副題「実は液晶画面がひっくり返ってしまって、ダビンチ並みに、逆さ文字を使う必要ができたのでした」
ところで、その「秋葉原の車椅子」が原因となって、私がいろいろ苦労をしている話が、前報ですが、
それは、大変な真実を書いていたらしくて、パソコンがまったく新しい形で壊れました。なんと、液晶画面がひっくり返ってしまったのです。つまりキーボードを普通の形で利用しようとすると、画面がまったくひっくり返っているというわけです。でも、なんとか、4時間かかって文章の校正だけは、済ませました。
文章を書くこと自体も、二日かかって、10時間近くかかっていると思います。が、まっさかさまの画面を見ながらの、キーボードうちも大変です。レオナルド・ダヴィンチは他人にはまったく読めない、鏡面文字を書いたそうです。文法はどうなっていたのかしら?
たとえば、英語ですと、I am a boy. という文章を、boy a am I と鏡面文字で書いていくのか、ことばの順序は正しくおいて、ただ、文字だけ、左右対称にひっくり返すのか、それが、わかりません。
が、ともかくのこととして、私は、左右対称と上下反対の二方向を考え合わせながら、校正をしました。それが、ほとんど朝の六時までかかってしまって、そのあとで、午前10時から二時間かかって、それを直していったわけです。非常に難しかったです。初めて出会った現象ですし、徹夜していて、頭がぜんぜん柔軟じゃあないです。そして、こういう破壊は必ず、バグでなされるので、一箇所だけではなくて、あっちこっちに罠が張られているので、それを、ひとつひとつ開放していかなくてはなりません。
「無理かなあ?」と考えながら、でも、昔に比べれば、ほとんど不安はありません。落ち着いて直していきます。いままで、ありとあらゆる妨害を突破してきたことが、自分に安心感を与えています。でも、今回だけは、まっさかさまが何度やっても直らないので、「念力を出せ」と、自分に命令をしました。もちろん、パソコンは念力で動くものではありません。伝記の信号がどういう風に流れるのかを創造して、それを、正しい道のりへ直していくわけです。だから、システムエンジニアー並みの、頭脳を獲得してしまったというわけです。まったくの素人だし、どこにも習いに行っていないのですが、理科系の頭も少しはあるというか、「つねに、冷静であろうと、決めている」ことが最後の救いになります。
こういう機械(工業的生産品)でも、最後の段階には、直感と、信仰が助けとなって直っていきます。特に敵がいるから、こうなるわけですから、気力の充実も大切なのです。敵だって、今回の、今回のものなど考え出して、しかもソフト(または、バグ)の形に直すのに、きっと五時間ぐらいかかったのでしょうし。だから、解くのだって、時間がかかるわけです。あ、は、は。
~~~~~~~~~~
その仕事をしながら、脇でついていた、NHKハイビジョン再放送としての「幸田家の人々」を見ていました。原田美枝子と中村梅雀が再現ドラマの主人公です。豪華きわまりない。が、結果として不満が残る、番組の作り方でした。
それは、曾孫の青木奈緒さんのプロモーション・ビデオみたいなつくりに、結果としてなってしまっていたからです。そう言う越野引田甘い作風に出してしまった原因は、奈緒さんの母の青木玉さんを話し手として、重要視していたことにあります。こういうことを書くこと自体、私にとっては、実は損なのです。青木玉さんは、御茶ノ水女子大付属高校の先輩で、同窓会内部では、有名な方です。そういう方に向かって、「あなたが主役だったので、番組がつまらなくなっていました」というのは、失礼ですし、「お後が怖い」ことともなるでしょう。だけど、生きている人(特に、名流夫人として扱われている人)を主役にすえると、どうしても、遠慮が生じます。彼、彼女らの生活を傷つけてはいけないからです。
幸田文さんも露伴も、現代風に言ったら、傷がない人でした。でも、継母の性格、弟さんの結核への罹患などは、幸田文さんの文章に大きな動機付けを与えています。彼女にはもうひとつ、夫への、思い(ふがいない人としての夫)も秘めた底流にあったと思いますが、露伴だけが、文さんを作ったわけでもないのです。
それに、私が感じているところ、四代で、最も優れた文学者(小説家)は文さんです。だから、まだ、まだ、ひよっ子である、奈緒さんに、あれほど、時間を割くなら、その二人、ないしは三人についても詳細に触れるべきでした。代わりに、奈緒さんが、将来お嫁に行く際に、勲章となるような、成功したおば(音楽家)などが、番組上詳しく報告をされました。それも文さんの、ファンとしては、うれしいにはうれしいのですが、これほど、お金をかけて、準備もされている番組なら、「マイナスだと思われているのか、弟さんを抜かしているのは、片手落ちだなあ」と思いました。
一番残念だったことは、いままで幸田文を一度も呼んだことのない人が誤解をする可能性です。「あ、私、幸田文はパスだわ」と言う40代、50代の女性が続出することなのです。三十代は、大正・昭和は遠いわ」と敬遠しても仕方がないが、それ以上の年齢の特に働いたり、苦労をしたりしている人は読むと力を与えられると思うのに、恵まれたお嬢様二人の世界に接すると、「あら、私の生きている世界とは違うわ」とみなされてしまうでそう。
特に奈緒さんが、「崩れる」と言う現象を、幸田文に引き続いて、きわめて行くと、出たのが最大の難物でした。幸田文の最もいいものは、そういうところに存在するのではありません。深い洞察力と人間観察に基づいた人間記録の数々なのです。彼女は自然現象より、人間社会に最大の力点を置き、興味を抱いていた人なのです。
4代の人生にそれぞれ、30分ずつを当てて、二時間番組にするなどという発想をディレクターが持っていたら、間違っていると申し上げたいです。
四人の中で最高の存在は幸田文です。
ただね。番組を見たことが無駄ではなかったのは、幸田文を身近で見ていた玉さんが、「書くことがどんなに、苦しいことであるか」をおっ射程他のには、ありがたいほどの感銘を受けました。私なんか、無名であり、どこからも注文が来る人間ではありません。が、書く人間だから、今の苦しみを負っています。
奥さんなんだから、別に文章を書かなくてもいいでしょう。そんなに、苦しむのなら」とよく言われますが、奥さんだから、といって家事だけをしていたら、それこそ、最後の日に家族に恨みがでて、認知症になるでしょう。露伴もそういっていますが、自己実現をできるだけ、することが大切なのです。「わがままだ」とか、「恐ろしい人だ」と悪口を言われても結構です。創作にとらわれてしまった人間は、創作をせざるを得ないほど、内部から沸き起こってくるのです。
たまたま、幸田文さんの晩年には、夫というものがいなかったのです。だから、相手にサービス(サポート)をする必要がなかった。ので、時間の配分は自由でしたが、それでも、苦しみぬいて創作をされていたそうです。
私は、皆様から注文を受けて書いているわけではありません。だから、読んでいただくという立場です。だからこそ、苦しいなんていってはいられないのです。今日のパソコンの液晶画面がまっさかさまになってしまった話でさえ、解決したから、一種の結うモア段として書いているわけですが、もし解決しなかったら、どんなに、新しいパソコンに買い換えても、数日以内に同じバグを入れられて、結局はかけない人となったでしょう。
なお、松岡正剛氏の千夜千冊の中に、幸田文の「きもの」についての書評文がありました。「きもの」は私は未読でしたが、実質的には、自伝だそうです。死後発表をされたそうです。で、私はこれから、読んでみるつもりです。
~~~~~~~~~~~
この前、某有名大学(しかも法学部)を出た、インテリの女性とお話が弾んでいたのです。政治的なことについてはほとんど同じ意見でした。ただ、驚くべきことに、その方は、なんと、手かざしの医療技術があるそうで、私はいつも痛い、肩を見てもらいました。向こうから善意でただで「治療をしてあげる」とおっしゃったのです。
10年ぐらい前に、まだ、なれていないパソコンで、キーうちだけは馬鹿に早いので、パソコンが、フリーズを繰り返し、文章が消えてしまう中、一日14時間ぐらい打ち続けて重い腱鞘炎になって以来、腕と肩には、慢性通があります。それを治してくださりながらいわれたのは、「あなたの背中って、非常に重いものを抱えている」という言葉でした。
敵がいるということでしょう。真実を話す、書く、人固有の現象だと思います。馴れ合いで、人をほめておけば楽です。また、きれいな話だけを書いていればそれも楽です。
だけど、この世には汚いことも大いにあることに気がついてしまった人のひとりである私は、「皆さん、気をつけて、ここに、あなた、もしくはこの国が落ち込んでしまう罠が用意されていますよ」と言わざるを得ないのです。
以前、「私は炭鉱内に、飼われているカナリアです」と申し上げました。社会の中で危険な兆候が出てきたら、「危険だよ。危険だよ」と知らせる役目の人なのです。
どうしてそういうことができるかというと、鎌倉市内にいると、音が聞こえます。それで、相当な判断ができます。敵が「ここで、勝ってやれ。こっちが勝てる」と思っているときは種々さまざまな異常な音のサインが、かつ、頻繁に聞こえてきます。
また、ニュースですが、私が極上の真実に触れたときは、小沢一郎氏がでしゃばってきます。「大変だ。日本国民を抑えなければ」と大資本家グループが思うからでしょう。ところが、中くらいのレベルの真実に触れたときは小沢一郎氏は、引っ込みます。
というのは、中くらいの真実というのは、気がついている人が大勢いるのです。たとえば、宮崎県の口蹄病の蔓延とか、中川経済産業相の酩酊事件の裏側とかは、大勢の人が「こうではないかなあ?」とすでに真実に近づいています。
そういう現象に触れたときには、小沢氏が、でしゃばってマスコミに露出をすると国民総意として、彼って、怪しいよね。国際的大資本家の派ペットじゃあない」と言うせりふが出てきて、それが、コンセンサスとなる可能性があります。となると、彼らにとっては、かえって損ですね。だから、小沢氏は、雲隠れします。また、政治から離れた文章を書いているときも、それが、流れとして、一週間とか、二週間続けば、小沢一郎氏は、「鬼のいぬ間の洗濯」と言う風に、でしゃばってきます。
そのほかにも、自分が真実を書いたかどうかの判断材料は、パソコンが壊れること、工事がまとわりつくように出先で行われること。ほか、いろいろあります。が、今、まだ、誰にも秘密にしておきたいファクター(測量単位)も、もちろんあります。
では、2010年12月16日 雨宮 舜
ところで、その「秋葉原の車椅子」が原因となって、私がいろいろ苦労をしている話が、前報ですが、
それは、大変な真実を書いていたらしくて、パソコンがまったく新しい形で壊れました。なんと、液晶画面がひっくり返ってしまったのです。つまりキーボードを普通の形で利用しようとすると、画面がまったくひっくり返っているというわけです。でも、なんとか、4時間かかって文章の校正だけは、済ませました。
文章を書くこと自体も、二日かかって、10時間近くかかっていると思います。が、まっさかさまの画面を見ながらの、キーボードうちも大変です。レオナルド・ダヴィンチは他人にはまったく読めない、鏡面文字を書いたそうです。文法はどうなっていたのかしら?
たとえば、英語ですと、I am a boy. という文章を、boy a am I と鏡面文字で書いていくのか、ことばの順序は正しくおいて、ただ、文字だけ、左右対称にひっくり返すのか、それが、わかりません。
が、ともかくのこととして、私は、左右対称と上下反対の二方向を考え合わせながら、校正をしました。それが、ほとんど朝の六時までかかってしまって、そのあとで、午前10時から二時間かかって、それを直していったわけです。非常に難しかったです。初めて出会った現象ですし、徹夜していて、頭がぜんぜん柔軟じゃあないです。そして、こういう破壊は必ず、バグでなされるので、一箇所だけではなくて、あっちこっちに罠が張られているので、それを、ひとつひとつ開放していかなくてはなりません。
「無理かなあ?」と考えながら、でも、昔に比べれば、ほとんど不安はありません。落ち着いて直していきます。いままで、ありとあらゆる妨害を突破してきたことが、自分に安心感を与えています。でも、今回だけは、まっさかさまが何度やっても直らないので、「念力を出せ」と、自分に命令をしました。もちろん、パソコンは念力で動くものではありません。伝記の信号がどういう風に流れるのかを創造して、それを、正しい道のりへ直していくわけです。だから、システムエンジニアー並みの、頭脳を獲得してしまったというわけです。まったくの素人だし、どこにも習いに行っていないのですが、理科系の頭も少しはあるというか、「つねに、冷静であろうと、決めている」ことが最後の救いになります。
こういう機械(工業的生産品)でも、最後の段階には、直感と、信仰が助けとなって直っていきます。特に敵がいるから、こうなるわけですから、気力の充実も大切なのです。敵だって、今回の、今回のものなど考え出して、しかもソフト(または、バグ)の形に直すのに、きっと五時間ぐらいかかったのでしょうし。だから、解くのだって、時間がかかるわけです。あ、は、は。
~~~~~~~~~~
その仕事をしながら、脇でついていた、NHKハイビジョン再放送としての「幸田家の人々」を見ていました。原田美枝子と中村梅雀が再現ドラマの主人公です。豪華きわまりない。が、結果として不満が残る、番組の作り方でした。
それは、曾孫の青木奈緒さんのプロモーション・ビデオみたいなつくりに、結果としてなってしまっていたからです。そう言う越野引田甘い作風に出してしまった原因は、奈緒さんの母の青木玉さんを話し手として、重要視していたことにあります。こういうことを書くこと自体、私にとっては、実は損なのです。青木玉さんは、御茶ノ水女子大付属高校の先輩で、同窓会内部では、有名な方です。そういう方に向かって、「あなたが主役だったので、番組がつまらなくなっていました」というのは、失礼ですし、「お後が怖い」ことともなるでしょう。だけど、生きている人(特に、名流夫人として扱われている人)を主役にすえると、どうしても、遠慮が生じます。彼、彼女らの生活を傷つけてはいけないからです。
幸田文さんも露伴も、現代風に言ったら、傷がない人でした。でも、継母の性格、弟さんの結核への罹患などは、幸田文さんの文章に大きな動機付けを与えています。彼女にはもうひとつ、夫への、思い(ふがいない人としての夫)も秘めた底流にあったと思いますが、露伴だけが、文さんを作ったわけでもないのです。
それに、私が感じているところ、四代で、最も優れた文学者(小説家)は文さんです。だから、まだ、まだ、ひよっ子である、奈緒さんに、あれほど、時間を割くなら、その二人、ないしは三人についても詳細に触れるべきでした。代わりに、奈緒さんが、将来お嫁に行く際に、勲章となるような、成功したおば(音楽家)などが、番組上詳しく報告をされました。それも文さんの、ファンとしては、うれしいにはうれしいのですが、これほど、お金をかけて、準備もされている番組なら、「マイナスだと思われているのか、弟さんを抜かしているのは、片手落ちだなあ」と思いました。
一番残念だったことは、いままで幸田文を一度も呼んだことのない人が誤解をする可能性です。「あ、私、幸田文はパスだわ」と言う40代、50代の女性が続出することなのです。三十代は、大正・昭和は遠いわ」と敬遠しても仕方がないが、それ以上の年齢の特に働いたり、苦労をしたりしている人は読むと力を与えられると思うのに、恵まれたお嬢様二人の世界に接すると、「あら、私の生きている世界とは違うわ」とみなされてしまうでそう。
特に奈緒さんが、「崩れる」と言う現象を、幸田文に引き続いて、きわめて行くと、出たのが最大の難物でした。幸田文の最もいいものは、そういうところに存在するのではありません。深い洞察力と人間観察に基づいた人間記録の数々なのです。彼女は自然現象より、人間社会に最大の力点を置き、興味を抱いていた人なのです。
4代の人生にそれぞれ、30分ずつを当てて、二時間番組にするなどという発想をディレクターが持っていたら、間違っていると申し上げたいです。
四人の中で最高の存在は幸田文です。
ただね。番組を見たことが無駄ではなかったのは、幸田文を身近で見ていた玉さんが、「書くことがどんなに、苦しいことであるか」をおっ射程他のには、ありがたいほどの感銘を受けました。私なんか、無名であり、どこからも注文が来る人間ではありません。が、書く人間だから、今の苦しみを負っています。
奥さんなんだから、別に文章を書かなくてもいいでしょう。そんなに、苦しむのなら」とよく言われますが、奥さんだから、といって家事だけをしていたら、それこそ、最後の日に家族に恨みがでて、認知症になるでしょう。露伴もそういっていますが、自己実現をできるだけ、することが大切なのです。「わがままだ」とか、「恐ろしい人だ」と悪口を言われても結構です。創作にとらわれてしまった人間は、創作をせざるを得ないほど、内部から沸き起こってくるのです。
たまたま、幸田文さんの晩年には、夫というものがいなかったのです。だから、相手にサービス(サポート)をする必要がなかった。ので、時間の配分は自由でしたが、それでも、苦しみぬいて創作をされていたそうです。
私は、皆様から注文を受けて書いているわけではありません。だから、読んでいただくという立場です。だからこそ、苦しいなんていってはいられないのです。今日のパソコンの液晶画面がまっさかさまになってしまった話でさえ、解決したから、一種の結うモア段として書いているわけですが、もし解決しなかったら、どんなに、新しいパソコンに買い換えても、数日以内に同じバグを入れられて、結局はかけない人となったでしょう。
なお、松岡正剛氏の千夜千冊の中に、幸田文の「きもの」についての書評文がありました。「きもの」は私は未読でしたが、実質的には、自伝だそうです。死後発表をされたそうです。で、私はこれから、読んでみるつもりです。
~~~~~~~~~~~
この前、某有名大学(しかも法学部)を出た、インテリの女性とお話が弾んでいたのです。政治的なことについてはほとんど同じ意見でした。ただ、驚くべきことに、その方は、なんと、手かざしの医療技術があるそうで、私はいつも痛い、肩を見てもらいました。向こうから善意でただで「治療をしてあげる」とおっしゃったのです。
10年ぐらい前に、まだ、なれていないパソコンで、キーうちだけは馬鹿に早いので、パソコンが、フリーズを繰り返し、文章が消えてしまう中、一日14時間ぐらい打ち続けて重い腱鞘炎になって以来、腕と肩には、慢性通があります。それを治してくださりながらいわれたのは、「あなたの背中って、非常に重いものを抱えている」という言葉でした。
敵がいるということでしょう。真実を話す、書く、人固有の現象だと思います。馴れ合いで、人をほめておけば楽です。また、きれいな話だけを書いていればそれも楽です。
だけど、この世には汚いことも大いにあることに気がついてしまった人のひとりである私は、「皆さん、気をつけて、ここに、あなた、もしくはこの国が落ち込んでしまう罠が用意されていますよ」と言わざるを得ないのです。
以前、「私は炭鉱内に、飼われているカナリアです」と申し上げました。社会の中で危険な兆候が出てきたら、「危険だよ。危険だよ」と知らせる役目の人なのです。
どうしてそういうことができるかというと、鎌倉市内にいると、音が聞こえます。それで、相当な判断ができます。敵が「ここで、勝ってやれ。こっちが勝てる」と思っているときは種々さまざまな異常な音のサインが、かつ、頻繁に聞こえてきます。
また、ニュースですが、私が極上の真実に触れたときは、小沢一郎氏がでしゃばってきます。「大変だ。日本国民を抑えなければ」と大資本家グループが思うからでしょう。ところが、中くらいのレベルの真実に触れたときは小沢一郎氏は、引っ込みます。
というのは、中くらいの真実というのは、気がついている人が大勢いるのです。たとえば、宮崎県の口蹄病の蔓延とか、中川経済産業相の酩酊事件の裏側とかは、大勢の人が「こうではないかなあ?」とすでに真実に近づいています。
そういう現象に触れたときには、小沢氏が、でしゃばってマスコミに露出をすると国民総意として、彼って、怪しいよね。国際的大資本家の派ペットじゃあない」と言うせりふが出てきて、それが、コンセンサスとなる可能性があります。となると、彼らにとっては、かえって損ですね。だから、小沢氏は、雲隠れします。また、政治から離れた文章を書いているときも、それが、流れとして、一週間とか、二週間続けば、小沢一郎氏は、「鬼のいぬ間の洗濯」と言う風に、でしゃばってきます。
そのほかにも、自分が真実を書いたかどうかの判断材料は、パソコンが壊れること、工事がまとわりつくように出先で行われること。ほか、いろいろあります。が、今、まだ、誰にも秘密にしておきたいファクター(測量単位)も、もちろんあります。
では、2010年12月16日 雨宮 舜
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