ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠

茨城県笠間市。観光と陶芸の町の知られざる宝。穏やかな里山と田園は心の原風景。庭と山川草木、体感する旬の言の葉たち。

オカレンジャーさんご案内の結

2018-04-18 07:47:08 | わが里の飯田城址ほか中世城館の記
 飯田城址の調査の午後は、谷津田を挟んで東の尾根に取りつきましたが。



ここにも、実は、謎の段差が続々と折り重なっているのです。
以前の記事で一度、泥田堀をまたいだ対面にある出城として、画像をアップしておりますが(→こちら)。
拙ブログリンクの余湖さん解説にも、出城の記述がございます(→こちら)。



 さて、森の中へと歩を進めますが。
その奥もまた、幾重にも土塁らしきものは重なり。
余湖さん図面におきましても、森におおわれているこのあたりですが。



実際に歩きますと、こんなふうに。
尾根の頂き付近の平坦部以外は、随所に段差がしつらえてあるのです。



ちょっと見えにくいですが、テラス状の造成地盤が連続。
手仕事時代の農耕地としては、段差が大きすぎる印象。
加えて、アズマネザサの侵入が無く、平坦地は砂利が多い盛り土ですので、農耕地のキャリア無しと推測されますが。



基本的には、ここにも何かはあったらしい、とは、オカレンジャーさんのコメント。
防御性は余り感じられないものの、壮大な人造段差の連鎖には、明らかな意志を感じます。



尾根を越えて、集落の裏側にまで、段差の連鎖は及んでおります。
速攻調査の余湖さんは、もしかすると、こうした森の中の造成の詳細まではご覧にならなかったのかもです。
余湖さん記述の尾根の堀切は、この途上でも確認できましたが。



今、ちょっとその画像が紛れて見つからず、失礼いたします。
何しろ森の中で、こうして撮っておりましても、画像だけではわかりにくいのですが。
南北に約300mくらいにわたって、造成地盤がくまなく展開しております。



基本的に、これは、というところでしかシャッター押さなタチですので。
わかりにくいこの画像ですらも、現場の立体的迫力は、それなりのものがあり。



オカレンジャーさんと二人、どこまでも続く多重段差を追いつつ、奥へ向かい。



ついに段差の、虜になりにけるかもの感でしたが。
もしかしたら家臣団の住居跡かも、とのコメントも頂きつつ。



それにしては、造成地が立派過ぎるかな、との疑問などなど。



実は、城址の向かいの峰に、このようなテラス状造成地が見られることは、ままあるようなのですが。
三年前のオカレンジャーさん調査では、尾根の南端の墓地裏で、プール状に窪んだ造成地を見たとの事。
この日は時間切れでしたが、後日探索しながら、地元山主さんのヒアリングもいたします。



このテラス群には、泥田堀に面した茶畑跡地入るとわかり易いですが、ここは昔の池の堰堤址。
それが土塁であろうと書いた以前の拙ブログは、泥田向かいの施設とつなぐ、土橋的施設と修正すべきかも、ですが。
ひとまず今回の飯田城址調査は、山の神さん向かいの峰まで歩いたところで時間切れ。



茨城の城郭シリーズ(→こちら)関連の飯田城址調査では、延べ二日と半日にわたり。
千葉からの日帰り調査を敢行されました、オカレンジャーさんに感謝しつつ。
ブログ主の不徳により、わずか6時間の調査となりました今回を詫びつつ、次回に備えてまいります。
※関連記事・前回の茨城城郭研究会さんのご案内→こちら
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