今、9日の午後零時ですが、尾上右近について、大量の加筆をしております。アンダーラインを敷いておきます。尾上右近様について、ご興味にある方は、そこを覗いてやってください。苦言を呈している様ですが、若いので、将来のためです。そして、完成へと、持っていきましたので、恒例の三角印を総タイトル右横に付けておきます。
ところで、この章の総タイトルは、いささか下品です。しかし、これは、私が言いたいセンテンスではなくて、彼らがそういいたいわけですよね。彼らとは、鎌倉エージェントですが、彼らは、「お前、わかっているのかよ。差があるんだよ。林真理子とお前の間には」と常に言いたいわけです。そうですねえ。林真理子さんは、この雑誌の場合は、一か月に、原稿用紙、三枚書くだけで100万円はもらえるでしょう。一方の私は、月に、30万字から、40万字書きます。原稿用紙換算、4000枚、だけど、アフリエイト収入すらありません。一円もお金を稼いで、おりません。確かに、すさまじい差ですね。認めましょう。はい、はい。
誤変換、多数あり、だと、思いますが、放っておくことにいたしました。真面目に尽くすことが、馬鹿らしくなったので・・・・・
なお、最初にお断りを申し上げます。%%%%罫線以下の文章は、直前の章
安田純平解放=2・・・・・9.11で全壊した二つのビルには、事前にビル崩壊措置が、施されていたという説がある。それに、私は賛成する 2018-11-04 19:20:44 | 政治
の後半に、加筆予定のメモとして、案が、生まれた文章です。安田純平と林真理子の共通点とは、二人ともバックに鎌倉エージェントが控えていて、私をじわじわと、真綿で、首を絞める様な、形で、殺していこうとする主意に、利用されている人物だという事です。したがって、同じ章にいれていたのです。
が、林真理子の方が、具体的な物証があります。それは、筋書き(プログラム)です。四階の、一幕見だと、観劇するのに、1000円ぐらいで入れます。そちらだと、四階まで、エレベーターで、直通し、四階にある、入り口のオフィスで、プログラムが買えます。一幕見ではなくて、三階のB席だと、そこも4000円で入れます。それは当日に、B1の木挽町広場にある、切符売り場で、チケットが買えますが、もし、満席だったら、一幕見をご覧下さいませ。しかし、三階B席だと、正面玄関から入場することになり、一階から三階までの、あっちこっちで、プログラムは、売っています。
この筋書き(今のところ、1300円)は、そこでしか売っておらず、かつ、立ち読みすることはできません。昔は、ブックオフで、古本として手に入ったのです。しかし、今ブックオフは、歌舞伎に特化した雑誌【演劇界】も、【筋書き】も、一切置いてありません。これも、鎌倉エージェントが、支配して、そうさせていると、思います。ブックオフ側が、「警察から命令をされました」というのなら、警察が、鎌倉エージェントの私兵化して居ることの証拠にもなります。
もしかすると、歌舞伎座から、東へたどり、東劇の道路を隔てた対面にあるタワービルの、二階にある大谷図書館に置いてあるかもしれませんが、当月(11月分)を読めるのは、来月からだと、推察しています。でないと、筋書きが、売れませんし。
ところで、筋書きの編集方針は、マンネリの極みで、面白くないのです。たとえ、今月から林真理子のエッセイが始まったとしても、観客が本当に知りたいのは、それではなくて、演じている役者たちの心構えです。それが、幹部俳優しか、出ていないし、顔写真も三年間、同じものが使ってあります。なんという手抜きかとびっくりしてしまいます。
ただ、私は、不満がいっぱいなのに、ずっと買い続けて、いるのですが、理由は二つあって、過去のカンパニー(座組)を知りたいからです。例えば、今月出ている・・・・・狂言から原案を採録した【素襖落】・・・・・は、松緑の家の芸だと、言われています。さすがにそれは、あたりで、戦後だけで、57回演じられているのに、松緑の家系だけで、33%を占めております。次の演目、河竹黙阿弥の白浪もの(泥棒が主役である)のバリエーションでもある、【十六夜清心】は、55回演じられています。現在は、菊五郎が、【清心】を、自家薬籠のものとしているとされており、7回演じています。その上の代の、梅幸(ただし、女形なので、別の役名【十六夜】を担っているのだが)や、息子の菊之助もいれると、18回となります。が、壽海なども、一人で、八回演じています。ので、松緑一門の、素襖落と、比べると集中度は、まだ、まだです。
もう一つ目的があって、其れは、わき役をだれがやっているかを見たいからです。わき役とは、三階さんとか、おお部屋俳優と呼ばれている人たちで、父親が、有名な、歌舞伎俳優ではない人たちを指します。その他大勢として、チャンバラ(主役と絡む、立ち回り・・・・・時には、トンボといって、バック転をしたり、前転をしたりする)を担う人たちですが、中には、役が付いて、セリフを述べる段階に達する人もいます。ただ、緊張し切って居たりします。頑張れと、思って声援をしたくて、かられの名前と役柄が出ている筋書きを買います。
其の顔ぶれですが、月ごとに、カンパニーが変わると、変わります。しかし、其れは、筋書きにしか書いて居なくて、歌舞伎座で、何枚も自由に手に入る、チラシでは、わからないのです。そして、その消長(または、成長)を見ていくのが楽しみです。だから、筋書きを買います。
::::::::::、あ、此処で、挿入ですが、尾上右近が、今月大活躍で、大切にされています。清元の家元が代々継いできた大きな名跡=栄寿太夫を引き継ぎました。二足の草鞋を履くという事です。しかし、其れが、傲慢さを生んでいて、芸が雑になっていますよ。女形としての、かわいさや情諏にかけています。今月は特にそれが目立ちます。しかし、「以前からそうだった。彼は、女形としては、たくましすぎる」と、いう人もいます。猿之助がけがをした時に、急に代役を務めたので、大舞台の、主役を男の役で、担う事ができるのだと、自信を得たのは、感じ取っています。歌舞伎を見たことのない人の為に、添えごとをしますと、彼はね、大名跡(かつ、名優といわれている)、六代目菊五郎の、曽孫にあたります。しかも、母方の祖父が、一世を風靡した映画俳優鶴田浩二です。才能は、あふれているでしょう。しかし、彼の上に立って、叱る人間がいません。座組のトップである菊五郎は、遺伝子上の孫ではない、彼を叱らないと、思います。また、父親が、清本という歌舞伎役者を支える立場なので、自分より華やかな役割を担って居る息子に、対して注意をしにくいでしょう。
世間一般に、パワハラとか、セクハラ問題が、蔓延しています。だから、上の立場の人も、注意をしにくいのだと、思います。でも、同世代で、突出して意欲があるのが、女形の、演目で、女性らしさを忘れると、言う傾向につながっています。封建時代の娘役は、もっと、しおらしいですよ。今月を見ていると、畑山ナサか?、大阪なおみか?と、思ってしまいます。(苦笑)
私はね。京橋の明治屋前で、彼とすれ違ったことがあるのです。一人でした。それが、とても、好ましく思いました。付け人とか、秘書とかを、ひきつれていないし、タクシーで、移動をしていないのにも好感を持ちました。若いのだから、いろいろなことを吸収した方がいいのです。電車で移動もいいし、徒歩で、歩くのもいいです。そして、そういう姿勢は甘えの少ない自主性を示しているので、芸能界の人としては、非常に好感を持ちました。だからこそ、今の、演技上の、ゆるみというか甘さは、いただけないです。清元の、大名跡を継いだという事で、ちやほやされすぎた結果でしょう。
こういう事は林真理子には書けない処でしょう。あ。は。は。 お金や、名誉を相手側からもらっている人は真のクリティークにはなれないです。:::::::::::という挿入から元へ戻ります。
という前置きを入れて、初稿としての、本文に入ります。そちらは文体が違います。
%%%%%%%%%%%%%%%%
今月の歌舞伎座のプログラム(=筋書き)は、田淵俊夫さんが表紙を描いていて、其れは、素晴らしいのだけれど、テーマは、鶴岡八幡宮の、大イチョウである。どうも、そういうタイミングが選ばれたらしい。これは、企画や、印刷段階を考えると、御園座の10月の演目が決まったころ(7月か、8月ごろ)から、そういう話が田淵さんの方へ入っていったと、推察する。どれほどに、伊藤玄二郎+井上ひさし(まだ、実際には生きていますよ。公的には自分を死んだことにしているけれどね)が、勝ち誇っていたかを、指し示す。
同じ号の真ん中、24頁から26頁まで、林真理子がエッセイを書いている。タイトルは【顔見世の暦】。その挿絵なのだが、水彩画ではある。日本画風ではあるが、洋画家が、水彩を用いても、同様な表現ができると思われる。
相当達者な力量であり、だれかな?と、思うが、名前がない。ふと、例の【19の命】を描いた、あのイラストレーターではないか?・・・・・と、思う。イラストレーターの名前が、書いていないところが、そう、思わせる。歌舞伎座の正面玄関が、無彩色で描かれており、その前に、華やかな和服を着た細身の女性が、立っている。
出も私の方が間違っていて、今、週刊文春のエッセイの挿絵は、林真理子自身が描いて居るそうだけれど、こちらも林真理子? なら、絵と文・・・・・林真理子と、書くべきでしょう。が、文 林真理子としか、書いてありませんよ。
しかし、私が気になったのは、右上にあるハンコ状の、しるしだ。【歌舞伎座エッセイ】とある。それは、新連載の始まりを、予測させる。
子の頁と、同じ様な趣旨で、稲畑汀子さんが、【初代吉右衛門丈のこと】というエッセイを、ふた月前の、9月号に、寄せている。二つの文章は、ほぼ同じ字数である。しかも、稲畑さんの方は、写真や、キャプションも多数入っているので、頁と字のバランスが、林真理子の今月の頁と比較すると、窮屈に感じる。ともかく、同じ字数なのに、稲畑さんには、二頁しか上げていないのに、林真理子には、3頁だ。稲畑さんの頁は、編集部側の、力がこもっていない。感情移入を感じない。いつも通りにやりましたと、いう気合のなさを、感じる。
となると、同じ字数でも、稲畑さんには、原稿料が50万円、差し上げることにして、林真理子には、100万円あげるのだろうか? 鎌倉に住んでいると、林真理子より、稲畑さんの方が上だと、感じてしまうけれど????? 私は、虚子の旧宅に30年近く前に、あげてもらって、みんなで、お昼を(仕出し屋から、松花堂弁当を取って)たことがあるので、特に、そう感じている。
その上、これから、毎月、林真理子は、100万円で、歌舞伎エッセイを連載として、書き、私がそれを、毎月読むこととなる?
そうすると、「お前とは差があるんだよ。思い知れよ」が、此処でも、繰り返されることとなる。(あと注1)
そのうち、役者を見るつもりで、双眼鏡をのぞいたら、林真理子が見えました・・・・・と、いう事になるのではないだろうか? 花道の終わりで、役者が見えを切るところがある。そこを双眼鏡で見ていると、最前列の人が、振り返るのが見える。今のところ毎回私にとっては、未知の人が座っている場所だけれど、そのうち歌舞伎座では、そこをいつも開けておいて、私が鎌倉の家を出た、とたんに、林真理子宅に連絡を入れて「美しい着物を着てきてください」と、いう事になるのではないかなあ? そうすると三階から双眼鏡を除いている私は、一階の22000円の桟敷席か? 18000円の席で、振り返る林真理子と、その高価な、おべべを見ることとなる。近々、そうなりそうな予感がしてきた。あ、は、は。
彼らは、重層的に攻めてきていると、言って居るけれど、まさにこれは、その実例となる。
2018年11月8日の、午前零時から、午前零時30分の間にこれを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)
尚、このブログの、2010年より数え始めた、延べ訪問回数は、4899778です。
後注1、