銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

秋葉原のホコ天再開 とその真実の意味、完成後

2010-12-16 01:04:48 | Weblog
 ノーベル賞の話題と、海老蔵殴打事件で、先週は過ぎました。ありがたい事に、日本はこの2010年のノーベル賞では平和でした。尖閣諸島で、すっかり日本人から嫌われてしまった中国は、このノーベル賞の件では苦しんでいます。他の問題だったり相手が個人だったら、「やはり、天はご照覧ある」というところですが、ここでは、そうもいえないだろうと感じ、口にチャックとさせてくださいませ。

 式典の進行などに、面映いほど日本人が(特に根岸博士が)大切にされました。
 同じ年の二月にキムヨナ採点・疑惑があり、夏には映画『コーヴ』の公開もあり、秋には尖閣問題が起こりました。『それらの日々に比べればなんと平和なのだろう』と感無量です。

 その間に、オバマ大統領は富裕層の減税を二年間、延長しました。最初はアメリカのことだと思って関心は無かったのです。が、直後に菅首相が、企業への税率を5%下げると出てきて、『あれ、全く、関心が無かった経済の方面で、非常に大きな枠組みで、鬼のいぬ間の洗濯をやられちゃったかしら?』と、思い始めました。

 『鬼の居ぬ間』とは、ここでは、8日の昼間さらした政治に関する文章から、次に海老蔵君へぽんと移動したことをさします。『人は誰でも、死んでいくのだ・・・・・』というタイトルの、文章の前半に<<<バスから始まって東急日吉駅周辺では、私へのいじめが頻繁に起きていて、それは、弟の家や歯医者さんへの用事だから、そういう事でさえ、弾圧をされるのは、人権の侵害もきわまれりだ>>>と書いています。

 一般の読者にとっては、「それが、どうしたの?」という程度の文章ですが、警察にとっては大問題の文章だったらしいのです。つまり、警察が私をいじめるために、電話連絡(?)をして、JRを遅延させたり、東急を遅延させたりしている事を被害者の私がみぬいていて、しかもそれを書き始めたからです。いや、前からその可能性を考えていました。ただ、常に断定はせず、その8日の文章の中でも、CIA,革○、けいさつと三者を対等に扱い、その「どれかがやっている」と書いています。誣告罪になったら大変ですから、丁寧に用心して書いています。

 そういえば、13日の月曜日に銀座の画廊めぐりを終えて、新橋から東海道線に乗った時、また、品川駅で、五分遅延し、さらに、大船駅では、鉄道警備隊が、要所要所を占めて待構えていました。つまり、最上級の警戒態勢(=いじめ日)が敷かれていたという事で、これは8日に書いた事が図星だから、そうなるといえます。

 が、全国区として、もっと大きな問題が出てきました。秋葉原のホコ天再開のニュースです。

 それは、言論弾圧の諜略について、さらに真相(または、裏側)を書かれると困るとして、大急ぎで、警察が『もっとも恥ずかしいと思っている秋葉原の』事件に関連して、先回りし、かつ大急ぎで、国民を慰撫した宣言なのです。

 警察は、ホコ天の再開を以前も、発表をしたはずですが、実現をしていません。今回は2011年の1月23日から始まるそうです。以前より200メートル短縮して、かつ、土曜日はなしという形で行われるそうです。皆さん、ぜひ、覚えて置いてください。NHKもこれを発表をしたし、日経新聞にも出ていました。しかし、ずいぶんと変な決定ですね。二ヶ月も先の事を今、発表をするとは。今発表するのなら、来週ぐらいに再開してもよいはずです。

 どうして、二ヶ月も先のことを発表するかというと、様子見をしているわけなのです。彼らにとって一番大切なことは、日吉で見聞きした事の次に、続いて鎌倉市内、および、自宅周辺で抜群の被害にあっていることの詳細を、私が書くか、どうかなのです。それを探るために9日にウエブ上で発表し、私が何も書かないので安心して<縮刷版へ証拠が残っていく>新聞へも発表をしたと思われます。

 数日間やり過ごしていて今日、ついにそれを書くわけですが、その結果、もし、1月23日から再開をされなかったら、私が今日のこのブログで真実を書いてしまったからです。そして、私が書いている事は、総て正しいとなります。ずいぶん大仰な言い方ですが、『ニュースを、私が作る』とよく言っている現象の一つの例です。ただし、『警察さんも、そこまで馬鹿ではあるまい』と思いますから、1月23日に、歩行者天国は、必ず再開をされるでしょう。

 以前に再開を発表されたときも私は同じことを内心では考えたのですが、ブログとしては何も書かなかったのは、ここで、書いたら、また、歩行者天国の再開がなくなるだろうと考え、常に、多数が幸せになるべきだと考える私は、自分の被害については、その時には何も述べなかったのです。
 しかし、そんな優しさを踏みにじって、仏の顔も三度というほど、再開、再開と、ほのめかされては、実際には閉鎖が続いていますので、ここではっきりと、内情を述べましょう。

 石田衣良(作家)がどこかに、『僕は秋葉原が好きで、よく出かけます』と、発表していましたが、私も、秋葉原には(パソコンを明白に壊される事が多いので)、しょっちゅう、行っています。東芝サテライトの同型を二台、NEC Versa Proの同型を三台買っているのも、研究の結果です。この手のパソコンは、企業向けですから、質実剛健で丈夫です。ただ、中古は電池が消耗しているので、電池だけ欲しく買うのですが、普通はたくさん置いてあるその機種が、一台も売っていない時があったり、その電池に、わざわざ一本ずつ、パソコン打ちのお店固有の手製のラベルで、「保障の限りではありません」と書いた紙が張ってあったりして、『お、これは、私を狙った嫌味ですね。実際に電池が消耗しきっていたら、買っても無駄だし』と、思わされた事もありました。それと、我が家のパソコン破壊という被害が連動をしているので、私が大変な大物として、その生活全般を観察され抜いていている事が推察されました。つまり、ブログへ書いている内容に世界中が震撼しているというわけです。

 『ともかく文章を書かせないようにするためには、ありとあらゆるチャンスを利用するべきだから、秋葉原に行く日まで、予測し、よく利用するソフマップの回りには、鎌倉小町通りになされているのと同じ、工事(水道管取替えが名目ですが)を行おう。それを嫌がるはずだ。自分を狙っていると知るから、それで、おびえるはずだ』と敵はお互いに確認しあっています。

 こういう工事用には緊急呼び出し対応用、工事会社というのが、あって、一種の当番製で請け負っているみたいです。そして、ブログで小沢批判をすると、てきめんにこういう脅かし工事が増えます。
 
 それでも、私が書く事を止めないと、警官が多数出動するというかたちで脅かします。APECなどの行事ではなくても、特別警戒という形で、10メートルおきに、機動隊の服装をした若い警官が、5,6人待機している事もありましたが、それは、東芝のA4の3(本当は三台あるうちの一つ)が、USBを認識しなくなったので、東芝の修理センターへ向かう時でした。それを敵様が予測し、東芝にも事前に何かを言ったらしくて、スタッフが不親切でした。東芝のサービスセンターは1999年以来利用をしていますがこんなに不親切だった事はかつてありません

 『ここまでやってくるものだ。伊藤玄二郎と井上ひさしとは、どこまでしつこいのだ』と思っていますが、それは、いまだに、鎌倉を舞台として繰り返されている現象です。たとえば、パソコン教室へ行けば、以前とは格段にサービスが悪くなっています。裏から手が回っているのでしょう。

 あほらしい。私は何事も被害者なのですよ。25年前に、正当な地所である山を取り崩され花畑をコンクリート打ちにされ、あじさい畑欺もう事件と私側は呼んでいるほか、どんなに断っても我が家の猫を、夜遅くまで返してくれないし、それはいうなれば、窃盗とか誘拐という段階ですが、こっちは常識を守る人間ですから26年間ただ、ただ我慢をしてきたのです。

 ところが伊藤玄二郎の元愛人の方は、たった一日の事でも我慢ができないのでした。
その幼稚さは驚くべきですが、その後の 私の猫に裏切られた恥ずかしさを追い払うために彼女と現在の夫、憂さ晴らしとして警官を呼んで、「あそこの奥さんを、だんなに叱って貰うように」と頼んで、その警官が、やって来た事自体が馬鹿ですが、さらに馬鹿げた事に、私を脅すために、ありえない交通事故(ここは石段100段を使ってあがる山の上です)の調書をとって、さらに脅かした事が一つの水源なのです。

 そのとき、二人をたしなめるために、私がひたすら我慢をしてきたアジサイ畑欺もう事件を説明したのです。これは猫どころではない重要な犯罪です。さすがに警官です。この山にはすさまじい悪が過去から堆積しており自分たちはなんと、加害者側の味方をしてしまったという事をすぐ理解し、青ざめながら尻尾をまいて帰っていきました。

 私は鎌倉警察署に電話を掛け、署長に謝って欲しいといいました。この時(2005年の八月)には全く気がつきませんでしたが、すでにCIAが電話盗聴をしていて、警察幹部を動かし、その二人の警官に詳しい状況を告白させたと感じます。で、彼らと私との会話のうちもっとも重要な部分が、あじさい畑欺もう事件にある事に気がつきました。これこそ、言い逃れのできない泥棒なのです。そういう事が起きてしまったのは、26年前に瀬島龍三が、そのころも電話盗聴をしていて、この山が一種のタコ部屋状態になっていて、主婦同士にどうしようもない喧嘩状態があるのに、気がつき、それを、利用して私一人にしわ寄せが来るように画策をしたのでした。理不尽な泥棒を、(息子が後に、東大教授になるほどの紳士である)中谷氏が行い、その時分には誰も知らなかったそのどろぼうが、いつの間にやら、町内会が了承して行ったかのごとく、結論が変更しているのも、すべて、瀬島龍三が画策した事だったのです。

 1980年 横須賀で、その親友と言われる益山某、元海軍参謀が、私に詐欺事件を仕掛けてきた際、益山氏が、ばかげた対応ばかりしていて、謝罪をしないので、私が法務局と財務局へ内容証明を出して、自分を守ったときに、益山夫妻は狂ったのでした。単なる経済的な事件にしか過ぎず、しかも私は被害者なのに、私を夫人が車でひき殺そうとしたのでした。私は弁護士さんに電話で委細を報告しましたが、その夜益山氏は急死したのです。電話を盗聴しているからこそ、自らの悪を正面切って受け止めなくてはならなくなったのです。しかも最後まで正しい措置をとる事のできないまま、その夜に急死したのです。脳溢血か自殺かはわかりませんが死去です。

 その益山氏の復讐をするつもりで、瀬島龍三は、鎌倉でも、このあじさい畑欺もう事件を起こしたのでした。自分が関係が無いかのごとく、装いつつ、やったのです。

 横須賀での地籍変更届を利用した益山氏の失敗から何にも学んでいないのです。つまり、私のような相手には理性と礼儀をもって交渉する。そして、案件に関わる情報は、総て互恵的にかつ対等に開示する。それができないときは、案件を引っ込めるしかないのです。

 しかし、彼らは、横須賀での地籍変更届を利用した益山氏の失敗から何にも学んでいないようです。つまり、私のような相手には理性と礼儀をもって交渉する。そして、案件に関わる情報は、総て互恵的にかつ対等に開示する。それができないときは、案件を引っ込めるしかないのです。

 しかし、その横須賀の事件を始め、関係者総ては、大げさな悪をなすにしては、あまりにも幼稚であり、単純です。総ては見破られていて、中には、前田夫妻のように、子供たちを学者にしていきたい人間も含まれていて、その名誉の破壊もはなはだしいのに、それでも、強行してくるので、驚いてしまいます。長年、音による被害を与え続けてきた安野夫妻は、お子さんへの愛が無いみたいで、だからこそ、不道徳な事に手を染めても、異彩釜らないのでしょうが、前田夫妻など、驚き入りますと言うほか無い、この25年間でした。さらに、銀座や、秋葉原、また、鎌倉市内を含めて、やる事、やる事というほどの、一種のたくらみを繰り返してきていますが、こちらには、総て、裏側が見えていますので、やればやるほど、悪辣さが、目に付く事になるのに、それでもやってくるのですから、その発案者たちの頭脳レベルの幼稚さには、ただただ驚嘆するほかは無いといえます。

 で、元に戻りますと、警官二人の話から、この山での最も問題なのは、あじさい畑議欺もう事件であると気がついたようです。

 で、そこの証拠を隠滅させる事が彼らの急務となりました。2005年に石川和子女史とそのばかげた現在の夫柳沢某がばかげた騒ぎを起こしてからその機会を狙ってきましたが、主役は伊藤玄二郎です。

 石川和子たちが警官を読んだ際に、自分たちは伊藤玄二郎と親しいのだという話はしたはずですから。この失敗の責任者は伊藤玄二郎です。警官がうかうかと乗った事からも、彼が、鎌倉市内でどれほど威勢をはっているかが伺えます。

 で、その証拠をつぶすために、上水道管を、アスベスト被害を口実にして取り替える工事を思いつきました。
~~~~~~
 公費でおこない(これは、個人を助けるためだけの無駄遣いでした。だって、アスベストでくるまれている古い水道管は掘り出さなかったのですよ)さらに、それを、正当なものであるかのごとく装うために、小町通の共同溝工事も始めたが、すでに、三年も経っているのにそちらは完成をしない。どうしてかというと、夜帰宅するたびに、私が嫌がる工事をやっていれば、私を脅かす事ができると言う考えがあるのでしょう。だから、外出しない日には工事はやっていない。・・・・・

 そうですね。秋葉原の犯人が午前、朝の五時から携帯で、「自分はこれから、大事件を起こす」と宣言をしていたらしいのですが、それを、七時間も見逃しているのに、一方ではこんなばかげたことで、出動しているのです。
 しかも、一番彼らがいけないのは、多分、私のパソコンをハッキングしているのも警察だからでしょう。ハッキングとは一応泥棒の変形です。それを、警察がやっている。それも相手は、芸術のことだけを書いている人間です。(確かに、2007年の4月までは芸術のことしか書いていないはずです。政治についても書きましたが、極く、極く、一般論で、普通の国民なら誰でも、話としてはお互いに語り合っているような内容です。

 でもね、ハッキングを、警察がやったのは、あまりにも私人である私を馬鹿にしていた結果です。ばれないだろうと、小ばかにしているからやったのです。微細な現象としての、アイデアマンは伊藤玄二郎と井上ひさしとか、成岡庸司君とか、あれこれあるでしょうが、大型無線ランなどの施設を準備し、二十四時間態勢で、対応し、アドビやワードを動かさないようにして邪魔をしたり、落としたはずの電源が自然に入っていたりするさまざまな怪奇(?)現象を起こしたのが、警察です。

 となると、夜中の三時でも私を、監視しているのに、真昼間、朝の五時から、午前11時まで、垂れ流し状態で、事件の予告をしていた犯人を予防できない警察ってナンなのだと怒りたくなりますよね。当然でしょう。

 ところが、私はあまりにも脅かされていたので、最初は黙っていたのです。まるで、何も批判をしませんでした。今日はじめて批判を口にしたのです。桶川ストーカー事件でも犯人のなすがままにさせてしまった警察が、個人である、石川和子とその夫柳沢某の2人を特別の味方をして、悪人でもなんでもない私を、そのだんなに叱ってもらうように説得に来るというばかげた行動を、一方では起こしているのですよ。これは、変だと世間のどなたもお思いにはなりませんか?

 ちょっとここで、余談になりますが、松岡正剛氏の有名な『千夜千冊』の訪問回
数が、2001年から現在まで、延べ45万回程度のようです。私は2008年の秋からはじめて、すでに、延べヒット数33万回を越えています。書く事は面白いと自負しています。ヒット回数を数えてもらえないAOLのメルマガは、その5倍程度の長さで連続していますから、読まれた回数を総計すれば、軽く100万回は越えているでしょう。それが、怖いのかな? ともかく、伊藤玄二郎氏と、その盟友井上ひさし氏には、極端に気を使っていただいています。

 たとえば、私が『秋葉原の車椅子』という文章を書いた後で、クローズアップ現代に出た井上ひさし氏は、太宰治をほめる三十分の最後に、突然に秋葉原の殺傷犯にふれ、『彼の文章は、悪いから、誰の心も打たなかった』とのたまわったのです。つまり、暗喩として、『だから、気がつかなかった警察は、悪くない』といっているわけです。

 私の『秋葉原の車椅子』という文章は後で、一万字の制限に引っかからなければここで、採録をしますが、叙情的なもので、なんら、警察の批判をしては居ません。だけど、もし、警察がハッキングをしていたら、『ナンですか。こんなに平和な生活を守っている、専業主婦のパソコンを、<<<<<自分の部下がへまをしたことを書かれると困ると言う目的で>>>>>、四、六時中監視をしているのに、あんなに重要な犯人をとりにがして』と、当然言われると、自分で自分にたいする恐怖を感じるのだと思います。

 私は、このクローズアップ現代(2009年の6月第四週の水曜日だったと思う)を見たときは何も書きませんでした。特に公開するものとしては。しかし、自らのパソコンないメモとしては、いきさつを、後日書きました。すると、15分以内に、鎌倉防犯協会の放送として、「鎌倉市は子供を守りましょう、キャンペーンをしています」というのが、大声で、この山まで届いたのです。

 あっけにとられるほどの癒着でした。その日、井上ひさし分析の最後に、『どうして、この人はこれほど、悪いことを平気でするのであろう。ばれないと信じているのだろうか。あきれるほど、単純だ。ともかく、カソリックの孤児院で育ち、上智大学を出ているにしては、良心というものが微塵も無い。子供も居るのに。前夫人との間のお嬢さんとはうまく行っていない模様だけど、現夫人との間の坊ちゃんはかわいいだろうに、一緒にお散歩をしているのも見たことがあるのに』と書いた途端でしたから。・・・・・ところで、この後で、氏は三女といわれている方と急に仲直りをして劇団を任せました。それ以前その仕事をしていたご長女さまはどうなさったのだろう。

 この鎌倉防犯協会の『子供を守りましょう、キャンペーンについては、・・・・・その携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛けようとした20歳を当に越えている、お嬢さん・・・・・についても、その無作法な口癖、「なんですか」を、鸚鵡返しにまねして言った途端に。同じ放送がありましたので、その「未婚の娘さんの携帯まで利用して、人の頭に水をぶっ掛ける」のも、『井上ひさし、伊藤玄二郎の二人の案かな?』と思うほどです。それ以外にもさまざまにあります。
 が、日本国民全体に関係のある事は、

 警察とは、大切なことは、重大なjikenの犯人を取り押さえることでしょう。殺人は最も大きな犯罪です。それには、意を尽くさず、自分たちの部下が大失敗をしたことだけをmokutekiとする事に懸命な集団です。

 そして、井上ひさし氏は、2009年の11月の婦人公論で三女との和解を、公開しました。そのころにはすでに、八幡宮境内の『アメリカきささげ』は切り倒されていて、それ以外にもさまざまな、私を自滅させる作戦を練り、実行していた模様です。アメリカきささげは、『二人だけの音楽会』という文章がよかったから、その跡地を、読者が訪ねてくると、私の人気が上がってしまうので、その木を伐採しておこうと言うことでしょう。まめ科なので、斜めに生えていますが、生きていて、なんら問題のない木を切ったのです。そのときも何も言いませんでしたが。

 その次にこの春、4月5日からの私の個展を、種々さまざまな陰謀の場所として、これも、『自滅をする役に立つはずだ』と設定をして、おやりになりましたこと、こと、枚挙に暇が無いとは、まさにこの事という体たらくでした。それを見破っていると感じた途端に、死亡宣言をしたのでした。それは、4月9日の午前中に伊藤玄二郎氏を会社に訪ね、「個展に来てくださいね」と頼んだだけで、起きた現象でした。井上ひさし氏とは、ご本人こそが、大変な弱虫だったのです。で、彼が信じる『これは怖い』ということを総て、勘案・起案して、私にぶつけてきていたのでした。
 
 この秋葉原のホコ天再開の件でも「1月の23日に再開するが、来年の六月まで」というところに、彼がまだ生きている証拠を見つける事ができます。
 
 今までこの警察イオ彼とのすさなじいまでの癒着の件を,世間に向かっては言わないであげていました。けれど、来年の六月に桜桃忌が着ます。『そのときには、きっと雨宮舜は、上記の文章を書くだろう。その際には、もう一回、秋葉原の歩行者天国を止めてやれ。そうすれば彼女は悲しむはずだ。自分のことよりの他人(PUBLIC)を大事にするやつのことだから、きっとダメージを受けるさ』というかたちをとりたかったので、
「ホコ天は、六月まで」といっているのでしょう。幼稚な発案です。そしてそこには自分をここまで支え、祭り上げてくれた一般大衆への気遣いなど、微塵も含まれてはいないのです。

さて、では、2008年度中に書いた原文を以下に。

『秋葉原の車椅子』
    ・・・・・事件の後も、優しい人たち・・・・・

 私の母は老人ホームで車椅子を使っています。それで、私は、車椅子にはちょっと詳しいのですが、動輪が二つあるのを、皆様はご存知でしたか? つまり、実際に人間を運ぶ動輪とは別に、乗っている本人が動かす動輪(より直径の小さいもの)が外側に、二つ目としてついているのです。ですから左右で四つの動輪がついています。
つまり、使っている本人の手を汚さないで、進めるようになっているのです。老人ホームは床がきれいです。でも、外に出たときに、一組の動輪しかなければ、土で手が汚れます。それを防ぐシステムです。で、幅が結構広くて80センチ近くあると思います。

 バリアーフリーというのは、段差を無くす事も指すのだけれど、ドアーの幅も広げる事なのでは無いかと、私は考えているのです。

 ところで、JRは、ほとんどの駅に自動改札機を導入しました。その通り抜けの幅ですが、結構狭い。私の感覚的認識では、幅が60センチ以内だと思います。親がこどもを、横に手を繋いで、ただで、通り抜けるのを防止するためなのだろうと、私は想像しております。
 でね。車椅子は通れないはずなのです。ところが夜の九時近くの秋葉原駅で、誰かが車椅子でそこを通り抜けようとしていました。私は親切という事では、躊躇した事がありません。すぐ近寄って、彼の車を導き、自動改札機のそばに、大きな駅ではたいていは設置されている、有人改札口へ押して行こうとしました。

 すると、まだ、その改札口へ入ってはいない青年は、私の
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 ここから、さらに続いていきます。が、最後まで入れると、グーブログの規定である一万字制限を越えてしまいますので、ここで無理やりに切って、下にそのその全文を、新たな項目(=15日付新ブログを作って、そこに、おきます。

 ここで一度休憩に入らせてください。今夜10じごろ、内容を再確認した後で。署名を入れます。
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