宗教法人 鈴川キリスト教会

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

2011年1月23日礼拝メッセージ要旨

2011年01月23日 | 礼拝メッセージ
~金銀に勝るもの~
                 鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣

 使徒3:1~26
 この世界を造られた神様は、優れた力を持っておられるお方です。キリスト者は、その神様を信じ従っています。主なる神様が、その力を発揮されるとすばらしいことが起こります。それを体験したり、見たりした人々は、主の素晴らしさをますます知ることになります。 
 ペンテコステのときに、聖霊に満たされた使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇跡が行われました。エルサレムの神殿では、生まれつき足のきかない男が、ナザレのイエス・キリストの名によって歩けるようになりました。その男は、歩いたり、はねたりしながら、神を賛美して使徒たちについて行きましたから、人々は驚きあきれてしまいました。そして、この出来事に驚いた多くの人々は、使徒たちの所に集まってきましたから、ペテロは、その人々に、はっきりまた大胆に、イエスキリストのメッセージを伝えました。
 この様にして、最初の教会は、多くの人々にイエス様を主に導くことが出来ました。このことは、私達にとっても良いモデルです。


分かちあいのために
(1) ペテロとヨハネが宮に行ったときにどのような人に出会いましたか。 (1-3節)
(2) その人にどのようなことが起こりましたか。 (4-8節)
(3) 人々はどのような反応をしましたか。  (9-11節)
(4) ペテロはその人人にどのような勧めをしましたか。 (12-26節)
(5) 主なる神様は、今の時代にも不思議なわざとあかしの奇跡をして下さるでしょうか。あなたは、主の不思議な助けを経験したことがありますか。互いに分かちあいましょう。

今週の聖句
 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。 (使徒 3章16節)

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2011年1月1日礼拝メッセージ要旨

2011年01月09日 | 礼拝メッセージ
~賢い人と愚かな人(キリスト者の変革)~
                   鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣
マタイ 28:16?20
 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」


 ―序―
 ここ数年、私はこのみ言葉が、いつも心に響いて来ています。それは、人口の99パーセント以上の人々がまだ主を知らない日本で、一人でも多くの人々が主を信じ救われることを、主が願っておられると思うからです。この99パーセント以上の人々をどのようにして救い立ち返るのでしょうか。それには、二つの可能性が考えられます。
 第一に、聖霊の激しい介入により奇跡的に一気に多くの人々が救われることです。このことを多くの人々は期待しリバイバルと呼んで、祈り求めています。しかし、過去の世界各地のリバイバルや日本に何度か訪れたリバイバル現象と言われることを見ても、それは、ある一時期に限られておりました。
 第二には、キリスト者一人一人が、主の証人、主の弟子として整えられ周囲の人々を主に着実に導くことによる福音化です。これは、初め時間がかかりますが、着実で、永続的に福音化がなされて行きます。
どちらの方法も聖霊の助けがなければ実現しないことですから、真剣に祈らなければなりません。


 ―個人のリバイバル―
 この二つの可能性のうちの後者は、既にキリスト者となっている私たちの主に対する信仰の姿勢と献身に大きくかかわっています。すなわち、キリスト者個人個人の変革が大切になります。これまでの、世界各地のリバイバルを調べてみても、まず、キリスト者の中に聖霊によるお取り扱いがあり、深い悔い改めと主に対する再献身が起こりました。聖霊の満たしはただ単に霊的な体験と言うだけではなく、その人の品性を変えるところまで浸透するものでなければなりません。

ガラテヤ書 5:22~25に「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」とあるように、悔い改めと、謙遜、献身により、このみことばが現実のものにならなければならないのです。また、使徒 1:8に「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあるように、福音宣教の力に満たされることが必要です。

 ―みことばの実践―
 主イエス様は山上の説教の終りに次のように話されました。「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」 (マタイ 7:24~27)私たちは、賢い人になりたいか、愚かな人になりたいかと問われるならば、幼い子供でも「賢い人」と答えます。それならば、イエス様が言われたように、みことばを実践して生活することが大切です。新約聖書の中には、信仰は、思いや、心の問題だけではなく、実践することの大切さを多く取り扱っています。イエス様はしばしばこのことを、語られ、実行されました。パウロの手紙は、ほとんどその前半は原理、原則的なことが書かれていても、後半は必ず実際的で具体的な信仰生活の実践について書かれています。
みことばを実践することを指摘されると、多くのキリスト者は次のように言い訳するのです。「イエス様が山上の説教で言われていることは、高い理想を話されているのだから私たちには実行で来るわけがない。ただそれを目指す目標として掲げられているのだからわたしたちは出来なくとも仕方がない。出来ないからこそイエス様を信じているのだから。」
 しかし主は、出来ない人は仕方がないけれども、出来る人だけ行いなさいとは言われませんでした。何も条件を付けずに、「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」と言っておられるのです。


 使徒パウロは、エペソへの手紙の中で次のように語るのです。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」 (エペソ 2:8~10)ここで、パウロは、私たちが救われるのは行いによるのではなく主イエス様の恵みとそれを信じる信仰によるのであり、主からの賜物であると明言しています。しかし、救われた人々については「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られた」ものであると言っています。そのうえ「神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださった」とまで書かれているのです。それでもなお私たちが、みことばの実践を怠るならば、主の福音は、私たちの救いに力がないことを、実生活で証ししていることにならないでしょうか。これでは、私たちの周囲の人々を救いに導けません。

 ―終わりに―
 信仰の変革には聖霊の満たしや讃美の力も必要ですが、それは何のためでしょうか。私たちキリスト者が主イエス様に似る者と変えられるため、すなわち、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたの」としての生きるためです。隣人を愛する愛にみたされ、それを実践するためです。また、イエス様が父なる神様からこの世界に遣わされたように、私たちがこの世界に主の福音を伝える証人として遣わされて、その役割を果たすことが出来るためでもあるのです。

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2010年12月26日礼拝メッセージ要旨

2011年01月01日 | 礼拝メッセージ
~最初の教会の誕生~

                 鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣

 使徒2:22~47

 イエス様が十字架にかかり、三日目に復活されてから、50日目のユダヤ人のお祭りの日、五旬節(ペンテコステ)に、聖霊に満たされた人々は、イエス様の十字架の死と復活について、そこにいた人々に、はっきりと説明しました。

 多くの人々は心を刺され、使徒たちにどのようにしたらよいかとたずねました。ペテロは、「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」 (使徒2:38)と答えました。
 その日、そのすすめの言葉を受け入れた人々は、バプテスマを受けましたが、3000人が弟子に加えられたのです。
 これが最初の教会の誕生日です。その人々は、「使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」
(2:42)「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」 (2:46,47)のです。

分かちあいのために
(1) 五旬節の日(ペンテコステ)に、 聖霊に満たされた人々は、どのようなメッセージ を伝えましたか (22-36節)

(2) メッセージを聞いた人々は、ペテロやほかの使徒たちにどのような反応を 示しましたか。 (37節)

(3) ペテロは、その人々にどのように勧めましたか。 (38-40節)

(4) その勧めのことばを受け入れた人々はどうしたでしょうか。 (41-42節)

(5) 最初の教会の、雰囲気はどのようでしたか。 (43-47節)

(6) あなたもこの様な教会に加わりたいですか。互いに分かちあいましょう。

今週の聖句 
 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。 (使徒2章41,42節)

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