三日ぶりに、飯田城址関連の続報です。
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きょうから、その各論といたしますが、まずは、杭のお話です。
こちらは泥田堀こと谷津田の上流、二つに分かれたうちの一方の沢ですが。
水辺には、律儀に境界杭がございます。
遡ったところにも、こんなふうに。
頭の赤い杭が、二本づつ、等間隔でおろされております。
沢は小高い峰に囲まれておりますが、そこにも杭は連なっておりました。
お久しぶりですが。
相変わらず、人知れず皆さん、前向きに頑張っておりました。
つられて青葉も勇躍、藪を目指したお彼岸中日なのでした。
さよう、こちらの藪こそは。
奥の森でも最大の難所、いわゆるネンブツカ(念仏塚?)エリアです。
それでもこのあたりは、個人的にかなり詳しいので、大丈夫でしょう。
ものすごい藪の中ですが、なんとか正確に、杭を辿っております。
けなげに息づくヤブラン青葉さんに、感謝を捧げつつ。
さらに奥へと、正確にこぎ抜けておりますが。
この杭の列こそはまさしく、昔の山道の道幅を示しているのです。
そしてさらに、目をこらして見れば。
今なお、笠間市さんの杭の魂は、毅然かつ燦然と輝いておりました。
15年ほど前、杭の間は市の所有につき、自由に保全作業ができるだろうと。
仲間と山道をくまなく草刈りをした、その時の記憶に導かれるように。
特にこのあたりは、往時はご近所さんの畑で、青葉の遊び場でもあり。
森を抜けたところに、忽然と畑が出現する不思議な記憶の場所でもあり。
その体験のお陰様で、今も迷わずに、難所を踏み越える青葉でしたが。
藪を抜けたところにも、またまた笠間市さんが。
立ちはだかるその魂に、ふと、武蔵坊弁慶さんを思い出しましたが。
こちら、城址に戻る道すがらにも、弁慶ペア杭さんが連綿と。
つまり、メガ計画の一帯には、笠間市管轄の伝統の生活道路が健在で。
山道再生以降は、菊作りや自然薯作りの皆様が清掃することもあり。
史跡には未指定かもしれない、いわゆる西峰入り口におきましても。
二重土塁的な盛土の麓の杭さんの運命は、メガ計画と笠間市さんの綱引き次第。
クイ無き笠間をめざしつつ、まずは杭有る、笠間市さんに感謝でした(づづく)。
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沢は小高い峰に囲まれておりますが、そこにも杭は連なっておりました。
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相変わらず、人知れず皆さん、前向きに頑張っておりました。
つられて青葉も勇躍、藪を目指したお彼岸中日なのでした。
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それでもこのあたりは、個人的にかなり詳しいので、大丈夫でしょう。
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この杭の列こそはまさしく、昔の山道の道幅を示しているのです。
そしてさらに、目をこらして見れば。
今なお、笠間市さんの杭の魂は、毅然かつ燦然と輝いておりました。
15年ほど前、杭の間は市の所有につき、自由に保全作業ができるだろうと。
仲間と山道をくまなく草刈りをした、その時の記憶に導かれるように。
特にこのあたりは、往時はご近所さんの畑で、青葉の遊び場でもあり。
森を抜けたところに、忽然と畑が出現する不思議な記憶の場所でもあり。
その体験のお陰様で、今も迷わずに、難所を踏み越える青葉でしたが。
藪を抜けたところにも、またまた笠間市さんが。
立ちはだかるその魂に、ふと、武蔵坊弁慶さんを思い出しましたが。
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つまり、メガ計画の一帯には、笠間市管轄の伝統の生活道路が健在で。
山道再生以降は、菊作りや自然薯作りの皆様が清掃することもあり。
史跡には未指定かもしれない、いわゆる西峰入り口におきましても。
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