ヘブル人への手紙10:19〜39
私たちを愛して下さる神様は、私たちから遠く離れたお方では無く、私たちが大胆に近づくことの出来るお方です。ヘブル書にはここまで、キリストによる罪の赦しの必要性と身代わりのいけにえの完全であることが丁寧に書かれていました。今日の箇所からは、知識は行動に移されたときに初めて意義を持つこと、教理は生活とならなければならないことが語られています。
1, 神に近づく(19〜22節)
・イエス様の血によってまことの聖所に入ることが出来るように、すべてが用意されている
のですから、大胆に確信をもって神の御前に近づこうではないかと勧められています。
・十字架上で神の御子が流された血によって切り開かれた道、成し遂げられたわざの一つ一つを思うとき、私たちはただ礼拝と感謝の思いを持って神の御前に近づくのです。
2,全き信仰(22-25節)
・「全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(22節)と呼びかけられています。神の御前に近づくとき大切なのは、純真で真実な砕かれたたましいです。
三つの励まし。
(1)「しっかりと希望を告白する。」(23)自分の信仰を証しすることです。
(2)「互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合う。」(24)
(3)「かえって励まし合い、かの日の近づいているのを見て、ますますそうする。」
かの日はキリスト再臨の日のことです。
3,確信を持つ(26-35節)
・背教者たちと、信仰の戦いを勝ち抜いた人たちとの両面からの勧め。
(1) 警告。主に背いた人たちは、神の真理を否定し、神の御子を踏みつけ、恵の御霊を侮っている。そこには祝福の生活はけして生まれてこない。
(2) 奨励。信仰の勇者たちを覚える。迫害の中にあっても、最後まで耐え抜いた信仰の勇者達は、数々の信仰の恵と実をあかししました。
・逆境と不遇の中にある人たちの相談相手になり、仲間になる人もいました。
・また、捕らえられている人々への暖かい思いやりを忘れませんでした。(34)
・財産を奪われても喜んで忍びました。
・天に報いの約束を信じて、確信を持ち続けました。
4,目標を目ざして一心に走る(36-39節)
・過去の迫害と試練、現在の背教、未来に対する不安の中で、信仰者達に求められるものは、
「忍耐」であり、終わりの日を目指して信仰の走路を完走することでした。
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」(37,38)
私たちも、終わりの日を目指して、与えられた道を一心に走りましょう。
「神に近づく」
鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣
私たちを愛して下さる神様は、私たちから遠く離れたお方では無く、私たちが大胆に近づくことの出来るお方です。ヘブル書にはここまで、キリストによる罪の赦しの必要性と身代わりのいけにえの完全であることが丁寧に書かれていました。今日の箇所からは、知識は行動に移されたときに初めて意義を持つこと、教理は生活とならなければならないことが語られています。
1, 神に近づく(19〜22節)
・イエス様の血によってまことの聖所に入ることが出来るように、すべてが用意されている
のですから、大胆に確信をもって神の御前に近づこうではないかと勧められています。
・十字架上で神の御子が流された血によって切り開かれた道、成し遂げられたわざの一つ一つを思うとき、私たちはただ礼拝と感謝の思いを持って神の御前に近づくのです。
2,全き信仰(22-25節)
・「全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(22節)と呼びかけられています。神の御前に近づくとき大切なのは、純真で真実な砕かれたたましいです。
三つの励まし。
(1)「しっかりと希望を告白する。」(23)自分の信仰を証しすることです。
(2)「互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合う。」(24)
(3)「かえって励まし合い、かの日の近づいているのを見て、ますますそうする。」
かの日はキリスト再臨の日のことです。
3,確信を持つ(26-35節)
・背教者たちと、信仰の戦いを勝ち抜いた人たちとの両面からの勧め。
(1) 警告。主に背いた人たちは、神の真理を否定し、神の御子を踏みつけ、恵の御霊を侮っている。そこには祝福の生活はけして生まれてこない。
(2) 奨励。信仰の勇者たちを覚える。迫害の中にあっても、最後まで耐え抜いた信仰の勇者達は、数々の信仰の恵と実をあかししました。
・逆境と不遇の中にある人たちの相談相手になり、仲間になる人もいました。
・また、捕らえられている人々への暖かい思いやりを忘れませんでした。(34)
・財産を奪われても喜んで忍びました。
・天に報いの約束を信じて、確信を持ち続けました。
4,目標を目ざして一心に走る(36-39節)
・過去の迫害と試練、現在の背教、未来に対する不安の中で、信仰者達に求められるものは、
「忍耐」であり、終わりの日を目指して信仰の走路を完走することでした。
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」(37,38)
私たちも、終わりの日を目指して、与えられた道を一心に走りましょう。