わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
~復 活 の 事 実~
鈴川キリスト教会 顧問牧師
川崎 廣
ヨハネ20:1〜18
イ−スタ−おめでとうございます。
イエス様は、復活されました。何と力強い、何と希望に満ちたことでしょう。死は、イエス様を墓の中にとどめておくことが出来ませんでした。イエス様の十字架と復活、これは私たちの信仰の土台です。初代教会のキリスト者たちは、復活されたイエス様にお会いしました。そして、主が昇天された一週間後、聖霊をうけて、大胆にまた、熱心にイエス様の復活の証人として、宣教活動をしました。この人たちのメッセ−ジの中心は、イエス様の十字架と復活の事実だったのです。主の復活は、父なる神様が、主の十字架の業を受け入れて下さり、主が救い主としての務めを完成されたことを承認なさった、確実な証拠です。誰でも自分の罪を悔い改めて、この事を信じ受け入れる時、父なる神様との交わりが回復し、私たちもイエス様と同じ復活のいのちが与えられ、今までとは違う新しい生活が始まるのです。また、イエス様を死からいのちに復活させて下さった神様の力が、私たちの内にも働くようになるのです。
あなたは、すでにこの新しいいのちを持ち、神様の力を体験しておられると思います。クリスチャンとしての生活のすばらしさは、この復活の力を、日々の生活の中でいつも体験して生活できることです。私たち人間にとって、死の恐怖からの克服は、最大の課題です。私たちの日々生活の中で起こる問題や課題で、この死をも乗り越えられた復活の力によって解決することの出来ないほどのものはありません。創造主の神さまは、必ず解決を与えて下さいます。もし私たちクリスチャンがこのようなすばらしい解決を体験出来ないでいるとするならば、主なる神さまに復活の力を発揮していただくように、まかせていないからではないでしょうか。
分かち合いのために
あなたの生活の中で、イエス様の復活の力を必要としている部分はどこでしょうか、互いに分かち合いましょう。
今週の聖句
マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。 (ヨハネ20:18)
~新しい人の生活~
鈴川キリスト教会 顧問牧師
川崎 廣
コロサイ3:1-11
イエス様を信じて、新しい生活を始めたクリスチャンの具体的な生活目標はどのようなものでしょうか。
パウロの手紙に中では、最初に基本的な教えが書かれ、後半に具体的な生活指針が書かれています。
1.上のものを求める生き方
・永遠に価値観を置く生き方
・人生への動機付け、生きる目標を求める。
2.天にあるものを思う
・天にあるもの、上にあるものに思いの焦点を合わせる。
・思いを新しくする
3.古い人を脱ぐ
・古い自己に死ぬこと
・キリスト共に十字架につけられた自分を見る。
4.新しい人を着る
・造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至る
・ 復活の主とともに栄光の姿に変えられていく。
クリスチャン生活は、キリストにあって全く新しくされた生活です。
分かち合いのために
・あなたが古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着た経験を分かち合いましょう。
今週の聖句
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。 (コロサイ 3:9,10)
~人間の戒めからの解放~
鈴川キリスト教会 顧問牧師
川崎 廣
コロサイ2:16-23
私たちの生活を苦めたり、混乱させている事の中には、人間社会の戒めや、しきたり、習慣などがあります。それらのことに振り回されないで、しっかりした生活をするにはどうしたらよいのでしょうか。
パウロは、私たちの生活の中に起こってくる個々の事柄に解決策を考えるのではなく、物事に対応する基本的な考え方を確立することが大切だと示しています。その基本的な考え方の中心は、キリストとの関わりです。それがキリストとの関わりでどのように判断し、行動するかが考え方の基本となるのです。もし私たちがかしらであるキリストに深く結びついているならば、人間の戒めから解放されるのです。
当時の人々は、飲食のことや、年間行事のこと、霊的の体験のこと、禁欲主義などによって振り回されていました。しかし信仰の基本に関わることでないものについては、自分で対応の基準をはっきりと確立して対応することが大切です。
あなたの生活を困難なものにしているのは何でしょうか。キリストとの関わりを中心とした基本的な考え方で解決しましょう。
分かち合いのために
・あなたの心を苦しめているものは何ですか。それはどのように解決できるでしょうか。互いに祈り合いましょう。
今週の聖句
こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
(コロサイ 2:16,17)