銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私のママ友が、30年前に広島で日本ペンクラブ会員になった。その頃、雪ノ下では、リンチ事件が起きて居て、我が子が大怪我をした

2018-11-29 03:18:53 | 政治

 この一文は、実際には、12月4日の午後13:15分に公開しますが、事実上は、12月2日に書いています。しかし、後で、編集作業を加えて、29日付けへと、公開日時だけを移動をさせるつもりです。あしからず、ご了承をいただきたく。今、大変書きにくいことを書いているので、何度も編集しなおしています。これは、一万字以上がきえた一文の、きえた部分の直前までのものを、独立させた部分です。それが、副題1以下の部分です。しかし、夜に入って、その前に、副題0として、消えた部分の復活に取り組んでいます。

  この一文は4日の夜10時半まで、【結婚前は幼稚園の先生だった主婦が、広島で日本ペンクラブ会員になった。夫が男尊女卑の人なのを知る私には違和感があり、やがて、裏に、井上ひさしがいるのが判明して来る】でしたが、その時点で、上のモノへと変更しました。

副題0ー1、『消えた10000字に書いたのは、1984年9月に、この山で起きた、リンチ事件の詳細だ。私は、現場を目撃したわけでもないし、「お母さんには言うなよ。心配するから」と、息子が娘に命令したので、息子の怪我の実態さえ知らなかった。何故なら、加害少年たちは、制服に隠れている処を狙って、怪我を負わせたからだ。・・・・・あの子たちって、本当に悪い性格の子たちなのよ・・・・・と、28年前を思い出した娘は、当時は、身震いしながら、そう、思ったそうだ。そのリンチ現場が、冨澤家が、高枝切り事案を頼んだ場所であり、その際に、冨澤家は、一切、支払うべき、お金を支払っていないと思うので、これが、大きな政治問題となる』

 鎌倉には樹木が多いです。で、北隣の石井秀樹・あづさ夫妻が、新築物件を自分の設計で建てた時に、放映をされた(16-7-18)特番内では、二人の出演者(前田祝一氏と小野寺夫人)が、こもごも、「自然が豊かで」と、発言をしています。しかし、二人が立っている土地が、石井秀樹夫妻の土地だったら、まだしも、我が家の物なのです。しかも、盗まれて34年間も使えない土地です。だから、この山に住み、私に対してあくどさのかぎりを示す人物の代表例として小野寺夫人の写真をここにも使います。

 というのも、高枝切り事案の時に、彼女は注文主でもないのに、我が家に、午前7時15分に電話をかけて来て、「工事をします。騒音を出しますので、ご迷惑を掛けますから」と言ったそうです。この高枝切と言うのの、大目的は、・・・・・当時徹夜の連続だった私を大轟音で、起こして、寝かせない。したがって、徐々に殺していくことができる・・・・・と、言う点にあったからです。伊藤玄二郎たち発で、目的は、この山で、悪辣な事を過去にしてきて、それを、私に文章で書かれている前田夫人、安野夫人、柳沢昇などを、救うためです。どうして、そういう支配形式が可能かというと、柳沢昇の元妻石川和子さんが、CIAエージェント足る、伊藤玄二郎の元愛人だからです。ありとあらゆる宣伝を、NHKニュースを通じて行い、自分達の方が偉いと見せつけているので、洗脳され切っているのです。本日、18-12-4もBSプレミアムで、井上麻矢さんが出たみたいですよ。2012年放映のボローニャ訪問の、父と関連がある模様です。井上ひさしこそ、大CIAちゃんですが、世間の、一般人には、自分はすでに死んだ大作家だと、思わせている処です。まだ、実際には生きていますよ。昨日、ヘイトスピーチ排除のポスターが横須賀線に中づりとして、垂れていましたが、これも彼の発案で、対私のブログつぶしでしょう。

 私が、・・・・・在日とか、韓国人に、日本、及び日本人を支配させるのが、CIAにとって、大切なルーティンワークである・・・・・と言って居るのを、からかってきているのです。そういう井上ひさしの家来、または、道具として、使役をされたのが、富沢家が、注文をした高枝切りと、言う問題です。

 特に冨澤家に、委細を飲み込ませたのが、小野寺夫人だと、思われるので、彼女の、責任は、おおきいのです。それは、後の祭り的、演技だったのかもしれないのですが、私から、充分に見える場所(音も聞こえる場所)で、冨澤夫人が、この件で、小野寺夫人へ抗議をしていたので、確かでしょう。

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副題0-2、『上の写真に在る通り、前田祝一氏と小野寺夫人が、・・・この山は、自然が豊かです・・・と、喜んでいる。石井秀樹夫妻も、「この自然豊かで、駅から公称徒歩8分の土地が、安く(噂では、実質40坪使えて、1000万円だとか)買えた」と、喜んでいる。自然に生えている樹木はタブシイと言う大木類が多く、それを中心として、樹木が倒壊することがよくある。それは、やま(または、丘)が、元、海の底だったものが、隆起してできたものが多いらしくて、【かまくら砂岩】と言うもろい地盤に、立っているからである。西隣に、今の前の人が住んでいた頃、実際に冨澤家所有の、地所に立っている樹木が一本倒壊して、屋根の上まで、覆った。葉っぱがいっぱいあるので、さしたる被害は与えなかったが、冨澤家は、遠藤というその家の夫婦に、責任を問われて、その時には、嫌な思いはした筈なのだ。それを、私がメルマガに書いているかもしれない。それで、冨澤家を、危険ぼく、伐採という謀略の主人公に、使役をする事を、伊藤玄二郎たちが思いついた可能性がある。

 私は行政には詳しくはない。特に、ライブで、いちいち、追いかけたりはしない。しかし、彼等は、私を困らせ、自分達が得をする為に法律やら、条令を次から次へと改悪をしたり、新規に作り出したりしている。

 今般、問題としなければいけないのは、鎌倉市が、危険ぼくの、伐採に対して、その費用の半額を援助をすると、言う決まりの事だ。それは、正式には、一般人が市に申し込みに行って、その後、審査を受けて、通ったら、許可を下ろし、その後の支払い時期がどうなっているかは知らないが、ともかく、冨澤家は、半額を出し、鎌倉市が、半額を出すはずである。

 しかし、私は、冨澤家から、聞こえてくるすさまじい轟音を聴きながら、冨澤家は、一切お金を支払わないのだろうと、思った。それが、どういう風に可能かというと、植木や(=尾上共同事業体という名前である)が、請求書を、実際の二倍の額で、出せばいい。鎌倉市は、その半額(=実費の全額)を負担するという形で、逃げ切る筈だと、思った。

 それを午前8時には、思い及んだので、・・・・・ベッドの中でだが、・・・・・その後は、内心で、ニヤニヤしてしまうほどに、嬉しかった。これは、このブログの世界で、非常に大きな案件(=テーマ)になると、思ったからだ。まず、市役所を巻き込んでいるので、伊藤玄二郎と、松尾市長の癒着をはっきりと、書き表すことができる。税金を、私的復讐(眠らせない事で、私を殺そうとしている。彼とか、彼の愛人である、石川和子さんが、過去に行ったとんでもない案件を全部書いている私を殺すの)に、税金を使っていると、言うおぞましさ。

 もう一つは、冨澤夫妻を主人公にすると、小説より、面白い、エピソードが書けるという点だった。冨澤氏がバスの中で、とんでもない失礼な態度をとったので、天は、それを、書くことを、お許しになると、言う確信があった。

 この高枝切が、起きたのが、2016年だったが、その28年前、冨澤家の次男が首謀者として、我が子に、すさまじい、けがをさせている。それを、当然に、私が蒸し返すことが確かなのに、どうして、こういうバカげた謀略に協力をするのだろうと、思い、その一点でも、人間という物の研究には、相当に役立つのだった。

 二つか、三つの面で、冨澤夫妻が、こういうバカげた案件に協力をした、理由が、想像は、できた。まず、お子さん、特に次男に対しては、未だに親足るを得て居ないと、思われた。親とは、子供のことで、忍耐をしたり、自分の欲望を抑えないといけない日がある。それを、1984年当時もできて居なかったが、今もできて居ないと、思われた。また、愛情も注がないといけない。それが、できていない。当時も今も。

 倒木が昔屋根にかかった家の遠藤夫人だが、「川崎さん、川崎さん、冨澤家の坊ちゃん、道路で、タバコ吸っていましたよ」と、教えてくれた。「石段で、座って、ぷかぷかやっているのです」 遠藤夫人は、その続きは、声には出さなかったが、彼女に対して、冨澤家の坊ちゃんが挨拶をしなかったのも、推察され、遠藤夫人が気が動転したのも理解はできた。だけど、私は、違う考えを持っていたので、遠藤夫人の方は軽くあしらっていて、同調はしなかった。

 冨澤家の次男が、道路で、タバコを吸ったりしているのは、親に愛されて居ないという気持ちが、反映をしている。実は、この子たちが、27歳になった時に、安野家の次男が、この件で謝罪に来た。私はまだ、その時点では、詳細を知らなかったので、安野夫人から命令を受けていたけれど、それを伝えた息子が、さっさと、外出してしまったのを止めもしなかった。うちの子の方は、そういう道徳の教科書そのモノみたいな行動には、照れるのだと、思う。そして、私は中学時代には、二人は、同じクラスになったこともないし、10メートルという至近距離に住んで居るのに、家を訪問し合ったこともないので、友達だとも思わなかった。ので、しいては、息子の外出を引き留めもしなかった。ただ、その時に安野君と、もう一人の友達の顔はしっかりとみて、『安野夫人が、「子供にお客が来たので、お砂糖を貸してください」と、言いに来たのは、この子の訪問だったのだろうか?』などと、考えた。

 そして、これは、このリンチ事件が、どうして起きたかを解明するために言うのだけれど、二人ともに背が低くて、顔が美形ではなかった。そして、同じ特徴が冨澤家の次男にも見られた。160cmに達していない可能性がある。父親は、品の良い美形だ。背も高い。で、長男と三男は、父親の遺伝子を色濃く、受け継いでいて、美形である。そして、とても、かわいがられている。このリンチ事件が起きたころ、両親は、毎週末、電気釜以上に大きな魔法瓶、二つと、おにぎりや、空揚げなどのおかずを、持って、出ていた。それらの軽食が、チーム全員に、行き渡る程の数がありそうな、大荷物をもって、二人そろって、朝、出掛けて居た。三男が、小学校の校庭で、野球をやっているみたいだった。『あれほどの、食べ物を準備する為には、奥さんは、6時、起きでしょうね。日曜日なのに、かえって忙しいのですね』と、私は思った。

 しかし、その陰で、次男は顧みられなかったのだ。親の方は、もう大きいから大丈夫だと、思いこんでいたのだと、思う。そして、其れに反抗をして、親の行動を修正することができないらしいことから考えて、二歳ごろから、ご次男はネグレクトされていた可能性を感じる。タバコを吸うという形でも、親に気が付いてもらいたいと、言う潜在意識があっただろう。虐待とまではいわないが、愛されて居なかったと、感じるのだ。あの、美形では無い顔立ちと、背が低いことは不思議だった。両親は二人とも背が高くて、美形である。不思議だが、下の子を妊娠した時から、放っておかれたというか、ゆっくりした愛情或る声掛けが、少なかった可能性を感じている。で、小さいながら、子供ってすべてはわかっているので、満足しない気分が、ああいう、顔を作り上げたのだと、思い当たる。

 その顔の件で、冨澤家の次男が、うちの子を攻撃したくなったのだと、思われる。うちの子の方だが、人当たりが良くて、愛嬌もあり、命令をしないで、リーダーシップをとる事ができる。そして、背が高くて、顔は、他人様から、「美形ですね」と言われる。種々の点で、妬ましかったのだと、推察される。「あの子が目立って人気者になったら困る」というのが一番の理由であったと、推察している。うちの子に言わせると、「富沢君って、人気者だよ。特に女の子にね」という事になるのだけれど。「安野君の方はね。おいちに、おいちにの、あひるさんって、言われて、みんなから、からかわれているけれど、富沢君は人気者だよ」という。別に恨んでもいないみたいだった。

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副題0ー3、『北久里浜で、目撃をしたのだが、5歳の子が、3歳の子に、鉄筋で、殴られていた。・・・・・これも、5歳の子の親の方が、特殊な子育てをしている結果、5歳の子が、生きるために、それなりの処世術を身に着けて居て、相手が自分より強いと、見ると、下手に出ることから起きている。だから、3歳の子は、相手を馬鹿に仕切っていて、鉄筋と言う傍に在った長い棒で相手を叩いた。そっちは遊びのつもりだ。だけど、鉄筋で、撃たれる方は悲鳴を上げている。しかし、親はロックミュージックのレコードを大音量で掛けて、編み物をしているので、気が付かない。私は、こういう事にはすぐ気が付く、自分の子供が仲間に入って居なくても、子供って、何をするか、判らないところがあるので、常に目を離さないからだ。で、電話を掛けたら、さすがに飛び出て来て、その日は、自分の家に、我が子を連れ込んだ。

 親の特殊な子育てとは、親がついて居ない形で、外遊びができるという事に優越感を抱いていて、年子の下の子が走る事ができる様になった時期から、外へ、二人だけで出していて、いたらしい。それで、ご近所から総スカンを食って、前の住所では、追い払われたらしい。そこで、半島・状態の、先端にあり、車ガ入ってこなくて、安全至極な、この北久里浜の東の丘の上の場所に、引っ越して来たらしい。お父さんが、大卒ではない。そして、大企業勤めでもない。で、ローンが組めないそうで、持ち家ではない。そのことに劣等感があるらしくて、ひたすら子供を道具に、他人に優越することに、こだわっている。

 で、その五歳の男の子は、一種の虐待があるゆえに、普通の形で、ちゃんと育てられている三歳の子に頭が上がらない。外で、長時間遊ぶためには、どうしても相手が必要だから、自分をたたいてくる子でも、大切にしないといけないと、思いこんでいる。そういう形で、いつも相手に、こびているから、こんな痛いときでも、やめろと、言えない。「だめだ。そんなことやっちゃあ」、と自分の方からは、いえない。それで、三歳の子は、五歳の子を馬鹿に仕切って、たたき続ける。三歳の子でも、一方の端を地面につけて一方の端を振り回すという形なら、建築資材用の鉄筋を振り回すことができるのだった。

 私はその時点で、彼女と喧嘩をしていた。というのも、外だけで、遊べないことがよくわかっている私は、幼稚園の入試にも落ちたその子を我が家に入れて遊んであげていた。別の部屋にいて、目を離したすきに、セロファンテープと、荷物包装用テープを使って、蜘蛛の巣城を作り上げた、一か所に五本ぐらい結び付けて、壮大な城を作り上げた。その部屋にはピアノを置いてあったし、塾用の黒板も置いてあった。その足などに、巻き付けて、天井のペンダント等にも、結びつける。立派な細工だった。大創造的インスタレーションだった。見事だった。しかし、ノリのべとべとをはがして、きれいにすることを考えると、私はうんざりした。私に言わせると、この時点だと、もう、他人の家では、こういう事はやっては迷惑だと、言うことがわかっていないといけない。或る程度、自分を抑制するという事を覚えておかないといけない。幼稚園の入試の様子を聞いたのだけれど、問題点は、その子が幼稚園で、はしゃぎすぎた点にあった。それは、いつも、大人(=親)に丁寧には、相手にしてもらって居ないのが、急に、何人かの先生に、丁寧に、相手をしてもらうことが、うれしかったのだと、思う。ただそれだけなのだけれど、確かに彼が、幼稚園に入ったら、一切のしつけがなされていないので、幼稚園側はコントロールが難しくて大変にはなる。そして、彼の影響を受けたら、ほかの子もコントロールができない。で、不合格になったのだと、私にはわかった。ので、子供本人がかわいそうだった。まだ、ママと、喧嘩にならないうちに、『どうしてそういう子育てをしているのか?』を聞いてみた。すると、「高校の社会の先生がルソーの【エーミール】を教えてくれたので、其れを尊敬していて、エーミール風に育てている」と、答えた。「エーミールですって」と内心で思い、私は絶句した。ルソー本人は、子供を実際には育てていない。孤児院に預けっぱなしだ。それと、エーミールには、反語的、主意があって、極端に指導する教育に対する反論として書かれたわけだから、彼女みたいに最初から何にも施さないという状況では、何の意味もない。

 しかし、私の方では、・・・・・もう大人になっていて、しかも、元資生堂の美容部員だったと、言う、女としての、器量の面で、誇りを持っている彼女を、説得し、態度を変えさせることは不可能だ・・・・・と、思って、黙ってしまう。ともかく、以前に言った、やはり、幼稚園に行かせて居ない女の子がお菓子の盗み食いをする件で、注意しても注意しても、いう事を聞かないので、『親は、たたいたり、つねったりして、この子に、言う事を聞かせているのかしら。ともかく、・・・・母親は専業主婦で、父親は、銀行マンだから、お金がないわけではないのに、幼稚園にもいかせないで、お菓子も買ってあげないのだから、かわいがられてはいないということは確かですね』と、思い至った。 この様に、鎌倉に引っ越してくる前に、いろいろな子供を見ていて、親が大切だと、いう概念は、しっかり持っている私だから、富沢家で、ご次男がかわいがられていないことは即座に分かったのだった。で、遠藤夫人がたばこ、たばこなどと、悪口を言っても、『其れは、子供の責任ではない』と、思ったので、軽くあしらっておいて、同調はしなかった。

 ここで、こんな挿入を入れたのは、彼ら三人が、このリンチ事件の時に、どんな武器を使ったかが問題だからだ。鉄筋なんか使われたら、中学生の力では、本当に死んでしまう。また、当時は、カンフー映画全盛時代であって、其れに出てくるヌンチャクという武器を模倣したおもちゃが売っていて、其れを、その三人は、用意していた可能性がある。特に富沢君は賢いので、顔が、知られている鎌倉のおもちゃや、【ちょっぺい】ではなくて、藤沢とか大船で、そういうものを手に入れていた可能性がある。もちろんのことおもちゃだから、本当の鋼のついた鎌は、先っぽについてはいなくて、セルロイドまたは、プラスチックでできた鎌が付いているだけだと、思うけれど、其れだって当たり所が悪かったら、失明をする。というわけで、悪くすると、殺されていた可能性すらあるのだった。こういう現象に接すると、今では、大奥さまといわれている東本郷住宅時代の、ママ友の意見が正しかったとなる。もと、幼稚園の先生だった彼女は、「子供は喧嘩させないとだめなのよ」といっていた。私は賛成できず、できるだけ喧嘩をしないように育てたのだけれど、

 ともかく、いざとなったら喧嘩をできる我が子だった。そして、喧嘩に勝つのだった。よかった。よかった。何も知らないのもよかった。ただし、我が家に居て気が付かなかったわけではなくて、今泉台の塾という、山があるので、通勤に、一時間半はかかる塾の講師をしていたから、気が付かなかった。父親の方は松坂に単身赴任をしている。

 ところで、ご次男以外の、四人が家にいたと、思われる富沢家で、どうして、これに気が付かなかったかが不思議だ。鎌倉は夏涼しく、冬は暖かい。九月の夜だ。丁度いい気温であって、クーラーはスイッチが切ってあったと、思われる。お兄ちゃんはもう高校生だから、8時過ぎには、自分の個室に入って、勉強していて、テレビなど、見ていないと、推察される。富沢家は敷地は広い。三区画飼って転入してきた一家なので、実質は、150坪態度だけど、公募上は、300坪近いと、思われる。

 で、自宅の部屋から、距離にして、30メートル、高低差、5メートルぐらいのところで、行われている、このリンチ事件をどうして、気が付かなかったかが、どうしても解せないのだ。

 ここらあたり、まだまだ、書く事はありますが、既に、午前四時になったので、寝ます。 

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 これは、前々報(後注1)の完璧な続きです。前々報のさらに前の文章とも、続いている文章です。

 で、そちらの内部で、充実をさせたかったのですが、一万字以上が消え去っています。警告もなくです。井上ひさしとか、伊藤玄二郎にとって、最大限に都合の悪いことだったからでしょう。しかし、だからこそ、真実です。

 で、其れを復活させる前に、前置きがあります。それは、消えておりませんが、こちらに、まずコピペで移動をさせます。 

副題1、『ここで、前々報(あと注1)の、副題6から、9までを使わないといけない。読者の皆様が、其れを、すでにお読みになっているものとして、論を進める』

 前々報で書いてあったことで、此処で使いたい部分は、大奥様と今では呼ばれている女性は、鶴見にある短大の、幼児教育科を出て、幼稚園の先生をしていたと、いう事です。一方の私は、1962年の、ICU入学者です。当時のICUは、日本社会で、知る人が非常に少ない大学でした。ただ、入学するのに、東大へ入学するよりも難しいと、東大の学生新聞が書いてくれたほどに、人気が高かったのです。それは、知る人ぞ知る事実で、主に、ミッション系の高校卒の人とか、モトAFS(=アメリカ留学済み)の高校生などには、知られていました。大奥様のご主人は、外語大卒で、高校時代は、英語は、好きで得意だったはずで、従って、ご主人の方が、ICUを知っていらしたので、私は、大奥様から尊敬をされることとなりました。

 その後、私は、横浜市緑区東本郷町から、横須賀市根岸町に引っ越しました。その数年後に、彼女も、引っ越しをしました。広島へです。

 そして、「私はね、広島で、日本ペンクラブの会員になったのよ」と、言いました。その時に、『あ、これは、井上ひさしからの援助ですね。その裏には、瀬島隆三がいる』と、わかったのです。井上ひさしは【父と暮らせば】というヒットシナリオを出していますので、(映画にもなった)

 広島には、相当な知人がいるとおもいます。そして、例のごとく、脚本を作ります。これは、別の言葉では絵図を描くと、言います。その絵図では、鶴見にある短大の幼児教育科を卒業した彼女を、日本ペンクラブの会員にして、広島という地域社会で、有名人にしていくのだ。

 川崎千恵子(このブログの著者)は、小さいころから、文章を書くのを得意としているので(もし、成岡康司君が、重要なメンバーであると、言う私の推察が正しかったら、私とは、中学の同期なので、私が、そのころ、どれ程に、優秀だったかは、かれは、知っているのだ。)、ペンクラブの会員にはなりたいだろう。その位置に、昔、は、下手に出ていた、ママ友(今は、大奥様と呼ばれている人)が、先についたら、ぎょっとして、内心では、大いに悲しむはずだ。こういう風に徐々に徐々に苦しめていって、うつ病にさせる。その上で、精神病院へ収容してしまえばいいのだ。

 むろん、彼女(=大奥さま)には、こういう私の解釈は告げておりません。・・・・・彼女はお子さんに、喧嘩をしなさい。していいのよ・・・・・という教育方針を貫いている人ですが、私は、そう言う感じはできない人であり、子供にも喧嘩させないし、自分もしない人だから、何も反論をしませんでした。

  しかし、この時に、井上ひさしは、まだ、千葉にいた時期です。しかし、既に、CIA側にリクルートをされていたのです。彼は、共産党御用達作家というほどに、共産党の、催しに出ていて、そこで、人脈を築いたわけですが、ICU在学中に、私をベイカーさんに売り渡した、てリーという元AFSにして、たぶんですが、ICUに入学する以前から、共産党員の、女性のことなどを考えると、共産党とは、CIAにとっては、とても便利な道具であるのです。

 ただ、今日は、新しいことをもかたります。このママともが、広島時代に、日本ペンクラブの、会員になったという事は、もう一つのエピソードからも、裏に、井上ひさしたちがいるとの確信を、もつのです。男尊女卑の話です。

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副題2、「彼女の夫は、私が見せたICU同期生からの手紙を、激しくけなした。それで、だんそんじょひのひとであることが私側に判った』

 横浜市緑区東本郷に住んでいたころに、私のところに、ICU時代の同期生から、便せん6枚ぐらいのお手紙が来ました。1970年代は、普通の人は、パソコンを使っておりません。手書きです。ICUの友人の方は、父親、と、男の兄弟は、全部東大卒であり、インテリとして、レベルが高いのです。で、私は、其れを彼女に見せたのです。内容には私的な部分は無かったからです。すると、短大出でも、頭がいい彼女は、「これは、素晴らしい内容ね。主人に見せたいわ」と、言いました。私は、その中には、個人的なことは、一切書いてなくて、ただ、社会現象への、分析ですから、「ああいいわよ」といって、預けました。一日か二日の内に、彼女はそれを返してきて、「主人はね『だめだ。この女の人は。女として魅力がないよ』というわ」と、言いながら。

 あっけにとられました。しかし、私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義だから・・・・・彼女はお子さんに、喧嘩をしなさい。していいのよ・・・・・という教育方針を貫いている人ですが、私は、そう言う感じはできない人であり、子供にも喧嘩させないし、自分もしない人だから、何も反論をしませんでした。しかし、外語大学という海外に通じた窓がある大学の卒業生が、そういうという事は、本当に驚きました。  

 この男尊女卑という問題に、ちょっと、踏み込みましょう。私の父は、今では、国立大学となっている旧制専門学校卒ですが、(そして石油科の第一回卒業生ですが)、男女平等主義の、フェミニストで、母を大切にしたし、長女である私が、男と同じ様に活躍してほしいと、思って居た人間です。 

 

  まあ、この写真は、遊び人風ですが、藤本真澄・東宝・重役と、旧制中学時代、親友だったので、こういう姿です。この写真だけ、たまたまスキャンしてあったのですが、ほかの写真も含めて、これも、一緒に、全部盗まれています。ダークスーツのものや、黒の詰襟で、ビーカーやフラスコを前にしてピペットを握っている写真なども、あったのですが、みんな盗まれています。父にとっては、おしゃれをするというのは、大切な事だったらしくて(これは、伊勢佐木町のスタジオで、撮影をしたらしいのですが、1933年です)したがって、おしゃれの一つの形として、男女平等を、実行したのかもしれません。母は、お金には恵まれていました。父は、母に、いつも自分と、平等に資産形成をさせていたからです。 

 私自身に戻ります。国画会に作品を出品して、連続入選をしていたころかな? 私としては、大変に実力の高いアーチストだと認識している人が落選になったのですよ。これには驚いて、審査風景を知りたいと、思ったのです。でね、芸大ではないが、国立大学の卒業生であり、「あの人は純真だ」と、ほかの人から、言われている男性作家に、電話で探りを入れたのです。そしたら、その人は、私が知りたがっていることが、生意気だと、思ったのね。審査会場には、会員しか入れません。で、普通なら、確かに、審査風景を質問するのは生意気です。 

 しかし、この落選した、女性アーチストは、一時期草間彌生と、都美術館の、一区画(画廊、20個分ぐらいのスペース)を使って五人展をしたぐらいのレベルの高い作家なので、落選に驚いて、うつ病になってしまったらしいのです。で、母親の遺体を、お葬式を出さないで、いたので、新聞沙汰にもなったそうです。そこまでのことは知りませんでした。私は、そのころ、海外に行くために逗子のアトリエで、一人暮らしをしていて、今とは、全く異なっていて、修行だけにふけっていて、ニュースなど、接していなかったのです。テレビなど、一切見ない生活を送っていました。ただ、銀座の画廊街には、出没をしていましたよ。だけど、噂話好きではないので、他人の個人的な事情など、一切、知りませんでした。このケースは、後程、杉並区の空き家特集という社会派・番組を装って、NHK総合チャンネルで、問題にされると、言うひどい措置が引き続いて起こり、其れも、もしかしたら、私弾圧の一種だったのかな?と、今では思って居るほどです。 

 その番組のMCは、二代目、子供ニュースのお父さんである、鎌田さんだったのですが、今はTV東京に移動をして、未来世紀ジパングの司会をしています。ところで、この鎌田元NHKキャスターがMCを務める様になったら、・・・・・そして、そうなってから五回目ぐらいから、「毎週録画」機能で、録画していたはずの【未来世紀、ジパング】が、録画されていない様になっているのですよ。 

 こういう動きも鎌倉エーじぇんと(=CIA)特有の現象です。最初に、鎌田キャスターを、悪事に使って、其の裏側がばれたら、何年間か、表(番組)に出さず、ひっこめて、そして石塚雅彦さんが、力を持っている、TV東京に、移動をさせて、今度は、活躍できる様に、させて、その上で、私のレコーダーの、録画命令を消し去って、見られない様にしている、と、こういうところにも、私は自分が大物であると、感じている次第です。 

 というスピンオフから、国画会の作家と、私自身の電話対話に戻ります。その方が別の日に、「あなたねえ。そんなことをやっていないで、花でも飾ったらどうお。女らしくないよ」と、言ったのです。私はね。娘から、「お母さんが家にいないと、お父さんとお兄ちゃんがだめになっちゃう」と、言われるほどに、一家の中心なのですよ。また、日傘雅水という有名な、そして、ご自分も日大芸術学部卒のインテリである、手相観さんに、「あなたは、芸術家でよかった。これが、専業主婦だったら、事件を起こしていますよ」と、言われるほどに、フェロモン横溢の人だったのです。

 しかし、女が、理論的な事、または、原則的な事、または、政治的な事を、発言すると、『なんだ、あいつは生意気だと、なって、馬鹿にされるのだ』と、言う日本の現状があるのでした。 

 で、結論へ入っていきます。元の、『お手紙を、外語大卒の、そのご主人(今では、二人のお子様が、両方とも医者になっている、大奥様の旦那様、だから、大旦那様というべきでしょうね。)大いにけなした日に戻ります。私が、そのお父さんが、男尊女卑の人であると、知った日に戻ります。私は、本当にびっくりしてしまったのですが、そちらのご夫婦によると、その方が子育てには、良いそうです。一家の中で、圧倒的に、お父さんが偉いという形にした方がいいそうです。 

 しかし、これこそ、広島市で、彼女が同人雑誌に参加するとか、ペンクラブの会員になるとかいう事実と矛盾をするのです。 

  ここから先に書いた、一万字以上が消えています。仕方がないので、復活に取り組みましょう。 

 矛盾をすることに何故、彼女が取り組んだかというと、周囲からの働き掛けがあったのだと、見ています。井上ひさしは、【父と暮らせばが、映画にもなって大ヒットしています。それの関係で、広島には、多くの知人がいるのだと、推察しています。 

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副題3、この章と、この下の章(副題4)が、消えたのです。本日(=18-12-4)ではないのですが、いつか、復活させましょう。

副題4、 

副題5、『私は、息子が、就活の際も、落ちまくったのが、おかしいと思って居るのだが、中学受験の際にも落ちたのは、特におかしいと、思って居る。そして最近、孫の英検について、「たった、10点の差で二級を、おちたの」と、聞いた際とか、 

 東京医科大学で、女子学生を、点数を下げて、不合格にしていたと、言うニュースが席捲をした時にも、私がひそかに考えている『瀬島隆三が裏から手配をして、息子の進路を12歳の時にすでに絶った』が正しくて、其れを、わざと、えぐってきて、悲しませるという目的で、こういうニュースを作り出し、流しているのだと、考える。医者とはエリート階級なので、不祥事は、普通は隠されるものなのだ。それに、東京医大が、急にそんな措置を取ったわけでもなくて、数十年にわたって取ってきた策であろうし、事情通は、みんな知っていたことだろうと、思う。なぜ、今、大騒ぎにしたのかというと、その、34年前の、私立中学受験の、不合格の裏にある、私の苦しみをさらにえぐる為であろう。 

 ところで、孫の英検だが、私は、孫の例は、今まで、書いたことはないと、思うが、英検そのものについては、批判的に書いた。とくに…・・・・それが、大学受験の際の、英語入試にとって代わるのだ・・・・・と、いう事には、疑問を呈していると、思う。東大が、推薦入学になるというのにも疑問を呈している。東大の入試に問題があって、創造性豊かな、学生が入ってこなくなったという事は、言えると思う。敗戦前の東大の、入試は、ナンバースクールからは、ほぼ無試験で、入学できたと、聞いている。その方が大物が出た。だから、推薦入学を復活するべきだと、いう理論には、一理がある。 

 しかし、私が入試に不正がある可能性があると、におわせているときに、(例えば、おなり中学では、通知簿に、1か、2しかないことで、おいちに、おいちにのあひるさんと、呼ばれている安野君が、海上保安学校へ入学し、其れを、石川和子さんが、わざと私に聞こえる様に、タイミングを計って、「国立大学の付属高校へのご入学おめでとうございます」といっていた、などと書くときは、敵は本能寺にありであり、 

 息子の中学受験の不合格には、裏返しの、強者の意思(又は、恣意)が働いていたのではないかという事を、婉曲に言って居るのだ。 

::::::::::ここですが、重要な挿入をしないといけません。実は、私側の被害(中学受験をわざと不合格にされている・そのほか、アリとあらゆる受験について、裏から手をまわして、不合格にされている)という事を書かないで、安野君の方だけを描いているので、相当な誤解を受けていたと思います。つまり、私の方が意地悪で、悪い人間だという誤解です。それは、わかっていましたよ。でも、神様は、すべての真実をご存じだから、神様に向けて書くというのなら、これで、いいのです。ところでね、この坊ちゃんですが、1984年に少年リンチ事件を起こしていて、我が子に手ひどい傷を負わせているのです。首謀者は、富沢家の坊ちゃんですが、ひどいひどい連中なのですよ。表側というか公的な部分では、受験失敗という、苦しみを負わせ、裏側と、言うか、私が知らない部分では、肉体的キッズを負わせるというひどいことを、やっているのに、CIA側にとって、そうすることが勝ちだと、思われているので、成績が非常に悪いのにもかかわらず、海上保安庁の職員になっていき、一億五千万円の、生涯賃金を保証されているのです。一方の、息子の方は、西原理恵子さんを使った、この章で、語っているケースをはじめ、人生のあらゆる場面で、機会をつぶされていて、どんどん、貶められて行っています。このケースは、高枝切り事案へもつながっていく、大きなことなので、巻末の、副題9から、今夜(=12月2日)に、輔弼をします。::::::::: 

 そして、私のその暗喩が、今、読み手としての特殊任務を与えられている井上ひさしには、わかっているだろう。だからこそ、彼は、次から次へと、私の心をえぐる様なニュース案件を、受験に関して、作り出し、其れを政府に発表をさせている。 

 大学入試の英語部門を英検の主催団体という、民間団体に、任せるなどとは、ある一面では、いいかもしれないが、孫の様に、そこで、弾圧をする道具となりかねないので、全くもって不賛成だ。 

 ところで、孫の件だけれど、ある食事会で、この件を蒸し返したら、娘が、「あれ、受かっているわよ」と、いう。私はその時に、ただ、黙ったのだが、二重三重に自分が正しかったのを知った。まず、孫は受かっていた。だが、不合格だと、いったんは、された。10点不足だという措置で。だが、私がブログで、英検のことを書いたからこそ、修正してきた。 

 こうなると、孫を守るためには、娘の計画の一切を知らないと守れない。そんなことは無理だ。 

 さて、ではどうする? 私には武器はない。彼らにはあるのだけれど、私にはない。では、どうするのだ。ただ、唯、一点、神様におすがりするほかはない。 

 神様は、しっかりとご覧になっていて、思いがけない形で、私をたすけてくださるのだ。今般だって、貴景勝が優勝するかどうかなんて、誰にも予想されていなかった。だけど、彼は、優勝をし、現代社会では、ありえないスパルタ教育をする、お父さんがマスコミに登場した。その時に、私は、この厄介な問題、=====息子の進路を妨害し、委縮させる敵方の、闇の支配。それが、孫にも及ぶ心配======を、書き抜くだけの文章の構想力を得たのだった。

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後注1、

続、大前研一、勇介、石塚雅彦、木村某氏、西原理恵子、高須院長、井上ひさし、+ご近所少年のリンチで我が子がけがをした話     2018-11-28 21:17:37 | 政治

 

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