小寺家の私邸だった「相楽園」は
昭和16年に神戸市の所有になってから
中国の古書より「各得其願 和悦相楽」をとり
「相楽園」と名付けられました。
小寺家本邸の豪壮なお屋敷もあったそうなのですが、
戦争で焼失、今は、見事な日本庭園が伝えられています。
手入れの行き届いた、木々ももちろん見どころですが、
国内で唯一現存するものが、こちらのお庭にあります。
船屋形です。簡単にいうと、屋形船の屋形部分が陸揚げされているのです。
江戸時代に姫路藩主が河川の遊覧で使っていた、川御座船(かわござふね)だそうです。
1682~1704年に造られたとされています!
1980年(S55)に保存のために移築されたそうです。
装飾もとても華麗で美しい色あいです。
表だけでなく、内装も春慶塗と黒漆塗りに塗り分けてあるそうです。
金箔の装飾や立体的な彫の装飾に目が引きつけられてしまいます。
緑の多い、庭園でとても引き立っていました。
離れとして使われていた浣心亭。
船屋形と違って、わびさびを感じる装いです。
菊花展の展示広場では、和菓子とお茶が販売されていました。
「もみじ」と「菊」を表している生菓子を頂きました。
昭和16年に神戸市の所有になってから
中国の古書より「各得其願 和悦相楽」をとり
「相楽園」と名付けられました。
小寺家本邸の豪壮なお屋敷もあったそうなのですが、
戦争で焼失、今は、見事な日本庭園が伝えられています。
手入れの行き届いた、木々ももちろん見どころですが、
国内で唯一現存するものが、こちらのお庭にあります。
船屋形です。簡単にいうと、屋形船の屋形部分が陸揚げされているのです。
江戸時代に姫路藩主が河川の遊覧で使っていた、川御座船(かわござふね)だそうです。
1682~1704年に造られたとされています!
1980年(S55)に保存のために移築されたそうです。
装飾もとても華麗で美しい色あいです。
表だけでなく、内装も春慶塗と黒漆塗りに塗り分けてあるそうです。
金箔の装飾や立体的な彫の装飾に目が引きつけられてしまいます。
緑の多い、庭園でとても引き立っていました。
離れとして使われていた浣心亭。
船屋形と違って、わびさびを感じる装いです。
菊花展の展示広場では、和菓子とお茶が販売されていました。
「もみじ」と「菊」を表している生菓子を頂きました。