすために、また、また、発案し実行をした、京アニ放火で、わかったのですから、愉快ですよね。
それは、青葉真司が大阪の病院へ転院するというNHKニュースを見ているうちに分かったことでした。彼ら悪人たち、とくにわたくしが鎌倉エージェントと呼んでいる、伊藤玄二郎と、井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしていますが、実際にはまだ生きていますよ)が、計画したことは、ことごとく彼らが推している人間の首を絞めるだけですから、それも面白いと思っているのです。
小泉進次郎事務所の若い女性が、裏も表も何でもないはがきに世田谷区、成城 A丁目 B番地 C号というA B Cという場所に正しい数値を入れて出してくださいと頼んでいるのに青い鉄製の扉をあけようともしなかったのです。これは、尾行をしている警官が教えられたとおりに、「テロリストが、向かっています。絶対に扉を開けないで、ください」といったからでしょう。だけど、本当のテロリストだったら、警察はどうして、目の前で、逮捕してしまわないのですか? 尾行が、いう事の方が間違っています。それは、スコープから見たわたくしの姿とか、扉を通じて、訴えている、私の声に、耳を傾ければ、当然、わかるはずですよ。その程度の自主性さえ持っていない使用人を事務所に置くとは、なんですか? 小泉進次郎に事務所、所員の教育力さえないのです。そんな人間に、この国を任せるわけにはいきませんよね。いくら大権力者、CIAエージェントたちが、必死になって、応援しようとも。後ろ姿で、教育するという事も出来ないのでしょう。
すみません。まだ、まったくの途中ですが、三時になったので、明日の主人の予定を考えると、妻は寝ないといけません、恐れ入りますが、ここで、中断をいたします。以下はメモです。
ただね。青葉真司を乗せたヘリコプターが、病院へ到着したところで、それを見た直後=10分以内に分かったわけではないのです。3時間ぐらい調査をしました。ネットでね。特にJCB賞というキーワードで。青葉真司が転院した病院が、近大付属病院であり(それは、ベッド数から、私が、大阪中の病院のベッド数を調べてたどり着いた名前でしたが)、その次に、WIKIPEDIAを見ていると、その建物がJCB賞というものを取っているとわかりました。これは、隈研吾氏設計の歌舞伎座もとっている賞で毎年、10件程度選ばれます。
なぜ、それが突破口になるだろうと判断をしたかというと、大船のミスタードーナッツで、パソコンの仕事をしていた時に、諮る様に隣に座った男がいたのです。25年ぶりに会う男ですが、瀬島隆三の手下です。警察関係者ではなくて、伊藤忠の社員でしょう。天然パーマであるという事が決め手でした。そういう出会いが、設定されるのも、私のパソコンが自宅だと、正しい働きをしないからでした。
で、私が、会話に絡んで、来そうな話題を、連れと話しているものですから。で、とうとう混じったのです。で、建築の話題を、繰り出していったのですが、うちのお隣にすごい家が建ったのよ。壁なんか、篠竹で、素地を編んで、その上に藁混入の、土台用壁を塗り、それが十分に乾いてから白い漆喰を塗っているみたい。驚くほど、手間をかけているの、今時って、ホッチキスハウスが多いでしょう。全然違うのよ」というとお名前は、なんという方ですか? ですって。
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いやー、すみません。メモが公開されて居ました。そのメモは、みずほ銀行に、関する謎を解く過程において必要なものでした。みずほ銀行のいじめというのは、その意固地さが、ほかの銀行とは、全然違うのです。
で、ここで、また、伊藤玄二郎が、登場します。
伊藤玄二郎はわたくしのプライバシーを100%知っています。友人や、知人についても知っています。どうしてそういうことが可能かというと、それこそ、かれが、CIA エージェントであり、警察を支配できるからです。非常に残念なことに、外出しなければいけない時に、住所録は、持ち出せないので、それが、盗まれたことが二回ほどありますし。
で、私の、友人知人を検索すると、旧・富士銀行に勤務している人が見つかるわけです。
私の友人は女性なので、結婚をしてお子さんができると辞職するわけですが、たまたま、職場結婚だった場合、彼女のご主人もまた、富士銀行勤務だとなります。
そして、そのご主人が、東大卒だと仮定すると、伊藤玄二郎は、そのご主人を、100%丸め込めるのです。どうしてそれが可能かというと、東大卒の大人気、びと、養老先生を、自家薬籠中のものとしているし、その養老先生のご自宅(ゼンリンの、地図には載っていないが、だいたいのところはわかっている)の、ご近所住人として、
わが住居、鶯が谷の、住人であった故・なかたのともじ氏の遺児、(特にご長男)が、住んでいたのですね。七歳ぐらい(~10歳の間)中谷一郎(または、中谷一雄)さんの方が、養老先生より、若いかな?
ただし、中谷一郎氏(もしくは一雄氏)は、宇宙工学研究所所長なので、弟子や教え子が偉いのです。だから、養老先生ほど、一般人の間では有名ではなくても、養老先生ご夫妻は、相応の尊敬をもって付き合っておられたでしょう。中谷一郎(または、一雄)氏の弟子ですが、JAXA に、勤務している人は、ほとんど教え子でしょう。または NASA などにまで、出かけて行った人の中でも高橋直子さんは、中谷一郎氏(もしくは一雄氏)の教え子の筈です。高橋さんが、お茶大付属高校の出身なので、私は、住所も知っていますが、鎌倉です。中谷先生をしたっての引っ越しでしょう。彼女は仕事が忙しいし、収入も高いので、離婚してしまいました。で、離婚後、鎌倉へいらっしゃったのです。
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ところで、中谷共二氏は我が家の東北の崖を、大量に削ってしまったのでした。これって、その時の住民である、私が、許可をしていない ☛
(主人が土地の所有者ですが、松坂に単身赴任をしていたので、対外的な交渉事はすべて、私が担って行いました)
☛のに、壊したので、一種の泥棒です。他人の物を盗んでしまったも同然です。しかも、その後、我が家のアジサイ畑だけが、コンクリート打ちをされてしまったので、被害はさらに大きいです。どうして、息子が、長子は、東大教授、次子は、慶応卒、三井物産勤務という上流階級の人間が、これほどの、恐ろしいことをするかというと、
この時に実際に工事をしていたとび職(斉起業の二人)は、私が、ここを削っていいなんて、許可していないといい、これから、弁護士のところへ行くというと、びっくりして、その時削った土地の土の一部を、かまくら春秋ガマの西にある道路に捨てて、コンクリートで囲ったのです。その写真は、あとで、ここに置きましょう。富沢家(と、旧石井羊一邸に住む警察官らしき不思議な若者)だけが通る道ですが、とても通りにくいです。それなのに、それを生み出した、安野智紗夫人と、前田清子さんの手下として、富沢夫人は、動くのですから、何とも言いようがありません。
富沢夫人が手下として動いた一例としては、我が家の西隣の白井さん邸の前の住民、遠藤家のお嬢様が、鎌倉一裕福なお寺である、比企が谷妙本寺のお嫁さんになったという話をわざわざ、私に聞かせたという事です。
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遠藤夫人って、毎日、10坪程度の庭のごみをはいて、一メートル下がっている我が家に入れ込むのです。どうしてそういう汚いことをするかというと、我が家は、西側に、小さな窓が二つしかないのです。我が家は、18坪の、中古を買って引っ越してきて、東側の空きスペースに15坪を建て増しして、33坪にしてあるのですが、18坪の部分の前の住民である堀内大衆さんは、西側を、全部ブリキの壁にしておいたからです。しかし、1987年から、これも、わたくし一人で、建て増しをしました。主人が松坂に単身赴任をしていたからです。二週に一度、私が松坂に行って、観光旅行を一緒にしました。だが、主人は、ほとんど、鎌倉には帰ってこなかったのです。ちょっと、幼稚なのです。で、私は三人の子供を育てたというも同然です。で、私が、それも、奮闘して、見つけT多工務店に、この家の建築もお願いしました。北久里浜の家を建ててくれた大工さんは、「日立勤務の課長クラス以上の家しか建てない」と、いっていました。「口コミだけで、注文がいっぱいなので、それ以外は引き受けない」といっていました。が、洋光台の、住宅街で、まだ、10軒ぐらいが、建築中だった時期に、五件ぐらいの建築中の、中を見せてもらったら、その工務店の建てている家が最も立派なので、そちらに頼んだのですが、・・・・・
その時、このユキノシタ二丁目の、家の、西側の二階に窓を作ってもらいました。ので遠藤家は、平屋なので、〇〇、見下ろせるのです。
遠藤家は、借家で、その大家は古い平屋建てを作っていたのです。上の写真では、白い矢印が、我が家で、青い矢印が、北隣の、石井秀樹邸です。こちらも土地を、一千万円という安値で、勝った際に、国庫金が2千万円ぐらい、元の持ち主の、藤本悌子さんに、渡っているはずです。三菱銀行を通じてね。
元の話に戻ります。遠藤家は、上の写真では消えています。遠藤家の、古家を買って、壊して更地にして、非常に凝った、しかも、建材が上等な家を建てたのが、白井達雄夫妻で、その家は、同じ敷地内に、二棟目としてわたくしが引っ越してきたころにはすでに、かまくら春秋窯に貸していた、二階建てを作っていました。つまり、自宅と借家(当時は、春秋窯の方が、家賃収入のある家だった)と、二軒を保持し、今の金額でいうと、月12万円ぐらい家賃をためて、逗子に引っ越していった人です。
うまい蓄財ですね。今は、サラリーマンの間でも、そういうのが大流行ですが、1960年代に、サラリーマンで、そんなことを考える人は少なかったでしょう。で、富裕になったので、逗子へ引っ越していきました。見に行ったことはないけれど、逗子駅徒歩五分圏内の(きっと)豪邸です。わたくしは、その人(=大家)の顔を見たことはなくて遠藤家の建物は遠藤一家よりも、一代、前の、音楽評論家だと、いう住民が借りていた状況です。
あのね。庭ごみを毎日履いて、我が家に入れることを、私は、むろん、怒っていました。だって、彼女は、自分の家の壁で、そこが見えなかった模様で(というのも、そちら側は、境界ぎりぎりに建てられていた違法建築だったから気が付いていなかった模様ですが、こちらの堀内大衆さんは、その後、建築したので、相手のギリギリでっぱりを嫌がって、自分の方を、一メートル引いて建築してています。しかし、相手の強欲さを嫌がっていて、西側に、一階のトイレの小さな窓以外、一切窓を作っていませんでした。だが、そこから、棕櫚帚で、落ち葉と砂をはきこむ遠藤夫人の様子が、よく見えたものです。
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