この章ですが、最初は、【NHKホール、本日の切符が盗まれていて、もう、すったもんだでした。】というものにしていました。しかし、本日もまた、そこまではいかれないので、総タイトルを変更します。二番目のものが【湊宏先生は、三輪喜久代さんを日本化学会会員にしてあげた。で、それを利用して喜久代さんは小保方論文をNATUREに押し込んだ】にしていました。三回目として、【伊藤玄二郎が、医師会と厚生労働省を支配しているので、私は大変です。すごい被害です】として、四回目は、【化学物質が、人間に被害をもたらす事を、私は23歳以来身をもって証明をしている。で、化粧もしないし薬もできるだけのまない】としていました。だが、最後に、上のものへと変更します。すべての総タイトルは、内容として、そこまで、書くつもりだったのですよ。だけど、時間が足りなくて、かけませんでした。恐れ入ります。本当は、西隣夫人と、例の泥棒をするプロの画家と、隈研吾氏についても書きたいのですが、それらは、十分に時間のある時でないと、できませんので、・・・・・
さあて、本日は、朝、10時には家を出るつもりで、したがって、ちゃんとしたものが書けません。お許しくださいませ。しかし、書き始めるのは、午前二時です。でも、余所行きの洋服を二組盗まれているので、この季節に合った余所行きの組み合わせを作り出すのと、他の家事あれこれに、四時間は割きたいので、三時間しかパソコンに触れていられません。だから雑感をあれこれ、書くということでお許しくださいませ。
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昨日は、椅子に座ったまま、夜の8時ごろから寝入り、8時45分には、しっかりと寝入るべきだと、考えて、寝室のある一階に下りました。しかし、今、手にけがをしていて、それが、化膿しない様に(10日にけがをしたのだが、休日を挟んだので、お医者さんに行かれず、すでに14日には、膿んでしまった)お医者さんで処方をされた抗生物質を飲んでいます。家事に水仕事があるから、絶対に早く治したいので、一旦降りた一階から、居間(テレビが置いてある=二階)へ戻って、台所で、新鮮な水を汲み、薬を、のみました。先ほどほぼ一時間は仮眠状態で意識の無い状態でしたが、意識のある状態に戻ったので、主人に向かって、
「今日は、どうして、これほど、疲れたのかしら? ううーん。(変ねえ) 園芸の仕事もしないし、ブログも書かなかったし、電車に乗った外出もしなかったのに。(変ねえ)・・・・・」
と、言って、から、数秒あけて、「あ、そうか、NHKホールの切符が盗まれていたでしょう? あれで、(すったもんだがあったので)疲れたのね」と、言ってから、一階へ降りました。
(カッコ内は、音声では、発語しなかったが、言いたかった部分です)
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どうして、こういう説明をしたかというと、・・やかんをめぐる喧嘩・・というのがあったからです。夕食の準備をしている最中に、普段は主人の担当の筈のお茶が準備をされておらず、お湯がポットにありませんでした。しかし、本日は、主人が(昨日私が大船で買ってきてあった)お魚をさばいてくれていたので、しかも、私の外出中に頼んでもいなかったのに、してもらったわけなので・・・・・しかし野菜料理二品は、私の労働(? 大袈裟ですが、体力がないので、ほぼ、ひと・仕事なのです)で、できたものですが・・・・・私の方が、主人の責任を問わず、自分が立って行って、お湯を沸かしました。
で、お湯をポットに入れた後で、やかんを、左足の足元に置いたのです。すると、主人が怒って、「ちゃんと、元の位置に戻せ」というのです。元の位置というのは、流しの下で、距離として、2.2mです。普通の人だったら、何でもない作業でしょう。
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ところが私は、1965年の秋に、芳香族炭化水素の重合という(実験室段階では不可能な)実験を湊宏先生から、命じられていて、それで、体をすっかり壊しているのです。千葉大薬学部を出ていて医家向け新薬を開発している製薬会社学芸部にいた妹が、30年ぐらい前に、「おねえさんって、もう、四回死んでいてもおかしくないわね」と言って笑ったほど、体が弱いのです。その後の30年間で、どれほど、さらに弱くなったことであろうか? 主人がセントラル硝子に出向中に、日産自動車では、それがなかった、人間ドックがあって、家族も、受けられたのですが、「あなたは、もう、90歳代の体です」と、言われています。(蛇足1へ続く)
まず、骨密度が、薄いということが、90代だそうです。それから、イスタンブールで、四時間も仮死状態だったのですが、ボーイが、優秀で、「おかしい」と思ってくれて、合いかぎを使って、失神をしている私を見つけて、医者を呼んで、蘇生術を施してくれました。四時間かかって蘇生をして、気が付いた後の血圧が、40~80でした。
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先ほどの人間ドックの診察結果に戻ります。それは、1980年代であり、私がメルマガとかブログを発信していなかった時代なので、それほど、顕著な、弾圧は無かったので(いや、隠微な段階ではありましたよ。だけど、今書いている西隣の東大卒夫人の恐ろしさなどは、まだ、無かった時期です)その時の先生(医者)の診断は、ほぼ事実だと思います。
この時に、すでに、トルエン類(芳香族炭化水素類、石油からでてくるもので亀の甲に、メチル基が、一つ=トルエン、二つ=キシレン、三つ=ナフサ、ついているもの)が、人間の体に悪をなすということは、不良少年たちが、ペンキの薄目液・少量をポリエチレン袋に入れて、アンパンと称して、酩酊し、その結果、歯を悪くするなどで、知られていた段階でしょう。(蛇足2に続く)
で、人間ドックの先生がおっしゃるのには、「あなたは、体中に四千か所ある血管の弁が、もう、ふつうの人の時間では、締まらないことになっているのでしょう。ですから、イスタンブールでの仮死状態は、立ち眩みのひどいもので、これから先は、気を付けてください」と、言ってもらいました。
確かに。で、駅のホームでは、必ず、歩いて行って、空いているベンチを探して、座る様にしています。ホームには立ちません。
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トルエン類をなぜ、大量に、吸ってしまったかというと、突沸という現象が起きたからです。湊先生は、こういう新しい物質の実験をする際にご自分で試験実験をなさるべきでした。また、私も「突沸が起こります。水銀シール(栓)は持ちません」、というべきでしたが、化学者としての格の差が大きすぎて、何か、反抗をしている様に感じて、申し出でできませんでした。
実際問題として、実験終了後の懇談会で、「化学構造的には、こうなっていると思います」と、申し上げると、「それは、僕の考えることで、あなたの考えることではない」とおっしゃったのです。雷が落ちたというに等しい怒鳴り方でした。
ただ、私としては、先生の領域に踏み込んだという意識は毛頭ありませんでした。自分が生意気だという意識も毛頭ありませんでした。こういう発言は、のちに画家になる様に、私が、ありとあらゆることを画像として、推定することが好きなので、画像として、浮かぶから、話し始めただけで、先生のお株を奪うとか、言うことではないのです。でも、湊先生には、強烈に短気なところがあって、こういう雷が落ちるのでした。
でね、私はびっくりしたのと、この雷の前に、苦しみぬいたできない実験があったので、化学科教授全体の、合議で、決まっていた、助手になる話をお断りをしてしまったのです。これは、私にとっても大損であったでしょうが、湊先生にとっても、ご損であったらしくて・・・・・メンツがつぶれたということで・・・・・国際キリスト教大学をお去りになりました。で、都立大学へ、転任。
でも、三年後に、「結婚式に来てください」と申し込みに行ったら、来てくださったので、湊先生は、ご本人は、善良な方ですが、突然の爆発が起きる人で、それは、お気の毒でした。
湊宏先生って、1960年代の化学界では超有名人でした。若くして脚立が倒れた事故で、亡くなっていますが(蛇足3へ続く)、私以外の二人の学生(三輪喜久代さんと、館野博雄君は)楽な実験を任せられていて、三輪喜久代さんは、日本化学会の、学会誌に、館野博雄君は、アメリカ化学会誌に、湊先生と、共著で、論文を乗せて、二人とも、日本化学会、会員になっています。
都立大学の教授をなさっていたのですが、お葬式は、ICU教会で、行われました。弔辞が、二人か三人から、送られていましたが、内容がよく無くてね。左側の席で、前から三列目にいた、私は、よっぽど登壇して、マイクを奪って、結婚式に来ていただいたことを話したいと思ったほどです。実際は、そんなことはやりませんでしたけれどね。湊先生の雷というのは、先生ご自身が、コントロールできなかったものだったでしょう。だけど、それ以外は、善良な方だったと思います。何しろ優秀な化学者として、化学会では、当時スターとして、知られたかたでした。
さて、私は最近とみに体力が落ちたので、一日に一本のブログを書き、それ以降は発想が湧いても非公開にして置く と言う方針を立てております。しかし、午後四時半ごろ、渋谷のカフェで、新しい桃を一本あげました。それは身を守るためのもので、作品となって居ないので、一旦引っ込めさせてくださいませ。日曜日の新作として公開をさせていただきます。その時には身を守る為の文章はとりさります。こう言う手法は、隈研吾氏の動きをさっちするさいに、有効だったもので、19日に再度新作として公開をさせて頂きます
日(蛇足1)
なぜ、大企業の日産自動車では、勤務者に、人間ドックを受けさせず、もっと、小規模な会社である、セントラル硝子は、人間ドックを社員に、受けさせるか?ですが、社員数と、人間ドックの費用の関係で、日産は、受けさせないのだと思います。ただ、国庫金が出るのですよね。だけど、一人分の何パーセント国庫金の補助があるかがわかりません。いずれにしろ、家族まで、人間ドックを受診できるセントラル硝子は、よい企業だと思います。
日産自動車は、当時、組み立て用、工員を、合わせると、五万人の社員がいるといわれていました。
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(蛇足2)
今般、私は、アパートのリフォームをしました。三室南向きで、温室みたいな、きれいな居室です。真ん中の部屋(=8畳のダイニングキッチンを真っ白にした)とか廊下とか、外階段を、プロの塗装業者が、やってくれたのですが、におわないのです。
つまり、絵の具でいうと油絵具系ではなくて、アクリル絵の具系ということで、ペンキも、昔と原料・組成が違うのですよ。で、塗装業に従事している人が、化学薬品の被害を被ることが少なくなったのです。しかし、アクリル系ペンキって、はがすのが、大変でしょうね。半永久的なものなのかしら?
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(蛇足3)
私の、今のけがも脚立が揺らいだから,負ったものです。きゃたつは、倒れなかったのですよ。湊先生の場合は、お嬢様の為に、雨どいに引っかかったシャトルコックをとってあげようとして脚立が倒れ、脳挫傷を負ってしまわれたのでした。思いがけないことでした。まだ、47歳だったのです。
私の方は、倒れなかったので、小さな傷で、済みました。でも、手のひらの皮がむけちゃったのです。1.5cm大で。今、9日目に入って、傷の中の肉がやっと、盛り上がって来て、そこが、真っ赤だったのが、ふつうの人肌いろになっています。
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