ローマ14:1〜12
主の弟子として生きる人の霊的な一致の基本的なありかたについて考えます。
1.信仰の弱い人、強い人(1-3節)
信仰の弱い人とはクリスチャンとしてどのように生活したらよいか十分に知らない人です。
神様は信仰の弱い人も、強い人も受け入れてくださいます。
だから、互いにさばきあわないよう生きることが大切。
2.自分の心の中で確信を持つ(4-6節)
みことばに明確に指示されていないことについては、各自が心の中で主のためにどのようにすべきかを確信して行動するのです。
3.主が判断される(7-12節)
主の弟子とは、生きるにしても、死ぬにしても、主のものです。
それは、主は私たちの為に、死んで、また生きられたから。
だから自分の兄弟姉妹をさばいたり侮ったりしない。
やがて、神の裁きの座に立ち、神の前に申し開きをすることになるから。
クリスチャンは、イエス・キリストと一つにされたものとして、クリスチャンとの人間関係や生活でも新しい生き方をするものです。
分かち合いのために
あなたは他のクリスチャンとの交わりでどのようなことに配慮していますか。分かち合いましょう。
今週の聖句
私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。(ローマ 14:7,8)
キリストにある確信
鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣
主の弟子として生きる人の霊的な一致の基本的なありかたについて考えます。
1.信仰の弱い人、強い人(1-3節)
信仰の弱い人とはクリスチャンとしてどのように生活したらよいか十分に知らない人です。
神様は信仰の弱い人も、強い人も受け入れてくださいます。
だから、互いにさばきあわないよう生きることが大切。
2.自分の心の中で確信を持つ(4-6節)
みことばに明確に指示されていないことについては、各自が心の中で主のためにどのようにすべきかを確信して行動するのです。
3.主が判断される(7-12節)
主の弟子とは、生きるにしても、死ぬにしても、主のものです。
それは、主は私たちの為に、死んで、また生きられたから。
だから自分の兄弟姉妹をさばいたり侮ったりしない。
やがて、神の裁きの座に立ち、神の前に申し開きをすることになるから。
クリスチャンは、イエス・キリストと一つにされたものとして、クリスチャンとの人間関係や生活でも新しい生き方をするものです。
分かち合いのために
あなたは他のクリスチャンとの交わりでどのようなことに配慮していますか。分かち合いましょう。
今週の聖句
私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。(ローマ 14:7,8)