では、いつものコースに戻り、城内中心部に向かいつつ。
東側のくぼ地に面しております、二段構えのテラス状の郭の上から。
切岸状の急斜面をご案内したところ、防御の意図が確認できるとのご解説。
当時の長槍のサイズに合わせ、敵との距離を保ち迎撃するという、防御には最適の切岸スケールと納得。
一段降りるとテラスになり、ここを目標に這い上がる敵兵を待ち受けて、一気に仕留める。
誘導と防御という、異種の機能を最適に構成して敵の戦意を挫くという。
築城者の戦術的な意図を、なるほど実感できるお話でしたが。
いよいよ主郭の一歩手前、帯曲輪のような平坦地ですが、大型横堀の可能性が高いようです。
耕作目的で、廃城後に埋められたものの、二重の土塁と土橋跡らしき地面の盛り上がりが有り。
発掘調査すれば、はっきりと断定できるだろうとのお話。
そして、ついに主郭南端。
オカレンジャーさんおススメの、飯田城随一の見どころ、物見櫓跡でございますが。
無名の古城址としては、なかなかのスケールとか。
ここに立ちますと、複雑な地形の隅々まで、城郭全域に確かに目が届くようで。
防御の重点が北西方向であることも、現場が雄弁に語る印象でしたが。
その北側の平坦地も、南面同様に、横堀だろうとのお話。
そのお言葉の通り、北西の隅には、こんなふうに。
その形状の面影には、リアルな当時をしのばせる窪みが有り。
ここは角地ですので、埋め戻す土量が不足して、窪んだまま放置されたと推測できますが。
ついでに、その隅っこの地盤の状況。
地山の骨格、砂岩系の岩盤が露出しておりました。
この砂岩の石くずが均等に分布するエリアは、人造地盤と推測されますが。
例えば、主郭西面を降りたところの平坦地が、まさにその盛土グランドです。
天然の小さな沢が、現地盤から3mの高さで広範囲に均された地盤ですが。
おそらくは、築城時の残土の処理を兼ねて、何かに利用された跡でしょう。
話は尽きませんでしたが主郭を後に、つなぎの尾根を西に渡った馬場跡で、馬力神の石碑を拝見。
倒壊が激しくなっている現状を確認しつつ、昼食後は、東の沢の謎の造成地群へと向かいましたが。
そこにもまたまた、驚きモモノキ。
ついでに画像をもう一枚、物見櫓のサンショの木に輝く青葉さんですが。
続きは次回に、詳報いたします。
☆今日も有難うございます*よろしければ人気ランキングも↓オン願い申し上げます。
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一段降りるとテラスになり、ここを目標に這い上がる敵兵を待ち受けて、一気に仕留める。
誘導と防御という、異種の機能を最適に構成して敵の戦意を挫くという。
築城者の戦術的な意図を、なるほど実感できるお話でしたが。
いよいよ主郭の一歩手前、帯曲輪のような平坦地ですが、大型横堀の可能性が高いようです。
耕作目的で、廃城後に埋められたものの、二重の土塁と土橋跡らしき地面の盛り上がりが有り。
発掘調査すれば、はっきりと断定できるだろうとのお話。
そして、ついに主郭南端。
オカレンジャーさんおススメの、飯田城随一の見どころ、物見櫓跡でございますが。
無名の古城址としては、なかなかのスケールとか。
ここに立ちますと、複雑な地形の隅々まで、城郭全域に確かに目が届くようで。
防御の重点が北西方向であることも、現場が雄弁に語る印象でしたが。
その北側の平坦地も、南面同様に、横堀だろうとのお話。
そのお言葉の通り、北西の隅には、こんなふうに。
その形状の面影には、リアルな当時をしのばせる窪みが有り。
ここは角地ですので、埋め戻す土量が不足して、窪んだまま放置されたと推測できますが。
ついでに、その隅っこの地盤の状況。
地山の骨格、砂岩系の岩盤が露出しておりました。
この砂岩の石くずが均等に分布するエリアは、人造地盤と推測されますが。
例えば、主郭西面を降りたところの平坦地が、まさにその盛土グランドです。
天然の小さな沢が、現地盤から3mの高さで広範囲に均された地盤ですが。
おそらくは、築城時の残土の処理を兼ねて、何かに利用された跡でしょう。
話は尽きませんでしたが主郭を後に、つなぎの尾根を西に渡った馬場跡で、馬力神の石碑を拝見。
倒壊が激しくなっている現状を確認しつつ、昼食後は、東の沢の謎の造成地群へと向かいましたが。
そこにもまたまた、驚きモモノキ。
ついでに画像をもう一枚、物見櫓のサンショの木に輝く青葉さんですが。
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