銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

18-11-30 の・・・・湊宏、晶子、西原理恵子、三国屋善五郎社長、大前研一、勇介、石塚雅彦、伊藤玄二郎

2018-11-27 22:18:07 | 政治

  最初にお断りを申し上げますが、これは、12月1日に、実際には、公開をいたしますが、日付だけは、11月28日にさせてくださいませ。そして、1時間ぐらい、総タイトルを、【天は、裂ける様に真実を教え給う。私の息子が、年収六百万円を断ち切られた時に、裏に西原理恵子が居るのが、私に判明したのも、】としておりました。が、夜の11時半に、上のものへと変更しました。

副題0、『18-12-1に入れる、前報(あと注1)に対するレジメ的、解説の文章』

 さて、今、12月1日の午後零時ですが、今から&&&&&罫線以下の加筆を始めます。この一文は、昨日いっぱい、お約束を無視して、何もタッチせずに、放っておきました。それは、どうしてかというと、含まれている時制的レンジが、あまりにも長いので、其れを、どう描くか、を、じっくりと、体力を温存しながら考えていたのです。

 この文章の主役は、現在では、ご近所様から、大奥様と、呼ばれている、私のママ友の、一人です。彼女との付き合いは、ほぼ、45年前に始まりました。しかし、彼女が、鎌倉エージェント(=CIA)に、リクルートをされて、向こう側に入ってしまったのは、1965年ICU在学中の出来事が、一番、大本になっています。そこで、ベイカーさんというアメリカ人大学生に、私が、まじめで、しかも、頭がよくて、しっかりしているという事で、・・・・・将来の日本を救う人材になる・・・・・と、見込まれてしまって(苦笑)、その時点で、後ろから、首を絞められて、殺されそうになったのです。それは、むろん夜のことで、旧中島飛行機(ゼロ戦を作った工場、宮崎駿氏は、そこの、重役だった人の子息。現在はSUBARUと、ICUが使っているが、ICUが財政困難に陥って、五万坪の、敷地の相当数を売ったので、神学大学ほか、いろいろな施設が、近所にできている)の滑走路での出来事でした。そこは、現在は、両側に桜の四重の並木のある、大学への進入路になっています。それが、1965年のある夜の出来事で、そこから、すべてが起因していますので、重要な出来事なのです。それ以来、今は、2018年ですから、53年間の長期間のレンジで、ものを考えないといけません。

 しかし、ここの主役たる大奥様は、私としては、相当に、深く付き合った人であり、ある意味で、大切な人物です。したがって、彼女がCIAに、利用をされた向きもあるのだというのは、実は墓場まで、持っていく話だと、思っておりました。同じ様に大切な人だと思って居る、笠松敦子さん(大学時代の、友人で、独立した個人編集者として、プルーストの新訳や、ファーブルの昆虫記など、重厚な書物の編集に自宅で携わってきた女性)も、とても大切な友人です。しかし、古村浩三君を代表とする、現在のICU同窓会における、鎌倉エージェントの動きと、今は、連動をしている人なので、個人名をさらしているのです。残念ながらです。

 一方で、最近とみに向こう側に使われているのが渡辺賢司・ミカ夫妻です。この夫婦は夫の方が、近隣の人間としては、異常なくらい、無礼な態度をとる人間です。一回も向こうからは、挨拶をしたことがありません。妻の方は、一応ですが、もっと柔らかいです。しかし、外語大程度の大学の卒業の、頭の良い人物であろうと、見ていますので、したがって計算高くて、種々の策謀に、加わっています。で、二人に対しては、私側に、これっぽちもの、感情移入がありません。二人の動きは、政治に関連した動きであって、安田純平の帰還等の、政治的な派手な事件が起きた時も、

 また、我が家から、プランターや、植木鉢を盗み出し、其れを、四つの大きな袋に、詰めて、出してはいけない日に出して、しかも、其れを、130段もの石段を使う事でしか、上がれない山の上にまで持ち上げて、私だけが、招かれない形(=欠席裁判)で、『どうも、川崎さんが間違えた出したらしいわよ』と、いう形での、評議が行われたと、言う、事案でも、瞬時に渡辺夫妻の名前を出します。日頃が大切です。『何を裏から聞いたのか? どうして、あそこまでの、事をする?』と、思い続けています。その原因はわかりませんが、あの夫婦は、これから先も永遠に、あちら側(=CIA一派)も使うが、こちら側も使う、両面サイドの、実験マウスとなったと、見ています。私にとっては、見事なパイロットランプです。

 しかし、この章の主人公たる大奥様と、呼ばれる45年前に知り合った友人に対しては、私の方に、深い感情移入をしている歳月があります。その上、彼女の利用のされ方は、緩やかです。事件というほどのことも起こっていません。しかし、私の人生に、多大な被害を与えている事案(息子の人生をめちゃくちゃにしている、CIA連中、この章の総タイトルに、出てきている名前の連中の他、いっぱいいるのだが)との比較対象例と、見事になっているのです。

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副題1、『かどや製油内での私の息子いじめの出来事と、竹本油脂のトップが、私のICU同期生である話』

 彼女は、CIA側のルーティンワークである、私を取り残し、私の友達を優遇するという政策によって、40代ごろから、人生に大いに自信を感じて歩み始め、その結果、お子様が、特に長男の方は、医大の教授になっていくだろうと、推察される勝利者となっています。ところが、1972年当時は、学年こそ、違え、仲良しで、利発度もほとんど、似通っていて、相当に、彼女もほめてくれていた私の息子の方は、中学受験においても、裏から、瀬島隆三たちに妨害をされていたと、感じていますし、

 就活の際にもさんざんに妨害を受けて、また、親戚就職で、入ったかどや製油でも、

 三井物産から乗り込んできた上司(M・・・・息子はその名前を言わないが、いろいろな筋から、その本名がわかっている。私は近々、かどや製油の株を買い、株主総会に行って、彼の顔を見てくるつもりである。もし、株が買えないなどという様な事が起きたら、此処に書いてあることはすべて真実となってくるし)・・・・・に苛め抜かれています。たまたま、生まれた子に、軽い自閉症が、でて、・・・・・これが、やまゆり事件という大ウソ======19人もの死者は、いませんよ=====を鎌倉エージェント、特に、実際には、いまだ生きていて、地下潜行をしている井上ひさしが発案する由縁になっていますが、・・・・・そのストレスで、かどや製油を依願退職をもって、やめました。

 その時に、この章(というのは前報のこと)の中盤で出てくる大学同期の、館野ひろお君が、トップに就任している竹本油脂(これは、ごま油という意味では、かどや製油の競合会社だが、一方で、界面活性剤の製造をする化学薬品メーカーでもあるので、規模としては、かどやの五倍くらい大きい。社員数も企業が所有する土地や、工場も五倍くらい大きい。しかし、株は、非上場であるので、四季報の、非上場企業の欄で確認をした)が、わざと、かどやを、退職した人間を採用したのです。息子と同時期に、やめた別の、若い男の子を拾うという形で、いじめてきたのでした。普通競合他社をやめたばかりの社員は、雇わないものでしょう。その上、新たに雇う竹本油脂の方が規模が五倍程度あります。かどやをやめたという事は、かどやも悪いのかもしれないけれど、そのやめた社員の方にも問題があったと、考えるのが普通でしょう。だから、これは、確実に私狙いの案件でした。

 竹本は、日本橋に本社を置く、江戸時代からの老舗企業ですが、かどや製油の本社は、五反田にある、中規模のビル内に本社が、存在しています。この雇用は、本当に変なもので、息子は気が付いていませんが、・・・・そして恨み言も言いませんが、・・・・・・確実に、私に対する弾圧のバリエーションの一つです。

 かどや製油内部は、その時点では、ブラック企業化していて、うつ病になったり、やめる青年が数多くいたのです。というのも、あからさまに、大手企業(三井物産と、三菱商事)から乗り込んできた、人材と、生え抜きの人材の、給与体系に差をつけ、仕事においても、差別をしていたからです。息子は、以前は、かどや製油では、広告を担当して、(こばやし)ケンタローを世に出したりしていたのですが、ある時点から、仕事内容は営業一本にさせられました。彼は、親に頼らず、立派な結婚式を、みなとみらいのホテルで行ったのですが、その式に、出席をした、かどや側の、重役連中もすべて、創業者一族の、同族内、競争に、負けたという形で、追い出されています。

 さて、その次の転職ですが、その過程でもすさまじいいじめが行われているのです。「重慶飯店に決まった」という、喜びの声の電話がかかってきたら、突然に駄目になりました。電話の盗聴を悪利用をされているのです。が、やっと、三国屋善五郎に、就職できて、山下飯店(鎌倉駅そば、地下一階にある相当大きな中華料理店、駅そばでは、この山下飯店と、銀座アスターと、二楽壮の三軒と、二階堂・凜林、長谷の華正樓の五軒が宴会のできる中華料理店である)で、祝宴を張ると、その祝宴内でも、苛め抜かれました。伊藤玄二郎か、鎌倉警察署の生活安全課の誰かが、山下飯店に、手配を入れたと、見ています。湘南信金や、浜銀と同じです。ウエイトレスの中には、女性刑事が変装した人間も入っていたかもしれないと、思うほどです。祝宴がめちゃくちゃなものとなりました。いろいろなことが片付いたら、山下飯店の事も調査するつもりです。裏にだれがいたかは、知りたいところですので。

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副題2、『三国屋善五郎内での、いじめ・・・・・その一』

 さて、やっと、転職先が見つかりました。相手は、三国屋善五郎というお茶のお店です。採用が一日で、決まったので、妨害を受けなかったと、思います。息子は、人当たりがよくて、そして、いろいろな方がほめてくださるほどの、美形です。大切にされて、ほめて使われれば、きっと、高い能力を発揮できるでしょう。その三国屋善五郎で、ですが、最初期に「大船支店の支店長として、配備をしてあげましょう。お子様の育児に便利でしょう」と、親切な女性重役に言われていたのに、ビル管理会社(JRか、京急かのどちらかが、手配をした)からの、指図で、「未経験者は、支店長は駄目だ」と、言われました。それで、横浜ポルタ(横浜駅東口にある商店街)にある支店の支店長になったのですが、そこで、二つの大きないじめに出会います。

 それに対して息子は愚痴を言わないのですよ。しかし、私は勘が鋭いので、事実をほとんど正確に把握しています。まず第一は、スパコンに、バグを入れて、レジ機能を壊したので、なかなか、店を去ることができず、ポルタ側の管理者に10時まで、帰宅しないで、待ってもらわないといけなかったので、謝罪をしなけれないけなかった案件です。

 これは、私のパソコンに、一万回以上のシステム異常を起こしている連中と、同じ連中がやったことでしょう。こういう案件は、息子の処理能力が低いと、みなされる案件です。しかし、裏からバグを入れこまれて、そうなっているのですが、そういうコンセプトは、上の方で語っている、我が家から植木鉢やらを盗んで、其れで大きなごみ袋を作って、其れを、わざと間違えた日に出すという・・・・・えん罪?・・・・とそっくりな仕組みです。だから、CIAエージェントが、仕組んで行ったことなのです。で、たぶんですが、古村浩三君、もしくは彼の支配しているチームが行ったか、警察のその種のチームが行ったことでしょう。完璧に、私狙いの弾圧を息子に、向けて行って居るのです。

 私は、過保護な母親ではありません。それが、自分のことだから、調査をしたり戦ったりしているのです。息子は、愚痴は、一切言いませんよ。だけど、私は、陰から戦うのです。

最近も古村浩三君の名前を出したら、この二ブログ内で、だしたら、20時間後には、パソコンがピーっと大音響を発するほどの大型の、システム異常を起こしました。が、その日は、私の方が、因果関係がわかっているので、『おや、おや、これで、古村浩三君について描いていることは、すべて正しいわけですね』と、思い、落ち着いて処理したので、パソコンは無事に回復をしました。

 しかし、2007年から、2010年まで、20台以上が壊わされています。最初は、因果関係がよく、わからなかったので、・・・・・特に深夜に異常が起きて誰にも相談ができないので、・・・・・おびえて、おろおろして、しまって、正しい回復用処理を行えなかったからでした。そして、最近の日大アメフト問題も、実は、古村浩三君を庇うために起こされています。後で、其れは、詳述します。おお損をした日大と内田直人監督は、悪くないのですよ。すべて、CIAエージェントたちの策謀です。

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副題3、『誰なんだ。四国の大物とは? 私は息子がその名前を言わないので、はんとし以上を、かけて、調査しまくった。その過程で、悲哀を何度も味わったが、天のお助けもあったのだ』

 さて、次に起きたいじめは、四国の高知県を舞台としておきました。そこに何かを送った、お客がいて、その贈答物に、熨斗紙を間違えて、女子店員が付けたという事で、息子が謝罪に行くことになりました。それは、遠い場所、四国のことですが、その案件でも、鎌倉の連中は動いていて、前田祝一という人物が、悪い動きをわざとして、私を混乱させました。それは、副題6で語ります。

 息子は、全くその四国在住のお客の名前を出さないのですが、誰かが、怒っていて、電話で謝罪をしても、どうしても相手が納得をしないので、四国まで、謝罪に行くことになったそうです。そのころ、私は胸騒ぎがして、息子の留守にお嫁さんを訪問をして、スマホが盗聴器になっているので、なかなか、案件を切りだせないでいたのですが、「お願い。スマホを置いて出てください」と頼んだ後で、たった五分ほど、バス停まで、見送りに来てくれた、そんな短い時間で、お嫁さんが「急に四国へ出張に行かないといけなくなったのです。でも、ホテル代も飛行機代も出ないのです」と、言ったのです。『ああ、これが、胸騒ぎの、本当のところだったのだ』と、わかって、深く心痛しました。理由は、配下の女店員が、法事用の、お茶類に、熨斗紙を間違えてつけて、四国へ向けて、発送をしたそうです。店員の失敗ですが、支店長が謝罪に行かないといけないそうでした。このホテル代と、飛行機代は、私が、お嫁さんを訪問をしたことが、盗聴やら、監視カメラ(大船駅には、エスカレーターにも監視カメラが付いているのですよ。私が息子宅を訪問する日には、相当程度のいじめを行おうと、わざと準備をされているのです)で、その時のお嫁さんへの私の訪問がわかっていた、から、つくろったのでしょう。しかし、ホテル代を出すとかいう、種類の、フォローは、ほんの雀の涙であって、結局のところ、この失敗を理由にして、降格をされ、日吉支店に回されました。この日吉支店というのが、綱島駅から徒歩30分もかかるところにあり、イクメンでもあり、家事手伝いをも、する息子には、大変な消耗をもたらすことになりました。茅ケ崎に住んでいて、そのマンションも駅から遠いからです。そして、また、やめることとなりました。今度は、三社目の転職となるので、当然に給料がさらに低くなります。

 そして、妻のお父さんから、・・・・・たぶんJR東日本の誰かが差し金を入れたのでしょうが、・・・・・そのことを息子は、責められています。

 私は、かどや製油での、いじめ問題が起きた時も、私が原因だと思うので、助けたいと、思っていたのですが、タイミングを逃して、助けることができなくて、悲哀にうたれたわけです。または、わかっているけれど、どういう形で、助けることがd系るのかその方法がわからなかったとも、言えましょう。

 が、今度(=三国屋善五郎で)の、いじめにも、何も、できなかったわけです。大きな悲しみや、ストレスは、むろん、生成しました。しかし、読者の皆様に、告げるべきではないと、思って、ほぼ、10年間我慢をしました。同じようなケースでは、山口みつ子さんという大勢の人に、慕われていた画廊のオーナーが殺されました。しかも自殺という事で、噂を流されました。それの、真実を語るのに、7年間を要しています。

 私は単純な人間ではありません。あれこれと、バランスを取りながら考えるので、一気に、ぱぱぱぱぱっとは、行動しないのです。しかし連中は朝令暮改であって、次から次へと、新しい弾圧案を考え出すのです。そして、こちらがあるテーマにこだわって、対応をできないとみると、瞬時にその新しい弾圧案を実行します。

 今、私の胸を覆って居る暗雲は、娘の方の三人の孫が、成長してきて、受験期を迎えています。これが、私を弾圧する為に、不合格になったら大変です。それは、息子のケースの再現です。それは、どうしても阻止したいのです。しかし、其れをどう描くか、其れが、非常に難しくて、迷いに迷って居たところでした。

 しかし、天は裂ける様に、ご援助をくださるのです。 

 それは、貴景勝の優勝とそれに伴う、お父さんのマスコミ露出です。そのニュースを見ているうちに、そっくりな養育方針を取る、元幼稚園の先生をしていたママ友を思い出したのです。

 そのまま友の方へ、CIA連中は援助をしています。そして、その援助によって、前向きな自信を持った彼女は、お子さんの、大学受験に関して、相当に指導的な、援助を行って、医学部受験をさせました。合格、そして、ご長男は、たぶん、医学部教授になっていくだろうと、予測をしています。

 一方の私は弾圧に次ぐ弾圧ですが、1984年の冬に起きた、息子の私立中学受験とその不合格は、息子に多大な傷を与えたと思うのです。そして、其れが、自然な事ではなくて、1978年に、瀬島隆三たちと、地籍変更届を巡る、バッティングが起きて、私があまりにも頭がよい措置を取って、彼らが、大恥をかいたことへの復讐だった様な気がするのです。

 それを、書く機会がやっと来たと、思って居る次第です。

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副題4、『ここで、下に置いてある、副題αから、βまでを使わないといけない。読者の皆様が、其れをすでにお読みになっているものとして、論を進める』


 

 

 @@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。

が、ともかく、後学の為に、委細を調べておきたいと、思いました。 その過程で、今では、其れもいじめの一種で、誤・誘導だったと、わかっているのですが、前田祝一氏が、「道路の北側の地主は、四国の人なので、連絡が取れないで、困っている」といったのです。で、四国という語彙で、その人物が、今回のクレーマーだと、思いました。それで、法務局に行って、地主を調べました。すると、どうにも利用できない急峻な崖が、五筆に、わかれていて、そのうちの四つは、住所もわからない、会社でした。一つだけ可児さんという個人名がありましたが、その人は、兵庫県に、現在は住んでいます。そこで、私の調査は、一回、とん挫します。

 しかし、鎌倉エージェントは、猛烈な勢いで、繰り返しパソコン内に侵入し、パソコンを壊します。周辺機器との接続や、プリンターが壊れることも含めると、しょっちゅう、秋葉原に行かないといけません。そこで、見事な答えを発見するのです。

 神様は、いらっしゃるのです。必ず、善人をお助け下さるのですよ。一方で悪事を行った人は、先に死んでくれます。だから、彼らの行った悪辣なことを、私の方が、自由自在に書くことができます。ただ、その人がアイデアまで、考え出して行ったかどうかは、わかりませんが、対・私いじめを、目に見える形で、行ったことは確かなのです。瓜南直子さんについても、自由自在に書くことができるし、前田祝一氏についても、自由自在に書くことができます。そして、TV東京の【ドリームハウス】という特番に出た彼の顔写真は、何かが起きたら、すぐ使いますね。彼は、この・誤・誘導・他、すさまじくも、悪辣なことをやり続けてきていますので。

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副題4、『さいばら茸という書物を、秋葉原で見つけた。その中で、西原理恵子さんが、上京後、初めて四国へ帰ったというエッセイ風・漫画があった。用事は法事である。ピーンと来た。問題のクレーマーとは西原理恵子さんだったのだ。大物である。人気がある。それで、逆らうわけにはいかないのだと、言う設定が出来上がる。

 なるほど、息子をはめるのに、そういう、罠を使ったのだと、すっかりわかってくる。ただ、その女店員が、本当に間違えたのだったら、彼女に謝罪に行かせればいい。西原さんは、彼女の顔を見ているのだから、其れが、もっとも、確実で、まっとうな方法だ。だけど、息子をいじめるのが目的だから、息子に謝罪に行かせるのだった。

 そこで、すぐには、ブログ化しない。彼女が、どこに住んでいるかが問題だからだ。彼女を主役にした映画によると、鶴見川か、多摩川の上流に住んでいると、見えた。しかし、横浜ポルタに買い物に来るには、相当に、近いところに住んでいないとだめだから・・・・・しかし、其れは、私が誠実すぎるから、そう考えただけであって、西原理恵子さんは、吉祥寺からわざわざ遠征をしてきたのだった。彼女が吉祥寺に住んでいるのは、その後、彼女が、NHKBSプレミアムで、【最後の講義】という特番を放映してもらったので、わかった 』

 彼女は、吉祥寺に、10億円かかった豪邸をつくったそうですが、「きちじょうじには、子供が保育園のころから住んでいる」と、番組内で、言って居たので、はっきり、確定できたのです。待って、待って待ちました。この番組ができたこと事態が、鎌倉エージェントの発案でしょう。で、この我が息子いじめは、伊藤玄二郎が、井上ひさし初の原案にのっとって、いろいろ、動いたということがわかります。

 というのもその特番で、中瀬ユリという新潮社の、編集者が、「西原理恵子が、好きだ」と、いう形で、彼女をほめるべく登場したからです。新潮社は、このブログで書いている大ミステリーにおいて、この西原理恵子の、四国にまで、息子を呼んだクレームに限らず、いろいろな件で攻撃側に立っています。井上ひさしからの連絡がいまだに、誰かを通じてでしょう利いていると、感じてきていましたが、この女性ではないかなあと、思った次第です。

 今、私は、吉祥寺から、横浜よりも近い繁華街である、新宿と、渋谷で、有名な茶舗が、あるかどうかを、グーグル検索で、調べてみた。相当数の、有名店があると、発見しました。だけど、西原さんは、中央線を使えば、30分以内で到着する新宿も、使わなかったし、井の頭線を使えば座ってくることができる渋谷も使わなかったのです。わざわざ、横浜まで遠征をしてきました。三国屋善五郎の商品とは、モダンなデザインで、包装をしてあります。それが好きだと言っても、法事用のお茶です。一応、従来の伝統にのっとった、茶筒形式の缶に入ったものを、使うでしょう。そうすると、四国の親戚にとっても、日本橋で、江戸時代から続くブランドである、山本山とか、京都に本店がある、一保堂の方が名前が通っているのではないですか?

 でも、罠だから、横浜まで遠征をしてきたのです。川崎ラゾーナにも、三国屋善五郎は、あるのですけれどね。

 西原理恵子さんは、年間、何億というほどのお金を稼ぐ女性です。しかも、【毎日かあさん】を描いている女性です。だけど、年収600万円ぐらい(?)の、息子の収入源を絶ったのです。なぜ、其れだけのことができたのか?

 もちろん高須院長からの指示があったからでしょう。高須院長はなんども、「自分はフリーメーソンだ」と公言していますね。CIAと、フリーメーソンは、ほぼ、重なっています。で、鎌倉大町に住んでいて、シンガポールを本社とするファンドマネージャー木村氏か、石塚雅彦さんか、堤義明氏から、頼まれたら、二つ返事で、いう事を聞くでしょう。

 または、出版社の、編集者を使うのもありです。日本ペンクラブの元会長だった、井上ひさしには、自分が表むきに死んだことにしていても、ゆり夫人を、通じて動かすことができる人材は、多いはずです。もしかしたら後述する中瀬ユリを使ったかな、其れもあり得ると、思われます。

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副題5、『では、三国屋善五郎は、どういう、ルートで、CIAの策略に、組み込まれ、協力をして、自社の社員を苛め抜いたのか? どうして、そういう罠を平気で張ったのか?』

 私は今、三国屋善五郎のサイトに入りました。東京に本社があるはずですが、福井県の、古い本社の住所が書いてあって、それ以外は、書いてありません。就職については、派遣社員については、ホーム頁から、入れと、命令されています。正規の雇用社員も同じなのかもしれません。さすがに、そのフォーム(または、テンプレート)を使って、近づくことは、やめておきましょう。

 それ以外に、資本金等を調べました。一保堂が、1000万円で、私なんかにするとはるかにブランド力が高いと、思われる、山本山も、3400万円です。しかし、三国屋善五郎は、6100万円です。これからも、増やしていくでしょう。

 なぜかというと、今の社長が、経営のプロを、送り出すマッキンゼーの出身だからです。そして、デザイン重視の商品設計も、マッキンゼー出身だから、デザイン部門に、相当な資金を、拠出しているからでしょう。しかし、其れが、なぞを解く、大きなカギを与えてくれました。国際基督教大学出身の大物である、石塚雅彦さんは、横浜日吉が実家で、私の小学校の先輩でもあるのですが、大学一年時から寮に入りました。そして、ラグビー部に入っています。そのどちらかか、両方で、一緒だった、男子学生に、大前勇介という人物がいます。大前研一さんよりは、細身です。そして、顔が似ているかどうかは、言えません。だけど、横浜の出身だという共通点があるし、きりっとした顔という共通点があります。

 私は噂話好きな人間ではないのです。だから、たった23人の同級生の中に、佐野ぬいさんの、弟さんが、いるなんて言う事も全く知りませんでした。佐野ぬいさんは、画家です。そして、女子美大の学長になっていきました。で、そういうわけだから、大前勇介さんが、大前研一さんの、弟であるとか従妹であるとかいう話を聞いたことはありません。しかし、この私の息子が、陥れられた罠に、思考を及ぼす限り、二人は関係があり、石塚雅彦さんが、井上ひさしが考え出した案を、伊藤玄二郎を通じて、採用し、(または、井上ひさしと、石塚雅彦さんは、メール等で、直接の交流があるかもしれませんが)

 それを、大前勇介、大前研一、三国屋善五郎の社長と、いう形で、飲み込ませたのだと、思います。そして、社長は頭がよいと見込んだ女性店員に、委細を飲み込ませて、事を、行ったのでした。恐ろしい、恐ろしい、仕組みです。そんなことをやるくらいだから、やまゆり園事件等も平気で、起こすことができますね。 

副題6、『私の、今の気持ち・・・・・私は、人間、如何に生きるべきかを、問う文章が書けると、満足をしてしまうところがある』

 昨日は、ブログを公開しようと思えば、できたのです。準備稿も書いていたし、頭の中には、ほかのテーマも、ぐんぐん、浮かんでおりました。しかし、更新をしませんでした。その理由は、前報(あと注1)の様なものを書くのが私にとっては、一番楽しい事であり、達成感も得られるものだからです。分野を政治にしておりますが、其れは、仕方がなくと、言う向きがあります。前報で、何を書いているかというと、『人間とは何か?』という事なのです。それは、一種の哲学なのですね。私はそういうことを考えることが大好きなのです。

 そこに登場するのは、有名人です。貴景勝のご両親というのが最初に登場します。私は、父君が、保育所経営と、どこかで書いてあったので、前報の論理を張っているのですが、其れは、本当は、幼稚園かもしれません。芦屋なら、保育所ではなくて、幼稚園なのかもしれません。でも、保育園にしろ、幼稚園にしろ、順調に運営が、進んでいれば、いわゆる、保育士、または、先生に任せておける部分もあるわけです。園長先生だから。

 そうなると、学校から、帰宅した坊やに、付きっきりで、走り込みなどのトレーニングをしたり、小さな大会へ、車で、一緒に出掛ける自由があるわけです。

 羽生善治元七冠の場合は、お父さんがサラリーマンだから、お母さんが、日曜日ごとに、電車で、競技(?)会へ、連れて行ったと、言われています。貴景勝の場合は、車で、お父さんが、あっちこっちへ連れて行ったと、思います。ところで、それほどに、お父さんがスパルタ教育をしても、坊やが嫌がらなかったのは、空手の、競技会で、理不尽な判定負けを、下されたので、「この世界は、だめだと、判断をした」と、あります。で、判定のない相撲へ移行をしたと、言われています。それは、坊やが小学校三年生の時だったと、あるので、父子ともに、感じた、闇だったのでしょう。ここですが、何故、それほどに、理不尽なことが起きたかというと、その競技会の、上部の役員連中の中に、貴景勝のお父さんに対する嫉妬心があったと、思いますよ。経済的に恵まれていて、ご本人の容姿にも恵まれていて、しかも、奥様が超美人です。このお母さんですが、神戸女学院大学とか、ノートルダム清心女子大などの、ミッション系の、お嬢様大学を出ている様な気がします。でね。そういう大学を、もし出ているとすると、学友たちから、「あなた、大丈夫、そういう子育てで?」と、言われたことはなかったでしょうか?

 私はあったと思います。そして、さまざま経験を経たうえで、お母さんは、できるだけ表に出ない様にしようと、決意をし始めたと、思います。あれだけ、美しいと、それほど、美しい妻がいない、相撲界の関係者に、また、嫉妬されかねません。自分が嫉妬されることは、貴景勝に悪い影響が起きるから、と、わかっていることでしょう。で、できるだけ表に出ない方がいいですよ。表に出ると、もみくちゃになってしまいます。

 それでも、このご一家がギリギリの精神状態で、薄氷を踏むがごとくして、生きてきたのは、推察できるのです。はたから見ると、『あんなに恵まれていて、うらやましいなあ』と、思う様なご家庭でも、その中に入れば、厳しい精神的な戦いがあるという事です。友人からも、未知のご近所様からも、相当な批判を受けていて、それに抵抗しながら、意志を貫くのは、そばについているお母さんにとっては、相当に、厳しい戦いだったはずです。お金や名誉だけが、幸せを運んでくるものでもないです。ただ、うちの母が、怠け者はお金持ちにはなれないわよ、よく、言って居ましたが、あのご一家のメンバーが怠け者でないことは確かです。

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副題7、『最近の、ニュースで、医大病院の勤務医が、無給なのは、おかしいと、いう論議が出てきた。それは、正論だけれど学者の世界で、伸びる(または、出世する)ためには、お金持ちでないとだめだと、言うのは、常識だったと、私は思うのだけれど』

 私は上で、「前報を書いて、その出来に、満足したので、〇〇一日、更新を休んだ」と、言って居ます。その前報の中で、次に登場する人物が、お子さん二人を医者にしたので「今では、大奥様と、ご近所主婦から呼ばれている」と、ご自分で言う古い時期のママ友です。その一家は、お父さんがサラリーマンですが、坊ちゃんが、大学病院で、無給の心臓外科医として働いているころに、生活費を、送ることは、十分にできると思うので、坊ちゃんの方は、母校の、医学部教授になっていくでしょう。下のお嬢様の方は、それほどに、出世したいと、ご本人が思うかどうかを、知りません。

 実は、彼女は、九州にいて、しかも、最近、20年近く、私の方は、電話をかけていません。だから、今は、50歳近い坊やが、実際のところ、どうなっているかを知りませんが、きっと、母校の医大の、教授になっていくと、思います。もしかしたら学長にさえなるかもしれませんよ。喧嘩OKで育てられた、自分の意思をはっきりと外へ打ち出せる、強い雰囲気の坊ちゃんですから。

 そのころの私たち一家です。主人の弟が、娘の一歳の誕生日祝いのケーキを持ってきてくれて、撮影をしてくれたものです。どうしてか、スキャン中に、こういう風におぼろになってしまいました。3LKの神奈川県が、売り出したマンションを親に買ってもらって、一家で、住んでいました。甘ちゃんだったと、思います。そこは全体で、200戸であって、200戸という数がもたらす問題点がありました。50年前の事であって、まだ、マンション住まいに必要な、いろいろなルールが確立していなかったのです。

 200戸とは、ほとんどの人が、お互いに。内部まで、知り合うという事です。勤務先、卒業大学など、知り合うという事です。そして、そのころは、マンションに住む人たちの間で、まだ、競争心の発露があったころです。お互いに過去を知りません。しかも、一戸建てよりは、密度が濃く、プライバシーが保たれません。

 こういう場所では、こずるい人とか、こざかしい人は、他の人より上に立って、威張ろうとします。しかも、威張る力を確定するためには、仲間(または、手下)が必要であって、そういうヒエラーキーを伴った集団を作る人もいます。これは、傾きマンションで、有名な鴨居駅にあった東本郷住宅というものでした。なお、今は、樹木が生い茂って、美しい場所になっています。そして、ほとんどの家の、住人が入れ替わっているはずです。でも、50年前に戻ると、

 そういうグループに属する人は、精神的に、レベルが低いのです。で、もっと高いものを志向している人間には、合わないというか、違う生き方をしたいと、思うわけです。で、そういう意味では、この大奥様も、そういうタイプだったし、私もそういうタイプだったのです。で、合うところがあったわけです。で、毎日、月曜日から、土曜日まで、5時間近くおしゃべりをしました。これが、最高レベルで、学びになりましたよ。そのころは、夫族は、土曜日にも、勤務があったのです。

 本から、学ぶという時期も、私には、あったのですが、相手から、思考の過程で、注意を受けるとか、反発を受けるとか、または、反対に、肯定をされるとか、いう事は、思考を、非常に深めてくれるのです。今では、ラインとか、FBほかで、一緒にいない人とおしゃべりができますが、リアルにそばにいて、しかも、同じ人と毎日、五時間程度しゃべるのは、非常に勉強になるのです。

 私は、よく日吉に行って、お昼は【とらひげ】と、言う学生相手の食堂で、取るのですが、十年以上前に、午後二時過ぎに、パソコンを開いて、本の編集をしていたのです。自宅では、パソコンがおかしくなるので、いわゆるノマド生活というものをしていたのでした。三時までの、つもりでした。すると隣に四人の慶応の、一年生がいたのですが、内容が「女の子を、いかにして捕まえるか?」という技術とかメソッドの披露しあいだったのです。お上品な顔をして、良いところのおぼっちゃまたちで、偏差値も超優秀な坊やたちでしたが、話題が、そういうものだったのです。そして、その男の子達は、次に喫茶店へ流れるわけでもなく(そうです。若い男の子は、喫茶店などにはいかないのです。また、当時のマクドナルドなどにもいかないのです)、そのまま、「横浜からは、何線に乗るの?」などといいあって、お別れし、自宅へそのまま帰るのでした。私は『これじゃあ、人間として、薄っぺらになるなあ。しかし、現在、最高の人気を誇る大学の学生が、こうでは、日本全体で、も、どれだけ、単純人間が、多いのか、本当に、危機的状況だなあ』と、思った次第です。技術は高いでしょう。だから、ビジネスマンとしては、立派な紳士となっていくはずです。しかし、哲学の分野等では、まるで、赤ちゃんのような人が多くて、したがって、今でも、日本人は、容易にNHKニュースが垂れ流す嘘に洗脳されるのだと、わかりました。

 今は知りませんが、私が通学したころ(1962~66)の、ICUでは、三鷹市大沢という駅から遠い場所(旧中島飛行機の跡地を使っていた)にあったので、寮とか、下宿に住む学生が多くて、したがって、長時間のおしゃべりを交わしたのでした。内容は深いですよ。女の子と、で会うメソッドなど、語りません。手近にたくさんの、女の子がいて、恋愛は、始メル人は、始めるのだから、テクニックなどいらないのです。

 私はある時期、本付けになるのです。それは、子供が中学や高校の時期であって、アーチストと母親業の両立が不可能だと、思って、図書館の本ばかり読んで過ごした日々があるのですが、しかし、私を真に、鍛えて、向上をさせたのは、この今は、他人から、大奥様と呼ばれている人と、社会の諸・現象について、是非を語り合った、1970年8月からの、三年間が、大きいと、思います。

 ただ、此処で、ぶっちゃけた話をすると、彼女は、そのころ、圧倒的に私を立ててくれていたのですよ。それは、彼女は、大分県で、高校まで育ち、その後、鶴見にある短大へ進学して、幼稚園の先生になる勉強をしたのでした。一方の私ですが、中学はその当時、神奈川県一の、エリート校(だから、一割が東大へ進学している)だった、横浜国大付属中学だし、高校は、お茶大の付属です。お茶大の方は、東大への進学率は低いですが、社会で、活躍している女性を数多く出しています。今現在の有名人は、宇宙飛行士の山崎直子さんです。そして大学はICUです。1966年までのICUなんて、東大の学生新聞が、「東大に入るのより難しい」と、書いているほどの、入学困難な大学でした。そして、彼女のご主人が外語大卒であることも、有効になっていたのです。ICUって、知る人が少ない大学で、ミッション系の私立高校出身者か、もとAFSの留学生であるか、または、英語が、好きな高校生には、人気があったけれど、それ以外、特に一般社会の大人たちにはほとんど、知られていない大学だったのです。しかし、ご主人が外語大学卒だという事は、ご主人は、当然に英語に強いわけで、したがって、ICUのことも知っていらっしゃったのです。それで、私は毎日、彼女には、尊敬をされて、会話を交わしていたのでした。心理面はです。

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副題8、『しかし、この大奥様が、敵にリクルートをされてしまった。・・・・・その、1。・・・・・というのも、喧嘩を許した方がいい。させた方がいいと、言う彼女に付き合うために、私は消耗しきってしまったのだ。それで、交際を打ち切りたいと、一度、言って居るので、其れは、結局のところ、相手と喧嘩をしたこととなるらしい。したがって、彼女を、優遇すれば、私が悩むだろうと、CIAエージェントからは、みなされている

 彼女が敵方にリクルートをされてしまったという、そのことを、私がわかっているとは、私は、彼女には告げていない。賢い彼女だけど、この、・・・・・瀬島隆三や、伊藤玄二郎、そして井上ひさし、そして、成岡康司、石塚雅彦、古村浩三などが、行っている大ミステリー・・・・・を、遠く離れた九州に住んでいる彼女に、電話で、教えたり説明したりすることはできないからだ。そして、彼女は、自分の身に起きた幸運はすべて、自分の実力で勝ち取ったと、考えている。それに、水を差すことを、電話で告げることなど、できないからだ。しかし、このケースから、私は、彼ら、敵陣営が、私の知人を持ち上げ、お金や名誉を与えるが、私の方には、損失を下すことを、・・・・・一つの、ルーティンワークとして行っていくことを、知り始め、そこから、すべての、人間関係において、もし違和感を感じた際には、その因果関係を、瞬時に、読み解く様になる。

 どんなに、うまくやっているつもりでも、金田裕子さんと、瓜南直子さんの、二人のコメント交換は、手ひどい言論弾圧の一弾丸だったのだ。それが、大奥様が、ご自分の、現況を電話で、語ってくれることで、よおく、わかった。それは、宇都宮和代さんとか、そのほかの例でも、瞬時に、敷衍的に、応用できるのだった。もちろん、川名昭宣君にも、・・・・・親戚のひと達にも・・・・・小野寺夫人にも、渡辺賢司・夫人にも』

 さて、私は、当時は未熟だったし、大切に育てられていたし、兄弟喧嘩をしたこともなかったので、ありがたい関係では、あるが、この大奥様との関係が、重荷になって来た。それは、体力が学生時代の化学実験のせいで、他人の三分の一に落ちていたからだった。それで、引っ越すことを決めた』

 私は、すぐ上の行で、自分を卑下していて、下手に置きすぎています。実は、その関係を切ったときに、私の方が100%悪かったのでもありません。私は、すべての相手になめられるところがあるのです。非常に我慢強くて、不満があっても、其れを相手にぶつけません。で、すぐ家来的に扱われるのです。生活上の、仕組みの事ですよ。会話の内容については、こっちを圧倒的に上の人として、常に、尊敬の言葉を添えて、くれて居たのですが、リアルな生活では、私の方が奉仕をする形でした。二人のママ友の子供が二人ずつで、其れで、既に4人です。そこへ、親が一緒についていない形で遊ぶ子が、四人加わります。

 彼女は前報で、述べている様に、喧嘩は、した方がいいのだという主義です。3歳から6歳までの男の子が、7人も我が家内(68平米の、3LK)にいて、ぎゃんぎゃんと、喧嘩が始まると、私は耐えられない気分になるのです。とても、疲れます。しかし、喧嘩をした方がいいと、言った彼女のお子さんが、医大の教授になっていくのですから、その方がよかったのでしょうね。(苦笑)強い子で、他人を、横に、仕分けて、道を作る様な男性が出来上がるのです。モノに動じない男性が出来上がるのでしょう。それを貴景勝のお父さんの登場で、思い出したのでした。

 このころが、1970年代であって、その20年後の、1990年代か、2000年代に、主人が、「お前は、他人を軽くあしらうということができない。他人を軽くあしらう、というすべを、身に付けないと、だめだ」と、言うのですが、其れは、そうしようと思ったら、できるという事でもないのです。

 私が、後注1に置いた

 ブログの、副題3の代7節で、急に人間関係が、上手になったと、書いています。その時(=2002年)に、内外ともに、自信を持ったと語っているのは、意義が大きいのですよ。しかし、2002年ごろ以前の、私は、他人に振り回される方だったのです。上の写真を見てください。色が白くて目が小さいです。そして、全身を言えば、とてもやせています。食べても食べても太らないのです。その上、心臓をはじめとする弁(体中の血管に数百個、または、数千個ある)が、既に、普通の人と同じ速度では閉まらないと、言う状況に陥っていたのでした。

 だから、耐えきれなくなって、「お付き合いをやめたい」と、その大奥様に言ったのです。それが、鎌倉エージェントの面々に、後程の、電話盗聴などで、知れ渡り、したがって、彼女はそれ以降、優遇される人生を送り、私は、息子の職場を奪われ続けるなどの、冷遇措置を受けることとなります。大いなる苦しみを味わうのです。しかし、「自分の被害は、語りません」という主義だから、一般の読者は、私の方が悪いのだと、誤解をなさっている可能性を、感じています。

 だから、私は常に言って居ます。「神様だけを信じています」と。

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副題9、『私は大学時代、湊宏先生という俊秀から、芳香族炭化水素の重合によって、高耐熱プラスチックを作る実験を命じられていた。四年生時の卒業実験である。これは、実験室レベルの装置ではできないことだったのだ。のちに大阪の、通産省付属の研究所で、高圧、高熱の中で、やっと出来たという報告をネットで発見をした。そういうレベルの物質だった。ただ、湊先生は、のちのNASAで、使う様な物質として、其れを作りたがっておられた。

 原料は、ベンゼン、トルエン、キシレンなどと、呼ばれている物質で、500CCのガラス瓶に入っている。科学的には、今は芳香族炭化水素と呼ばれている。今、現在では、体に悪いといわれている。アンパンと称して、不良少年が、少しだけシンナーを、レジ袋に入れて吸うと酩酊すると、言われているものだ。しかし、歯がボロボロになったりする。ともいわれている物質だ。

 それを、ひと瓶、毎晩温める。ところで、トルエンとは、もともと、石油製品の一つだから、気化しやすいものだ。で、さらに下から、40度から、50度で、温めるので、さらに気化しやすくなる。また、反応は、酸とか、還元用の、無機物質(薬局では、劇薬と呼ばれる種類)を使うのではなくて、AlCl₃という触媒(金属塩…白い粉状の塊)を使うだけなので、反応はさらに遅い。で、先生は反応を速めるために、スターラーと呼ばれる攪拌棒を使う事を命令なさった。この攪拌棒はモーターが、実験装置の上にくる様にスタンドで、留めて、長い棒をしたの三つ首フラスコの中へたらし、小さな羽を回す。で、棒は、回転しているので、三つ首フラスコの、其のところだけは、ゴムの栓とかは、使えない。で、水銀シールというものを使う。それは、小さな、盃状、または、そばチョコ状の、容器の中に、水銀を入れて、真ん中に穴をあけて、棒を通す装置だ。水銀は、表面張力が強いので、8mm程度の穴が底に存在しても、下へ落ちていかない。したがって、トルエンが水銀で、汚れることはない。しかも、鉄の棒は、自由自在に回る。

 理論上は、そうも言える。しかし、理論と実際は、違う。突沸という現象が起きた。しかも、一晩で何度も。そして、液体が、急速に気化した。ここで、一モルの、液体物質は、気化すると、22.4Lになるという化学方程式が生きてくる。今、比重(0.8669)を入れて計算すると、500CCのトルエンは、約433.6グラムになる。これを、トルエンのモル質量、92.14グラムで割ると、6.5モルとなる。6.5モルのトルエンは、133.4リットルの見えない気体となって、部屋中を満たす。無論、突沸をするたびに全部が気化するわけではないが、不良少年たちが、20㏄程度をレジ袋に入れて、口を絞って、そこに自分の口をつけて、吸うというトルエン(=俗称、アンパン)を、私は、頭の周辺に、30リットルから、133リットルまでも、一晩になんども、滞留させているのだった。

 その時に、同時に、触媒の塩化アルミニウムから、塩素系のガスも出ていた様な気がする。ただ、気化したトルエンは、やがて、開け放たれたドアから、室外へ逃げていく。ウィリアム・ヴォーリーズが、設計した、ICU本館は、頑丈で大きくて、まっすぐの、200メートル以上の廊下が走っている。そして、ちゅうおうに階段ホールがあるので、いずれ、拡散をしていく。

 しかし、私は確実に毒性の強いものを吸ってしまって、体をめちゃくちゃに壊した。この1965年は大学紛争の時代であって、CIAのスパイは、まじめな人間を探して、つぶそうとしていたのだった。私はまじめな方なので、指導者が、誘引した、ハンガーストライキに参加したが、36時間後にドクターストップがかかってしまった。スト破りみたいな白い目で見られたが、血圧が、非常に低くなってしまって危ないという事だった。どうしてそうなるのか? ほかの人は不思議そうだったが、人造の石でできた冷たい床に花見の時などに使う、ビニールシートを敷いて、その上に、他人と接する形で、うんこすわりと、少年少女が呼ぶ形で、座って、じっと動かないでいる。それだけで、死にそうになってしまうのだった。

 そののち、1979年にはトルコのイスタンブールのシェラトンホテル内で、実際に四時間ほど、気絶をしてしまって、蘇生術が、施されたほどだった。その回復後の、血圧を医者に聞いたが、トルコでは、ゼロを一つ低く表現するらしくて、4~7だといわれた。それ以下の血圧になると、ただ、気絶していて、そのまま、あの世に行くらしい。心臓に新鮮な血が届かないからだ。音もなく、また、外見上は何の変化も見せずに、死んでしまう。それほど、私の、肉体の内部がボロボロになっている。しかし、外見は普通だし、ある程度の、実家の経済力があるので、政府に訴えて、身障者手帳を出してもらうなどという事はやっていないので、この尋常でないほどに、体が弱いのだと、いう事は他人には、ほとんど、わかっていない。

@@@@@@ここが推敲加筆中の最先端です。ここで、また、外出をしないといけなくなったので、此処から先は、12月1日に書きます。恐れ入りますが、お待ちください。

私は床に飛び散った、水銀スターラーからの水銀を、拾い集めるのに、集中するのだった。この水銀のとびちりは、また、副題αに通じていくのだけれど、此処では、私がどれほどに、この1965年の実験によって、体を壊したかと、いう事を語りたい。一般の人の、ほぼ、三分の一程度の体力か、それ以下だろうと思って居る。

 だから、この大奥様が、ほとんど、我が家の方に遊びに来ていて、彼女の家に招かれた記憶が、五回以下、三回程度しかないことを見ても、どれ程に、私がリアルな生活では、疲れ切って居たかを、語ってはおきたいのだ。それが、電話の盗聴等(後日にもこの話が出るので)敵さんたちに伝わっていて、彼女が、優遇され、私が極端に冷遇されると、いう形になっていく。

 しかし、具体的に、どういう事が起きたのかを語る前に、この、トルエンの被害から、想起されるあれこれを、此処で、挿入的に語っておきたい。それが見事に政治分野の出来事だからだ。そして、誰にでも、わかりやすいことだからだ。

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副題10、『この湊研で、1965年に、一緒に卒業実験を行ったのが、三輪喜久代(通称ソーピー)と、館野ひろお君だ。そこから、角野栄子さんの、鎌倉市における、極端な、政治的優遇が始まる』

 化学実験室は、広さが、12畳程度であって、隅にドラフトという排気装置がある。部屋には二つのドアがあって、一階なので、芝生の庭が、窓からよく見える。

 主人とすでに、五年前に知り合っていて、結婚をしたいと、ひそかに思って居るのだけれど、そういう事を化学実験室を共有する友達に話すはずもない。もっと親しい、女友達にだって話したことはない。

 で、そういう秘密を内包しているのにもかかわらず、もしかしたら、館野君をうっとりと眺めていたこともあるかもしれない。其の30年後に、私は「美形好きの川崎さん」とからかわれることになる。あまりしゃべらないので、目だけが、異様にものを語るのかもしれない。私は、今は、50年たっているので、はっきりとは覚えていないのだけれど、セックス系の欲望を館野君に対して抱いたことはない。と、思うが・・・・・

 ところで、読者のために説明をすると、館野君に似た有名人としては、若い日にその写真が公開された、美智子様の、弟君が、似ているタイプだ。美智子様、ご一家とも、館野君一家は親しくて、同じテニスクラブに所属していると聞いている。

 ただ、繰り返すが、私は、美に対する、感性は強い上に、もう一つ隠された特性があった。実は、私はフェロモンたっぷりな人間だったのだ。つまり、知らず知らずのうちに、男性を引き付けるものを持っていたのだった。しかし、1965年には、それを知らなかった。だって、前歯に、金冠をはめていたので、容貌は、ICU中で、一番、劣ると、思いこんでいたので、自分に男性を引き付けるところがあるなどとは、みじんも思い寄らなかった。そのフェロモンのことは、1998年になって、パリへ行く前に、自分にアーチストとして、どれくらいの将来性があるかと、日傘雅水さんに、聞きに行ったときに言われたことだった。日傘雅水さんは、芸術家とか、クリエーターに、クライアントが多い。それで、日傘さんの、解説書を読んでいると、私は,ほかの手相書には出ていない、自分に出ている線を、見つけることができる。それで、アンアン編集部に住所を、教えてもらって、見てもらったことがある。その時に指摘をされたのだが、「あなたは芸術家でよかった。これが、もし、普通の主婦だったら、事件を起こしていますよ」と。金星帯というのが、両手にあって、しかも二重にあるそうだ。知らなかった。

 で、館野君は、いろいろな芝居をした。ソーピーと非常に仲良しだという芝居をした。毎日早めに仕事を繰り上げて、車で、ソーピーと一緒に帰るのだった。しかも、車にソーピーを招き入れる場所が、私が座って実験をしている目の前、5メートルの位置なのだ。

 私はこういうことを書くにあたって、別に面白がって描いているわけではない。うちの息子がかどや製油に努めていたころ、三井物産から来た、Mという上司に苛め抜かれた。その上、子供が生まれて、少し、自閉症の気味があるといわれて、其れが二重のストレスになって、依願退職という形で、会社を辞めた。そのころだったと思うのだが、かどや製油をうちの子と同時期に、やめた、別の青年を、館野君の会社で、採用したのだった。競合的会社にあたるので、普通なら行わないことなのだけれど、おやりになった。

 そしてソーピーの方は、ロンドンで、手配をして、スタップ細胞疑惑を起こした。二人とも激しい勢いで、私を政治的に苦しめているのだった。私の文章を丁寧に読まないで、井上ひさし等から、簡単なレジメをもらって、「彼女は右翼だから、小保方晴子を派手にぶち上げれば、日本は、こんな素晴らしい研究をして素晴らしい国だ」という文章を書くはずだ。その上で、「あっかんべー。嘘でした」となったら、彼女のブログの読者は、離れるさ。そうしよう。そうしよう」となって、作り上げられた事件だったのです。笹井芳樹さんは、お気の毒ですが、他殺です。そして、私は、そんな罠には、引っかかりませんでした。「馬鹿にするんでないよ。ソーピー」と、言っておこう。

 こういう状況下にあって、八芳園で、クラス会が開かれた。どうしても、名前を思い出せない顔があった。思い出せないのは道理で、卒業年度は、同じなのだけれど、一級上の人だったのだ。AFSで留学しているので、一年下がってきた人だった。

 で、名前が思い出せないために、その人を遠くからじっと見つめた。そして、誰かに似ていると、思った。『そうだ、角野栄子さんだ。だけど、角野栄子さんより、こちらの友達の方がずっと、柔らかいなあ』と考えた。それをブログ、または、下書きボックスに書いて入れてある(後注1)。それ以来、角野さんは、テレビ露出が、頻繁になった。

 そして、此処からは、角野さんからは、離れるが、その八芳園内で、その一つ上の、女性は、驚くべきことを言った。「館野君って、今、施設に入っているのよ」と。私は施設という言葉は好まない。たぶん、老人ホームの事だけれど、「テニスをやっていた彼が、既に、老人ホームに入らないといけないほど、衰えた?」というのが信じられない。ただ、欧米へのジェット機がもう、つらい」とは、言っていたけれど。

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 さて、以上までを、29日の深夜(むしろ、30日の早朝)に書いた。ただし一般の読者の方には、この一文が何を目指しているかがお分かりにならないだろう。というのも私は自分の被害については、ほとんど語らない主義だから。

 しかし、ちらっとだが、西原理恵子を用いた、恐ろしい仕組みだけは、語っている。後で、導入部分のリンク先を探しておく。その西原理恵子が、東京女子大で、「いろんな男と寝なさい」と、言う講演を行い、NHKは、其れを、最後の講義として大宣伝をした。恐ろしいことだった。私の息子を苛め抜いて、給料をもらえない様にした仕組みを描いているからこそ、持ち上げるのだった。で、西原理恵子を、東京女子大を舞台にして、「やりまんになりなさい」と、勧める様な講演を行うのは、まともなルートで行って居たら、無理だと、思う。そこに、前東京女子大学長の、湊晶子さんの、紹介があったと、私は考えている。

 

 

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

ただほど、高いものはない。は、真理だ。専業主婦は時間がある。

後注1、

保育の専門家は、喧嘩OKの子育てをする(貴景勝他)+内実は亀裂があるのに離婚できなかった悲劇(長嶋茂雄夫妻)  2018-11-26 22:33:56 | 政治 

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