宗教法人 鈴川キリスト教会

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

2024年 9月 29日礼拝メッセージ要旨

2024年09月29日 | 礼拝メッセージ
ルカ6:20ー38 
祝福の生活原則

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣

 イエス様は、神様に祝福される生活の原則を、しばしば弟子たちに語られました。それは、それまで人々が考えていたこととは、ずいぶん違ったものでした。
1. 幸い(20節-23節)
・貧しい者――神の国はあなたがたのもの
・飢えている者――やがて満ち足りる
・泣く者――やがて笑う
・人々が憎み、除名し、辱め、名をあしざまにするーー天であなたがたの報いは大きい
2. 哀れ(24節-26節)
・富む者――慰めをすでに受けていると
・食べ飽きているーーやがて飢えるようになる
・笑うーーやがて悲しみ泣くようになる
・みなの人がほめるーーにせ預言者たちと同じ
3. 敵への愛(27-31節)
・敵を愛し、憎む者に善を行う
・のろう者を祝福し、侮辱する者のために祈る
・頬を打つ者にはほかの頬をも向け、上着を奪い取る者には下着も拒まない
・求める者には与え、奪い取る者から取り戻さない
4. あわれみ(32-36節)
・あなたがたの天の父が憐れみ深いように、憐れみ深くする。
5. さばかない(37-38節)
・裁かないで、赦す。与えると、与えられる。
 
 ここに書かれていることは、私たちの生活の心の鏡のようなことです。いつもこの教えと私たちの心、生活を照らし合わせて、正して行くことが大切です。この事を逃げないで実行するときに、私たちの罪深さや足りなさに気が付かせられます。
しかし、イエス様はその罪の解決のために、救い主としてこの世界に来られて、十字架にかかり、この問題を解決してくださったのです。それは、私たちが神様の下さる祝福に満ちた生活をするためです。

分かち合いのために
 イエス様の語っておられる原則を、1つでも毎日の生活に適応するようにチャレンジしましょう。その結果を互いに分かち合いましょう。

今週の聖句
 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。(ルカ 6:31)


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2024年 9月 15日礼拝メッセージ要旨

2024年09月15日 | 礼拝メッセージ
ルカ6:12ー19  
12使徒の選任

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣

 イエス様は、この世界に来られた使命を成し遂げるために、12使徒を選ばれました。このような大切な決断をされる時には、いつも夜を徹して祈ってからそれをされるのが常でした。使徒とは、特別な使命を与えられて遣わされる人です。イスラエルの12部族にちなんで12名の使徒を選ばれたのです。使徒が選ばれた目的は3つあります。(マルコ3:14,15)
1.イエス様の身近に生活するため。これは、交わりと訓練のためです。
2.福音宣教に派遣するため。
3.悪霊を追い出す権威を持たせるため。これは奉仕の力です 
 
 イエス様は、任命した使徒たちと共に早速に山を下りて多くの人々がいるところに行きました。そこで弟子たちは、イエス様の教えを共に聞き、人々が病気を直していただくところを手伝い、汚れた霊に悩まされている人々のいやしに立ち会いました。イエス様は、自分の生活を通して、人との関わり方を具体的に教えられました。

12使徒は、イエス様が直接選び任命された人々ですが、イエス様の弟子として生きる人々にもこれと同じような使命と目的が与えられています。私たちは、今の時代にそのことを充分に意識して、その使命を果たし、イエス様のご期待に添うことが出来るように心がけることが大切です。

分かち合いのために
あなたの、イエス様との日々の交わり、霊的な訓練、福音を証しすること、奉仕をもう一度点検して、変える必要があるところがありますか。そのために何をしますか。互いに分かち合いましょう。

今週の聖句
 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
(マルコ 3:14,15)

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2024年 9月 1日礼拝メッセージ要旨

2024年09月01日 | 礼拝メッセージ
ルカ6:1ー11             
安息日の主

鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣

 1週間のサイクルはどこから来たのでしょうか。これは、この世界が創造されてときからはじまりました。6日間働いて1日休むことは、人間の健康な生活のためまた、すべての創造者である神様を礼拝するためです。
 ところが、イエス様の時代には、安息日について厳しい制約が定められていました。そのような中で、イエス様は、安息日の本来の意味を回復されました。


1, 弟子たちの麦の穂摘み(1-5節)
 「人の子は、安息の主です。」と言われました。
安息日に何を行うべきか定めているのはイエス様です。私たちは常にキリストが主であることを認めて従って行きたいと思います。
2, 右手の萎えた人のいやし(6-11節)
 これは、律法学者、パリサイ人たちの策略でした。
 イエス様は、彼らの考えを知っておられて、なお手を伸ばす奇蹟を行われました。
 イエス様は、善を行われることを選ばれました。ここでもイエス様が安息日の主であることを示されたのです。
 
 私たちの生活の中には、私たちを束縛して苦しめているものが多くあります。いろいろな規制は本来は、人々のためにと思って制定されたものが多いのですが、それが後に人々を苦しめるようになるのです。
 イエス様は、物事の原点や本質をはっきりと見据えた生き方をするように、自ら行動されました。イエス様を信じる生き方はまさに、このような生き方を可能にしてくれます。

分かち合いのために
あなたを苦しめている束縛は何ですか。それからどのようにしたら解放されるでしょうか。その結果はどうでしょうか。互いに分かち合いましょう。

今週の聖句
 イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。(ルカ 6:9,10)


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